倶楽部メモ(322)
平成18年 5月 3日〜 5月14日


投稿者 てりてり
投稿日 5月 3日(水)20時22分25秒
タイトル オルゴールも遠くになりけり?
 失礼します。
国鉄時代(又は民営化後暫く)、オルゴールは流れておりましたが、
最近は電子音楽と申しますか些か賑やかな気がします。
 オルゴールはぜんまい金属の機械仕掛ですから長く使っていると伸びるようで
485系の列車で昔やたら間延びした鉄道唱歌を聴いた記憶があります。
確か終着駅前(上野だったかしら?)の最終放送で恐らく「皆様長らくのご旅行お疲れ様でした…」
と言ったのでしょうが可也印象に残りました。
 気動車の音楽「アルプスの牧場」は必ずといって良いほど途中で終わりますし途中から始まります。
チロル民謡との事ですが、むしろ日本では同名の歌謡曲が有名なようです。
このメロディーは鹿児島の百貨店にも使われているとの事で昨年鹿児島に用事で出掛けた時、
長い時間其処で粘ってチャイムの流れるのを待っていた事がありました(結局は鳴りませんでした)。
 客車の音楽は(ディナーチャイム やブラームスの子守唄と言うようですが)
雑魚 様も書かれているように代表はハイケンスのセレナーデでしょう。
戦時中「戦場に送る夕べ」でしたか、その様な番組のテーマ曲であったと聞き及んでおります。
最初基の音楽を全部聴いた時、終わり方がおかしいと真剣に考えてしまいました。
 今日、インターネットや携帯電話の着信音のページに鉄道音楽もありますが、
矢張り一度は本物のオルゴール音楽に耳を傾けてみたいものです。
 そう言えば、静岡の代表的な民謡「チャッキリ節」は
当時鉄道会社の経営していた遊園地のコマーシャル曲であった様です。
 また「炭坑節」の一つに
「上も行く行く 下も行く(アヨイヨイ) 一度来て見よ 折尾駅
 なんぼ別れが辛くとも 別れにゃならぬ 上と下 (サノヨイヨイ)」
という節もあるようです。
 お邪魔しました。



投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 5月 4日(木)11時43分59秒
タイトル 気動車は
チャラ チャラランチャ チャララン チャラチャラチャラチャンだよね。やっぱり音痴だなf(^^;
去年まで余生を送っていた房総183系は終着で鉄道唱歌オルゴールを鳴らして車掌が案内放送していました。
しかし国鉄時代の車が廃車になるとの一緒に車内放送オルゴールも絶滅の危機でありますね。


投稿者 雑魚
投稿日 5月 5日(金)17時19分56秒
タイトル 本日の見聞録
> 最近は電子音楽と申しますか些か賑やかな気がします。

その電子音楽自体も、変遷が激しい様に見受けられます。以前は東北新幹線に乗ると、
上野では「♪春のうららの〜」仙台では「♪エンヤ〜トット〜」という感じでしたが、
最近は、こうした駅別に旋律を使い分ける事例も聞きませんね。なお「ハイケンスの
セレナーデ」については「夜も更けて参りましたので、明朝○○到着まで〜」という
夜行列車を連想します。

約三時間前の映像です。一応「客レ」ですね。気動車は、動力を立ち上げてブレーキ
開放という感じでしょうか(^^)暖色が、田園の緑に良く映えていましたよ。茨城県
行方市内の鹿島鉄道にて。


投稿者 日本海
投稿日 5月 6日(土)21時50分27秒
タイトル (無題)
お初です。皆さんにききますがハイケンスのセレナーデか鉄道唱歌ってどっちがいいと思います?


