倶楽部メモ(310)
平成18年 2月27日〜 3月 4日


投稿者 なかむら
投稿日 2月27日(月)21時56分46秒
タイトル Re:国鉄客車開発記
青列車様、クモイ103様、スイロフ様、丁寧なコメントいただきましてありがとうございます。
結論としては、CGでの画像処理の際にぶどう色->青色と間違った修正がなされた可能性が高いということですね。

他のカラー写真でも、コメントいただいているように茶色が明るいぶどう色2号のように見えたり
(実際のぶどう色1号がどのような色か見たことはないのですが)、
帯の色が薄緑に見えたりということも気にはなってはいましたが、
これらはカラー写真の褪色や印刷時の変色などの影響かと思っていました。
ただまさか茶色を青く見間違って印刷されるようなチョンボ(?)がありえるとは思ってもいませんでした。
古いカラー写真の色は、ピクトリアル誌といえども、あまり無条件で信じてはいけないという教訓にすべき事柄なのですね。
実際どうなのか、できたらピクトリアル編集部に確認してみたいところです。

また何かありましたら書き込みさせていただきたいと思いますので、その際にはよろしくお願いします。



投稿者 うめ さん
投稿日 3月 1日(水)20時48分5秒
タイトル 列車好きの少年でした
先日も投稿しましたが 今回は列車ではなく 私の体験話をと思います
昭和47年、48年、49年の話ですが とにかく電車に乗ることが大好きで 
高校生の時に 日本食堂でアルバイトをしていました。
広島だったので 受け持ち列車は なは(大阪〜西鹿児島)つばめ(岡山〜熊本、電車寝台になるやつ)で
どのコースも 2泊3日の行程でしたが なは では長かったですね 早朝に西鹿児島を出て夜遅くに大阪到着でした
車内販売と食堂車でのアルバイトでしたね その食堂車もほとんどなくなり 旅の楽しみの一つが減りました 
食堂車を復活させて欲しいですね。
その後もよく食堂車を利用しましたよ 座れない時などは 初めから食堂車に乗り込んでおりました


投稿者 うめ さん
投稿日 3月 2日(木)01時11分45秒
タイトル 追伸
3月26日の はやぶさ に乗り東京へ出かけますよ 
何十年ぶりの夜行(それも寝台列車)子供達がどうしても 寝台列車がいいとのことですが 
実は私もいまからワクワクしておりますよ。
昭和51年にも 同じ はやぶさ で東京に行きましたが、、、
こんど 写真を投稿しますよ


投稿者 雑魚
投稿日 3月 2日(木)14時06分3秒
タイトル
> 食堂車を復活させて欲しいですね。その後もよく食堂車を利用しましたよ。

新幹線や寝台特急のほか「ひたち」「とき」「白山」「おおとり」などの在来線
昼行特急において、利用した事があります。側面の窓割が、客室のそれと比べて
高い位置に並ぶ様子は、ある意味で長大編成における格好のアクセントでしたね。
また「信州」でしたか、急行ながらソバを扱うビュッフェの類もありましたっけ。

1972年の北陸隧道での「きたぐに」火災事故も、食堂車からの出火が原因でした。
旧式の石炭レンジを使用した事が一因とされていますが、当時のメニュー構成は
どの様な内容だったのでしょうね。

寝台特急の食堂車で最も印象的なのは、深夜、ウェイトレスが着の身着のままで
客席に突っ伏して仮眠を取っていた事ですね(^^)また「北斗星」デビュー当時
予約無しで食堂車の利用を打診したところ「パブタイム」に案内されたのですが、
た、単価が………(青函連絡船の「海峡ラーメン」が懐かしい)

> 座れない時などは 初めから食堂車に乗り込んでおりました

東海道・山陽新幹線では、2000年に食堂車の営業が廃止されていますが、90年代、
ビジネスマンの利用が多い、東京を夕方に発つ「ひかり」では、入線する前から
恐らくは指定席券を持たない利用者が、食堂車狙いで長蛇の列を成していました。
当時、一部列車のレシートには利用列車名と日時が印刷され、貴重な収集対象に
なったものです。

