倶楽部メモ(346)
平成18年10月 4日〜10月 4日



投稿者 日野実験線
投稿日 10月 4日(水)11時57分29秒
タイトル Re;A寝台専用列車の件
正確なデータを確認できず、間違っていたら申し訳ありません。
確かGW前後と、秋の結婚シーズンの頃に設定されていたと記憶しております。
クモイ103様の言われる通り、九州に行くのは列車が一般的で、
時間的にも気軽に行ける所ではなかった事から新婚旅行の行き先にもなったのでしょう
(当時は宮崎は新婚旅行の人気地だったそうです。)。
私はA寝台のみで食堂車が連結されておらず、食事をどうするのかと変な心配をしたりもしましたが、
「高千穂」に西鹿児島まで乗った際には、大きな駅でしたら大体どこでも弁当売りがドアのそばで待っていましたし、
停車時間を利用してホームの立喰い蕎麦(持込用の容器も売っていました。)も利用でき、
食事については全く不自由しませんでした。
今の状況からは想像出来ないですね・・・(笑)

当時に関する資料は殆ど日本に置いてきており、手元にありません。
どなたかに時刻表等を確認して頂ければ大変有難いのですが・・・(苦笑)


投稿者 日野実験線
投稿日 10月 4日(水)13時35分28秒
タイトル Re:座席あれこれ?
てりてり様、初めまして。
連続書込みで申し訳ありません。
オハ41を中心としたロングシート車は朝晩の通勤通学の際に使用されることが多く、
私は秋田で連結されている列車に乗りましたがオハ41は通学の学生で一杯でした。
場所によっては行商(いまや死語になりつつありますが・・・)のおばさん達の専用車にもなっていたようです。
(大きな荷物を持ち込み、置くのに都合が良いので・・)
混んでいる時はできませんが、空いている時には長いロングシートに靴を脱いで寝転がってしまうと
普通の座席者よりも寛ぐ事が出来ました。(笑)



投稿者 日野実験線
投稿日 10月 4日(水)14時06分24秒
タイトル 50系、通勤車の構造
鹿ケ谷鉄道様、雑魚様、宜しくお願い致します。
50系の製造は昭和53年からだったと記憶していますが、
当時、通勤輸送については動力分散化の方向で動いており、50系はそれ以外の地域で残る旧型客車の置換え、
特に安全性の向上と接客設備の改善が目的で製造されたと認識しています。
従って出入口の自動ドア化、貫通扉の設置、車掌の扉操作利便性を図るためにオハフ50の両端へ業務室を設置、
など、全て乗客及び乗務員の安全性向上を図るためのものです。
実際には通勤区間へも投入されてしまいましたが、
50系の投入によりデッキからの転落事故は一掃されたように聞いています。
製造に当たっては電車或いは気動車への転用が考慮されており、
後年キハ33や北海道のキハ141系に改造されたことは皆様ご存知のことと思います。

後年オハ5141に対して通勤用に中間に扉一つを増設する改造が行われました。
私は丁度改造の真っ最中に札幌運転区を訪問したのですが、区の方からは以下のようなお話をお伺いしました。
 1.出入口を増設するとなると客車にはステップを設置しなければならず、台枠の切欠 き、
   ステップ設置後の台枠再構成、が必要となって強度計算など非情に手間である。
 2.50系の場合、ドアエンジンも設置しなければならず、ドア構造体やドアエンジンの重量を台車ではなく、
   台枠で受けなければならないので台枠の強化も必要になる。
 3.車内配置についても中央にデッキを設置するために見直しが必要になる。
とのことで、非常に苦労されていました。
結局オハ5141は苗穂工場に移され、苗穂工場で工事を完了しました。
ただその結果は721系電車の構造に生かされています。

 客車では和田岬線のオハ、オハフ64が片側にデッキを増設していて有名でしたが、
オハ41への改造の際には両数も多く、改造に手間をかける余裕も無かったのではないでしょうか?

