倶楽部メモ(311)
平成18年 3月 4日〜 3月 8日


投稿者 ED12
投稿日 3月 4日(土)21時12分54秒
タイトル 客車の窓
つまらないことですがご教示をお願いいたします。
戦後を別にして、戦前から国鉄の電車は二段窓、客車は一段窓…。
この設計の違いはどのようにして決められたのでしょうか。



投稿者 青列車
投稿日 3月 5日(日)01時47分33秒
タイトル 【窓】推測ですが
>>ED12様
お尋ねの件、推測ですが…
電車の場合、出自が都市圏近距離輸送、もっといえば軌道から始まっており、
朝夕には今のようにラッシュもありました。
立ち客が大勢いる事を前提とし、夏場車内に風通しを良くしようとすると、
上下段分けて開閉できるようにすると立ち客にも風が行き、
着席客の髪や帽子(他 被り物)へ迷惑をかけないようにすることが出来ました。

一方客車は長距離輸送が前提であり基本的には座席定員程度の乗車とし、
立ち客ぎっしり…はイレギュラーであるとみなされたのではないでしょうか?
また、当時は電化区間は極僅か、内燃動力は研究が緒についたばかりの頃、
列車の動力としてはSLのみと言っても過言ではありません。
いくら盛夏の酷暑の頃と雖も窓全開では煤煙の浸入の恐れもあります。
もっとも客車の窓も鉄道黎明期の頃は下降窓だった由。
しかし隙間に雨水が溜まり車体腐食の元凶となるので、大正期には上昇式になったとのことです。


投稿者 青列車
投稿日 3月 5日(日)02時21分52秒
タイトル 【食堂車】悲運のオシ17
>>岩崎安房守義将様
貴重なお話有難う御座います。あの事故を思うと今でも胸が傷みます
(田舎の小学生にはあまりにも衝撃的な惨事でしたから)。
今にして思えば、ご指摘の
>△ 実は、昭和44年12月6日にも北陸トンネルでは寝台特急第2002列車「日本海」が同様火災を起こしており、
この時は乗務員が規程を無視してトンネル脱出まで走行させて難を逃れ、この時は死傷者無しとしていた。
当局は規程違反として乗務員を処分しようとしたが、この措置の正当性が認められて処分は撤回されている。
この事故に関しての検証が真剣に行われていれば、
或いは後の急行501レの非劇は起きずに済んだのかも知れないと思うとやるせないです。
501レの牽引機の運転席にいたT機関士、S指導機関士の両氏はおそらく先の事故のことは知っていたとは思いますが、
一歩間違えればそれこそ大惨事になりかねないところを咄嗟の機転で逃れ、本来なら表彰されるべき職場のお仲間が、
こともあろうに規定違反のみを問われて処分を受けているとあっては、
(たとえ不完全なモノであっても)マニュアルに固執してしまったとしても無理からぬところでしょう。
Sさんは不幸にもこの事故で殉職され、Tさんも重傷を負ってしまいました。
(その方々のお名前は存じておりますが、ココでは敢えてイニシャルのみとさせていただきます)。
事故というものはいつも、当事者が気づかない「想定外」のところに思わぬ落とし穴があるものですね。
食堂車廃止に関しては、おそらく労働組合側からも相当激しい抗議があったのでは?
(あんな危険なクルマとっとと止めちまえ!…組合側にはいい大義名分になってしまいますよね)。
ところで、重箱の隅をつついて恐縮ですが、ご発言で
>オシ172107号
とありますがこれは確か、オシ172018号では?
本邦初の40人食堂車として、標準軌のスイスの食堂車と比べても室内幅では寧ろ勝っていて、
かつては特急「つばめ」「はと」にも充当された由緒あるオシ17形式も、
予想もし得なかった悲劇によってその晩節を汚してしまいましたが、
せめて模型の世界では、かつてのままの栄光の姿で、多くの旅客の舌鼓を打たせるべく、活躍して欲しく、
我が家の16番コレクションのオシ17(カツミ模型製完成品)には、製品では省略されていた内装を表現し、
乗客フィギュアを乗せ、急行列車に編成され、KATOEF58や天賞堂EF61にエスコートされています。
(肝心の路線延長が短過ぎて、列車がエンドレスの半周以上を塞いでしまいますが…
路線延長したいものの、まず「用地買収」が進みません…って、
ただでさえ狭いアパートをまともに掃除も片付けも出来てないのがいけないのですが…)(笑)


投稿者 ED12
投稿日 3月 5日(日)12時10分19秒
タイトル RE:客車の窓
青列車様有難うございます。
そうですね。客車は自分で走れないから蒸機に引っ張られる。
すると上段の窓からモクモクと煙が入ってくるんでしたね。


投稿者 夜行特急
投稿日 3月 5日(日)14時34分18秒
タイトル Re:オシ16の最期
クモイ103様

どうも情報ありがとうございました。
ウェブの資料の方、ゆっくりと拝見させていただきます。
丁度、季刊Jトレインのバックナンバーをあさっておりましたら、オシ16を連結した「瀬戸」の写真が出ていました。



