倶楽部メモ(336)
平成18年 8月24日〜 8月29日


投稿者 勝村@台湾
投稿日 8月24日(木)18時11分4秒
タイトル 初めまして
突然ですが、管理人様、皆様、初めまして。
最近こちらにお邪魔させて頂き、皆様の客車に対する造詣、列車、時代背景など
広範囲に亘る考察など感服しながら拝見させて頂いております。
私自身は客車車両、それも戦後の43系及び10系を中心とした鋼製車両
といった狭い範囲での研究が主体となっておりますが、
現在は仕事の関係で台湾にいる為、意欲も萎え気味になっています。
皆様のパワーを頂いて少しでも自分の意欲を持続できればと思い、御挨拶させて頂きました。
今後とも宜しく御願い申し上げます。



投稿者 EF5841
投稿日 8月26日(土)12時30分56秒
タイトル 台湾鉄路の客車
勝村@台湾 様 はじめまして

台湾鉄路にある オハ35系の17m級客車もどきの現状はいかがでしょうか。

レポート頂けると幸いです。


投稿者 ホエ7030
投稿日 8月26日(土)12時42分45秒
タイトル 印象深い中山宿
皆さま、残暑お見舞い申し上げます。
 さて、中山宿が話題になりましたが、私にとっても、中山宿はスイッチバック初体験の思い出深い停車場です。
大昔、高校の地理研究部の一員として、水戸から平、郡山、新潟、長岡、上野、水戸のルートで
新潟方面の調査旅行に参加したのですが、最後の上野〜水戸間の準急ときわ以外はすべて普通列車利用。
我々のD50258(会)牽引・オハ61の列車は当然中山宿に停車し、スイッチバックを経て会津若松に向かいましたが、
なんとも不思議な感覚を味わった思い出があります。
その後、数回列車で通ったことがありますが、
かつての中山宿は、スイッチバック停車場の典型みたいな印象を持っています。
1966年にビクターから発売された「日本の鉄道」第3集と言うレコードに、
同駅における本務D51・・・・後補機D50の到着・退行・発車の録音がありますが、
蒸機時代の中山宿の情景がよみがえって来るようでとても気に入っています。
 この地理研の旅行では、越後赤塚駅周辺の天然ガスの利用状況や新潟港、
三条市の刃物工業、長岡市内の雁木、小千谷市の織物工業などを見て周り、
途中では、C51やD50、スロハ3148、スロハ3831、オハ60220(雨樋つき)などの他、
登場間もないキロ28や新潟交通の電車、C57の「日本海」と「越路」、初めて見たリム300、
鉄道防雪林などを撮ることができました。
 小千谷から上野まではEF5835牽引の738レに乗り、上越国境の清水トンネルとループ線を通って帰って来ました。


投稿者 雑魚
投稿日 8月26日(土)15時28分56秒
タイトル 磐越西線の性格
> 高校の地理研究部の一員として、

あれま、地理研の先輩でもいらっしゃましたか………もっとも私は正式部員ではなく、
時々、部室を冷やかす程度の、ストレンジャーでしたけどね(^^)

中山宿駅は、私にとっても初めてのスイッチ・バック駅で、その意味では思い入れが
あります。世代的に非電化時代の印象は皆無ですが、電化されてから施設解消までの
30年間「赤ベコ」が往来した光景は、板谷峠に比する名場面ですね。

現在の中山宿駅に停車する定期便は、一日九往復半。ここよりは周辺人口が多そうな
堂島・及川・姥堂・会津豊川の「一日四往復体制」に比べて倍以上の陣容というのが
良く判りませんが(^^)地勢柄、郡山都市圏からは外れた印象ですね。

熱海温泉街から早くも峠越えの山峡に入る磐越西線にあって、郡山の市街を志向する
日常的な旅客需要が多そうなのは、地図上では喜久田・安子ヶ島・磐梯熱海の三駅と
見受けられますが、田園地帯の趣が強い安子ヶ島は中山宿と同様、一日九往復半しか
停車しませんし、磐梯熱海の街にしても、殆どが温泉街の関連ですね。

