倶楽部メモ(279)
平成17年 7月 9日〜 7月17日


投稿者 オルセン
投稿日 7月 9日(土)23時07分2秒
タイトル 10系の外部塗装
GMのキットを組み上げて夜行急行を組もうと思ったのですが、
一つ疑問に思ったところがあります。
色と冷改工事は関連性があるのでしょうか?
良かったら教えて下さい



投稿者 青列車
投稿日 7月 9日(土)23時32分2秒
タイトル 【10系客車】冷房改造車は青色
お邪魔しますm(_ _)m
>>オルセン様
冷房改造ということは、対象になるのはナハネ10→ナハネフ10→オハネフ12、ナハネ11→オハネ12、
オハネ17→スハネ16、ナハネフ11→オハネフ13、そして、ナロ10→オロ11でしょうか?

基本的にこれらの客車のうち、冷房化されたものは青色でした。しかし、冷房改造≠青色化です。
基本的には近代化改造を受けたクルマが青色になっていますが、冷房化はその後です。
前述の各形式とも、青塗りになったあとで冷房化改造されています。
(10系客車のうち茶色塗装で冷房を持っていたのは
最初から冷房装置のあったオロネ10、オシ17、オシ16以外は寡聞にして存じません。
中には、冷房改造されたにもかかわらず茶塗りで出てきたハネ車があったかも知れませんが…(^^);


投稿者 ア・ドン
投稿日 7月10日(日)10時52分0秒
タイトル 20系と汚物処理装置
>>汚物処理装置は、タンクがかなり思いと思うのですが、客車の重量増には
ならなかったのでしょうか?

若干の増加はやはりあったみたいです。これまた先月号のピクトリアル20系特集によれば
「板谷峠を通過する「あけぼの」で牽引機関車(*原文にはありませんがEF71単機)の空転が多発したため
調査したところ20系客車の重量が増加していることが判明した。
これは汚物処理装置の取り付けや、北陸トンネル火災事故以降に施行した防火対策によるものとされた。
本来なら記号の変更(ナ級からオ級へ)をすべきだが、
特例として車両換算両数のみ変更し記号番号の左側に「三角マーク」を表記した。
対象となる車両はカニ21形・カニ22形・カヤ21形をのぞく20系客車すべてで、
1978(昭和53)年10月から12月にかけて書き換えた。」
とあります。

なお、これに関してですが、板谷峠での「あけぼの」EF71単機牽引は中止され、
ED78の所要両数が足りなくなったためと、そして24系置き換えのため、
国鉄最後の交流機の新製機ED78 12・13が製造されることになりました。


投稿者 スハ32
投稿日 7月10日(日)18時59分48秒
タイトル 客車の重量増
ア・ドン様。解説ありがとうございます。
先月にピクは、買い損ねてたので、読んでませんでした。
確かに峠越えのある区間では、一両単位では大した事の無い重量増でも
編成単位では、かなり影響ありますね。
 ナをオにするなど表記変更が必要な所をそのままにされたケースが、
他にもありそうな感じで興味があります。


投稿者 オルセン
投稿日 7月11日(月)16時33分16秒
タイトル 10系の外部塗装
これで氷解しました。
それを参考にして組みたいと思います。


投稿者 ア・ドン
投稿日 7月11日(月)20時29分23秒
タイトル 表記変更ミス
自重と表記がちがうというのは他にも例がありました。

ピクトリアル2004年7月号「オハ35系特集」によると
スハ42を近代化・軽量化改造したオハ36に電気暖房を取り付けた際、
自重増加で本来なら「ス」級のスハ40にならなければならないところを
誤って「オハ36 2000番台」になった例が3両ありました。
いずれも数年以内に本来のスハ40に改番されています。
番号は
オハ36 2082
オハ36 2114
オハ36 2119
となります。