以上、長文失礼致しました。


投稿者 雑魚
投稿日 10月 4日(水)15時59分20秒
タイトル 和田岬
> 日野実験線様

50系に関する御教示、有難うございます。動力車への転用を前提とした点に過渡的な
設計思想が窺えますね。牽引機が赤色である場合が多かったので、どうせなら青系に
ならないものかとも思いましたが、考えてみると 701系の導入直前に、東北線の盛岡
以北などで普通列車の運用に就いていたのは、一部をロング・シート化して、白帯を
消した「青一色」の12系でしたね。

> 客車では和田岬線のオハ、オハフ64が片側にデッキを増設していて有名でしたが、

三菱重工の事業所への通勤者を対象としたダイヤは、正に鶴見線の如しで、神戸市営
地下鉄の海岸線開通が決定した時点で、すわ廃止かと思ったのですが、乗務員手配の
都合からか、わざわざ電化してまで存続したのは意外でしたね。

神戸市企画調整局の統計によると、和田岬駅の乗降者数は地下鉄が開通した2001年を
挟んで四割近く減少していますが、それでも、2004年時点で約1800千人(定期券比率
約95%)で、電化後も「相変わらず」のダイヤである事を勘案すると、市営地下鉄の
約2600千人(同比率、約60%)との比較において、中々の善戦振りと言えそうですね。

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画像は、先述の12系団臨を常磐線沿線の商業施設駐車場から撮ったものです。道路の
街灯が煩わしいのですが、足場が足場ゆえ仕方無いところ。家族サービスと「鉄」を
両立したい世の父親には、都合の良い場所………かも(^^)改装次第では、三脚組が
萌える構造ですが、一般客との整合性において「立入有料」で足場の区画を整えても、
結構「需要」はあるかも知れませんね(^^)警備員が常駐しているので、危険行為や
一般客に迷惑をかける行為は、厳にNGです。


投稿者 長電ボーイ
投稿日 10月 4日(水)18時15分31秒
タイトル 外国の客車は
おしさしぶり。
日本の客車と外国の客車は差があります。
中には客車が無いと生きていけない国があります。
韓国は特急に客車を使います。(セマウル)
高速電車に客車を使かう国があります
こちら「フランス、イギリス、ドイツ、イタリア、韓国、スペインなどデス。」
インドネシアなど、準ビンボー、ビンボーの国は客車が必要ですです。
外国は客車が多いです。



投稿者 鹿ケ谷鉄道
投稿日 10月 4日(水)18時19分3秒
タイトル ステップの疑問
日野実験線様の50系、通勤車の構造を読んで、ステップとホーム高さの疑問を思い出しました。
客車やディーゼルカー主体の路線は、ホームが低く車両にはステップがあります。
この路線が電化により電車化されると、ホームのかさ上げ工事が行なわれます。

でも現実には、電車用ホーム高さの路線に一般型客車(オハ35など)や、ディーゼルカーが走っていたわけで、
国鉄の規程?によるホーム高さと運行車両のステップ有無の関係に疑問を持っていました。
(183系ECと485系ECの関係でも言えますよね。)
なので、50系客車の車体が近郊型電車的でも良かったのではと、思った次第なのです。


投稿者 日野実験線
投稿日 10月 4日(水)18時39分46秒
タイトル 50系の塗色
> 雑魚様

50系の塗色については、木々の緑や海の青に映える色(どこを走っていても視認ができる色??)
としてあの色になったと聞いたことがあります。
私もあの色は好きではありませんでしたが、乗り心地はまさに客車そのもので、
急行並みの座席、明るい照明等、中々快適でした。
50系ではまだ窓の下に灰皿が付いていましたね・・・(笑)


投稿者 突放禁止
投稿日 10月 4日(水)18時43分27秒
タイトル 50系客車
いわゆるレッドトレインは「あんなもん」と言うレッテルを貼っておりましたが…
中途半端な作りやな〜とつねづね思ってましたが改造前提のお話で妙に納得です。
私は京都から滋賀に引越したのですが草津線直通の50系普通列車に好んで乗りましたね。
無人駅の集札に使われる乗務員室の扉が施錠されておらず、
そこに座って逢坂越えに奮闘するDD51をよく眺めてました。          
ところでオロネ10の話題が出てましたが、普通列車に連結されたのもあったみたいですね。
10系寝台車特集で三宅氏がお話になってますが急行しまねの前身、
大社行き普通717レが63年10月改正からを64年10月改正で格上げされるまでの間連結されてたとのこと。
落成が間に合わない為か当分の間スロネ30使用となっていますが
普通列車にパリパリのオロネ10を使用したのは717・718レだけでしょうね


投稿者 日野実験線
投稿日 10月 4日(水)18時51分18秒
タイトル Re:ステップの疑問
> 鹿ケ谷鉄道様

国鉄時代は基本的に直流電車はステップ無し、それ以外は全てステップ付きで設計されていた、と記憶してます。
国鉄時代は交流区間の普通列車はまだまだ客車列車が多く、電化されても嵩上げせずに、
そのままホームを使用していた駅も数多くありました。非電化区間においては言わずもがなです。
ですから一般客車の置換えとして、どこを走るのか特定できない50系客車についても
当然大原則通りステップ付きで設計されたと認識しています。
嵩上げしたホームにステップ付きの車両から降りるのは大した事ではありませんが、
嵩上げしていないホームにステップ無しの車両から降りるのは御老人などには厳しいものがありました。
(飛び降りると言った感じでした・・・苦笑)