更に、郡山〜喜久田の約 8kmに及ぶ区間では、富田地区の辺りに旅客需要の潜在性が
感じられつつ、今日に至るも途中駅は無く、電車化されたとは云え、都市近郊鉄道に
転進した仙山線とは、趣が少し異なる印象です。

かように、広域都市連絡を主務としていた性格が色濃く残る磐越西線ですが、同線が
全通した1914年から、上越線が全通した1931年までは、上野〜新潟の夜行普通列車の
所要時間を比べると、信越線経由が約14時間、磐越西線経由が約12時間との事でした。
同じ中央分水界でも、碓氷峠に比べれば中山峠の通過は遥かに容易だったという事の
表れでしょうか。

ホエ7030様は、件の旅行で新潟方面を訪れたとの事ですが、あの当時の長岡界隈では、
越後交通線も、未だ健在だったのでしょうね。来迎寺〜西長岡で最後まで残っていた
貨物輸送が廃止された直後の95年夏、現地を訪ねる機会がありました。信濃川西岸に
スイッチ・バック仕様の操車場が広がる西長岡駅跡に留置された、地方私鉄にしては
立派な電機に、これが客車を牽引したら………などと妄想した一時でした。

電機だけでも貴重な陣容を誇ったこの私鉄、当初の構想通り、信濃川を渡り長岡駅で
国鉄に連絡していれば、あるいは今日まで永らえたかも知れません。


投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 8月26日(土)22時50分39秒
タイトル 中在家は?
スイッチバックといえば関西本線の中在家信号場はどうなっているのでしょう?
現在でも旅客列車が待避線に入ることがあるのでしょうか?
ちなみに私は通過したことしかありません。
ちょっと昔ですが私が乗った列車を対向列車が待っててくれたことがありました(^^)



投稿者 雑魚
投稿日 8月27日(日)09時24分5秒
タイトル 中在家信号所
> スイッチバックといえば、関西本線の中在家信号場はどうなっているのでしょう?

元々は複数の発着線を擁する事で、交換および待避を同時にこなし得る仕様でしたが、
閑散区間である事を受け、1998年に簡便化されました。急行「かすが」が廃止された
今春のダイヤ改正で定期列車の交換が無くなった為、信号管制上、閉塞境界の扱いは
残ったものの、折返線の信号機は使用停止となり、スイッチ・バックは事実上廃止と
見て良さそうですね。

学生時代に利用した「かすが」は、この信号所を含む亀山−柘植で、短区間ながらも
京都−鳥羽の急行「志摩」と多層建を組んだ記憶があります。これは峠区間における
スジ確保の問題に加え、急行同士の乗継需要に配慮した側面もあったのではないかと
想像します。

ここは伊勢湾水系(鈴鹿川)と大阪湾水系(木津川)との分水界ですから、地勢的に、
東海道線の関ヶ原〜柏原や、近鉄大阪線の東青山〜西青山に通じるものがありますね。
しかし並行する名阪国道(いわば「準高速道路」と称すべき中々珍しい仕様です)を
走る路線バスの影響もあってか急行も廃止され、場所が場所ゆえ名古屋圏や大阪圏の
電化区間が及ぶ見込みも低く、今後どうなるのか、余計な心配をしてしまいます。

柘植では、一応「本線格」の関西線が非電化の侭、分岐する草津線のみが電化という
一風変わった光景が印象的ですね。もっとも、草津線が本格的に畿内の都市圏輸送に
与するのは貴生川以西と思われ、山を越えた先の柘植まで電化されたのは、運用上の
事情に負う点が大きいと感じます。

なお草津線では、電化後も暫く、DL牽引の50系客車便が残っていた様に記憶します。



投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 8月27日(日)21時27分27秒
タイトル 中在家
雑魚様ご教示ありがとうございますm(_ _)m
事実上廃止とはいえ面影は残っていそうですね。
去年神戸に用事があり帰京の際は関西本線も検討しましたが時間が合わず断念しました。
結局北青山トンネルをアーバンライナーで通過(^^)すなおにのぞみで帰れば早いのにね。
しかも神戸での用事より帰り道のことしか考えていなかったこみやさんであります(;^^A


