倶楽部メモ(249)
平成16年 9月26日〜10月 5日


投稿者 EF5841
投稿日 9月26日(日)10時24分40秒
タイトル 観光団体編成
雑誌等に投稿があった 金星、観光団体 の編成例

1962、8、11 22レ 出雲・金星  浜田・大阪>東京
(出雲)スハフ422255 スハ432279 オロネ1036 スハネ3055 スロ5420 スハ43481 スハフ422222 
(金星)スハフ422130 スハネ302113 スハネ3025 スハネ302112 スハネ3023 スハフ42257 EF58140

1962 ?  21レ 出雲・南紀観光  東京>浜田
(出雲)スハフ422255 スハ4398 オロネ1038 スハネ3016 スロ5430 スハ43481 スハフ422222 
(南紀観光)スハフ4323 スハ442 スハ443 スハ4462 スハフ4316

1962、7、28  21レ 出雲・回送(観光団体?) 東京>浜田
(出雲)スハフ422262 スハ432252 オロネ1036 スハネ3055 スロ5412 スハ432482 スハフ42291 
(回送)スハフ4323 オハネ17623 オハネ172612 ナハネフ11608 ナハネフ11607



投稿者 陸奥光政
投稿日 9月27日(月)01時37分43秒
タイトル 白いガラス?
ごきげんよう。久しい書き込みになります、陸奥です。

KATO製のオハ35(HO)を見ていてふと疑問に思ったのですが、模型のトイレ窓はすりガラスっぽく表現されています。
ですが、現役時代の旧客の写真を見るとどれも白いガラスの様なものになっているのですが、アレは一体何なんですか?

特に、模型で表現するなら塗装にするのか、それとも作り直した方が良いのか、迷うところです。

情報をお持ちの方は是非、教えて下さい。お願いいたします。
投稿者のホームページ



投稿者 EF5841
投稿日 9月27日(月)10時20分39秒
タイトル 白いガラス
概ね昭和40年以前は、ダイヤガラスでした。
その後、擦りガラスになりました。

ダイヤガラスといってもご存じないかと思いますので解説しますと
ガラスの片面(室内側)をダイヤカット状またはちりめんしわ状ににした物です。

投稿者 彩稀
投稿日 9月27日(月)19時35分55秒
タイトル ありがとうございます
まろふね様

情報ありがとうございます。七尾線での限定運用で、北陸本線には顔出さなかったのですかね!?
七尾線で、41系のオンパレードにも興味が出てきました。どの様な編成だったのでしょうか?


投稿者 青列車
投稿日 9月28日(火)00時11分9秒
タイトル 【北陸50系】本線運用
横レスお邪魔します。
彩稀様お尋ねの北陸の50系ですが、当時の鉄道ジャーナルでしたか?本線での運用があることが紹介されていました。
もっとも、定期運用ではなく週末臨時のような列車だった由。
エスコート役に元空気ダメ装備のEF70-1000番台限定運用だったそうです。
もっとも程なく北陸本線のローカル列車はことごとく電車化されてしまい、
EF70自体も「リストラ」を食らってしまいました。

419系の初代塗装(赤2号一色塗りに白線)はもしかして?50系の赤塗装がヒントになったの?(^^);


投稿者 彩稀
投稿日 9月29日(水)22時48分8秒
タイトル (無題)
青列車様

EF70-1000番台の限定運用だったとは知りませんでした。ありがとうございました。



投稿者 陸奥光政
投稿日 9月30日(木)01時31分9秒
タイトル ありがとうございました
EF5841 様

情報ありがとうございます。早速、各種検討にはいらせていただきます。
では、手短ですがこの辺で。
ごきげんよう。


投稿者 EF5841
投稿日 9月30日(木)09時40分44秒
タイトル 擦りガラス表現
陸奥光政 様

小生、擦りガラス表現に、地図等の図化原図用の片面がマット状になった厚手のシートを使用しております。
商品名は失念してしまいましたが、伊東屋等の製図用品を扱っている店で入手できます。
小生、地図の図化屋でアルバイトしたときに、没になったシートをもらってきましたが
当分買わずにすむ量なため、購入したことがなくすみません。

