倶楽部メモ(287)
平成17年 9月 2日〜 9月 5日


投稿者 太田拓也
投稿日 9月 2日(金)13時58分15秒
タイトル スハ44に思うこと
1.まだ物資の不足していた戦後の混乱期になぜ必要数以上に製造したのか。
(「つばめ」「はと」運用数の倍以上、「さくら」「かもめ」での運用を計算しても余った)

2.特急運用がなくなってからは方向転換できるように改造されたようだが、
狭いシートピッチで向かい合わせにしても大丈夫だったのか?
(スハ44より広い京急2100形は向かい合わせに出来ない半固定)

>冷房の電源
マロネ40は後からディーゼルエンジンがつけられたようです。
それにしてもオシ17はそのエンジンでキッチンを電化しようとは
考えなかったのでしょうか。



投稿者 太田拓也
投稿日 9月 2日(金)14時11分42秒
タイトル 旧客の冷房
ところで冷房化された旧客って天井はどうなっているのでしょうか?

イベント用に旧客のレプリカを作るプランを妄想しているのですが、
冷房の吹出し口が旧客の再現性を壊しそうで悩んでいます。
冷房があれば一般波動用として稼働率が稼げ、実現の可能性も出てくるのですが。

ちなみに非冷案の場合、カシ36を連結する予定。
(ディーゼルエンジンでキッチンと冷房に給電)


投稿者 吊り掛け丼
投稿日 9月 2日(金)17時02分12秒
タイトル EF5841様へ質問です。
はじめまして。吊り掛け丼ともうします。
私も缶スプレーから塗料を取り出すことを考えた事がありますが、新品の缶でも可能でしょうか?
残留ガスに引火しないかと思い、勇気が出ません(小心者です)。
具体的に、ガスの抜き方と缶の開け方をお教え願えないでしょうか?
その際の道具も含め、ご教授頂けると幸いです。
子供の頃、ゴミ焼きの際(今じゃやらないよな)たまたま混ざってしまった使いかけの缶スプレーが爆発して以来
(良い子は真似しないでね)、缶に先の尖った物など恐くて向ける事すら出来ない私です。
でも、缶スプレーにしか無い色って有りますよねぇ!


投稿者 青列車
投稿日 9月 3日(土)02時01分38秒
タイトル スハ44系等
太田様のご質問に私の知ってる範囲の事でお返事させていただきます。
スハ44系の座席ピッチは835ミリ、151系以降の910ミリよりは確かに狭いですが、
向かい合わせた場合実用上困るほどではありません。
口で説明するより、現車が残っていますので是非実際に体験される事をお奨めします
>トラストトレインでスハフ43が生きていますので。

オシ17の場合、おそらく発電機は冷房装置を賄うだけで精一杯、厨房を完全電化できる容量はなかったものと思われます。
計画当初屋根にパンタグラフ乗っけて架線給電も検討されたそうですが、実現しませんでした
(当時電化区間が短く他線区への運用を考えると非現実的です)。
カシ36の電気コンロが電源の問題もあって極めて不調に終わった事や
当時まだ食堂車の調理人の世界に戦前からの徒弟制度が残っていて、
石炭コンロの維持管理は若手の仕事だった要素も影響したものと思われます。
尚、冷房化された旧型客車は大概平天井になっています。
オロ11、スロ62、スロ54など、低屋根改造されたものは当然ですが、スロ54でも26や29、マシ35なども天井は平天井です。
冷房車にもかかわらず平天井でないものとしては、マロネ40、41、マロネフ59などがあります。
何故平天井でないのか?言うまでも無く寝台車ですので平天井にはできません。

投稿者 にんにくたあ
投稿日 9月 3日(土)07時02分3秒
タイトル イモンに行ってみます
吊り掛け丼様 丁寧なご返答ありがとうございます
さすが東京 塗料も全メーカーの物がそろうのですね 
イモンはHPで見ていつも気になっていました 出かけてみたいと思います 
マッハのスチール缶の塗料にも久しぶりに対面したいです
それからEF5841様のおっしゃるスプレー缶の話、わかるような気がします
実は私、キット組立はHOのペーパーキットしか体験がありません 
そのときもスプレーを使うと、細かなしぶきがついてしまったことがありました 
これがスケールの小さなNではなおのこと目立つのでしょうね 勉強になりました