日韓共催W杯の影響で、既に撤去されたと思いますが、東北線利府駅の構内には
永らく 485系組み込み用のサシが留置されていましたね。また、茨城県鹿嶋市の
鰐川の河畔には、同様のサシを転用した食堂があります。

投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 3月 2日(木)17時44分55秒
タイトル 楽しかった食堂車
やっぱり富士山を見ながらの朝洋定食がよかったですね。
電車なら雷鳥とかにも食堂車があって485系581系での体験があります。
貧乏学生だったのでカレーライスかミートソースしか食べなかったけど(^^;
傑作なのは友人が北海道から北斗星で帰京。
上野に出迎えに行くと行ったのですが私も乗りたくなり札幌へ。
携帯も普及していないのに友人と合流できたのか?
パブタイムに食堂車に行ったら見慣れた顔がしっかりと(^^)
まだまだあるけどこの辺で・・・



投稿者 クモイ103
投稿日 3月 2日(木)19時56分26秒
タイトル 北陸隧道火災の原因は
 食堂車に関する思い、私も語り出したらどこまで…という感じですが、
ここはあえて抑えまして、一点ご指摘だけさせていただきます。

 雑魚様が、
> 1972年の北陸隧道での「きたぐに」火災事故も、食堂車からの出火が原因でした。
> 旧式の石炭レンジを使用した事が一因とされていますが、
…と書かれていますが、
「旧式の石炭レンジを使用した事が一因」というのは、きわめて誤解を招きやすい表現ではないでしょうか。

 この時の出火原因は、事故後の調査によって、喫煙室付近の電気暖房配線からの漏電だった可能性が指摘されています。
喫煙室付近が最もひどく焼けていた…という事実からも、
喫煙室とは全く反対側に位置する石炭レンジがやり玉に挙がるのは不自然です。
石炭レンジによって延焼がひどくなった…との見方もあるようですが、
延焼については、むしろ車両全体が難燃構造になっていなかった事の方が問題視され、
その後の鉄道車両の設計基準に大きく反映されることとなったのは、周知の事実です。

 石炭レンジが火災原因…という根も葉もない風評のため、当時の関係者がどれだけ辛酸をなめたか、
想像するに余りあります。
さらに、食堂車そのものに対する一部の批判的な空気によって、
当時運用離脱して保留中だった完全電化のオシ16形式までも、とんだとばっちりで復活の道を絶たれた…
との話も耳にしたことがあります。
 事故からすでに三十有余年、事故に関する世人の記憶も薄れている今、
またぞろ誤解の助長が懸念されるような書き込みに接しましたので、矢も楯もたまらずレスさせていただきました。

 最初にも書きました通り、食堂車に格別の思い入れがあるのは、私も雑魚様はじめ皆様も同じと思っています。
雑魚様の思い自体にケチをつけるものでは決してありませんので、乱筆平にご容赦下さい。
 なお、食堂車のメニューについては、もっと古い昭和30年代の話ですが、
倶楽部メモ(107)にある平成13年9月 8日(土)20時32分34秒の私の書き込みをご参照下さい。



