倶楽部メモ(341)
平成18年 9月13日〜 9月16日



投稿者 雑魚
投稿日 9月13日(水)09時32分47秒
タイトル 更に 喜多方駅
> あれは五能線でしたか。立派な複線電化の大幹線に見えます(^^;。

分岐点のみ見れば、五能線の方が本線格と勘違いするかも知れませんね。能代市では、
現在でも五能線の能代が市代表駅として機能していますが、区間便設定も比較的多い
東能代〜能代に敬意を表して電化計画がある………などとガセを流しても、信憑性を
伴うかも知れませんね(^^)

画像は三年前の喜多方駅の様子です。何度か「北アルプス」で利用した特急気動車を、
会津の地で目にして感慨に耽りましたね。この時点で、三番線は明確に車止めを以て
線路が途切れていますが、御投稿の画像でも、三番線のスルー機能は、雑草の繁茂で、
既に失われていた様に拝察します。

奥に停車しているのは、仙台発着の 583系快速「白虎」です。三番線に物理的制約が
あるのか、スルー構造の二番線を折返し待ちの数時間、塞いだ格好でした、この日は
国鉄色 485系による「ホリデーあいづ」も何度か喜多方で折り返しましたが、それを
勘案してなお、線路の遣り繰りが効くとは、会津若松−喜多方も随分寂しくなったと
感じたものでした。

当該区間は、1967年に郡山〜会津若松と一体的に電化されました。これは沿線人口の
集積性が比較的大きな、会津盆地の事情を考慮したものかと推察しますが、実際には、
大半の便が塩川以外の停留所を通過しており、スイッチ・バック構造の会津若松駅が、
会津地方の中心という事もあって運用上の区切りとなる事が多く、喜多方に発着する
定期電車便は一日三往復。何かと維持費が嵩む電化施設、当該区間での今後の趨勢や
如何に、などと考えてしまうのでした。

喜多方といえば、蔵の街を巡る馬車が有名ですね。以前、駅前で見かけた馬車の右側
側面には「蔵の町喜多方」と右側から書かれており、これを「大多喜町の蔵」と誤読、
なぜ千葉県夷隅地方の馬車がこの様な所に………と、暫く本気で悩みました(^^)



投稿者 日野実験線
投稿日 9月13日(水)11時59分19秒
タイトル Re:オロハネ104
村上@行橋様、初めまして。
乗られたのは「さんべ」でしょうか?
私自身非常に乗りたい列車だったのですが、東京在住の身では非常に乗りにくい列車で結局乗れませんでした。
さて、蒸気暖房と電気暖房ですが、蒸気暖房の場合客室の中に暖房管と言うものが通っていて、
その中を高温の蒸気が通ることにより客室内が暖められます。
電気暖房の場合には電気ストーブのような加熱線が設置されていて、それにより客室内が暖められます。
窓の結露は外気で冷やされた窓ガラスに室内の湿度の高い空気が当り、
室内の空気中の水分が窓で冷やされてできるものです。
従って蒸気暖房でも電気暖房でも違いは無く、乗車率が高ければ高い程(つまり中の乗客が多ければ多いほど)
結露は出やすくなります。
北海道の客車は北海道仕様(暖房能力アップ、二重窓、等)になっていますので、
暖房の効き方は本州以南の車とは格段に違いました。

又、オロハネ104の冷房化については、実は執筆当時は私自身も分かりませんでした。
本誌に掲載されたオロハネ104の写真を見てどうも変だと思い、客車部会の仲間と資料を探し、
色々な方にお聞きした結果、冷房化されなかったという結論に達したものです。
寝台列車特集の記事はこのときの研究の結果に基づいて執筆されています。
突放禁止様の言われている様に当時(今でもですが・・・苦笑)
資料が完全という訳にはいかず、履歴表にも空欄が沢山あります。
オロハネ104が冷房化されなかったというのも新たな発見の一つですし、
機会を頂いて、その後の訂正・補追などをまとめたいと考えていますが、
私自身が海外駐在3年目で仲間と打合せの時間も取れずといった状態です・・・(泣)
10系客車は私が客車を好きになったきっかけをくれた車両たちです。
訂正・補追は必ず執筆致しますので、状況御理解頂き、今暫くお待ち頂ければと思います。



