倶楽部メモ(314)
平成18年 3月18日〜 3月25日


投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 3月18日(土)00時00分59秒
タイトル 初めての夜汽車
 管理人様、皆様御無沙汰しております、岩崎安房にございます。
 23時00分現在、第3・4列車共にほぼ定刻(但し3列車遅延気味)と言う連絡がございました。
 4列車は今頃DD51に引かれておぼろな月の下、山道を走っているのでしょう・・・・
 さて、小生の初めての夜汽車は昭和55年8月、上野発21時20分急行6403列車「おが3」号の自由席オハ47でした。
 駅に学生助勤者として勤めていて、やはり在来型一般車の魅力に取り憑かれて、
北海道へ向かうルートとして選んだものでしたが、「津軽」人気が高かった当時、座席は空いていました。
 その後渡道して43列車「ムーンライトエクスプレス」、札幌からは317列車「利尻」と在来型一般車夜行漬けの幸福!
 しかし、一番記憶に残っているのが昭和56年9月の急行804列車「鳥海」です。
 スハフ42、編成最後尾で旅客は小生ただ一人。
車掌さんは上野で見かけた事のある方で「おお!カレーライス御馳走様ね」
(ホーム事務室で夕食=有料ですよ、各職員分担で食事は作っていました)とお声を掛けて頂き、
秋田を出てから新津まで戻って来ませんでした・・・
 満月が美しく、時折停車すると何処からか潮の香りと波の音、減光した車内でも東京の数倍以上の星が見えて、
全開の窓からの風を楽しみ、扇風機は止めて置きました。
 停車と共に静寂に置かれ、潮騒と空は満月、なのに銀河ははっきり。
 遠くに交換列車のEF81の汽笛がして、貨物列車が行き過ぎると再び静寂、
そして手笛が柔らかく響いて汽笛がにじみ、軽い衝撃と共にまた窓から風が流れ込んで来ます。
 これが当たり前の夏の夜汽車だったのでしょうね。
 何処か暖かく、柔らかい時代が堅いモケットから伝わった頃の事です。
 さて、雑魚様、小生の調べたところ、特急1Dの運休時補完列車は「八甲田」か「十和田」、
仙台までなら続行の急行だったそうです。
 一応特急料金は全額払い戻し、急行料金免除と言う事だったそうですが、
幾人かは「なら明日にすべぇ」と言われて「はつかり目的」の御客様もいらしたとの事です。
 小生も「津軽」で同様体験があります。
投稿者のホームページ



投稿者 でる
投稿日 3月18日(土)01時44分16秒
タイトル 夜汽車
はじめまして。初めての夜行なんてそそる話題に乗っかります。

僕は大阪発の583系急行立山でした。
雷鳥の間合い運用で食堂車がついており(営業はもちろん休止でしたが)
初の夜行でしかも満員の座席で寝れず、ずっと食堂車で過ごしたのを思い出します。
冷水器が動いていて 何度と無く水を飲みました(笑)
富山で降りてから485系快速で開放されていたグリーン車に乗り、たしか糸魚川まで行き・・・・急行とがくし 
新潟から白鳥と乗り継ぎ北海道に渡りました。
とてもなつかしい思い出・・・・親を説得しまくり中学2年での一人旅でした。
北海道への一人旅として よく親が許してくれたと思いますが、とても貴重なものをたくさんみました。
当時のこと、何を見たかは説明不要かと(笑)

失礼しました



投稿者 雑魚
投稿日 3月18日(土)09時18分30秒
タイトル まもなく米子に到着します
> 乗っていない路線(幹線)は常磐線(うめさん)

なんと、わが茨城県を代表する常磐線に御越し頂いていないとは。広島県の鉄道は
市電やアストラム・ライン、可部線の廃止区間を含め、私は全て乗りました。実は
中国地方は完全に制覇していたりして(^^)

> 遠くに交換列車のEF81の汽笛がして、貨物列車が行き過ぎると再び静寂、

ドップラー効果を伴って流れ去る踏切の音も風情がありますね。効果音とラップで
列車の旅を演出する「モーターマン」の「こまち/秋田→盛岡」では、進行方向が
変わる大曲まで、車内放送を逆回転させるという噴飯物の演出を経て、大曲発車後
踏切音が効果的に添えられています。