投稿者 青列車
投稿日 3月 2日(木)20時59分1秒
タイトル 「きたぐに」火災事故に関して
お邪魔しますm(_ _)m
クモイ103様ご指摘の急行「きたぐに」北陸トンネル火災事故、本邦鉄道史に於いても最も悲しい事故の一つでしたね。
当時小学6年生でしたが、ニュース報道に衝撃を覚えたものです。
さて、この事故に関して巷間云われる事に、「昭和3年製の旧式車輌」という記載が数多の文献に散見されます。
「事故の鉄道史」や「何故起こる鉄道事故」など、斯界の権威にあられる方々の著作にさえその表記はありました。
しかし、オシ17がどのようなクルマか?少なくともココに集う諸賢には、今更私如きが御託をほざくまでもありますまい。
もしオシ17があくまで昭和3年製とされるなら、スロ62は大正生まれ?
昭和一桁の食堂車と大正生まれのグリーン車が昭和47年行路1000キロを越える長距離急行列車に現役で使われていた…
と言う事になってしまいますね…
其処まで突っ込んだ報道は当時なされていなかったように思います
(もっとも事故当日のロザがスロ62だったのかスロ54だったのかは生憎特定できる資料は持ち合わせていません。
ただ、両形式が実質共通運用であったはずです)。
列車食堂、特に揺れる車内の狭い厨房で調理し美味しいものを提供するのは素人が考えても並大抵の事ではなく、
運営にはコストがかかるのは理解できます。
しかし、自動車や航空機ではまずできない、列車(船舶なら可能ですが)ならではのゆとりを利用した食堂車サービス、
もっと充実して欲しいと思う気持ちは贅沢でしょうか?
何も食前のワインはシャトー○○のX年もので、コーンポタージュスープと季節の野菜のサラダに始まり、
メインディッシュに子牛の肉の厚切りを網焼きしてソイソース一垂らし、
デザートにはオレンジ味のアイスクリームにチョコウエハース付き…なんてリクエストは致しません(爆)
(カシオペア・北斗星・トワイライトならそれでも良い)
懐石料理のフルコースなどとも申しません。
メニュー構成は簡素でもいいのです。あんまり高いものは財布が許してくれませんので…(泣)
流れる景色を愛でながら、クロスのかかったテーブルについて、
陶器の食器に入った、調理された食事を楽しみたい…今となっては見果てぬ夢…なのでしょうか?


投稿者 ゆうづる14号時代
投稿日 3月 3日(金)07時17分52秒
タイトル 出雲号の廃止に断固反対
寝台特急「出雲」号を長年愛用してきた東京の者です。

昨年の「さくら」「あさかぜ」「彗星」各列車廃止に引き続き、
ブルートレイン出雲が、間もなく運行終了すると聞き、
たいへん残念に思っております。

鳥取県、兵庫県・島根県の各県知事様、および国土交通省宛に、
出雲号廃止撤回の趣意を書面にて送信したものの、個人の力ではもはや、
どうすることも出来ません。

 JR西日本は、本来であれば、トワイライトエクスプレスのように食堂車や2人用の個室も備えたブルートレインを、
山陰本線にも投入していれば良かったのにと思えてなりません。
そうすれば、北海道方面には叶わないにせよ、島根県方面への観光客も増えていたはずです。

出雲号の客車を管理しているJR東日本宛にも、私は提案をさせて頂きましたが、
同社のカシオペア号用E26系を増備して、 出雲号の客車を新車に置き換え、
カシオペア号と出雲号を共通運用にしては如何かと思っておりました。
E26系客車は12両編成であるため、多客期の出雲号と同じ編成長になります。
 山陰本線内での有効長に大きな問題は無いかと思います。

 私も良く利用していますが、JR西日本の、サンライズ出雲号285系の「二人部屋」
サンライズツインは常時満室の状態であり、これは、まだまだ山陰地方に観光の需要がある証拠であると思うのです。

ゆえに、E26系を是非とも出雲号に投入、
もちろん強気に、JR西日本に対抗するためにもオールA個室2人用プラス2階建て食堂車の編成で、
東京からの直通運転で運行を続けることが理想です。
もちろん、カシオペア号と同様に隔日運転の臨時列車でも構いません。

 出雲号の運転存続は、山陰地方全域の観光需要に命運をかける、
非常に重要なことと思っております。
 私の願い(出雲の廃止撤回)が少しでもお役に立てれば幸いです。


投稿者 雑魚
投稿日 3月 3日(金)08時54分7秒
タイトル レス 諸々
> きわめて誤解を招きやすい表現ではないでしょうか。(クモイ 103様)