投稿者 ア・ドン
投稿日 7月12日(火)00時36分56秒
タイトル 12系の思い出
汚物処理装置のことについて書いていて、21年前のころを思い出しましたので書きます。
1984年8月、当時小学生だった私は両親の実家である青森から帰京する際急行「十和田」を利用しました。
「ナハ21に乗れる!!」と喜んでいたのですが、ホームに入ってきたのは12系でした・・・いや、臨時だったんですね。
今となっては貴重な体験だと思うのですが、そのときは落胆しました。
まあ、どっちがいいか実際に乗って見なければわからないことですが。
 で、寝れないと思っていたのも杞憂で気が付いたら寝ていました。
そして朝が来て常磐線内に入り便所を利用したところ「線路が見える!!」・・そう、その12系は汚物処理装置がついていなかったのです。
12系といえば処理装置付いているもんだと思っていたのでびっくり。
しかも、使用している最中に駅に止まってしまったので、非常に気まずい思いをしました。
ああ、今でも気になるなあ・・・・・・。

ところで84年夏の臨時「十和田」に使われていたのはどこの12系だったんでしょうかね?
気になりますが、ご存知の方おられますでしょうか。


投稿者 こう
投稿日 7月12日(火)11時11分1秒
タイトル 20系標記・・
汚物処理タンク自体はさほど重いものではありませんが、積車重量だと満杯になっていることが前提でしょうから、
標記の書き換えを要するような重量になったのでしょうか・・
あと、20系では1000台・・12系との併結改造された車両も、
自動ドアなどの重量増加で同じ状態になっていたかと思います。
投稿者のホームページ


投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 7月13日(水)06時30分55秒
タイトル 多分高客だと
管理人様、皆様、御無沙汰しております、岩崎安房にございます。
 ア・ドン様御利用の臨時十和田、8206列車では無かったかと・・・
手許の作業ダイヤには「タカ12/9」とありまして、マル上サボのマークがあるので高崎客車区の12系では?と思います。
 尾客(尾久)の12・14系は座席まんま(登場当時のまま)だったのですが、
高客は窓下テーブルが広めにしてありまして、結構好評だったのです。
 東北管内のものは記憶が無いのですが、水戸の機材は59年では長距離に回って無かった様に・・・
うろ覚えなので自信無いのですが・・・
 換算は客務にとっては死活問題でした・・・或る時、事故の影響か故障だったか忘れましたが客車が不足した301列車を
尾久で組み換えた際に「オ車」とすべきを「ス車」にして上野に回送で持ってきた時に「換算超過」が発覚、
回送の機関士は本務の機関士に引き継いだものの、レチのホ(車掌の編成現況)を受け取って事務室に飛び込んできました。
 統信(統合信号所)とやりとりの後、北局列車指令と豪快な交渉が・・・
機「俺は高崎まで持って行くよ、しかしさ、横川から先、ロクサンで引けねえよ、そんな無責任やれるかよ!」
指(電話で不明なものの、取りあえず高崎までと言っている様子)
機「いや、上野の始末付けなきゃさ、北局の恥じを向こうで曝すのかい!」
指(責任は貴方には無いから的発言か?)
機「責任どうのじゃねぇよ、命が掛かってんだぜお客のよ!」
 結果、301列車直江津行「妙高9号」は1時間遅延で上野を出発したのですが、
「影スジ」で後部1両の荷物車だか分離して行きまして・・・
 お話は碓氷の牽引定数にありまして、多客時と言う事もあり数値的にはオーライであっても
安全確保の観点から機関士さんは粘ったものです。
 あの頃はそんなサムライや神様が国鉄を動かしていたのですが・・・
 ちなみに鉄道模型メーカーに国鉄から滑り込んだ経験がありますので、御参考までに・・・なのですが、
メーカーの製品化の経緯は他の業界と異なり、全くいい加減です。
 代表は某9ミリメーカーのキハ40で、少数派のコイル発条台車である事を御存知な方は多い筈です。
 或る社員が私的旅行で北陸へ出掛け、その際に撮影した写真からスケッチを起こして、
後は鉄道雑誌で細部の図面を引いたもの・・・ですから、
細部を見ると「車体は寒地、下回りは暖地」なんてものも多くありまして・・・
 そんな指摘が増えたので「面倒だから所属表記は関スイに・・・」なんて洒落をして、
かえって大ブーイングに遭遇しましたが・・・
 在来型一般車の窓や扉も同様理由でいい加減だったのですが、
小生の先輩Y氏が社員に昇格して来た時には「やはりこだわりましょう」と随分深く突っ込んで図面が作られる様になり、
「ついでに・・・」と殆ど独力で作ったのがかのリアルトラコンなのです。
 若くして数年前に他界されましたが、彼のこだわりによるHOの35・43系やDD51機、
Nの10系・81系客車はモデルソースがきちんとありますし、EF65やED75のボディマウントスカートも彼の作品です。
 スハフ32とC623をこよなく愛し、今でもその作品を手に取ると会津MoonLightExpressやわたらせエクスプレスで
楽しそうに酔っていた笑顔を思い出します・・・話題がそれましたが失礼しました。
投稿者のホームページ


