倶楽部メモ(280)
平成17年 7月18日〜 7月22日


投稿者 太田拓也
投稿日 7月18日(月)14時59分50秒
タイトル Re:寝台解体作業
下りの「日本海3号」は現在A寝台解体のある唯一の列車です。
「2号」が最初からセットしているというのはきいたことがありますが・・・つまり走行中に寝台セットする列車は現存しないんですね。

「あおもり」は希望者の区画のみ解体するとどこかのサイトで見ました。
ただ583系は走行中の寝台/座席転換を考慮していないので。
「あおもり」なら乗車率低いしサロンカー(旧グリーン車)に避難することもできますが、昔の新大阪ー西鹿児島列車はどうだったんでしょうか?
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投稿者 ア・ドン
投稿日 7月18日(月)16時09分57秒
タイトル あけぼの・・・
>>下総守こみやさん
あけぼので10時30分頃に着いた・・というのは91年の個室Aロネ化以前・・ですよね。
開放Aロネが連結されていたのは91年3月頃まで、ですから。
個室Aロネになったあとではその必要は有りませんし。
スジを見る限りでは陸羽東線経由になってからと推定されますが、実際のところどうなんでしょう。
(板谷峠経由時代のスジがわからないもので…。)

 さて、つい数日前親族の不幸が有り、奥羽本線・碇ケ関の父方の故郷に行く用事がありました。
実家は奥羽本線のすぐそばにあり、私の鉄道原体験とも言える場所です。
そこであけぼのを久々に見ましたが、編成両数はカニ込みでたったの8両。
93年にED75 700に牽かれていた頃から比べるとずっと編成両数が減っていました。
日本海もあけぼの程ではありませんが編成両数は少なかったです・・・・
かつてにくらべると、時の流れを感じてしまいました。
物心つくまえからED75 700の識別がついたと親は言うのですが・・・。
今の奥羽線ではED75 700もめったなことでは見られなくなり、普通客レも見られなくなり、さびしい限りでした。


投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 7月18日(月)21時21分29秒
タイトル あけぼのについて補足
ア・ドン様。ご指摘の通り陸羽東線経由でした。
古い話ですが費用面とか考慮しますと当時と状況は変わっていないと思いましたのでm(__)m
開放ロネ自体がかなりなくなってきているし。
あけぼのの車窓はやっぱり岩木山ですね。
テーブルの上には秋田で仕入れたお弁当と持ち込み丼のそば。でちょっと一杯(*^^*)
編成は短くなっても青森までいつまでも走り続けてほしいな。

投稿者 ちーかつそう
投稿日 7月18日(月)21時39分55秒
タイトル (無題)
寝台解体作業について大変参考になりました。ありがとうございました。
(上記のシーンを収録したビデオ、DVD等あるのでしょうか)

小さい頃、客車B寝台が3段でボタン一つで解体作業が出来ると本で読んだ記憶が
ありましたが結局利用する機会はありませんでした。20系寝台にも一度乗車して
みたいと思いつつ...
今となっては開放Aロネも大変貴重ですよね。ぜひ、近いうちに日本海3号に乗車
してみたいと思います。


投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 7月20日(水)02時59分49秒
タイトル 電車寝台解体技術認定
管理人様、皆様、御無沙汰しております、岩崎安房にございます。
 さて、表題の様な資格なんて無いのですが、20や14・24に比べて電車寝台は座席への換装にコツが必要です。
 運転中換装は北斗星でも検討されたそうですが、
ゆっくりごろごろしていたい!との御客様の声とランニングコストの面から見送られた様です。
 寝台の解体と申しましてもベッドを折り畳む(中・上段)だけですから、造作も無いんですが
電車寝台ほ581・583の下段は勝手が違いまして、
設計だけなら「プルマン式」A開放型寝台(14・24)より専有面積が広く、
窓も独り占めですから、非常に旅人にお薦めなのですが、ゆっくり寝る!となれば中・上段の方が・・・
 ベッド中央部は座席の腰当て、ベッド端部は座席の枕部分なのですが、その全部が「連接」しているので重い!
しかも腰当て部分は肘掛け部内側のラックに引っ掛けて「かさ上げ」しなければ成らないので、
ただ力押ししてもダメなのです・・・
 10系でも同様だったそうですが、581・583の下段はやはり「難しい」と
尾久客車区検査助役氏から伺った事があります。
 国鉄時代からの悪弊ですが、乗務員も「切符を買って乗る」のです。
 寝台整備や食堂車従業員、車掌までが「職務乗車票」を買うのです、
ただこれは「切符」があるのでは無く、経理上処理されるもので、原則的に当該乗務員所属箇所及び受託会社が支払い、
それらの費用を含めた額が受託会社から管理局へ見積もりとして出される・・・
こんな面倒な事をしているので優良な「スタッフによるマンサービス」が無くなつて行くのですね。
 ア・ドン様、特1001・1003レの板谷時代の筋(53年10月ダイヤが1001、平成元7月現行が1001と1003)ならば
弊連盟「鉄道浪漫派掲示板」に掲出しておきましたので御参考までに御一読下さいませ。
 もうんてん様、貴殿御所望の在来型一般車列車はこの夏から秋にまぁそこそこ運転されますが、
9月に運行の「レトロ磐梯/郡山会津路」はお薦めです。
 運用的にはスハフ42・スハフ32・オハ47と未確認なのですがオハニ36も含めた6Bで
D51498機の磐越西線(中山越)が味わえます。
 これは「会津新選組まつり/会津秋まつり」との連動で実現したもので、
沿線約2万5千の鉄道マニアが群がる中を颯爽と行く?もので、出来れば郡山発をお薦めします!
(画像は1989年3月26日会津MoonLightExpress=広田付近)