記述の根拠は、1984年に刊行された「国鉄の車両」シリーズの解説にて、以下の
事項が惨事の直接原因として挙げられていた事によります。

○ 防災対策が不十分な長大隧道
○ 石炭レンジを使用した旧型食堂車
○ 避難誘導に対する的確な指示の欠落
○ 隧道内で災害が発生した場合の運転取扱の不備

「ウィキペディア」における「オシ17形のみ、特別な危険性を有している訳では
ない」との記述にも鑑み、私の言い回しが正確さを欠く様であれば、編集機能で
訂正したい処ですが、当該掲示板ではそれが効かない為、御指摘のパラグラフは
読み飛ばして頂きます様。

> もっと充実して欲しいと思う気持ちは贅沢でしょうか?(青列車様)

食堂車が衰退した背景の一つに、航空便との整合性において、優等列車を使った
平均移動距離の低下、ひいては長距離運転そのものの体制縮小もあると感じます。
一時期、食堂車を改造した「だんらん」の連結で話題を呼んだ「雷鳥」にしても、
新潟直通枠は無くなっている訳ですしね。

> 山陰地方全域の観光需要(ゆうづる14号時代様)

「サンライズ」の存在を考慮すると、今回の廃止の影響は鳥取および倉吉という
鳥取県東半部に限定されたものと感じます。一方、この十数年間に二、三度ほど
実際に「出雲」を利用した際の印象から考えると、航空便との整合性にも鑑みて、
今回の廃止は必然的な帰趨かと感じます。

対北海道の夜行便が「北斗星」「カシオペア」「エルム」「トワイライト〜」と
健在であるのは、観光地としての北海道の評価が突出している事、そして札幌が
人口 200万人近い大都市である事のゆえでしょう(函館の30万人ですら、鳥取の
20万人を大きく上回っています)この二点だけを見ても「出雲」の沿線地勢とは
かなり状況が異なっている様に感じます。


投稿者 DD511179
投稿日 3月 3日(金)10時39分27秒
タイトル 出雲廃止
はじめまして! この掲示板はよく読ませていただいてます。
出雲の廃止について私なりに考えていることは、車内設備についてあまりにも旧態依然としたものを使いすぎた
(放置しすぎた)代償ではないかと思うのです。
したがって乗客のニーズに応えられず、今日のような状況に至っているのではないかと思います。
出雲2、3号が3段寝台を連結し格安で販売していたときはその車両から切符がはけてしまっていたようですし、
サンライズへ発展していったように要は商品の開発力が東日本さんには足りなかったのでは
(出雲に限らず西日本に向かう列車に言える事?)と思います。
  カシオペアのように全室A個室なんていりません。
あかつきのようなバリエーションのある、お客様が寝台を自由に選択できるような列車に育て上げていれば
もっと違った状況になっていたかもしれません。
サンライズは部屋によっては切符の取りにくい列車であり、それは多少なりお客様にお断りしているということであり、
出雲廃止によりリレー号が鳥取〜上郡に運転されればさらに乗りにくい列車になってしまいかねません。


投稿者 雑魚
投稿日 3月 3日(金)16時49分26秒
タイトル 樽見鉄道の場合
本日になるまで気が付かなかったのですが、樽見鉄道では明日限りで、ラッシュ
対策用として毎朝、大垣−本巣に一往復設定(休校日はレールバス)されていた
14系客レを廃止するのですね。という事は、薄墨桜の開花時期に運転されていた
トロッコ型の展望客車も廃止されるという事でしょうか。

予てより、塗装の色褪せなど、外観上の疲弊が目立っており、今月末の貨物列車
廃止を受け、運行管理を集約する意味から廃止に至ったものと推察します。既に
JR東日本では淘汰された車両だけに、少し残念な気もしますが、検索画像から
老朽振りを窺うに、これも止む無しという感じです。週末となる明日は、揖斐川
橋梁前後などでは三脚組で溢れる事でしょうね。

空時の燃料輸送という有力収入源が廃止された鹿島鉄道が昨今、廃止を表明して
いますが、岐阜を志向する旅客需要には必ずしも合致しない線形において、主要
株主であるセメント会社の貨物輸送の廃止は、末端に山間区間を抱える同鉄道の
趨勢にどの様に影響するのか、色々と余計な心配をしてしまいます。