投稿者 日野実験線
投稿日 9月13日(水)12時35分29秒
タイトル Re:改造工事
突放禁止様、初めまして。私も諸先輩の方々の御指導を頂きながら何とかここまで続けて来れたという状況です。
さて、ご質問の工事区別ですが、まず「更新修繕」については未施工、1回施工、2回施工の3種類の車両が存在します。
1回目を「更新修繕1」2回目を「更新修繕2」と呼んでおり、客車の銘板にも更新修繕1或いは2の銘板が存在します。
近代化改造工事は昭和35年頃から実施されており、
最初は優等車(オロ35等が有名ですね・・)から最終的には普通座席車にまで広く実施されました。
近代化改造には更新修繕のような区別はなく、基本的には施工されたか未施工かです。
体質改善工事は近代化改造が施工された車かどうかには関係なく施工されていますが、
ごく少数2回施工された車が存在します。
この3回の改造は時期的に重ならず、改造の目的も違いますので
国鉄内部での名称も異なり、当然の事ながら予算も異なります。
従って各車両の履歴でどの改造が施工されたのかを確認する必要が出てくる訳です。
尚、近代化工事を受けていない車の中に体質改善工事施工後、青色に変わった車が存在します。
以上お答えになっているでしょうか????(苦笑)


投稿者 突放禁止
投稿日 9月13日(水)19時08分42秒
タイトル わざわざすみません
日野実験線様、ありがとうございました。
自分の中で入り組んでしまってた事がすっとした気分です。
お尋ねした事(オーソリティから見れば基本的な話でしょうが…)
のような話でもなかなか的確な説明をして下さる方がおられないのが実状ですから…
基本的な事から正しい知識を得て行きたいと思いますので何とぞよろしくお願いします


投稿者 勝村@台湾
投稿日 9月13日(水)19時46分12秒
タイトル こちらこそ・・・
突放禁止様、私の説明が突放禁止様の整理のヒントになれば幸いです。
私自身も自分のデータの整理もかねてHPを立ち上げたいとは思っているのですが、
そのような知識もなく、未だに立ち上げることができません。
管理人様には申し訳ないのですが、この場をお借りして少しでも皆様と情報交換できればと考えております。
こちらこそ、今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。



投稿者 門タケ
投稿日 9月13日(水)21時17分7秒
タイトル オロハネ104の件
車掌様、皆様ご無沙汰しております。
本来、客車列車の旅をイメージ出来る書き込みをしたいのですが脱線させて頂きます。
オロハネ104のハネ非冷房はその昔、日野実験線氏と何かの機会に意見交換した覚えがあり、
その記憶もあって何とか訂正したいとピク誌の「寝台列車特集」に無理やり書き込みましたが、
次回10系特集があれば更に新情報に基づく資料が発表されるでしょう。
 そのオロハネ104ですが判らぬことがあります。
元々ハネの冷房化改造は昭和41年〜43年までで、44年度からはキハなどの客車以外へ移行します。
ロ・ハネの冷房化基準は昭和50年度時点で現役営業しているかどうかです。
オロハネ10形式のハネはその線から外されて冷房化不要の判断が下ります。
冷房化工事期間に本州にいたオロハネ101〜105は住み慣れた長野から1〜2は札幌へ転属。
3〜5は名古屋へ転属後竹下へ転属します。
そこで竹下の3両は急行さんべ3号に運用となり隣車のハネとの格差を解消するため
昭和44年度の西部支社予算でハネの冷房化が計画され小倉工場で施工される事になります。
しかし着工前に札幌から竹下へオロハネ101が転属になったのです。
支社では運用必要数の3両しか冷房化しませんので1両余ります。
その余りが何故かオロハネ104なのです。
夏の冷房使用期間は予備車の予備車となるオロハネ104は、昭和48年に新幹線へ移管され工事用宿泊車となりますが、
その時ハネ室は発電機や資材室に改造され冷房化の必要もなく屋根にはファンデリアのドームのままでした。
当方これを目にしていながら忘却し日野実験線氏が問題提起するまで思い出しもしませんでした。
さて長野から札幌へ転属した2両は予備車でしょうが、こちらも冷房化は支社予算と思われます、
まして転入した2両は北海道仕様への改造が必要ですから、余計費用がかかってしまいます。
そこでオロハネ102はオロハネ10505へ改造されますが、もう1両は金が回らなかったのでしょうか? 
この札幌から竹下へ転属したオロハネ101の転出理由が判らないのです。
余談ですが折角ハネの冷房化をした竹下のオロハネ10は運用移管で米子へ転属し昭和49年度末までに廃車となります。