投稿者 雑魚
投稿日 3月 5日(日)23時17分9秒
タイトル 立席特急券
「出雲」の廃止まで、いよいよ二週間を切ってしまいましたね。せめてもの記念に、
立席特急券が取れないものかと、山陰地方の知人に打診したところ(端末を擁する
地元駅の窓口では、発券自体が判らず終いでした)よりにもよって、運転最終日の
下り便を取ってくれました。こりゃ、記念購買のみに留めるのはあまりに勿体無い。
是非、最後の走行に立ち会って見たいものと、盛り上がっては見たものの、当日は
勤務日ですからねぇ(嘆息)社長、何とかなりませんか(^^)

立席券は座席指定ではありませんが、発券数そのものは制限されているそうですね。
という事は、立席区間が惜別の愛好家で無秩序に混雑する、という事はないのかと
思うのですが、実際はどうなる事やら。最終列車が、出雲鉄道部・出雲車両支部に
引上げられた後の廃回次第も気になりますね。



投稿者 米芋
投稿日 3月 5日(日)23時55分36秒
タイトル 2018ですね
はじめまして。いつも拝見させて頂いております。
最近北陸トンネル火災関連で白熱していますが、やはり「きたぐに」の火災車両は2018ですね。
長年の記憶違いかと思ってしまいましたが、さすが青列車さま、鋭いご指摘ですね。
さてそのオシ172018ですが事故後どうなったのでしょうか?
証拠物件として保存されたと聞いたことがありますが


投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 3月 6日(月)00時02分58秒
タイトル 青列車様ありがとうございます!!!
 青列車様、ありがとうございます!!!
 それこそ某鉄道誌記載のままでしたが、調査会議資料に編成がございました。
 確かにオシ172018号でした。
 このまま気付かなければまたまた誤記が埋もれて恥の上塗りでした!!!
 深く感謝致します!
◎ちなみに・・・1972年11月06日501列車編成
<オハネフ122047+スハネ162619+オロネ102048+スハネ162218+スハネ162086+スハフ422251+ナハ112015
+オハ472021+ナハ102019+ナハ102106+オシ172018+スハ432487+スロ622073+オユ102051+マニ372151>
牽引はEF7062(敦賀第二機関区)です。
※一部裁判記録では「ナハ47」「オエ10」「ナハフ42」などの記載があり、これは編成位置と番号から訂正しました。
 また、てりてり様、お恥ずかしい限りです・・・
もっともJRは基礎のラフが法令と過去機材の検証から描かれたなんて知らない
(と言うより別に知られなくても良かったんです)で今日に至っています。
 C623機計画自体がそんな現場作業の蓄積でしたから・・・
(最悪アルミ合金で似せて作るとまで至り、これが弊連盟PHOENIX-NEXT構想の下敷きとなりました・・・)
しかし何故か満足と充実の日々でした、夢を形にする感激と感動と、そして恐さ、更に人の本性と生死決意の凄さ・・・
色々貴重な勉強になりました!
投稿者のホームページ


投稿者 クモイ103
投稿日 3月 6日(月)21時34分14秒
タイトル Re:2018ですね
 米芋様、はじめまして。HNから察するに山陰方面にゆかりのある方でしょうか…
 ご質問の北陸トンネル事故車オシ17 2018ですが、
鉄道ピクトリアル第670号(1999-6・<特集>国鉄形(10系)軽量客車・座席車編)P.51に無惨な姿の写真があり、
「敦賀 1982.5」とあります。事故現場から最も近い車両基地として、敦賀の客車区?が保管場所になったのでしょう。
 同ページの本文中には「証拠物件として保全されていた事故車についても,
事故関係処理のほぼ終了した昭和56年度に廃車され,」とあり、
また、同号に掲載の車歴表によれば、廃車は1981. 9.24となっています。
 つまり、事故から9年近くも車籍のある「休車」扱いで保管され、
さらに、「お調べ」が一段落して廃車決済が下りた後も、まだしばらく形を残していたようです。

 全くの余談ですが、このオシ17 2018の車歴をたどれば、
昭和35年度にオシ17 18として車体が新製される以前の名目上の種車は、
マロネ49 1 ← マイネ38 1 ← マイネ37130 と、
なんとあの戦前の特急「富士」に連結されたシャワー室取り付け車だったのです。
考えようによっては、強烈な歴史の皮肉ですね。
「昭和3年製の旧型車両」などとピントのずれた言いがかりで批判した向きも、ここまで認識していたかどうか…


投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 3月 6日(月)22時55分24秒
タイトル Re:2018ですね(補足)
米芋様。
クモイ103様のレスにあるようにオシ172018はシートを被されて敦賀客貨車区で保管されていました。
また、同型車としてオシ172051が事故検証用として金沢駅横に置かれていました。
こちらのリンク集にもある「国鉄車輌を訪ねて」の本編>鶴賀機関区編にはオシ17の解体風景がアップされています。
撮影は昭和57年8月のようです。
投稿者のホームページ