投稿者 雑魚
投稿日 8月28日(月)13時21分16秒
タイトル 急行 「かすが」
> 帰京の際は関西本線も検討しましたが、時間が合わず断念しました。

急行「かすが」が一日数往復の体制であれば、こうした需要に応える事で、もう少し
永らえたかな、という気も致します。そもそもこの列車、関西線が名阪間の都市連絡
機能を担っていた当時の名残りとも言うべき、唯一の存在でしたからね。

もっとも、加太越の手間に加え、近鉄と競合しない伊賀上野駅(現伊賀市)において、
駅と中心街が少し離れるなど、物理的な制約は如何ともし難いですね。なお、鉄道の
要衝である木津を通過する理由は、良く判りませんでした。京阪奈地区の開発により、
潜在的な旅客需要も感じられたのですが。

なお「かすが」の廃止で、奈良県からは、JRの優等列車および気動車が一掃された
格好ですね。それもこれも「近鉄優位」の副産物でしょうけど。ちなみに奈良経由で
京都と和歌山を結んだ気動車急行「紀ノ川」は、奈良線・和歌山線の電化が完了した
1984年に廃止されました。密かに 165系化を期待していたのですが………(^^)


投稿者 勝村@台湾
投稿日 8月28日(月)15時02分12秒
タイトル 台湾鉄路の客車
EF5841様
オハ35系の17m級客車もどきの現状、との事ですが、台湾では17Mどころか、軽量客車
タイプの青色客車も台北付近では見ることができず、南部及び東部に少数残っているのみ
との事です。客車は殆ど全て14系タイプの空調付き客車で、これも新幹線開業で様変わり
するといわれています。台湾新幹線暫定開業まで1ヶ月あまりですが、その後はどうなる
のでしょうか・・・


投稿者 EF5841
投稿日 8月28日(月)19時58分55秒
タイトル Re:台湾鉄路の客車
勝村@台湾 様  ご報告ありがとうございました。
新幹線開業で様変わりしますか。
また動きがありましたらよろしくお願いいたします。


投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 8月28日(月)22時40分41秒
タイトル 台湾鉄路といえば
お正月に駅弁イベントで並んで買いました(^^;
金属の器でバック付き。なかなかおいしかったです(^^)
後日この器に自分で弁当を作り会社に持っていったのですがちょっと大き過ぎました(^^;
通勤電車に揉まれ同僚の目はなにそれって感じ。
駅弁の器はなかなか楽しいのですが再利用は。
福井のかにめしは流出事故が心配だし千葉のはまぐり丼は重いし(^^;
結局家の中であまった惣菜入れてます(^^)/


投稿者 勝村@台湾
投稿日 8月29日(火)11時09分36秒
タイトル 台湾の駅弁容器
EF5841様
新幹線開業により在来線の特急・急行が大分整理されるようです。
又、詳細が分かりましたらアップします。
今後とも宜しく御願い致します。

下総守こみやさん、初めまして
あの容器は「懐旧弁当容器」と言って、弁当入りと、容器だけでも販売しています。
色は白、青、緑の3種類で、夫々台湾の懐かしい鉄道風景のイラストが描かれています。
確かに日本人にとっては大きくて持ち運びには不便かもしれませんが、アルミ製の箸も
付いているので、一寸した惣菜や漬物を入れるには良い容器かもしれません!(笑)
バッグは結構派手なので注目を浴びることは確かですね。
ちなみに私は白と青の2種類を購入してしまいました。(苦笑)
今後とも宜しく御願い致します。


投稿者 壁線
投稿日 8月29日(火)13時27分34秒
タイトル 14系の疑問
質問です。
14系で個室の新製車がなかったのはなぜですか?
あとヨンサントウのときに作られたナシ20でペネシャンブラインドの採用が見送られたのはなぜですか?
前からずっと気になってました。


投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 8月29日(火)21時32分38秒
タイトル 台湾の駅弁
勝村@台湾様  ご丁寧な挨拶と補足ありがとうございます(^^)
確かに箸も付いていました。当然きれいに洗って一緒に保管してあります。
私が買ったのは青ですが他の色はありませんでした。
もう少し涼しくなったらお弁当作って近所へ遊びに行きたくなりました(^^)
でも会社には持って行かないぞ。今後ともよろしくです(^^)/



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