管理人様、皆様御無沙汰しております、岩崎安房にございます。
23時00分現在、第3・4列車共にほぼ定刻(但し3列車遅延気味)と言う連絡がございました。
4列車は今頃DD51に引かれておぼろな月の下、山道を走っているのでしょう・・・・
さて、小生の初めての夜汽車は昭和55年8月、上野発21時20分急行6403列車「おが3」号の自由席オハ47でした。
駅に学生助勤者として勤めていて、やはり在来型一般車の魅力に取り憑かれて、
北海道へ向かうルートとして選んだものでしたが、「津軽」人気が高かった当時、座席は空いていました。
その後渡道して43列車「ムーンライトエクスプレス」、札幌からは317列車「利尻」と在来型一般車夜行漬けの幸福!
しかし、一番記憶に残っているのが昭和56年9月の急行804列車「鳥海」です。
スハフ42、編成最後尾で旅客は小生ただ一人。
車掌さんは上野で見かけた事のある方で「おお!カレーライス御馳走様ね」
(ホーム事務室で夕食=有料ですよ、各職員分担で食事は作っていました)とお声を掛けて頂き、
秋田を出てから新津まで戻って来ませんでした・・・
満月が美しく、時折停車すると何処からか潮の香りと波の音、減光した車内でも東京の数倍以上の星が見えて、
全開の窓からの風を楽しみ、扇風機は止めて置きました。
停車と共に静寂に置かれ、潮騒と空は満月、なのに銀河ははっきり。
遠くに交換列車のEF81の汽笛がして、貨物列車が行き過ぎると再び静寂、
そして手笛が柔らかく響いて汽笛がにじみ、軽い衝撃と共にまた窓から風が流れ込んで来ます。
これが当たり前の夏の夜汽車だったのでしょうね。
何処か暖かく、柔らかい時代が堅いモケットから伝わった頃の事です。
さて、雑魚様、小生の調べたところ、特急1Dの運休時補完列車は「八甲田」か「十和田」、
仙台までなら続行の急行だったそうです。
一応特急料金は全額払い戻し、急行料金免除と言う事だったそうですが、
幾人かは「なら明日にすべぇ」と言われて「はつかり目的」の御客様もいらしたとの事です。
小生も「津軽」で同様体験があります。 |