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投稿者 スハ32
投稿日 7月20日(水)15時42分7秒
タイトル レトロあかべえ
岩崎安房守義将様。
JR東日本の正式発表によりますと9月24日レトロあかべえ(郡山<−>会津若松)
牽引機”C57180”、旧型客車6両とあります。定員からオハニは含まれないよう
です。東日本のC57が復活後旧型客車6両を牽くのは、初めてなので、相当の混雑が
予想されます。これとは別にD51牽引の「レトロ磐梯/郡山会津路」も走るのでしょう
か!ちょっと気になります



投稿者 太田拓也
投稿日 7月20日(水)17時38分23秒
タイトル 話題は変わりますが
皆さんこんにちは、太田拓也です。
今までのスレの流れから変わりますが、質問があります。

14系と24系の「電源の場所以外の違い」って何でしょうか? 
具体的に言うと「電源供給方式と関係ないオハネ14やオロネ25がなぜ混結できないのか?」ということです。
登場直後から編入改造や両対応化のケースが多く有名無実化している感もあるのですが。
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投稿者 青列車
投稿日 7月20日(水)23時09分52秒
タイトル 電源方式…片栓両栓?
お邪魔しますm(_ _)m
>>太田拓也さま
お尋ねの件、私も詳細は存じませんが、
確か14系は全車輌が両栓構造で、編成中の車輌の向きが変わっても差し支えないのに対し、
24系はオハネフ以外は方転できないとのこと。

と、言う事はおそらくジャンパー栓の形式が違うのではないでしょうか?

ただ、幸いにして?CLブレーキは共通ですし、貫通幌も連結器も当然同じですから、
編成単位での併結にはなんら支障はありません。
かつてのさくら・はやぶさもはやぶさ編成は24系内でカニからの電源供給で完結していましたし、
さくら編成は14系内で電源供給されていました。


投稿者 青列車
投稿日 7月20日(水)23時24分59秒
タイトル 追記です
只今の発言に追記します。
14系と24系の違いは、電源方式(分散か集中か)が確かに最大の違いですが、車体構造も微妙に違います。
14系(以下15型は除外)の場合、床の根太は木材なのに対し、24系では金属製になていますし、
内装材にも14系はFRPが使われているのに24系では使われていないなどがあります。
(そういえば、オハネフ24の車掌室側妻面にはジャンパー栓が大きく目立ちますよね。
何故かオハネフ25では目立ちませんが…)(^^);

14系の増備がすぐに終わり、24系に切り替わったのは言うまでもなく、
北陸トンネルでの火災事故に鑑み、耐火性の基準が思いっきり厳しくなってしまったからです。

登場当時は運用も全く別ですっきり分けられていた14系・24系ですが、
何時の間にか改造車がゴロゴロ登場し、形式間改造されたものも少なくなく
更に改造履歴が複雑になった「剛の者」も存在します
(オシ14、オシ24、オシ24-100の区別がナンバー見ないと判らない私は未熟者)。


投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 7月21日(木)06時48分39秒
タイトル 失礼致しました
スハ32様、御指摘の通りでございました!
 オハニ36は今回外されておりましたね・・・そうですか・・・C57180機は在来車牽引初でしたか・・・
(JR化以降、と言う意味で・・・)
 粘着力があるD51機ではさほど苦労は無いのでしょうが、C57機は割合粘着が弱いので
蒲原方と中山越では神経の使い方が違うと伺った事があります。
 いやいや大変失礼しました!
 24と14の違いに関して、まぁ余り御参考にならないかも知れませんが、
以前尾客欧客(レインボー)に夢之介(夢空間)を併結しましたでしょ?
あの時「食堂調理制限・シャワー使用不可」と運車から言われて驚いた事があります。
 同じ三相交流440ボルトなのに???・・・
で、別途食堂車の電子レンジ使用を可能とすべくスハフ14を追加増結したなんて事がありました。
 24系は引通位置に「指定」があります(昭和51年の図面なのです)
が、その後昭和60〜62年前後に何かしたらしく、「図面」通りでは無いものも見受けられます。
 ちなみに一時高客の在来型一般客車でスハフ42・スハフ32が、
また札転の「C62ニセコ用」44が「連結順序位置固定」とされた事があります。
 何の事は無い蒸機のドラフト音を車内に放送させる低圧引通増設に伴う措置だったものですが、
その後撤去されたとか・・・
 もう時効ですが或る在来型一般客車2両の車掌室放送アンプにはちょっと細工をしまして、
ウォークマンのイヤホンをそのままつなげて車内放送出来る様にしたものです。
 平成11年までは「北海道鉄道研究会常備」と書かれたウォークマンが車掌室に搭載されているのを確認したものです。
 流れを戻しまして、一件似たような12・14・24ですが、電源的には全く別物として区分されている所で、
太田様の仰る14と24の混結をすると機器動作に支障があったのでは無いかと推測します。
 24系では堂々と100ボルト電源があったのに対して、14系では見つからず
(実は「隠しペンダント=コンセントがあったのですが)某ドラマ撮影の時に苦労した記憶があり、
配線設計思想が異なったものだったのやも知れません。
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投稿者 太田拓也
投稿日 7月21日(木)08時55分26秒
タイトル 14系と24系
14系と24系はかなり以前から編入改造が続出したため、「車体構造の違い」というのは
今では説得力を持たなくなっています。
1997年まで「はやぶさ」「富士」に連結されていたオシ24-100は14系からの改造でしたが、
現在は逆に個室寝台が14系化されています。