泣いても笑っても最終走行となる下り「出雲」は、定時運転なら伯備線と合流して
架線下に入った頃でしょうか。冠雪の大山との絡みを狙って、日野川橋梁で構える
三脚組は多々いる事でしょうね。回送先の出雲車両支部も盛況かな(^^)


投稿者 雑魚
投稿日 3月18日(土)10時52分3秒
タイトル 車内放送
長らくの御乗車、御疲れ様でした。まもなく、終点の出雲市に到着いたします。
三番線の到着、御出口は左側です。どなた様も御忘れ物、落し物の無いように
御支度して御待ち下さい。降車に際しましては、備品の持ち出しはくれぐれも
御遠慮下さい。また、線路に立ち入っての撮影などの危険行為は、固く御断り
申し上げます。

乗換えの御案内を申し上げます。山陰線下り、大田市・江津・浜田・益田方面
普通列車の西出雲行は、降りましたホームの反対側から、11時09分の発車です。
当列車回送便目当てに出雲車両支部に御越しの方、西出雲駅からですと多少の
距離がございます。12時04分発浜田行を出雲神西駅で降りられますと便利です。
新山口行の特急「スーパーおき 3号」は、降りましたホームから、11時47分の
発車です。海の眺めが大変宜しゅうございますので「出雲」記念乗車の序でに、
山陰線を走破されては如何でしょうか(^^)

すぐ東京方面に戻られます愛好者の皆様は 2番線から10時30分に発車致します
特急「やくも16号」を御利用下さい。御急ぎの方は駅前を11時15分に発ちます
連絡バスを御利用下さい。出雲空港12時30分発の羽田行がございます(^_^)

多くの御客様に御乗車を頂きました「出雲」は、本日を以て運転を終了します。
長らくの御利用、誠に有難うございました。皆様の御愛顧に感謝して、不肖私
車掌が一曲披露させて頂きます。

 ♪ 御江戸発の夜行列車降りた時から、出雲市駅は高架駅
 ♪ 駅を降りる人の群れは誰もマニアで、一眼レフを構えてた
 ♪ 私は独り(者)出雲大社に行き……(以下、皆様御考え下さい)

………こんな感じで、今頃、車内放送が流れているんでしょうねぇ(^^)


投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 3月18日(土)22時50分1秒
タイトル レールフェステ行って来ました
安房殿のお誘いで二回目。
出雲は他の方がと思っていたので遠慮。
私は昨年房総の定期から撤退した183で。
ところが気動車大国千葉を彷彿させるべくキハ7連が絶不調(--;
モーターが熱くなりちょつと危険ではつかり状態寸前。
でも楽しい一日を提供していただきありがとうございました。



投稿者 うめ さん
投稿日 3月19日(日)22時46分28秒
タイトル 東日本は大荒れみたいですね
私の経験で 確か東北本線を上野に向かってる時に 台風に遭遇し 列車内に約6時間
缶詰状態だった記憶がありますが 当時は 国鉄時代で パンとお茶の配給があったのを
覚えていますよ。とにかく大変な時間でしたよ。
予定ではその日のうちに 広島まで帰る予定でしたが ダイヤは乱れに乱れて
 広島に帰りついたのは 翌日の深夜だったような気がします。
今でもニュースでそんな話を聞くと 乗っている方々の苦労がよく分かります
まだ携帯電話もないし 連絡の取りようがないし 駅で止まればまだ 何とかなりますが
線路上では 車外に出ることも出来ないし


投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 3月21日(火)07時25分32秒
タイトル あけぼのが
鷹ノ巣で停まったまま(^^;吹雪の中前を走っている貨物列車が脱線したらしい。
待っている間眠くなり起きたらやっぱり鷹ノ巣。
で宇都宮で乗り捨て会社直行。
もちろん大遅刻(--;


投稿者 雑魚
投稿日 3月21日(火)23時22分8秒
タイトル あけぼの
> 宇都宮で乗り捨て会社直行。もちろん大遅刻(下総守こみやさん)