投稿者 クモイ103
投稿日 3月 3日(金)20時33分47秒
タイトル Re:レス 諸々
>雑魚様
 刊行物の記述から引用されたとは知らず、失礼いたしました。
本を含めて、各種のメディアというのは、恐ろしい両刃の剣ですね。
NHKの「プロジェクトX」でもそんな「困った記述」がありましたし…(ー ー;)
 事故から三十有余年、と書きましたが、まだたったの三十余年。
事故そのものだけでなくその後の経緯についても、
本当に突っ込もうとすれば何かと差し障りが出て来るやも知れませんので、これくらいにしておきます(笑)。


投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 3月 4日(土)19時37分32秒
タイトル 余計を致します・・・
管理人様、皆様、寒暖の差が激しい候如何お過ごしでしょうか?
 さて、スハシ44スケッチの際に掻き集めた「北陸トンネル501列車火災」の資料がありましたので、また余計を致します。
◎昭和47年11月5日22時10分、大阪駅を出発した青森行下り急行第501列車「きたぐに」
(敦賀第二機関区EF7062機牽引・10系及び40系客車15両/
旅客約760及び乗務員13・日食乗務員8・郵政省職員9名=乗員30名)は、
11月6日01時02分北陸本線敦賀駅に停車、客扱と荷扱を行った後01時06分定刻に出発、
敦賀・南今庄間(複線交流電化)北陸トンネル(延長13km870m・昭和37年完成)に突入し、
11.5‰の上り勾配を時速60キロで力行運転していた。
 01時09分頃、11両目食堂車(オシ172107号)電気暖房装置が短絡して発火、
その発煙を日食乗務員が発見し南口から5km325m地点に01時13分頃緊急停車させ、
添乗の公安官や日食職員らと共に消火を試みるが火勢強く断念、
食堂車と後部のスハ432487を切り離し60mの間隔を開け、次に食堂車とナハ102106を切り離す作業中に架線が火炎で溶解し停電、
軽量構造でプラスチックや合板を多用していた食堂車は有毒ガスを発し乍ら延焼し、
煙りに巻かれるなどして指導機関士1名が殉職・旅客29名が死亡、旅客乗員の他消防隊員等714名が負傷した。
△ 事故直後に金沢発大阪行上り急行第508M「立山4号」(457系電車12両)が通過する予定だったが、
木ノ芽信号場で停止信号を受けて01時31分停止、金鉄指令は救援運転の指示をしトンネル北口300m程まで進入、
旅客等約400名を508Mに避難させ、今庄まで逆行し救助している。
 社会的問題にもなった北陸トンネル事故では、軽量客車の構造と検査体制に問題があったにも関わらず、
国鉄は急行列車の食堂車全廃と言う八つ当たり的措置を取り、
また釧路鉄道管理局管内狩勝実験線や盛岡鉄道管理局管内宮古線(現・三陸鉄道北リアス線)猿峠トンネル(延長2870m)
で車両燃焼実験などを行い、長大トンネルでの列車火災対策充実を計った。
 トンネル内火災での非常停車弁使用が禁止されたのはこの対策の一つ。
△ 実は、昭和44年12月6日にも北陸トンネルでは寝台特急第2002列車「日本海」が同様火災を起こしており、
この時は乗務員が規程を無視してトンネル脱出まで走行させて難を逃れ、この時は死傷者無しとしていた。
当局は規程違反として乗務員を処分しようとしたが、この措置の正当性が認められて処分は撤回されている。
 上の者の極端な保身思考が勝手に生み出す「安全神話」が判断を歪めて貴重な警鐘を見過ごす、典型的事例である。
・・・で、原因は学術経験者等会議で「喫煙室長手椅子下電気暖房装置の短絡・過熱による発火」と結論され、
消防所見の「食堂車喫煙室を火元とし、煙草の火の不始末或は電気暖房の過熱による発火」と重なるもので、レンジは無関係です。
 但し、新建材多用による有毒ガス発生が問題視されて10系列客車自体が「危ないもの」とされた形跡は
当時の衆議院運輸委員会議事録にも記載があったらしい(引用の転用なので・・・)です。
 石炭レンジ・・・だったんですかねぇ?
 図面関係には「電気レンジ」としか無いので、すっかり「電化」されたと思っていたのですが・・・
 ちなみに急行食堂車の廃止は当時急増した「夜行列車需要」にもあり、
食堂車を普通車自由席に差し換えた例が多いのは「客収増加」と「国鉄への批難をかわす」事も大きく影響したと推察しております。
 それと、食堂車の複雑な営業委託システムにも問題があり、営業権委託と貸借営業の違いがスハシ計画当時は出てました。
 何れにせよ「北陸501列車事件」が食堂車衰退を速めた事は疑い無い様です。
 蛇足ですが、E26系客車は不作としか評価できません。(ゆうづる14号様大変失礼!御容赦を!)
 重量が有り軌道破壊が大きく、また車体断面が大きいもので使用制限がかなり掛かっており、
更にJR東日本が「儲かる」ものではありません。
 北斗星・カシオペア系統の収入は旅行会社のツアーが大半以上で、当然割引されます。
但し「安定的」な収入が得られる事から大きく「枠取」をさせています。
 そのツアー企画多様化の一環として作られたものの、
当初ハネ設計だったものを「増収」のスケベ心が起きた営業系からの要請でロネとなったもので、
居住空間の取りは国際的には全く評価されない劣悪なものとなり、この反省から「1本限り」として作られたものです。
 当初ラフでは「スロネ26100」と言う「和室A寝台車」や、「マハシ」とか仮称された「和風喫茶併設ラウンジ車」もあって、
完全AB個室列車(ダブルデッカーはハネ部分だった)の夢は淡くも消えた春の朝雪でございました・・・
 出雲の存続にE26は不向き、
しかし時間帯調整と受け入れる地元観光地との連係によるツアーパック固定組入が出来れば、
九客寝特と違い「輸送都合上支障」では無いのですから、活路はあった、と思えるのですが・・・
雑魚様の仰る「人口」も大きな要素ではございましょうし、
むしろDD511179様の様な指向は出雲に限らず重要な視点と同意致します。
 長文失礼致しました。
投稿者のホームページ