投稿者 103列車機関士
投稿日 5月 8日(月)23時00分52秒
タイトル 大井川に行ってきました
みなさま連休如何お過ごしでしたか?
私は大井川に1泊で行って来ました、いま2日間有効のフリー切符3650円が有るので
SL急行2往復と近鉄電車と南海電車で賞味3往復してまいりました
車掌様、今回はデジカメを持っていきました、詳細を撮影してまいりましたので
表の更新をお願い致します。画像は後日お送りします。
今回は臨時編成でトラスト編成が駆り出されたので幸運にもスハフ43に乗車できたのが
一番の収穫でした、気分は「はつかり」でした!



投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 5月 9日(火)21時00分39秒
タイトル やはり小生は・・・
管理人様、皆様、御無沙汰しております。
訳有って必死に客車を探している(150分の1と1分の1)岩崎安房でございます。
やはり小生は「ハイケンス」です。
オルゴール同封電話型のものが気動車の主流(「アルプス」と呼んでいました。
「アルプスの牧場」と言うまのですね・・・)だった様な気がするのですが、
別箱式の「ハイケンス」も見たことがある様な・・・
高崎客車区や尾久客車区ではアンプにオルゴールボタンが付いていましたが、
アンプ式のものはちょいと分解して油差しますと・・・若干復調したり致しました(笑)
電子音のものは何か風情が半減する感覚ですね
投稿者のホームページ



投稿者 雑魚
投稿日 5月10日(水)12時33分29秒
タイトル はつかり
> スハフ43に乗車できたのが一番の収穫でした、気分は「はつかり」でした!

お〜これは拍手喝采モノです。1958年の改正で20系化された「あさかぜ」運用から
捻出された当該客車を以て、東京以北では初の特急となる「はつかり」が誕生した
訳ですが、二年後には「はつかり事故ばっかり」と揶揄された「ブルドッグ」こと
キハ80系に置換されており、客車「はつかり」は意外に短命だったのですね。

客車運用時の陣容を見ると、スハ44系中心の 8-9両編成で、青函連絡船は深夜便に
接続しており、仙台以南は C-62、以北は C-61(盛岡以北で、C-60を補機充当)が
牽引したとの事です。当時、水戸駅の近くに住んでいた親父は、これを日々眺めて
いたのでしょうねぇ。

この客車を見ると、1986年に水戸局に配属された、スロ81系御座敷「ふれあい」を
思い出します。金沢局配置の同系列編成は、緑色の帯が特徴的でしたっけ。


投稿者 クモイ103
投稿日 5月10日(水)21時05分55秒
タイトル Re:はつかり
 皆様こんばんは。折角の盛り上がりに水を差してすみませんが…

雑魚様の
> 1958年の改正で20系化された「あさかぜ」運用から
> 捻出された当該客車を以て、東京以北では初の特急となる
> 「はつかり」が誕生した
…というのは、スハフ43に関するコメントとしては正解ではありません。
「あさかぜ」には、スハフ43は使用されていませんでした。

 「はつかり」使用客車のうち所謂「特ハ」のスハ44・スハフ43・スハニ35は、
電車特急「こだま」の登場と引き替えに廃止された東京−大阪間の昼行不定期特急「さくら」から捻出されたものでした。
 「あさかぜ」から「はつかり」に移ったのはナロ10とマシ35ですが、
マシ35については1957年の夏頃からオシ17(5〜のグループ)に置き換えられて急行列車に転用されていた模様
(「さつま」に使用の編成記録有り)なので、純粋な「あさかぜ」20系化による捻出車は、ナロ10だけだったと言えます。
 さらに細かいことを言えば、「はつかり」用となったナロ10は28〜33の6両でしたが、
このうち元「あさかぜ」組は29〜33の5両です。
28のみは青大将「つばめ」「はと」の予備車見直しで捻出されたものでした。

 このへんの話は、本HP3号車「客車資料館」内、
・「客車列車編成表」→「特集  昭和33年8月1日特別急行列車編成表」
・「掲示板連動特別企画」→「青大将・はつかり色」
…もご参照下されば幸いです。