そういえば国鉄内部で近代化改造の文字を使ったのは
昭和37年のマロネ41形式の近代化工事からと覚えておりますが如何に? 
並ロのオハ35
(オロ35に訂正)は車内何とかとか件名は別にあったように記憶していますが帰宅したら探してみます。
最近の研究会の会報にも乗っていたようですが、研究会の掲示板ではありませんので、ここらで失礼させていただきます。

村上@行橋様、筆者として訂正申告は必要と肝に銘じております。
当方の分は当方の掲示板にて訂正しております。
今原稿を作成できる人材が減っておりますので、車掌様始め皆様方の中から
「私がやりましょう」と現れてくれるのを期待しております。次回は客車旅の話題で登場したいです。 
長文失礼
投稿者のホームページ


投稿者 車掌@仙コリ(管理人)
投稿日 9月14日(木)00時00分49秒
タイトル ピクトリアル誌の訂正・補追について
勝村@台湾様改め日野実験線様

「客車列車の旅」「客車倶楽部」管理人の車掌@仙コリと申します。
客車履歴票の調査・研究でご高名な勝村様とは気づかず、また本日まで旅行中でご挨拶が遅れ大変失礼致しました。
ピク誌で勝村様の研究結果を拝見し、とても感銘していました。
2,000両にも及ぶ履歴票の調査・研究には、さぞご苦労があったものとお察しします。
いつの日にか日野実験線様がホームページを立ち上げられ、貴重な資料の全容を拝見できる日が訪れる事を夢見ています。

さて、本題のピクトリアル誌の訂正・補追についてですが、研究を進めていく上で新たな発見もありますでしょうし、
膨大な量の活字で構成される書籍資料ゆえ、校正作業を繰り返しても、
どうしても誤字脱字等の間違いも存在しえると考えられます。
資料としての性格の強い書籍ゆえ、訂正・補追は常にされるべきであるとは思うのですが、
私自身も客車関係の特集号しか購入しておらず、その様な方が多いと思われるので、
訂正の掲載もままならないものと考えられます。
ピクトリアル誌の公式ホームページが存在し、そこに訂正が掲載されるのが理想だと思うのですが、
現在のところそのようなものも存在しません。

そこで、ここでこのような話題になったのもひとつの縁ですし、
この客車倶楽部をご覧頂いている大半の方がピクトリアル誌の客車特集号を所有しているものと考えられますので、
もしよろしければ私のホームページの中にピクトリアル誌・客車特集号の訂正・補追コーナーを作成させていただければ、
微力ながら皆様の調査・研究、及び正式な紙面での訂正・補追のお手伝いもできるのかなと考えております。
個人の運営しているページに、出版物の訂正・補追等を掲載するのもどうかとも思いますが、
執筆者の日野実験線様などの公認をいただければ大丈夫なのかなとも思いますので、ご検討いただければ幸いです。


投稿者 門タケ
投稿日 9月14日(木)00時04分44秒
タイトル 939−201
並ロのオハ35・・・申し訳ありません。並ロのオロ35です。訂正します。
さてオロハネ104改造の939−201の見取り図を貼っておきます。

投稿者のホームページ


投稿者 日野実験線
投稿日 9月14日(木)15時04分40秒
タイトル Re:オロハネ104の件
門タケ様、ご無沙汰しております。
仕事の関係で2年以上日本を離れたままになっており、今年の6月から台湾に駐在しております。
門タケ様とこの件について意見交換させて頂いたのは丁度10系特集が発売されて私が変だと思い、
皆様にお尋ねしていたときでしたね。
さて、オロハネ101の再転属の件については多分に推測になりますが、
確か当時の札幌のオロハネ10は4両使用1両予備であったと記憶します。
(後の「利尻」「大雪」への連結だったはずです。)
その面からすれば6両は必要ないわけで「1両は返す」ということになりますが、
このような特殊構造の車は1両では用途が無く、転属先は他の3両が配置されている竹下区、
という事になったのではないか?と考えております。

又、オロ35については確かに近代化改造ではなく室内整備改造という名称を使用していたと記憶しております。
内容的には後の近代化改造とほぼ同一の内容でした。失礼致しました。
今後共宜しくお願い申し上げます。