投稿者 クモイ103
投稿日 9月 3日(土)11時19分10秒
タイトル マロネ40の冷房電源
>太田拓也様
 まぎらわしいところですが、後年にディーゼル発電式に改造されたのは、マロネ40の弟分のマロネ41です。
マロネ40は最後まで、昔ながらの直接駆動によるKM式空気調和装置で頑張っていました。
最末期の写真でも、床下にKM式特有の凝縮器がしっかり写っていますし、
また、過去にここでも話題になった「主要客車列車編成順序表」からも、そのことは読みとれます。
 直接駆動式の場合、列車の走行エネルギーの一部を冷房用に回すわけですから、
その分は客車の走行抵抗となって機関車に負担がかかります。
そこで、列車編成を組む際の重要な指標である客車の換算両数を、冷房使用時期だけ「+0.5」していました。
つまり、客車の重量記号1段階分だけ重いものとして計算していたわけです。
 昭和43年10月改正時の「主要客車列車編成順序表」で、[銀河1−1号]の編成を見ると、
2号車マロネ40のところだけ「○冷」マークがつき、編成全体の現車14両、換算55.0両
という記載の下には「○冷」55.5という注記があります。
となりの3号車マロネ41には特記はなく、すでにディーゼル化されていることを示しています。
マロネ40が引退したのはそれからわずか2年後の45−10改正ですから、
この事からも、最後まで直接駆動式だったことがうかがえます。

 今では鉄道車両のデフォルトとなった冷房装置ですが、
技術的な発達の過程では、多くの関係者の苦労や試行錯誤がありました。
この掲示板をご覧の方で、そのへんに興味をお持ちの方がおられましたら、
本HPのリンク先「客車空気調和装置資料室」へのご訪問をお勧めします。


投稿者 にんにくたあ
投稿日 9月 3日(土)19時29分54秒
タイトル 直接駆動の冷房装置とは
オシ17が石炭レンジだったわけは、青列車様のおっしゃるように当時まだ電気レンジは開発段階で、
電気レンジを採用した場合の電力消費量が莫大だったことも、採用見送りの理由だったと思います
マロネ40には大変興味があります 
昭和45年引退(最後までぶどう色2号のA寝台表示の名車)と言うことですが、
あと数年生き延びてくれたら、乗車できたかなあと思っています 
どなたか乗車経験のおありのかた、ぜひレポートをお聞かせ願いたいです
ところでクモイ103様への幼稚な質問ですが、直接駆動の冷房式というのは、自転車のライトと同じで、
長時間停車していると、エアコンが効かなくなる?と言うことでしょうか
確か戦前の特急の食堂車も直接駆動式だったと聞きます
エアコンのききはどのぐらいだったのでしょうか


投稿者 太田拓也
投稿日 9月 4日(日)06時43分20秒
タイトル (無題)
クモイ103さん>
ご指摘ありがとうございます。こっちが資料不足なもので。
それにしてもマロネ40と41って同じ需要から生まれた兄弟分なのに
技術的に過渡期だけあってかなり違いますね。
鉄ピクの20系特集によると、ナシ20は確かに電源以外の
苦労があったようです。(石炭コンロと徒弟制度の記述もある)

冷房化されたスロは屋根ごと交換されているようですね。
見た目はトワイライトの食堂車より新しい・・・
投稿者のホームページ


投稿者 クモイ103
投稿日 9月 4日(日)20時52分45秒
タイトル Re:直接駆動の冷房装置とは
>にんにくたあ様
 ご指摘の通り、走っていないとエネルギーが得られないのが直接駆動式の弱点です。
「自転車のライト」とは言い得て妙ですね。
 同じ車軸の回転力を頼りにしていても、車軸発電機を用いるマイネ41などでは、
大型の蓄電池を備えて電気を溜めておくことで、停車中でも冷房できたはずです。
 直接駆動式では、戦後の一時期、一旦水を冷やしておいて、その水で室内の空気を冷やすという工夫もなされたようです。
水は、熱容量が大きい=熱しにくく冷めにくい物質の代表格ですから(高校の化学で習ったような?)、
多少の停車時間なら平気だったのでしょう。
 ただ、そのへんの細かな技術の変遷については、私もまだ理解が足りません。
過去の鉄道ピクトリアルにはいくつか関連の記事があり、
最近では、2004年5月号(特集・寝台列車)の中村光司氏の記事が詳しいです。
その中村氏(HN「門タケ」氏)のHP「客車空気調和装置資料室」には、自由闊達(笑)な掲示板もありますので、
深入りの覚悟(?)があれば、どうぞ門を叩いてみて下さい。私も出入りしてます。

