皆さま、残暑お見舞い申し上げます。
さて、中山宿が話題になりましたが、私にとっても、中山宿はスイッチバック初体験の思い出深い停車場です。
大昔、高校の地理研究部の一員として、水戸から平、郡山、新潟、長岡、上野、水戸のルートで
新潟方面の調査旅行に参加したのですが、最後の上野〜水戸間の準急ときわ以外はすべて普通列車利用。
我々のD50258(会)牽引・オハ61の列車は当然中山宿に停車し、スイッチバックを経て会津若松に向かいましたが、
なんとも不思議な感覚を味わった思い出があります。
その後、数回列車で通ったことがありますが、
かつての中山宿は、スイッチバック停車場の典型みたいな印象を持っています。
1966年にビクターから発売された「日本の鉄道」第3集と言うレコードに、
同駅における本務D51・・・・後補機D50の到着・退行・発車の録音がありますが、
蒸機時代の中山宿の情景がよみがえって来るようでとても気に入っています。
この地理研の旅行では、越後赤塚駅周辺の天然ガスの利用状況や新潟港、
三条市の刃物工業、長岡市内の雁木、小千谷市の織物工業などを見て周り、
途中では、C51やD50、スロハ3148、スロハ3831、オハ60220(雨樋つき)などの他、
登場間もないキロ28や新潟交通の電車、C57の「日本海」と「越路」、初めて見たリム300、
鉄道防雪林などを撮ることができました。
小千谷から上野まではEF5835牽引の738レに乗り、上越国境の清水トンネルとループ線を通って帰って来ました。 |