投稿者 てりてり
投稿日 3月 4日(土)21時02分23秒
タイトル そう言えばですが
 失礼致します。北陸トンネル列車火災事故に関しては、私の記憶には無いのですが、
文献を読んでおりますと本当に痛ましい列車事故であったと聞き及んでおります。
 先日の韓国テグ市に於ける地下鉄火災はこの事故といくらか似ていると感じました。
と申しますのも、直接の原因は自殺志願者の暴走行為ですが、
新建材(と書いても差し支えないでしょか?)の炎上が被害を大きくしたようです。
またこの事件は、過去日本で発生した1951年の桜木町事件(乗客が脱出できず閉じ込められる)、
1962年の三河島事件(対向列車を停車させず二次被害が大きくなる)も思い起こさせました。
 岩崎安房守義将 様の書き込みを拝読させていただき
スハシ44を作る際にこの様なことまでお調べになられたのかと深く敬服いたしました。
そう言えば、オリエント急行の来日にも食堂車の石炭レンジや各車両の暖房機について遣り取りがあったと聞き及んでおります。
『墓標の上の安全』と言う言葉があるようです。
また、鉄道の旅客死亡率は航空機の104分の1・自動車の544分の1と言われておりました。
しかし昨年の事故はこれを否定する様な形になりました。
また、競合している日航の会社騒動の一因にも乗務員のミス
(一説には新幹線との競争に打ち勝つために、現場は可也の無理を強いられている様です)が挙げられ、
競争社会が起こす歪みを考えさせられます。
 あまり良い話題ではないことをお詫びいたします。
寒暖の差が激しい日が続きます。皆様体にご自愛下さい。それでは。



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