# 門タケ室長殿、ここ見てますか?


投稿者 クモイ103
投稿日 9月 4日(日)21時08分56秒
タイトル 冷房化されたスロ
>太田拓也 様
 いきなりまくしたてて、すみませんでした。
 ロザの冷房化が本格的に行われた時期には、すでに電車・気動車が幅を利かせていましたので、
サロやキロと共通の技術が、スロにも用いられたのでしょうね。
トワイライトの食堂車は…そーか、キノコクーラーのやつが居たんですね(^^;。


投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 9月 4日(日)21時38分11秒
タイトル オリエント急行
日本を走りに来て早20年近く。
食堂車はたしか石炭レンジだったけど法律で禁止されていたはず。
どのように対応していたのでしょう?
空調の問題もありますけどそれを気にする時期ではなかったような。
それにしても経済的理由で乗れなかった。
今考えると借金してでも乗るべきだったかな。結局見ただけ。f(^^;


投稿者 青列車
投稿日 9月 5日(月)00時56分25秒
タイトル 【オリエント急行】省特認では?
お邪魔しますm(_ _)m
>>下総守こみやさん(^^)さま
お尋ねの件ですが、確か運輸省(現国土交通省)の特認が出たはずです(友人からの伝聞推定で恐縮ですが)。
何しろ食堂車の厨房はおろか、各車の暖房設備すら、そのままでは国内の規格に外れてしまいますから
本来なら本線上を客扱いの上走るなどもってのほかですが、一過性の運転である事、
一般営業ではなく団体専用扱いでドアに保安要員をつけるなど対応して特認を得たのではないでしょうか?
時あたかもバブルの華やかなりし頃、成金諸氏が「お金の捨て場に困っていた」時代だったからこそできた荒技でしょう
(当時も今もお金の捨て場どころか赤貧洗うが如しの底辺暮らしの私は一体?)(爆)。
少なくとも鉄道ファンや鉄道の関係者にはまず浮かばない発想ですね
(ゲージが違う!連結器も違う!どないして直通させんねんな?)(^^);
直接の立案は民放テレビ局だったと思いますが、
実現に際しては当時JR東日本の要職にあられた山之内秀一郎氏のご尽力があったと聞いております。
氏なら欧州の鉄道事情にも明るく、彼我の車輌限界・建築限界の違いや許容範囲などにも
造詣が深くておられたでしょうから、
実現にあたっての可能性は冷静に判断できたものと思われます。
当時のテレビ番組で、実際の事前準備の工事風景が紹介されていましたが、
軌「木匡」ごとずらして限界を調整していたのには驚きました。
そういえば、瀬戸大橋を渡る列車を、ヘリコプターで併走しながら撮影したシーンがありましたが、
客車ではなく先頭に立つEF65PFがアップになっていて、
「おいおい、どっちが主役やねんな」とテレビに向かって突っ込みいれてしまいました(^^);

意外だったのは、EF58が単機で牽引した事例があったことで、まだ青かったEF58122と、EF5861が大任を果たしています。
オリエント急行の編成重量ってどのぐらいだったのでしょうか?フル編成では600トンを超えていそうです。
その昔、荷35レが、マニ車15両(単純計算で換算67.5両)になり、ゴッパ−単機では起動できないとのことで、
東海道区間では重連(前「宮」後「浜」)していました。
その昔の急行「なにわ」の客レ時代には、通客甲C速度で換算60両とありましたので、
600トン程度なら大丈夫とは思うのですが…?
実際はどうなのでしょうね?(^^);

今にして思えば、今生の思い出に借金してでも乗るべきだったか?
しかし、8万8千円ならボーナスつぎ込んででも乗ることは不可能ではなかったけれど、88万円!
マジで目の玉飛び出そうな金額でしたから、
貧乏な下層階級の住人に過ぎない私には逆立ちしても手も足も出ない遠い存在でした。
いつだったか、大阪駅に来るというので、当時西宮に住んでいた私は、
曽根崎町の旭屋書店7階にあった行きつけのマッハ模型の店主井川氏や常連諸氏とともに見に行ったことがあります。
そしたら駅のホームで「ご同業」とばったり(私は面識は無かった方ですが井川氏はご存知だった方)出会いました。
その方曰く…「ホームでフラッシュ焚く素人さんや初心者が多く、バルブ組は困ってる…」とのこと。
夜間撮影は皆さん苦労が多かったのは昔も今も同じです(^^);


