倶楽部メモ(339)
平成18年 9月 9日〜 9月11日


投稿者 クモイ103
投稿日 9月 9日(土)23時01分13秒
タイトル スハニ35のこと
>岩崎安房守義将様
 川俣線のスハニ35については、当時のピクトリアル誌の記事を、
 以前この掲示板で紹介させていただいたことがあります。
 倶楽部メモ(106)に収録されていますので、よろしければご参照下さい。
 (う〜ん、もう5年も経ってるんだなあ(^^;)

>EF5841様
 「さぬき」のスハニ35が青15号だったとは、不勉強にして初耳です。情報源をご教示願えないでしょうか。
 同列車にスハニ35が連結されたのは、昭和40年10月改正からヨンサントオまでの3年間でした。
 当時の国鉄の塗色規程によれば、客車の塗色はぶどう色2号が原則であり、
 例外として青15号に塗装すべき形式が別表で定められていました。
 いわゆるスハ44系のうち、スハ44とスハフ43はこの別表に記載されていますが、スハニ35は入っていません。
 それが青15号だったとなると、また例の「規程破り塗装」が一つ増えることになりますね。



投稿者 クモイ103
投稿日 9月 9日(土)23時36分29秒
タイトル 日中線のこと
>下総守こみやさん(^^)様

 日中線に関しても、倶楽部メモ(98)〜(109)で話題になっています。
管理人様が手間暇かけて特定の話題の書き込みだけを抜き出して作られた「主な話題」で、
「特定線区の話題」の中に「日中線の客車・編成について」としてまとめられています。

>雑魚様
> 実際に沿線域とはならなかった温泉名を用いる感覚は珍しい

 日中線は、もともと現在の野岩鉄道とともに「野岩羽線」(下野、岩代、羽前の旧国名に由来)として計画され、
飯豊山地を越えて山形県の米沢に至る構想があったようです。
日中温泉は計画上の経由地ですから、全通を夢見た命名だったとも解釈できるのではないでしょうか。



投稿者 クモイ103
投稿日 9月 9日(土)23時46分32秒
タイトル 併結作業
4連投となりますが、このページ上部の注意事項に従い、項目を分けて書かせていただきます。

>雑魚様
 現行のブルトレ2本の併合作業の手順、詳しくは存じませんが、どこか雑誌に載っていたような気もします。
一般に客車列車の併結作業は、まず併結前の両列車が別々の着発線に到着してそれぞれ客扱い、
その後一方が入れ換え運転で引き上げ、転線して、待っている他方の編成に連結されます。
連結される側の機関車は、もちろん到着後すぐに逃げておかなければなりません。
「富士/はやぶさ」と「あかつき/なは」も、おそらく大差ない手順を踏んでいることでしょう。

 むかし、秋田から福島経由上野行き臨時急行に乗車したところ、
福島で東北本線から来る列車に併結のため、入れ換え転線をしました。
私は福島下車でしたが、当然(笑)、転線が終わるまで乗っていました(^^;。


投稿者 EF5841
投稿日 9月10日(日)07時20分41秒
タイトル >青15号のスハニ35
>青15号のスハニ35
掲載誌を思い出せないのですが、場合によっては写真集かも、にカラー写真で掲載されていました。
しかもアルミサッシ化していたと記憶しています。
ただ、それらの資料、実家の納屋にしまっており、機会を見て探して見ます。

スハニ以上に気になるのが、マロネ40やマシ38の方ですね。
O氏は絶対にないと言われておりますが、大鉄の破りはつとに有名ですから現実実があります。


投稿者 突放禁止
投稿日 9月10日(日)10時42分55秒
タイトル 横から失礼します…
スハニ35の塗装についてですが、昭和51年の鉄道ファンに
更新工事後のスハニ35の写真(おそらく東シナ構内)がありました。
モノクロなのではっきりした色が判らないのが残念ですが、
トーンからすると車体はおそらく青15号、裾にクリーム1号のラインと
観光団体用のオハネ17の2600番代やナハネフ11みたいな塗装です。
私自身、現在入院中で件の鉄道ファンが手元にないので何月号が定かでない
(車番も同じ理由で判りません…)のがもどかしいですが、記憶は間違いありません。
ただ観光団体用のスハ44と絡めての運用があったかどうか…
さらに鉄道ジャーナルに(これも鉄道ファンと同じ理由で何号か判りません)
「さぬきに栗色のスハニ35が」と言うくだりがあった記憶があります。
青15号とぶどう2号のスハニ35が混在してた…と言うのが真相ではないでしょうか



投稿者 突放禁止
投稿日 9月10日(日)11時05分40秒
タイトル 連投すみません
私自身、実見した訳ではなく編成表だけでしか判らないのですが、さぬきってすごく面白い編成ですね。
オユ12-スハニ-スロ54-オロネ10-オシ16-スハネ…件のジャーナルにも
パリパリのオロネとリベットだらけのスハネ30との組合せが何とも言えない…とありましたが
先頭のゴハチも客車も塗替え時期なので各車塗装もバラバラだっと思われます。
これぞ客車急行の醍醐味と言えそうですね。あと20年早く生まれたかった…



投稿者 クモイ103
投稿日 9月10日(日)14時48分27秒
タイトル スハニ35と観光団体塗色
 突放禁止様よりご指摘のありましたスハニ35の観光団体塗色、私も存在を確認しております。
下記の2つの写真とも、塗色変更とともに、アルミサッシ化と扉の交換が行われていますね。
(1)スハニ35 6(撮影時期不明)…鉄道ファン第181号(1976-5)P.36
 突放禁止様が挙げられた「昭和51年の鉄道ファン」は、これのことですね。
(2)スハニ35 4(1962-4-15撮影)…鉄道ピクトリアル第718号(2002-6)

 「さぬき」に使用されたスハニ35は、上記の2両を含む4〜6の3両でした。
スハニ35は1〜12の全12両が存在しましたが、そのうち近代化改造を受けたのはこの3両のみです。
 ここで、私のわかる範囲で「観光団体塗色」にまつわる経緯をまとめてみます。

◆昭和35年秋ごろ?:
 「つばめ」「はと」を引退したスハ44系の一部が大ミハから東シナへ転属し、
 東京から伊豆方面へ向かう週末行楽準急「いこい」に運用された。
 この車両には、近代化改造とともに青15号+クリーム裾帯という塗色が施された。
 この中にスハニ35がいた可能性もあるが不明。
◆昭和36年3月1日ダイヤ改正:
 観光団体専用列車の第1号として「南紀観光号」が運転開始。
 東シナのスハ44系6両編成で、使用車両の一部に「いこい」塗色車が入ることになった。
 実際には編成単位で塗色を揃えたのではないか?と思われるが詳細は不明。
 なお、Rail Magazine第264号(2005-9)P.41には、
 昭和36年7月22日、「いこい」塗色のスハ44系が急行「銀河」に組み込まれた写真が載っている。
◆昭和37年4月14日:
 オハネ17 600番台・ナハネフ11 600番台がデビュー、「九州観光号」に使用開始。
 この車両に「いこい」と同じ青15号+クリーム裾帯が施されたため、
 以後この塗色は観光団体塗色として有名になる。
◆昭和37年9月26日:
 「車両塗色及び標記方式規程」の第9条が改定され、観光団体塗色が正式に認定された。
 > 第9条 前条の規定にかかわらず、
 特急型客車及び観光団体専用列車用客車の車体外部の塗色は青15号とし、クリーム色1号の飾帯をつける。
 (「前条」の第8条は、客車の塗色をぶどう色2号とする原則を定めているもの)
◆昭和39年9月26日
 「車両塗色及び標記方式規程」の第9条が再び改定され、
 新設の別表に掲げる形式の客車を青15号とするよう規定した一方、
 観光団体専用列車用客車に関する記述は廃止された。
 以後、該当車両は入場のたびに一般塗色へ塗り替えられたはずだが、
 全車両の塗り替えがいつ終了したかは不明。

 前にも書きました通り、スハニ35は、青15号とすべき形式を定めた別表には載っていません。
従って、規程通りに塗装されればぶどう色2号となり、
もしも「青15号・帯無し」のスハニ35が存在すればそれは「規程違反」です。よくあることですが(爆)。
 急行「さぬき」にスハニ35が組み込まれたのは、それから1年経った昭和40年10月1日ダイヤ改正でした。
たまたま車両の検査回帰が合わなければ、観光団体塗色がそのまま残っていた可能性も否定できませんが、
微妙なところですね。


投稿者 よし
投稿日 9月10日(日)19時19分58秒
タイトル 情報ありがとうございました
雑魚さま 早速情報ありがとうございました。教えていただいたサイトに行ってみます。


投稿者 突放禁止
投稿日 9月10日(日)20時07分58秒
タイトル ??なぜ??
96年ぐらいの「とれいん」に関西の方の撮影された、大ムコ所属のマシ29 201の写真が掲載され、
キャプションに「狭窓食堂車には珍しく青色塗装された」とありました。
同時期に配置されてた109(108?)と4は明らかにぶどう色2号なんですが…
4はダブルルーフの大古車なので当然として、何故ゆえ201が青色15号になったのか…
所謂「規則違反」の車輛なんでしょうね。
それにしても使う目的もはっきりしないまま更新工事されたスハニ35と言い…
さぬきの運用も後で出来たものだし…
今となっては真相究明できん事ばかりですね(笑)


投稿者 勝村@台湾
投稿日 9月10日(日)21時51分7秒
タイトル 更新修繕
横から失礼します。
戦後、客車に対して行われた大規模な工事は3回あります。
昭和20年代後半に実施された更新修繕、
昭和30年代に実施された近代化工事、
昭和40年代後半以降に実施された体質改善工事です。
更新修繕は主に戦時中に荒廃した客車の整備が主目的で主に32系、35系に対して施工されています。
近代化工事は客車の設備近代化を目的とするものでアルミサッシ化や蛍光灯化などが行われ
話題のスハニ35も一部施工されています。
最後の体質改善工事はメンテナンスフリー化と難燃化対策を主眼とするもので、
客車の末期に当たる昭和50年代まで実施されていました。
当該工事については客車の使用目的によって施工が決定されたのではなく、
配置区、工場の能力などによって施工両数が決定され、局あるいは配置区で施工車両を決定していた模様です。
当該工事は公報に掲載されるわけではなく(近代化工事は一部掲載されましたが・・)
履歴票に記載されているだけなので、調査が非常に難しいのが悩みの種です。


投稿者 勝村@台湾
投稿日 9月10日(日)22時02分1秒
タイトル 更新修繕(その2)
近代化工事は各々の車の状態によって施工内容が異なり、正確な施工内容は履歴票に記載がない限り、判明しません・・・。
履歴票ってどんなもの??という方がいらっしゃいましたら、
鉄道ピクトリアル719号(43系客車特集(2))28頁の拙著を御覧頂ければ幸いです。


投稿者 クモイ103
投稿日 9月10日(日)23時09分10秒
タイトル Re:??なぜ??
>突放禁止様

 昭和41年頃に大ムコにいたマシ29は、京都−長崎間急行「玄海」に使用されていましたが、
このうち110と201の2両が青色化されました(あとは予備車のため変更せず)。
これは、荷物車以外は軒並み青15号で揃った急行編成の中で、食堂車だけぶどう色なのを嫌って、
大阪鉄道管理局の判断で行われたようです。
背景として、運転区間が近畿以西で東京に顔を出さないこともあったと思われ、確信犯の規程破り(笑)でしょうね。

> 使う目的もはっきりしないまま更新工事されたスハニ35

 使う目的がはっきりしないのは、今の我々の目から見てのことですよね。
当局としては、ちゃんとした目的がなければわざわざ改造などしないでしょう。
それが何であったのかは今のところ謎ですが(^^;。
 また、「更新工事」でなく「近代化改造」ですよ…と書き込みを準備していたら、
大御所・勝村様より的確な解説がありましたので、私のあやふやな原稿は破棄しました(笑)。
勝村様、勉強になりました。ありがとうございますm(_ _)m。

 蛇足ながら、「近代化改装」という言葉を使う方もおられますが、
私個人の感性として、「改装」はEF58の車体載せ換え工事から来ているようで、
機関車ファンの方がお使いになる言葉という印象があります。
正確な用語としてはどうなんでしょうか…?


投稿者 雑魚
投稿日 9月10日(日)23時33分16秒
タイトル 大峠越え
> 全通を夢見た命名だったとも解釈できるのではないでしょうか(クモイ 103様)

そう考えるのが妥当でしょうね。一方、未成線か否かを問わず、温泉名を国鉄線名に
用いた感覚自体、他に例が思い浮かばず、稀有な事ではないかと感じます。それ程に
名湯だったのか、或いは他に適当な名称が思い浮かばなかったのか………

それ以前に、並行する国道 121号線の大峠越における諸事情(旧道の仕様やバイパス
開通時期)を勘案した時、計画が策定された当時、本当に飯豊連峰を越える物理的な
目処が立っていたのか、という気が致します。こうした、物理的な制約を度外視した
鉄道の敷設計画例は、枚挙に暇が無いのでしょうけれど。

画像は、喜多方駅構内の西側にある電化区間の終端部です。今となっては、日中線の
分岐状況が良く判りません。


投稿者 突放禁止
投稿日 9月11日(月)04時48分42秒
タイトル わざわざすみません
クモイ様、的確なご指摘ありがとうございます。
大ムコ  マシ29の件「何であんな三軸ボギー車が?」と長年の疑問が氷解しました…
大ヨトや天オトのオレンジバーミリオンの旧国と似たような理由…
やはり関西特有の見栄だったんですね(かく言う私もバリバリの大阪人ですが)
私的には「さぬき」と「玄海」の編成が好きです        
更新工事については確か近代化改造でしたね…
よく考えると「更新」と言うと昭和23年頃の「更新修繕」みたいで適当ではない気がします…
まだまだ一夜漬けの受験生みたいな者で大変恐縮です




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