宇都宮にて「あけぼの」下車というと、山形か陸羽東線を経由した当時の話ですか?
前者の場合、映画「おもひでぽろほろ」で主人公が山形に向う場面を思い出しますが、
山形到着の有効時間帯を考えると、むしろ「津軽」こそ現実的だったのではないかと
感じます。後者については、仙台−秋田の都市間輸送が、かつて、特急「あおば」の
通過に象徴されるなど北上線主流だった事を考えると(当時の田沢湖線の優等列車は、
急行が一日二往復程度だったと記憶します)あえて陸羽東線を経由したのは、鉄道の
要衝である新庄(および秋田通勤圏南限の湯沢)への配慮ゆえでしょうか。これとて
今となっては、懐かしい存在ですね。

画像は、上越線では御約束の渋川−敷島の利根川橋梁にて撮影した「夢空間」込みの
臨時「あけぼの」です。前夜、伊香保温泉での痛飲が祟り、極端な二日酔いの状況で
撮影した執念の一枚で、この後、榛名湖でしこたま戻しました(^^)


投稿者 雑魚
投稿日 3月21日(火)23時47分24秒
タイトル 長距離客車鈍行の旅
連続投稿にて失礼します。

本日、自宅押入れで、役所手続に必要な証書を探していた処、1982年に桐原書店から
刊行された「ローカル線を行く 5/関東甲信越」という鉄道紀行誌が、出て来ました。
懐かしさの余り、探し物そっちのけで読み耽っていた処、横田さんというSF作家の
体験乗車記「信越本線16時間耐久レース」に、思わずニヤリ。これは、早朝六時前に
新潟を発ち、直江津・長野・高崎で列車番号変更を伴う時間調整を経て、同日22時頃
上野に到着する旧客列車の同乗記なのですが、直江津で早くもバテてしまい、折角の
二本木駅でも「スイッチ・バックだろうが、ボストン・バックだろうが、無関係」と
投げやり気味。上野到着時は「後悔の念と疲労と、イライラと食べ過ぎの胸焼け」に
苛まれていた、と締め括るこの紀行文、鉄道紀行誌の趣旨にそぐわないのでは(^^)

まあ下関→福知山の耐久紀行を敢行した我が悪友の事例に鑑みれば、その心情たるや
多少の理解は出来ますけれどね(^^)

投稿者 にんにくたあ
投稿日 3月22日(水)06時57分8秒
タイトル 大井川鉄道田野口駅
みなさまこんにちは。
この彼岸休みに大井川鉄道田野口駅を訪ねました。
ここは地元静岡新聞の1月の記事で駅舎の改装が伝えられていました。
昭和の雰囲気に改装されたと言うことで、出かけてみました。
その写真がこれです。
待合室は木製ベンチに変えられ、窓枠はHOのストラクチャーなどでお馴染みの
ライトグリーンに塗り替えられていました。
今にも乗客が集まり、旧客が到着しそうなムードでした。

なお駅舎の全景は当方の掲示板にも貼っておきましたので、
よろしければお立ち寄りください。
http://8917.teacup.com/681065/bbs?BD=10&CH=5

投稿者のホームページ


投稿者 雑魚
投稿日 3月22日(水)14時18分46秒
タイトル 春はあけぼの
春はあけぼの やうやう白くなりゆく山ぎは少し明りて………という具合に、花粉の
作用で頓に霞がかかる我が脳内ですが「あけぼの」序での思い出話を一つ。

東北新幹線が八戸まで延伸されて間も無い三年前「乗り潰し」を兼ねて、久々に雪中
列車旅行でも楽しむかと、下り「あけぼの」に乗り込みました。翌早朝に目が覚めて
時間的にそろそろ象潟辺りか、と思いきや、どうも車窓風景がしっくり来ず、車掌に
訪ねたら「上越線の事故でかなり遅延しており、単線主体の羽越線では、遅延回復は
全く見込めない」と、流暢な秋田弁での返事。結局、庄内平野など、想定外の風景も
楽しめたものの、当日中に帰京を要する手前、市内観光を予定していた青森では僅か
一時間のみの滞在となり、海に面した線路の突端付近を散策する程度に留まりました。
肝心の鳥海山も岩木山も中腹以上は雲に覆われていたし、私ァ何をしに遥々青森まで
来たものかと、帰途の「つがる」「はやて」では自棄酒を呷り、車窓風景すら見ずに
終始寝てしまい、物凄く「外道」な旅となりました。