投稿者 日野実験線
投稿日 9月14日(木)15時35分19秒
タイトル Re:訂正・補追について
車掌@仙コリ様
ご丁寧なご挨拶を頂き誠に恐縮しております。ご旅行中に貴HPをお騒がせしてしまい誠に申し訳ございません。
又、訂正・補追に関し御好意溢れる御提案を頂き感謝しております。
ただ、P誌・客車特集号の訂正・補追コーナーについては著作権の問題も発生するかと考えられ、
私の一存で決めかねる部分もございますので、お気持ちだけ有難く頂戴し、
折を見て何かの形でP誌編集部と相談の上発表させて頂きたいと存じます。
管理人様の整理されている過去ログは皆様の貴重なご発言もあり、私も興味深く拝見させて頂いておりますので、
御了解頂けるのであれば新しい発見、或いは疑問があれば当掲示板にて発言させて頂き、
皆様のご意見をお聞きしながら整理していきたいと考えておりますが、如何でしょうか?
客車列車の旅というコンセプトからはいささか外れ、
身勝手なお願いでもあり、心苦しいのですが、御了解頂ければ幸いです。
また、私自身の客車列車の思い出なども書き込みさせて頂きたいと考えておりますので
併せて今後共宜しくお願い申し上げます。


投稿者 車掌@仙コリ(管理人)
投稿日 9月14日(木)18時44分58秒
タイトル Re2:訂正・補追について
日野実験線様
ご丁寧なご返信ありがとうございます。
P誌・客車特集号の訂正・補追については、おっしゃるとおり著作権が問題になる可能性がありますよね。
軽はずみな提案をしてしまい申し訳ありません。
この「客車倶楽部」は「旅」の部分だけでなく「客車」そのものの話題も大歓迎ですので、
ここをご利用いただき今後の整理のお役に立てれば幸いです。
訂正・補追についても、その話題が発展すれば現在整理中の「倶楽部メモ・主な話題」(過去ログ)にて
まとめさせていただくというのが問題のない形なのかなと思いますので、ぜひご利用下さい。
長期の海外勤務と言う事で、いろいろと大変な事もあるかと存じますが、今後ともよろしくお願い致します。


投稿者 日野実験線
投稿日 9月15日(金)14時52分18秒
タイトル Re:訂正・補追について
車掌@仙コリ様
ご配慮頂き、誠に有難うございます。
お言葉に甘えさせて頂き、こちらで色々御伺いさせて頂くことになるかと思いますので、
今後とも何卒宜しく御願い申し上げます。

さて、早速ですが皆様にご質問です。
客車出入台のドアですが、どうも色々な種類があって、この形式はこのタイプだという基本はあるのですが、
後年は他のタイプに交換されたりして基本から外れた車が多かったような印象を持っています。
特に特定番号の車をモデル化している方々には気になる問題かと思いますが、如何でしょうか?
ちなみに私は戦前タイプの木製ドアで2種類(窓の高いものと低いもの)、スハ43系基本のプレスドア、
10系タイプの折戸、上段下降、下段固定のドア、鋼製の平板ドア2種類(窓の大きいものと標準のもの)を見ており、
その他に2種類特殊なものを見たことがあります。


投稿者 あさかぜ
投稿日 9月15日(金)20時56分37秒
タイトル どっち?
こんばんは。あさかぜです。
質問なのですが、この前クモイ103様お教え頂いたARC資料室で、
S40からS47.7までのあさかぜの編成は、
5.ナロネ21 6.ナハネ20 7.ナロ20 となっていますが(大雑把に言うと)、
べつのサイトでは、6号車がナロネ21となっていました。
どちらが正しいのでしょうか。ご返事よろしくおねがいします。



投稿者 ED12
投稿日 9月16日(土)09時55分23秒
タイトル 歴史的鉄道文化財保存
夕張市財政破綻の余波で「夕張SL館」廃止の情報をホビダスさんの「編集長敬白」ブログで知りました。
下手をしたら保存されている客車なども解体か朽ち果ててしまうんでしょうね。
この国は「美しい国」どころか「歴史・文化のない殺風景な国」になりそう。



投稿者 壁線
投稿日 9月16日(土)13時43分19秒
タイトル どっち?の返答
あさかぜさん、6号車はナハネ20のようです。



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