投稿者 雑魚
投稿日 5月11日(木)00時32分7秒
タイトル 訂正
> 東京−大阪間の昼行不定期特急「さくら」から捻出されたものでした。

手持ちの資料を改めましたところ御指摘の通りで、当方の読み違いの様です。どうも
失礼申し上げました。こうした東北地方に特急を走らせる構想の前史として、1929年
もしくはその翌年に、C-51が高速試験にて 104km/hを記録したとの事ですが、どこの
線区での話なのでしょうね(ちなみに、C-62が東海道線木曽川橋梁で、当時の「狭軌
世界最高速度」となる 129km/hを記録したのは、1954年の事)


投稿者 JIN
投稿日 5月11日(木)23時10分11秒
タイトル C51試験
久しぶりに書き込みます。
昭和4年の速度試験というのは東海道本線で行われた超特急「燕」の基礎試験じゃないでしょうか?
C51重連に客車2輛を牽いて行ったという記録があります。
また東京ー大阪間で行った「燕」の公式試運転では最高102km/hを出したとも残っています。


投稿者 吊り掛け丼
投稿日 5月12日(金)13時10分28秒
タイトル ハイケンス
横レスで失礼致します。
所で大井川の客車はオルゴールは健在なのでしょうか?
何度か乗車経験が有りますが聞いた事が有りません。
バスガイドの様な放送も観光的性格上不可欠なのかも知れませんが、
昔ながらの燻し銀の放送を聞いて見たい気もしますです、はい。


投稿者 雑魚
投稿日 5月14日(日)08時29分8秒
タイトル 釜焚きの労
> 昭和 4年の速度試験というのは東海道本線で行われた超特急「燕」の基礎試験

然様でしたか。直ちに、東北方面における優等列車を想定した、という位置付けでは
なさそうですね。それにしても、当時の機関車で 100km/h以上を維持するというのは、
釜焚きひとつとっても、凄い作業量だったのでしょうね。子供の頃、近所に石炭式の
集中暖房方式を採用した事業所があり、釜焚きのオジサンが、SLそっくりの装置に
石炭を投入する場面が印象的でした。休憩時間、ダルマ・ストーブでスルメを焼いて
食べていたのは、正に津軽鉄道の趣でした。まだ、常磐炭坑でSLが石炭貨車牽引に
活躍していた頃の話です。

そういえば沼津機関区でしたか、圧倒的な作業量(運動量)で伝説を馳せた乗務員が
紹介された書籍を、一瞥した事があります。


投稿者 103列車機関士
投稿日 5月14日(日)20時16分26秒
タイトル 大井川の話
みなさま今日は、
大井川の客車、ハイケンスは健在かは解りませんが使用はされておりませんでした、
以前からガイドさんについては色々意見がささやかれておりますが、
今回の旅であらためて車内の様子をみて考え直しました、
ガイドにうなずき、そしてガイドに従いみんな笑顔で外を指差す様子はなかなか印象的でした、
「蒸気機関車の旅をまたしたい」沢山の人にこのように思ってもらうのが一番大事なんだなあと思いました、
客車や設備までこだわってるのはもはやあそこだけですからね!
私は現役の蒸気機関車の列車を知りませんので
「あの程度(?)」でものすごく感動してしまいます。毎回涙を流して乗車してます。また行きたいです、
このような危険な乗客が居ましたらおそらくそれは「103列車機関士」ですから
どうぞお声をかけてください(笑)
そういえば大鉄、ずいぶん若い社員が入社したようですよ、
茶髪の助手の若者が近所の叔父さんらしき乗客と立ち話で愚痴る様子をみて
「おおいなる旅路」の三国連太郎を思い出しました



投稿者 でる
投稿日 5月14日(日)21時34分13秒
タイトル (無題)
質問ですいません。

ハイケンスのセレナーデ、オリジナルに近い、と皆様が思われる着メロサイトありますでしょうか?
いろいろと鉄道サイト見て、さらにヤフーなどの音声検索もしてみましたが、
和音を間違えて作っているものばかりで 鳥肌が立つほど気持ち悪いのです。私音楽家なもので・・・(笑)



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