ちなみにこの列車、停車駅である「高崎」と「象潟」は、仮名表記で逆さ関係になり、
ちょっとした雑学ネタになりそうですね(象潟町自体は、昨年秋「にかほ」市に合流)

「あけぼの」が山形経由だった1982年、夜行急行「鳥海」が秋田発着特急「出羽」に
改組されましたが、その数年後、ワイド周遊券による東北地方乗り潰し旅行で往路に
同列車を利用した事があります。よくもまあ、観光もせずにこれだけ動けたものだと、
今となっては自身に呆れていますが、数年前は近畿にて、一日に30数回乗継ぎという
阿呆の極致を敢行していたりします(^^)

初 日)上野−「出羽」→(車中泊)
二日目)酒田−「最上/陸羽東西線経由」→仙台→石巻→前谷地→気仙沼→一ノ関
三日目)一ノ関→盛→釜石−「陸中/花巻経由」→盛岡−「リアス」→宮古→釜石
四日目)釜石→宮古→久慈→八戸−「はつかり」→盛岡−(同左)→青森→五所川原
五日目)五所川原→東能代−「津軽」→大館→盛岡−「やまびこ」→仙台→利府→
    仙台→山形→左沢→山形−「津軽」→(車中泊)

現在の「あけぼの」の原型は、1990年に新設された「鳥海」で、1990−93年の間は、
羽越線では、有効時間帯による差別化で「出羽」「鳥海」が併置される状況でした。
庄内空港の開業が1991年ですから、正に過渡期的な状況だった訳ですね。

添付画像は、上記の遅延した「あけぼの」の車中から見た某所の風景です。場所が
御判りの方には、豪華な粗品を進呈しましょうか(^^)以上「あけぼの」と聞くと、
最近は大晦日の格闘技を連想する雑魚でした。


投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 3月25日(土)11時55分8秒
タイトル 波乱の冬
雑魚様 あけぼのは陸羽東線経由でした。
宇都宮で新幹線を待っていると眼下に583系津軽(季節運行)が。これはたしか仙山線経由でした。
これまた昔話。特急出羽に乗り陸羽西線へと計画。
洗面に起きると車掌がもう起きたんですかまだ寝てていいですよのお言葉。
窓外を見るともうすぐ酒田に着かなきゃなのにまだ村上あたりっぽい(^^;
酒田で朝ごはん仕入れてと思ったけど吹雪の余目で下車。
車掌や車内で仲良くなった人(素人)を見送るとまわりに人はいない(出羽から降りたのは私だけ)食料も売ってない(^^;
お腹すかして心細く待っていたら定刻で新庄行きが来たよ!こんな吹雪の中感動した!新庄で鋭気を養い旅を続行。
この後北上線が遅れた。接続の新幹線には間に合いませんの車内放送に悩むお客がたくさん。
波乱が多かったこそ印象に残っているのかな(^^)


投稿者 雑魚
投稿日 3月25日(土)15時03分59秒
タイトル あけぼの と 津軽
> あけぼのは陸羽東線経由でした。

奥羽線の改軌工事に伴い、板谷峠のスイッチ・バック構造が廃止された1990年から
97年までの暫定措置でしたね。その当時「あけぼの」を利用した友人の弁によると、
就寝中でも、線路規格が低い陸羽東線だけは識別できたそうです(^^)さてDLが
牽引したのは、仙台から新庄までか、それとも秋田までか、どちらでしたっけ?

> 眼下に 583系津軽(季節運行)が。これはたしか仙山線経由でした。

「津軽」が電車化の上で仙山線経由に変更されたのも「あけぼの」経路変更と同じ
1990年ですね。92年に 485系化され「あけぼの」が「鳥海」を集約し羽越線経由に
変更された97年に廃止されました。どうせなら「あけぼの」も山形経由とした方が
判り易かった気もしますが、山形で方向転換となると、牽引機関車の運用が面倒な
事になったのでしょうか。

その「津軽」は14系時代に何度か利用しました。下り便の青森到着が昼頃と、移動
効率はあまり良くなかったのですが「八甲田」よりは空いている為、ワイド周遊券
仕立ての北海道旅行にも重宝しました。その頃「あけぼの」では、14系ハザのみの
臨時便も運転され「津軽」と、どこが違うのかと、未明の山形駅での邂逅で、心中
せせら笑ったものでした(^^)



「客車倶楽部」へ  
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから