失礼します。話を前に戻すことをお許しください。
はつかり号の前に東北本線の列車試験が話題になりました。
何かで読んだきがと引っかかっていたのですが、先日倉庫を整理していて古い「鉄道ジャーナル」を発見。
ひっくり返してみましたら、1977年2・3月号に「名列車リバイバル」と称して、
「はつかり物語(真船直樹著)上・下」がありました。その2月号の53ページの後ろ部分を引用します。
*初の東北特急の道* (上野札幌間24時間をきることを必須条件として1958年6月試運転が行われた)
ところで、この大目標を、実はその30年も前に達成し損ねた話を紹介しておこう。
(燕運転開始・1930年10月1日/中略)
この余波は東北にもおよび、同年11月25日、青森ー平間で当時の言葉和借りれば「北方連絡24時間運転」を目標とした
大幅スピードアップのための試運転が行われたのである。
当時の新聞は「東北にもいよいよ超特急出現」などと華やかに書きたてた。当時の新聞から抜粋してみよう。
仙鉄局の青森ー平間超特急試運転は15日青森発午前8時01分の上り列車で行われ、
関係者を試乗させて、盛岡着11時22分30秒。
何せ今まで5時間余を要した青森ー盛岡間をずっと縮めて
3時間20分余で壮快に飛ぶというのだから流石素晴らしいスピードアップ。(中略)
この企ても不況や線路転轍機改良のための交換資金不足、仙台発着時間の深夜化などで挫折してしまったが、
これが1934年の大幅スピードアップの原動力になっていることは否定できない。
とあります。使用車両など詳しいことは不明ですが、確かにあったようです。
最後に参考文献として、
鉄道フアン1965−1;NO91(石井幸孝・ディーゼル特急生いたちの記)・
1969−1;NO91(ママ)(石井幸孝・「はつかり」SLからECまで)
1976−8;NO180(猪口信・東北特急物語)(石井幸孝・ディーゼル特急はつかりの登場):
鉄道ピクトリアル1968−10(特集・白紙改正)
鉄道共済会東北支部発行(ものがたり東北本線史)
盛岡機関区発行(盛岡機関区写真史) が上げられています。
今回引用が多く大変失礼しました。何かのきっかけになれば幸いです。 それでは。 |