回路に違いがあるのではと感じてはいましたが、どうやら具体的に知っている人は少ないみたいですね。

> 岩崎安房守義将さん
夢空間の電源車にレインボーはダメでノーマルスハフがOKというのが謎です。
スハフか夢空間のどちらかに対策がしてあったのでしょうか。
なお引通についてですが、AV回路が原因かと思われます。
もし夢空間とトワイライトの併結が実現しても24系のデフォルト機能以外は全滅でしょうね。
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投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 7月21日(木)14時31分34秒
タイトル Re:14系と24系
鉄道ピクトリアル1998年版新車年鑑にJR九州のオハネ15形1000番代についての改造内容が解説されています。
これをお読みになれば、変更点イコール相違点として理解ができるかと思います。
要は電源回路の設計思想が異なるそうですが、北陸本線の火災事故をきっかけに生まれた24系ですから、
思想変更も防災上からのものかもしれませんね。
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投稿者 オルセン
投稿日 7月22日(金)17時43分51秒
タイトル 急行さぬきについて
なにか急行を組成したいと思ったので、いろいろな車両が組み込まれている急行さぬきの
昭和40年10月改正の編成にして組もうと思ったのですが、その頃のさぬきの編成は
ブドウ色だったんでしょうか、それとも青色だったのでしょうか。
毎度毎度すみません。よろしければご教授ください


投稿者 青列車
投稿日 7月22日(金)21時22分12秒
タイトル 【急行さぬき】青色主体では?
お邪魔しますm(_ _)m
>>オルセン様
お尋ねの件生憎詳細は存じませんが、参考となる映像について少々。
昭和44年頃公開された映画「喜劇 急行列車」の中に一瞬だけ、当時の急行さぬきの映像があります。
まだ茶塗りのEF61が青塗りアルミサッシの43系客車
(もしかしたらオハフ45の100番代か200番代若しくはオハフ46。
スハフ42の400番代の可能性は低いかと…)を従え走ってきます。
ただ映っていたのはカマとせいぜい客車1、2両。
しかも上り列車ですので前よりはハザ車ばっかり、後半の優等客車などは映っておらず編成の特徴は掴めません。

この映画は当時の国鉄の全面協力で製作されたもので主演は今は亡き名優渥美清氏
(当時はまだ「寅さん」でブレイクする前でしたが、その力量は定評がありました)で、確か東宝だったと思います。
映画のタイトルこそ「急行列車」ですが舞台は特急。
それも当時の花形だった東京〜九州間のブルートレイン「さくら」「富士」
(渥美氏の役どころが東京車掌区のベテランカレチでしたので、同区担当のこれらの列車が出てきたものと思われます)。
国鉄全面協力だけあって、ナロネ22の車内の映像など、我々には垂涎モノの「お宝」映像てんこ盛り(爆)。
もっとも、例によって「突っ込み入れたい」場面が多々あるのも「お約束」です。
急行さぬきの映像も本来は特急富士の走行シーンであるべきが間違えられた模様です
(これ以外にも、特急「さくら」の走行シーンのはずが、
走ってくるEF65-500の鼻先に輝くのは紛れもない「はやぶさ」マークだったりとか、
下り列車のはずなのに、戸畑界隈の車窓の流れ方が上り列車のそれだったり、
下りの富士のはずが、ヘッドマークも凛々しいDF50の次位がナハネフ23=それじゃ上り東京行きじゃん!=だったり…)。
しかし全体的には本当に貴重な映像がたくさんあります
(ナハネ20車内での寝台解体シーンなんてのも…
しかも走行区間が私の出身地近く、小学校時代遠足に行った場所あたり…今じゃまずお目にかかれません)。
ビデオ化されていますので大手のレンタル店などにはあるかと存じます。一度ご鑑賞になることをお奨めします。



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