>>ED12様
お尋ねの件、推測ですが…
電車の場合、出自が都市圏近距離輸送、もっといえば軌道から始まっており、
朝夕には今のようにラッシュもありました。
立ち客が大勢いる事を前提とし、夏場車内に風通しを良くしようとすると、
上下段分けて開閉できるようにすると立ち客にも風が行き、
着席客の髪や帽子(他 被り物)へ迷惑をかけないようにすることが出来ました。
一方客車は長距離輸送が前提であり基本的には座席定員程度の乗車とし、
立ち客ぎっしり…はイレギュラーであるとみなされたのではないでしょうか?
また、当時は電化区間は極僅か、内燃動力は研究が緒についたばかりの頃、
列車の動力としてはSLのみと言っても過言ではありません。
いくら盛夏の酷暑の頃と雖も窓全開では煤煙の浸入の恐れもあります。
もっとも客車の窓も鉄道黎明期の頃は下降窓だった由。
しかし隙間に雨水が溜まり車体腐食の元凶となるので、大正期には上昇式になったとのことです。 |