投稿者 青列車
投稿日 10月 4日(水)18時54分41秒
タイトル 【客車】得失は国情次第
>>長電ボーイ様
お話の通り諸外国では客車列車が主体のところが多々あります。
寧ろ動力分散型車輛が旅客列車の主体となっている我国の方が例外的です。
しかし、失礼ながらご発言の
>>準ビンボー、ビンボーの国は客車が必要
は、不正確だと申し上げざるを得ません。
欧州・ロシア・南北アメリカ・中国大陸・朝鮮半島・アフリカ等々、大陸国家の場合、
元々の地盤が強固で、軸重の重い機関車が高速運転する事が可能な軌道を設置できます。
翻って本邦の脆弱な地盤ではそれが不可能であり、軸重もせいぜい16トンが限界、粘着重量が稼げません。
運転形態においても、特に欧州では、ゲージこそ共通であっても、
国によって電化方式・信号保安システムが異なったりするものです。
その場合、電車形態よりも、境界駅で動力車のみ交換する客車列車の方が有利です。
しかし日本では、比較的短区間で折り返し運転をする必要があります。
その際機関車牽引では折り返しのため機関車の付替え作業が必要になります。
運転頻度を稼ぐには機関車牽引方式では非効率です。

また、日本では鉄道は旅客輸送に特価したかのようにも見えなくはありませんが
これも世界的に見ると例外中の例外であり、多くの国では旅客輸送以上に貨物輸送のウエイトの方が高いのです。
その場合同じ機関車で貨物列車も旅客列車も賄うようにしたほうが効率の良いケースが多々あります。

動力装置も各車に分散するより一箇所に集約した方が価格面でもメンテナンス面でも有利な事は有利です。
また、旅客車輛に動力装置が不要な分、騒音や振動が防げ、静粛な客室環境が得られます
(高温多湿な日本と違い欧州は冷涼な気候で日本ほどの冷房需要はありません。
エアコンの騒音も日本ほどではありません)。
一方日本では前述の通り機関車牽引方式では非効率となります。
動力が各車に分散する分メンテナンスの手間隙はかかりますが、
その分高加速・高減速が可能であり、駅間距離の短い本邦鉄道環境には向いています。

しかし最近では直流モーターに比べて遙にメンテナンスの簡単な交流誘導電動機が鉄道車両に使えるようになり、
メンテナンスの手間は大きく改善されました。
これまで頑ななまでに長距離列車は動力集中に拘り続けてきた欧州でも、
例えば独逸ICE−3のような、日本的な動力分散型が登場しています。

あと、これは裏づけは得ていませんが…
ある「生活習慣」の違いで欧米人はしゃがむと言う行為が苦手なので、
床下に複雑な機器のある動力分散型車輛だと労働組合の評判が悪いから、機関車牽引列車が主流だ!と言う説がありました。
もっとも、最近では日本でもその「生活習慣」は極めて欧米のそれに近付いてしまったので
最近の特に若い人にはしゃがむと言う行為は苦痛になりつつあるのかも知れません(^^);

そういえば日本でも、機関車牽引列車が主体の鉄道があります。
重連電機が10両以上の客車をエスコートし、美しい渓谷を愛でながら走る富山県の鉄道…黒部峡谷鉄道がそれです
(大井川鉄道井川線も動力集中型列車が走ります)。

この両路線の場合、車体サイズに制約があるため床下に動力装置を収めるのが難しく、こういう形態になっています。
なんていうと軽便鉄道にも電車・気動車があった!という反論もありましょうが、
求められる動力性能(急勾配登坂能力)をクリアするためには、床下設置と言うわけには行かなかったのでしょう。

動力分散型が主流になるのか?動力集中型が主流になるのか?
それはその国の経済水準と無関係とは申しませんが、それは大きな問題ではありません。
もっと切実な、鉄道を取り巻く様々な環境に左右されるのです。
投稿者のホームページ


投稿者 青列車
投稿日 10月 4日(水)19時14分48秒
タイトル 【50系】雑感
連続投稿失礼します。
50系登場当時、本当は車体幅も2900ミリにしたいという案もあったのが、
投入予定線区の中にそれを許さない路線があったため、2800ミリ幅に甘んじたと言う既述を読んだ事があります。
50系の車体形状もおそらくはデッキの危険性が切実で
置換えが急務だった旧一般型客車と大きく変わらないスタイルにすることで、
あわよくば多客期の輸送力列車への転用も考えられていたのではないでしょうか?
(各席に指定席用の座席番号も振ってありましたし)

そういえば当時の鉄道ジャーナルに載っていたかと思いますが、
50系の改良型として、通勤輸送に特化したスタイルのデザイン案がありました。
と言っても目新しいものではなく、417系の中間車モハ416そのままのような、
ステップ付き両開き2ドアセミクロス車体でした。
投入線区を選んで、通勤通学近距離輸送に特化した車輛を充てよという主旨だったかと思います。
日野実験線様のご発言にある通り、地方区間では760ミリ高さホームの駅が多く、
これを皆嵩上げするには膨大な費用がかかります。
列車の運転頻度も考慮され、車両側で対処する事になったのでしょう。
(もっとも当時今のようなバリアフリー法があったら許されない事ですね)(^^);
さて、ステップ付き車輛の場合、760ミリホーム、920ミリホームにはいいのですが、
電車専用区間の1100ミリホームだとステップの空間が落とし穴になってしまうきらいがありました。
また、電車・列車兼用ホームとされた920ミリホームも、子供の頃は何も感じませんでしたが
(生家最寄駅の構造。当時の行動範囲の近隣各駅全てこの構造)、後に1100ミリホームに慣れた身で帰省すると、
115系の1225ミリ高さの床面とは普通の階段の段差以上の高低差に一瞬ひるんだものです(^^);
(よく昔これで平気で80系や421系に乗り降りしたものだ…)
50系客車もあと10年、否、せめて後5年早く生まれていたら、
或いは天寿をまっとうできたのかも知れないと思うと残念です。
投稿者のホームページ


投稿者 突放禁止
投稿日 10月 4日(水)19時38分23秒
タイトル かさ上げ工事ですが
建設費用圧縮の為に新規で電化工事を行う時、
交流電化区間ではかさ上げ工事をやらないと、どこかで聞いた記憶があります。
逆に直流区間ではステップのない車輛が大半なのでかさ上げを行うと…
全く部内の都合で設備投資してるみたいです…
余談ですが私は子供の時、キハ35から降りる際ステップからひっくり返った事があります…
バリアフリー化が叫ばれてる現在では考えられませんね


投稿者 てりてり
投稿日 10月 4日(水)23時13分49秒
タイトル 色々と調べて見ましょう
失礼します。長電ボーイ様。私も青列車様の仰っている事に賛成です。
 此処日本レール幅(現JR)は世界標準と呼ばれる4ft8・1/2inつまり1435mmと比較して
狭い幅である3ft6in(1067o)を採用しております。
既にご承知の通り日本は「電車(分散式動力)」が多く使われています。
しかし、同じ幅を採用している南アフリカ共和国の鉄道では
聞く所によると日本では考えられない位重い貨物列車が走っている様です。
 地盤が全く違う、南アフリカはかなり硬いので採用できると言う事です。
 一方標準軌である欧州でもオランダは第二次世界大戦前から電車が発達していた様です。
これは国土の多くが干拓地(風車は水を汲み上げる為に作られたとの事)で、
地面に負担を掛けない為だと聞いたことがあります。
また、欧州は線路幅が同じでも電圧や信号方式が異なる為に機関車と客車が多く使用されています。
 確かアメリカでも日本の新幹線の成功例に刺激され、
分散動力車(電車)による「メトロライナー」を運転されたのですが
保守の関係などで上手く行かなかったと聞き及んでおります。
 簡単な調査で決め付けるのではなく様々な書物、例えば鉄道だけではなく歴史や産業
(余裕があれば伝承や伝説・列車名はここから来ている事があります。
例としてドイツの「ラインゴルト(ラインの黄金)号」が挙げられます)にも目を向けて見ることをお勧めします。
ここでは本を買うのではなく、特に図書館に行って見てはいかがでしょうか。
私も若いときは主観的に物を見ていましたが、多くの先輩、同期の人と出会う事により学んできました。
 話がかなり飛んでしまいましたが、長電ボーイ様、小学4年生との事ですが色々と経験して見てください。
そして失敗や成功を積んでください。そして大きくなって本当に立派な愛好者になってください。
              それでは


投稿者 てりてり
投稿日 10月 4日(水)23時32分31秒
タイトル 連続投稿をお許し下さい。
鹿ヶ谷鉄道 様、雑魚 様、日野実験線 様、貴重なお話を有難う御座います。



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