投稿者 ナロ10
投稿日 10月 2日(土)17時04分18秒
タイトル 擦りガラス表現
陸奥光政 様

EF5841殿が申されております商品は、マイラーベースという物かと思われます。
伊東屋とか画材を扱う店で売られています。
だた、脂手で触りますと、擦りガラスの意味がなくなりますので、取扱いには手袋等を使用された方がよいと思います。
私も以前トレースをしておりましたので。


投稿者 KW
投稿日 10月 2日(土)17時38分36秒
タイトル 客車列車の思い出・・・北の旧型客車
「旧型客車」で検索してたらこのサイトに“到着”しました。KWと言う者です。
客車列車=ブルトレ以外の客レ・・・特に旧型客車乗車の思い出となると、
後にも先にも「スト−ブ列車」ですね。
本州最北端のロ−カル私鉄「津軽鉄道」の、旧客を使った“冬の風物詩”
3年位前の冬に寝台特急〈日本海1号〉から弘前で五能線に乗り換えて
五所川原→津軽五所川原・・・と言う乗り継ぎだったのを憶えています。
雪に埋もれたような一面真っ白の世界、同じ様に白に染まったホ−ムに停車している
旧式DLと旧客2両の「スト−ブ列車」・・・いかにも北国の冬って光景でしたね。
車内にはもちろんレ−ルファンとおぼしき乗客も見受けられましたが地元の人も
結構乗車してました。
各地でSLの列車がいくつか運転されてますが、座席指定でなく普通乗車券で利用でき
地元の人も結構利用するこの「スト−ブ列車」の方が、より「汽車」って感じが強いですね。

投稿者 ア・ドン
投稿日 10月 4日(月)09時28分40秒
タイトル オユ12 7のこと。
 質問したいのですが・・・。
オユ12 7は昭和34年4月23日、上り急行「明星」の最後尾に連結されており
真鶴〜根府川間の江ノ浦トンネルを出た時点で土砂崩れの直撃を受け大破、
現場近くの側線で現地解体されたのですが、
郵便車不足から翌昭和35年3月に製造元の汽車会社で車体が新製され、「二代目」が出現しています。
製造銘板は「昭和33年」と「昭和35年」の二枚が取り付けられていた、とのことですが・・・
なぜ、このような現象が起こったのでしょうか?
戦後の混乱期ならともかく、国鉄は基本的に事故廃車の場合は代替は新製して新車扱いにするのがふつうなのですが・・。
ご存知の方がおられましたらお教えいただければ幸甚だです。
よろしくおねがいします。


投稿者 EF5841
投稿日 10月 4日(月)11時49分24秒
タイトル オユ12 7
ご存知のことかと思いますが、郵便車の車籍は国鉄ではなく、郵政省の所属となっております。
会計処理上の問題として、減価償却前であったことから本来は現状回復することが必要となります。
現場での解体が、国鉄の事由で行われたとすると、現状回復するために新造したのではないでしょうか。

投稿者 ア・ドン
投稿日 10月 5日(火)12時36分18秒
タイトル なるほど。
 >>オユ12 7
郵政省所有ということだからですか・・・。減価償却・現状回復といい、役所仕事には煩雑さが付きまといますね。
おそらく新製同然にもかかわらず(流用部品はあってもわずかでしょう)妙な事するものです。

青梅線で旧客が走るとの話ですが、赤帯車が入らないと良いなあ。

 カトーでNのオハフ33・オハ35の戦後型がでましたが、
車番にもよりますが、2555番の場合、鋼板屋根そのままですから
ねずみ色1号に塗らないと何か合わないみたいですね。
(カンバスを張った車も存在しますが・・・。)
あと、あのタイプ(折妻キノコ屋根タイプ)だと台車振替で
(本来はTR40ですが、Nの場合TR47【ビス止めタイプ】で十分でしょうね。)
スハ42・オハ36・スハ40ができそうですね。
もちろん、こだわるなら個体による改造は必要でしょうが・・。
では。


投稿者 EF5841
投稿日 10月 5日(火)13時33分38秒
タイトル オユ12 7
お役所仕事というより、国鉄の瑕疵による弁償だと思います。
弁償ということ、民間でもあるのではないでしょうか。

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