投稿者 米芋
投稿日 3月 7日(火)01時56分53秒
タイトル ありがとうございました
早速の回答ありがとうございました。
ここに来れば客車のことなら何でも分かると、あらためて実感してしまいました。
お察しのとおり山陰にゆかりがあり、「出雲」廃止にあたっては、珍しくさよなら乗車してきました。
ところが、「出雲」が遅れたため、出雲市で乗り継ぐはずの「おき」に松江で追い越されてしまいました。
どちらも特急なのに待遇の違いを痛感しました。

投稿者 雑魚
投稿日 3月 7日(火)16時06分25秒
タイトル 出雲鉄道部
> 出雲市で乗り継ぐはずの「おき」に松江で追い越されてしまいました(米芋様)

後続の「スーパーおき」は鳥取始発ですから、首都圏から石見地方に向う旅客を
除けば、本来はそれほど乗継需要は大きくないと想像しますが「惜別期間中」は
出雲市まで来た序でに、小郡まで乗り通そう、という向きも少なからずあるかも
知れませんね。私の場合、十数年前に乗り合わせた下り「南紀」が少し遅延して、
本来は紀伊勝浦でも乗換え可能な「くろしお」に新宮接続で先を譲った事があり、
貴重な80系気動車を終点まで乗り通すという、ささやかな夢は断たれたのでした。

仕事上、世界がどう転んでも「出雲」への惜別乗車は無理そうなので、テイチク
運転室ビデオ「山陰本線 4/鳥取→松江」「山陰本線 5/松江→益田」の映像を
同線としては画期的な高速運転(再生)で楽しんでおります(^^)天候も良好で、
車窓好きの方には御薦めの一品です。

どちらも2001年夏「スーパーくにびき 3号」の映像ですが、西出雲駅(一部便が
折り返す電化の終点ですが、意外や無人駅なのですね)の先に広がる車両基地を
良く見ると、最も日本海側の側線にはDD51らしきに繋がれた、四両編成の14系
座席車が留置されており、用途が気になりますね(現在は留置は無いと聞きます)

途中、車両基地を跨ぐ陸橋がありますが、下り便が出雲市に到着した後の回送を
狙っての三脚組が多数出没しているかも知れませんね。この時期ですと、上りの
回送も何とか撮れるでしょうか。


投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 3月 7日(火)23時29分19秒
タイトル 想定外の追い越し
さくらで東上中蒲郡だったかな。
側線にブルトレの姿が(^^;あれって思っていたけど
東京駅で写真撮っていたチビッ子に聞いたらはやぶさが着いていないらしい。
後日聞いた話では機関車が故障して立ち往生。
新幹線の無い時代なら臨時停車してはやぶさのお客を拾っていただろうな(^^)
HO24系客車が某社より発売。
一杯飲みながら車両を眺めるのもよいのですが。
安房殿線路貸してね(^^)/☆☆


投稿者 雑魚
投稿日 3月 8日(水)14時29分26秒
タイトル BT 学園
> 新幹線の無い時代なら臨時停車してはやぶさのお客を拾っていただろうな(^^)

乗車率によっては、東海道線では掟破りの「立席区間扱い」として、一部就寝者が
起床せざるを得ないとか。あるいは、空き寝台の確保を巡って「仁義無き戦い」に
なりかねませんね。副題として「バトル・ロイヤル【A寝台鎮魂歌】」とか(^_^)
(すみません、両映画とも、監督が出身高校の大先輩に当たる方でして………)

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寝台特急といえば、高校野球漫画の名作「ドカベン」で、ブルトレ乗務員の養成を
第一義とする静岡県代表の「BT学園」なる学校が明訓高校と対戦していましたね。
夜間勤務柄、夜目に長じた戦法(^^)で色々撹乱するも窮地に陥った「隼」投手に、
監督曰く「午後○時、地元だぞ!」そして隼投手は「そうだ、今頃『はやぶさ』は
地元・静岡駅を通過中だ!」と奮起して一球入魂……う〜ん(^^)ブルトレが未だ
花形列車扱いだった御時世ならではの発想ですが、地元に「停車」せず「通過」を
するだけで奮起するものですかね(^^)

同様に水島新司が描いた「あぶさん」の作中で、大阪から新幹線を乗り継ぎ新潟に
移動した主人公は、新潟駅で出迎えた知人から「新幹線とは贅沢な」と言われるも
北陸線特急より早着すると反論します。なかなか、鉄道への造詣が深いですね(^^)
しかし、昼行の直通特急が廃止された大阪−新潟は一方で「つるぎ」も廃止されて
久しく、今時の主要移動手段は航空なのでしょうかねぇ………

………急げ「出雲」よ、廃止まであと十日………(「宇宙戦艦ヤマト」風に)



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