倶楽部メモ(337)
平成18年 8月30日〜 9月 6日


投稿者 マロネロ38
投稿日 8月30日(水)20時49分9秒
タイトル スロ5144は?
ご無沙汰しています。
2等格下げ車のリスト参考になりました。
時に大阪-金沢-長岡-上野の急行601-602レ「北陸」ですが、
特ロが連結された時、東オクのスロ5114(スロ5217)帝国車輌。
とスロ5144(日車)が専用に使われていましたが、5144はどうなったのですか??



投稿者 クモイ103
投稿日 8月30日(水)21時53分26秒
タイトル Re:スロ5144は?
マロネロ38様

 ご無沙汰しております。
 鉄道ピクトリアル第718号(2002-6)特集・スハ43系(1)によれば、
スロ51 44は、1968(S.43)年9月28日付けでマニ37 32に改造されています。
 なお、翌月号によれば、廃車は1980(S.55)年12月18日となっており、マニ時代の写真がP.43に掲載されています。


投稿者 青列車
投稿日 8月31日(木)11時43分8秒
タイトル Re.14系
>>壁線様
14系寝台車に個室のない理由ですが、1971年頃はまだまだ長距離列車は旺盛な輸送需要に押され混んでいました。
乗車定員の少ない個室車など思いもよらなかったのでしょう。
実際20系列車でも個室寝台は博多あさかぜ1往復に集約されてしまいました。
14系も増備が続けばあるいは個室寝台車が出た可能性は否定できませんが、
僅か1年、100両弱が登場した時点で一旦製造が中断されてしまいました。
(理由は言うまでもないでしょう。北陸トンネルの悲劇が原因です。
床下に火元になりかねないディーゼル発電機と燃料タンクを持つことは、
殊に深夜乗客が就寝状態の寝台車ではあまりにも危険です。
以降はほぼ同スペックの集中電源型の24系に変更されてしまいました)

さて、1978年に2段寝台の15型が登場しましたが、24系のオロネ25のような個室A寝台車は登場していません。
何故でしょう?
14系15型は「あかつき」に投入されましたが、この列車ではA寝台の需要が東京発着列車に比べて小さかったので
(関西〜九州間列車はいずれもロネ需要は小さかったのですが25型導入時にハネ車オンリーな編成も登場しました。
居住性でロネにもさして遜色がなく値段が安いとあって益々ロネは出番をなくしました)、
この時点ではロネは考えられていなかったものと思われます。
或いはいずれ「オロネ15」の構想はあったのかも知れませんが、結局登場の機会を失ったものと思われます。

国鉄時代のことですからまず東京発着の列車に投入しなかったのは何故?という気もするのですが…、
或いはもしも最初の導入が「さくら」「みずほ」の置き換えだったとしたら、
オロネ25の14系バージョンが出ていたのかも知れません。
もっとも、電気系の違い以外外観的には殆どオロネ25と変わらない代物になっていたのでは?

模型の世界ならあれこれ想像してみるのもまた一興ですね。

投稿者 マロネロ38
投稿日 8月31日(木)20時37分1秒
タイトル スロ5144
クモイ103様。
有難う御座います。マニ3732になっていましたか!
帝車の5114と比べると車体も造りも頑丈でしたね。特に読書灯が5144が「角張った」形
で5114は丸みを帯びていました。一度検車の関係か川崎の車が入りましたが、扇風機
不足?でオロ35みたいに3台しかついていなくて、各座席の帽子掛けに「団扇」が2枚宛
掛けてありました。番号は失念しましたが川崎製は覚えています。
これでは天井が高い並ロのスロ34(円屋根)の方が涼しい始末でした。


投稿者 壁線
投稿日 9月 2日(土)15時12分59秒
タイトル 14系の疑問
青列車様ありがとうございます。
新幹線開業で輸送需要が落ちたのをきっかけにオロネ15を組み込んでも良かったのに国鉄は反応が鈍いです。
(元職員の方失礼!)



投稿者 クモイ103
投稿日 9月 2日(土)22時41分0秒
タイトル 扇風機と団扇と冷房装置
マロネロ38様、お役に立てて光栄です。
扇風機代わりに用意された団扇、時代が偲ばれるお話ですね。
当時はそれが「ちょっと気の利いたサービス」だったのでしょうか。


閑話休題、季節がら関東一円を激しい夕立が見舞う日が多かったようですが、
私が生息する千葉には殆ど来ませんでした。
ここ数日、ようやく暑さにブレーキがかかっていますが、まだまだ千マリの113系のAU75の恩恵から離れられません。

昔、一般庶民が冷房にあたれるのは、高級デパートかレストラン、
特別急行列車など、ごく限られたシチュエーションでした。
しかし、その時代をかろうじて経験している私ですら、すでに当時の感覚を忘れかけているていたらくです。
その後、通勤電車に冷房が普及し始め、「この夏の各鉄道線の冷房化率」を見て
「おっ、○○電鉄はいいなあ」などと言っていた時代がありました。
そして今、もはや冷房付きは当たり前。
初めからその感覚の中で育ってきた世代の方々の目に、
かつてスロ51が活躍した夏の風景は、いったいどのように映っているのでしょうね。

高校時代、通学で利用していた京浜東北線と山手線で、
冷房車組み込み状況の調査に血道を上げていた元鉄研部員の独り言でした。


投稿者 米芋
投稿日 9月 3日(日)23時04分40秒
タイトル 14系15形に便乗質問
本当に久しぶりにお邪魔します。ネタがないのでいつも拝見するばかりでした。
ちょっと興味がある話題だったので青列車様と壁線様の議論に横ヤリを入れさせて頂きます。
それは、なぜ14系15形が「あかつき」に新製投入されたのか、です。
それ以前にも(具体的には?ですが)「あかつき」は新車の投入が多かった印象がありますが何か事情があったのでしょうか?
当時、東京口しか個室Aは考えられない時代でしたので、関西発の2段ハネで個室は不要だったんでしょうね。
さてもう1点、なぜ電源車方式から床下電源に戻ったのでしょうか?14形と比べてそれほどの安全対策が向上したのですか?
今とは比べものになりませんが、(人気はあったけど)ブルートレイン全盛期は過ぎた感が否めない時代、
新車の登場は嬉しいと同時にちょっと不思議な感じもしたものでした。
よろしくお願いします。


投稿者 青列車
投稿日 9月 4日(月)12時22分50秒
タイトル 【あかつき】分割併合列車
>>米芋さま
お尋ねの件ですが、私のわかる範囲でよろしければ申し上げます。

*14系15型の「あかつき」への導入理由。
導入当初は14系15型は「あかつき」専用車の感がありました。
「あかつき」に15型が導入された理由はまず間違いなく、この列車が分割併合列車であった事によるものと思われます。

50−3以降、関西〜九州間の夜行列車は、鹿児島本線系が「明星」、日豊本線系が「彗星」、
長崎・佐世保線系が「あかつき」と集約されました。
長崎・佐世保方面への列車は、伝統的に長崎行きと佐世保行きが併結される列車が多く、現在でも数多存在します。
長崎県の県都長崎市と第二の都市佐世保市、どちらも重要ですが1本の列車で賄うには両都市の位置関係でそれは難しく、
かといって其々単独で列車を仕立てるとなると、線路容量に余裕のない長崎本線内に短編成の列車を
たくさん走らせることとなりこれまた不都合です。
そこで、肥前山口以東は1本にまとめることになりました。寝台特急も然りです。

さて、分割併合するとなると、電車・気動車編成なら指して苦労はありませんが、客レの場合これは大仕事です。
そして、20系や24系(含:25型)では、切り離した側の編成にも電源車が必要になります。
分割された編成に電源車を連結したり、併合する編成から電源車を切り離したり…
ただでさえカマの付け替えで忙しい中、短い停車時間でこれらの仕事をこなすのは大変であり、
電源車がつながっていない編成内は当然冷暖房は効きません。
車庫内ならともかく、乗客が乗った状態でのそれは好ましくありません。
14系の増備が中断され、早岐持ちのクルマも宮原に転属したあと、25型で運転される「あかつき」はこれで悩んでいました。
こういう列車にはやはり編成内に電源を分散した14系が向いています。
床下にディーゼル発電機という発火の可能性のありうる装置を、
それも深夜乗客が就寝している状態で走る寝台車に設置するのは確かに好ましいとはいえませんが、
関係者努力により自動消火装置が無事実用化され、安全性が飛躍的に向上したことにより、15型が日の目を見たのです。

*何故電源者方式から床下電源に戻ったのか?
上記の通り、安全性に関して技術的な裏打ちができたからです。

何故東京発の「さくら」・「みずほ」が後回しになったのか?は今思うと不思議ですが、
当時の「さくら」は東京発着列車の中では利用率が高く、
そうそう簡単に定員減となる2段ハネ化に踏み切れなかったものと推測します。
博多あさかぜが最後まで20系で残ったのも、他の列車に比べ格段に高い利用率(特に個室A寝台)が影響しています。

新幹線博多開業以降、当時まだ沿線に住んでいた若き日の私はしかし、
それでも遠距離移動にはできるだけ夜行寝台を利用したもので、それは現在も同じです。
山口県周南市界隈は空港が遠く、また徳山駅に停まる新幹線列車も速達便は極僅か。
首都圏との移動に関しては夜行列車が結構便利だったのです。
たまに実家に顔を出す時、「あさかぜ」には何度となく世話になりました。
この列車の寝台券がプラチナチケットで、乗っただけでクラスメイトに自慢できた時代に幼少期をおくったものとして、
今の夜行列車の惨状には内心忸怩たる思いがあります。


投稿者 雑魚
投稿日 9月 4日(月)18時34分58秒
タイトル あかつき
> 長崎県の県都長崎市と第二の都市佐世保市、どちらも重要ですが1本の列車で
> 賄うには両都市の位置関係でそれは難しく、

1934年より以前は、肥前山口−有田−早岐−大村−諫早が長崎本線の経路でしたから、
これなら、一列車で佐世保と長崎の両都市を効率的に網羅できた可能性をも感じます。
大村線は非電化ですが(なぜか大村・川棚両駅では構内側線が電化されていましたね)
1975〜85年に運転された筑豊線経由便(門司以西はDLが終始牽引したのでしょうか。
ちなみに長崎線および佐世保線の電化は1976年です)を勘案すると、必ずしも速達が
求められない夜行列車の性質上、こうした措置もありかな、と感じるのでした。

こうした、旧経路絡みの夜行列車としては「きたぐに」の米原経由が挙げられますが、
これは畿内から湖東・湖北方面への最終列車としての需要を考慮した為だそうですね。


投稿者 コスモス
投稿日 9月 4日(月)22時20分5秒
タイトル 水戸線のスハニ35
昨日、茨城県地区精子いや筑西市の「しもだて美術館」で開催中の
「くろがねの勇者たち」という蒸気機関車の写真展を見てきました。
この企画展に併せて、「私たちの街を走った蒸気機関車」という郷土資料コーナーがありました。
こちらの写真に、昭和40年10月17日に宍戸ー笠間間で撮影された2722レの最後尾にスハニ357が写っていました。
特急運用から格下げされて、水戸線の客車列車に使われていたのですね。
水ミト所属だったのか、小山客貨車区(高ヤマ?)だったのかは?です。


投稿者 クモイ103
投稿日 9月 4日(月)23時38分58秒
タイトル Re:水戸線のスハニ35
スハニ357は、鉄道ファン第181号(1976-5)によれば、昭和39年度以降ずっと高タカ所属だったことになっています。
鉄道ピクトリアル・アーカイブスセレクション(7)に収録された昭和43年3月31日現在の配置表でも高崎です。
おそらく、両毛線と水戸線にまたがる客車運用だったのでしょう。
同車は、客車時代の「はつかり」使用車でした。
水戸−友部間では、かつて最優等列車として疾走したのと同じレールを、普通列車として辿っていたわけですね。

ちなみに、スハニ35の他の車両も、常磐線普通列車や水郡線に絡んでいたようで、
ホエ7030様による貴重な目撃証言が、過去ログ「倶楽部メモ(204)」にあります。


投稿者 コスモス
投稿日 9月 5日(火)19時01分37秒
タイトル 水戸線のスハニ35
クモイ103 様

ご教示いただき、ありがとうございます。
客車「はつかり」の格下車で、配置は高タカだったのですね。
両毛線と水戸線にまたがる運用とは、興味深いです。
ご案内いただいた、倶楽部メモ(204)も拝見させていただきました。
写真のものと同番号車かどうかはわかりませんが、常磐線や水郡線の列車にも運用された
ことがあるのも興味深いですね。

このコーナーの写真には、海水浴客の臨時客車列車の写真もありました。
栃木・群馬など内陸部から茨城の海への利便のための臨時列車でしたが
写真は昭和40年7月24日の海からの戻りの常陸多賀発宇都宮・高崎行3628レ客車列車
でした。牽引機は小山機関区C58400でした。
小山で2方面への分割・併合の入換えをしたのでしょうが、趣味的に興味深いですね。


投稿者 米芋
投稿日 9月 5日(火)23時08分39秒
タイトル 筑豊のあかつき
青列車様ありがとうございました。
自動消化装置ですか。やはり、安全面の向上はあったんですね。
電源車にもそのような物が装備されていると子供の頃読んだような気もします。
定員減をしたくない「さくら」の比べて「あかつき」は15形投入に最適でした。
それにしても、新形式を造ってまで2段ハネなんですね。
末期の「安芸」に25形を投入して巻き返しを狙った事もありましたが。
雑魚様、「あかつき」の佐世保編成は門司で分割し、そこから先、DD51の牽引でした。
新幹線開業前も筑豊経由の昼行特急があったと記憶します。
それなりの需要があったのか、単に伝統を引きずっていたのか。
それも60.3では筑豊から特急が姿を消してしまいました。

そういえば、「ながさき」が時間稼ぎのように大村線を経由してましたね。


投稿者 突放禁止
投稿日 9月 6日(水)16時28分43秒
タイトル 通り掛かりの者ですが
筑豊経由の昼行特急と言えば、キハ82のかもめの佐世保編成です。
門司で分割されて、鹿児島本線を長崎編成と雁行し、折尾から筑豊本線→原田で本線に合流してました。
ちなみに筑豊本線経由の夜行急行は京都→熊本の天草です。
門司から鳥栖区のDD51が牽引し、直方区のD60が冷水峠をプッシュしてました。
以外な事に筑豊経由の優等列車はこの2本だけ。
DC急行がありそうなんですが古い時刻表いくら見ても見た記憶がありません…以上参考までに



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