投稿者 ア・ドン
投稿日 7月13日(水)09時46分27秒
タイトル なるほど・・
高崎運転所の12系ですか・・・。そんな時代もあったのですね。
たしかそのころは高崎の12系は初期車中心だったはずですからね・・・。
やはり地上設備が追いついていなかったのでしょうか。
ありがとうございました。


投稿者 太田拓也
投稿日 7月13日(水)14時43分28秒
タイトル いろいろと
ア・ドンさん>
20系の増量マークは結構有名ですよ。児童書にも載っていたぐらいですから。
あと1984年の「八甲田」は定期が12系でした。14系かもしれませんが・・・
とにかくナハ21は1982.11以前の3往復中1往復だけです。
なおナハ21(「きたぐに」の583系にも同じことが言える)はシートピッチが広すぎて
「1ボックス占領して向かいに足を乗せる」ことが出来ないため夜行列車用としては一長一短であり、
「だいせん」の12系化直後にRJ誌が取材したときも筆者がサービスダウンと言いながら
深夜の福知山で"窓を開けて"駅弁を購入していました。

>汚物処理タンク
所属によってかなりばらつきがあるようですね。気動車特急「いそかぜ」は1990年代になっても垂れ流し式だったようですし、
九州に最後まで残った50系はトイレ用にスハフ12を併結していました。

>模型
オハネ12の場合、旧窓の制式図面をもとに、冷房化=最近だからタンク付と適当に作ったのでしょうか。
最近は結構厳密に設定を決めているようで、「鉄道ファン」誌の広告ではスカ線113系が1990年代の設定だったり
(JRマークとか各種装備に影響)、スーパーホワイトアローが登場時と現在の2バージョン同時発売
(スカートとか細部が違うらしく、uシートを追加するだけではすまないらしい)だったりしていますが。

岩崎安房守義将さん>
編成中の重量調整、ものすごい苦労があったんですねぇ。


投稿者 もうんてん
投稿日 7月15日(金)23時24分42秒
タイトル (無題)
こんばんは!
数ヶ月前に旧型の客車で走行中もドアが開けれる客車は現在も走ってないんでしょうか?と質問をして
大井川で走ってるし只見線にもあると教えていただいた者です。その節はありがとうございました。
この掲示板を見て旧型客車のリクエストが多いかわかりました。
スハフ42などは僕が今も乗りたい客車の一つです。
この7月8月に自動扉でない客車は他にあるんでしょうか?


投稿者 ちーかつそう
投稿日 7月16日(土)22時30分22秒
タイトル 寝台解体作業について
初めての書き込みになります。ご存知の方がございましたら教えて下さい

以前、寝台の解体作業を見てみたいと思い青森発の日本海2号の開放A寝台を利用したのですが
4時台というのに寝台はすでにセット済みで翌朝も解体作業はありませんでした。
今年の夏も帰省をかねて大阪発日本海、もしくは急行あおもりを利用しようかと思うのですが翌朝
寝台解体作業はあるのでしょうか?あるのなら奮発してでもA寝台に乗ってみようかなと思うので
すがないのならB寝台で十分だし、ましてやあおもりは12時過ぎまで寝台のまま中、上段の人は
どうするのでしょうか?


投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 7月17日(日)22時43分5秒
タイトル 寝台解体作業ですが
秋田、青森では期待薄だと思います。以前あけぼのに乗ったときそのままでした。
青森には10:30頃着くのに。人件費の削減だと思われます。
秋田から先になるとA寝台に乗ってくる人はなく降りる人だけ。
上段の人は空いた席に来たり他の車両に移ったりって感じでした。
(喫煙室もありますが)ちなみに私は作業をさくらでしか見たことありません。
でもグリーン料金出してまでA寝台に乗り込む人はいませんでした。m(__)m



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