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4人掛けの席に座り肘あてを枕に眠りながら(うめさん)
学生時代に、仲間数名と四国を旅行した際に利用した大垣夜行(165系/345M)が
私にとって初めての夜行列車でした。通学に片道百分を要した高校時代、列車内で
寝る事には多少の自信があったのですが、やはり長時間の乗車では、早々上手くは
行かない事を思い知らされました。深夜にもかかわらず、静岡駅のホームで弁当が
販売されていたのが印象的でしたね。
翌晩は、高松発中村行の夜行快速泊でしたが、急行の間合運用で、指定席相当車が
グリーン車の格下げという破格のサービスで、その晩は熟睡出来ました。同列車は
その後、高知止りの50系客車に置換されましたが、空いている時はロングシートで
カーペット車並みに体を伸ばしての安眠でした。ただしポイント通過時の横揺れで
夜中に何度か床にコケましたけれど(^^)
現地集合・現地解散の為、仲間達は思い思いの方法で移動したのですが「瀬戸」を
利用した友人は、貧乏学生集団における「ブルジョア的行為」を批判され「人民の
階級敵」として、その後暫く妬みの対象になったのでした(^^)
急行音戸様は下関方面の御住まいですか。十年ほど前に、業界団体の研修で鳥取に
行く事がありまして、確か「さくら」でしたか、下関で下車して、時間が許す限り
臨港線を見物し、その後、当時下関始発だった「おき」で鳥取に向ったのが、実に
思い出深いところです。
研修後は週末を利用して出雲市に移動し、斐伊川鉄橋にて、当時二往復体制だった
客車「出雲」やハネ・ハザ混成の「だいせん」の他、国鉄色の「やくも」や急行型
気動車など、今考えると垂涎モノの被写体が次から次へと通過する様子を片端から
撮り捲っておりました。帰途は「出雲」の個室を奮発し、米子駅で購入した、あの
名物駅弁「吾佐衛門鮨」を丸齧りしながら、山陰の夕景を愛でていたのでした。
※BGM)ヴォーン・ウィリアムス「ノーフォーク狂詩曲」第一番 |