投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 9月 5日(月)18時30分9秒
タイトル イントラWagon-Lits
 台風や地震が重なっておりますが、皆様はおかわりございませんでしょうか?
 下総守様御質問のイントラフラグ社(現在は破産)Wagon-Lits11両の日本運行については、
わずかですが資料が残っておりました。
 青列車様のおっしゃる通りなのですが、若干補完を・・・
 イントラのWagon-Litsは、シーコンWagon-Lits(ベニスシンプロンOE)と違い、
1920年代そのままの設備・設計で「再現」されたもので、
食堂車の他に各車両の暖房用ボイラーも石炭のものが搭載されていました。
 当時JR東日本副社長の山ノ内氏が鉄道側総括責任者だった事もあり、
JRの運転資格を持つ職員による防火監理及び巡回の強化と、運転中全区間での扉警要員の配備、消火器の増設、
海底トンネルや長大トンネルでの石炭ボイラー・レンジの消火、最高速度95キロ限定、団体専用臨時列車での運行、
仕業検査と臨時検査の周期圧縮、列車運転指揮者の日本人指定運用等で安全確保が出来ると諮問されて
運輸省が「特認」したものです。
 更に運転限定が入り、657トンになるWagon-Lits11両+マニ50+オニ23の13両の牽引定数から
「指定基幹線」の東海道本線・東北本線・常磐線等に運行が制限されました。
 で・・・日本国内運行で使われた経費は車両検査・工事費用と警備費が殆どで、純粋な運行経費は松戸市内で中古マンション
(松戸は千葉県内でも土地家屋の価格の低い場所です)ですら買えない程のものだったとか・・・
 D51498機の復活披露はこのWagon-Lits牽引でしたが、この経費は全額JR東日本の出資で、
実は思う程運行経費は掛かっていません。
 むしろ、CMや警備費が幅を利かせていたらしく、後述のお話が「幻」となる程ケチケチ運転だったのです。
 「日立オリエントエクスプレス88」と題されたこの企画のシンボルマーク、
実は「C623機」で、前年に打診があったらしく、流石に660トンをC623機が単機で山線牽引は不可能な為に、
長万部〜小樽間DD51機重連で「押し上げ」ると言うのでどうだろうか?と言う会話を聞いた覚えがございます。
 後に「C623機が長万部〜札幌運転所間単機で牽引定数60〜70って無理だよね、海線ならなぁ」と言う某氏のつぶやきに、
「石炭列車はもっと重いので室蘭線なら可能では?」なんて会話の直後、
オリエントエクスプレス日本運行の話題が出ましたから・・・
 当時、このナハフ23改造車の控車にはディーゼル発電機と蒸気ボイラーを積んで、
石炭レンジは使わないとの方針もあった様子ですが、結果として資材倉庫として使われた様です。
 ちなみに「指定基幹線」は原則として大陸型(満鉄?)大形機材の運転を考慮した整備がなされ、
国際寝台車会社による「東京オリエントエクスプレス」運転時には、Wagon-Lits直用も構想されていた様です。
 東京〜敦賀間「豪華列車」がその名残ですが、ジョルジュ・ナゲルマケールス死去とロシア革命で
「長崎・敦賀・小樽」の3ルートでの「国際急行列車」は全くの幻として消えたのであります。
 ちなみに東北・常磐では「通客C2B」で「爆走」した事に・・・なっております。
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投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 9月 5日(月)18時42分47秒
タイトル ごめんなさい・・・余談ですが・・・
 JRになって以降、扉が手動の在来型一般車による列車の運行にも多々「制限」が発生しましたが、
殊に2000メートル以上でのトンネル通過・夜行運行・JR以外が主催する団体専用臨時列車での使用・
扉警要員はJR職員が警備員のみとした全てを覆して
1989年の「会津MoonLightExpress」や91年の「ドリーミングMoonLightExpress」は実施したのですが、
これは「オリエントエクスプレス日本運行」による「既成事実」から突破したものです。
 ただ、97年以降再び制限が厳しくなり、JR以外での在来型一般車使用は困難極まり無いものになりましたが
(鉄道ファン団体利用による運転事故が細々と起こった為なのですが・・・警備員省略に問題があるとされまして、
ただ国土交通省の非公式見解としては「無事故の運行実績がある場合は警備会社の警備員も、
民間団体のボランティア警備も法令的には同じと解釈できる
(警備員は警備業法で一般市民としての行動範疇の中で活動するものと制限され、
法律的に特別な権限は一切与えられていませんので・・・
むしろ無経験なアルバイト警備員は運行に危険要素となる事が実際多い)
ので制限しなくても良いのにね」とか・・・御参考までに・・・
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