倶楽部メモ(248)
平成16年 9月10日〜 9月25日


投稿者 神戸行き第二富士
投稿日 9月10日(金)00時12分23秒
タイトル Re:オシ14
仙コリ様

「いなば」でしたか。食堂非営業だったので、てっきり連結していないとばかり思っていました。
それにしても。
それまで食堂を営業していた「日本海」を袖にしてまで「いなば」に回したというのは、
「今は諸般の事情でできないけど、いつか食堂営業させる」
(東京発ブルトレなので)という意向が少しはあったのでしょうか。
ダイヤ改正直前まで「あさかぜ」で営業していたので、配転が難しいという部分はあったのかもしれませんが、
本気で「日本海」に残すつもりだったら何とかしていたでしょう。
当時関西に住んでいた鉄道少年として、「(ヘッドマークも含め)東京発のブルトレばっかり優遇されてずるい」
という意識があってそれでこういうこだわりが出てくるのかもしれませんが。
「日本海」といえば、函館延長時にスシ24を連結する計画がありながら、「北斗星」の様子見で保留となり、
結局「北斗星」をしのぐ豪華列車で札幌発着でなければ、ということになって「トワイライト」に回されてしまうなど、
14系化以降は食堂車に恵まれない列車という機がします。



投稿者 ほくほく
投稿日 9月14日(火)21時36分51秒
タイトル セノハチ
5年ぶりの書き込みになります(^^;
みなさんのように詳しくないので教えて下さい。
10月に柳井から東京まで「富士」に乗ります。
初のB個室(値段が普通のB寝台と同じなのでお得ですね!)で楽しみなのですが
セノハチ区間は補助の機関車は連結されるのでしょうか?
広島〜尾道まで時刻表上は通過になっているのでEF66(でしたっけ?)のみで
走行するのでしょうか?それとも運転停車で連結するのでしょうか?
いつもは「のぞみ」なので、久しぶりに「汽車」に乗るので興奮気味で
色々と興味が出てきました(笑)。
それとB個室って居心地はどうなんでしょう?
B寝台なら、2段式も3段式も何度か乗ってるので分かるのですが
個室は初めてです。質問ばかりですいません。


投稿者 まろねふ
投稿日 9月15日(水)09時11分43秒
タイトル セノハチは…
にまさま、こんにちわ。

>ほくほくさま
はじめまして。私も故あって年に1回程度ですが「富士」や「あさかぜ」に広島から利用します。
最近は「あさかぜ」が多いですが… 「富士」だったらB個室を利用します。
上り列車に乗られるのでしたら2階が進行方向に向かって座ることができます。確か偶数室だったかな…?
乗り心地は解放寝台車と大差無いと思いますが、なるべく中央よりの部屋の方が、
台車からの音や振動が避けられると思います。
車輪が偏磨耗していたら一晩中「タタタタタタタ…」ですから。
車販は確か静岡から乗車していたと記憶します。
個室の場合、気が付かない事が多いので注意された方が宜しいかと思います。
残念ながら、ブルトレは全て単機牽引でセノハチを上ります。本当に尾道までノンストップで走ります。

書き込みをしてましたら、ブルトレに乗りたくなってきました。今年は乗れなかったもんで…


投稿者 急行日南
投稿日 9月15日(水)12時20分58秒
タイトル B個室寝台
はじめまして、急行日南です。よろしくお願いします。
B個室寝台、居住性に関しては、富士・はやぶさに使用の車は、一室あたりの空間が広くて良いですね。
ただし、座席使用時に進行方向と逆の部屋になった場合にちょっと悲しいです。
JR西日本の、彗星・なはに使用の車は、定員が多いため空間が狭く、圧迫感がありました。
共通して言える事は、普通の寝台に比べて同価格でセキュリティーが高い・空調の調整が自由
というメリットがあると思います。

投稿者 ストーブ列車
投稿日 9月15日(水)14時07分19秒
タイトル 観光団体列車
久しぶりです、ストーブ列車です。
これまでもいろいろと教えていただきありがとうございます。
今回はまたまた、疑問があったので書きこします。

昭和36年ごろから始まった、観光団体列車はオハネ17・ナハネフ11の600番台で編成された
オールハネ寝台車の美しい編成ですが、編成を調べてもどうもよくわかりません。
今は、九州観光号の編成を調べているのですが、最短何両で運転していたのでしょうか?
編成がわかる方は教えてください。

あと、九州・南紀観光号以外にはどのような観光列車があったのでしょうか?

ご存知の方は教えてください。
お願いします。


投稿者 ア・ドン
投稿日 9月15日(水)15時00分12秒
タイトル 九州観光列車は。
 昭和36年度に10系寝台車使用になったのですが、基本は,
ナハネフ11+オハネ+オハネ+オハネ+オハネ+ナハネフ11の6両を二編成あわせた12両編成。
半数づつ大分・長崎へと分割していました。最短は6両です。
600番台はスペシャルバージョンで、車体すそに白帯が入り、
腰掛部の座布団を引き出し、足が伸ばせるようになっていました。
多客時は、通常のオハネ17も混結されていたようです。
またナハネフ11もこの列車用に設計されたものです。
オハネの600番台は短命でしたが、ナハネフ11は冷房・電暖改造されオハネフ13となり、
昭和57年まで急行で使用されていました。
 Nゲージをやっているのであれば九州観光号はマイクロエースから(C59付きで)客車6両で販売されています。
今でもおそらく入手可能と思われますが。
 東海道/山陽本線内では12両編成でした。EF58あたりが牽引機には妥当と思われます。
 なお、客車は民有車両扱いで改造・新製されました。
 私の知っているのはこのくらいです。
(参考文献/RJ82年12月号「10系 軽量客車の足跡」)



投稿者 ほくほく
投稿日 9月15日(水)21時35分53秒
タイトル セノハチ、B個室情報ありがとうございます
>まろねふ様 >急行日南様
はじめまして。レスありがとうございます!

2階と1階で座席使用時に進行方向があるのは盲点でした(考えてみれば当たり前ですが・・・)。
ちなみに席は3番なので1階の部屋です。つまり座席使用時進行方向と逆になる訳ですね・・・。
しかも3番ですから、台車の上付近かな(苦笑)。でもやはり、普通のB寝台と同じ
値段で、より高いセキュリティーが確保されるのは嬉しいですね。

それとセノハチは単機牽引なのですか・・・。でもその区間はしっかり起きて楽しみたい
と思います。DVDの「山陽本線」で下り快速列車でその区間を下るシーンを見ていたら
興味がでてきて質問してしまいました。今は約10分で走行する区間も、蒸気の頃は約30分
くらいかかる貨物列車もあったそうですね(いつ頃の話かわかりませんが)。

ちなみに私のブルトレ歴は東京〜尾道の「あさかぜ3号(今は一往復のみですね)」に数度、
同区間の上り「あさかぜ」に1回、東京〜大阪の「銀河」に1度です。

お二方の情報は大変参考になりました。レスの書き込みを見ていたら早く乗りたくなって
きました(笑)。久しぶりのブルトレでの旅情を楽しんできます。


投稿者 通りすがり
投稿日 9月16日(木)02時45分9秒
タイトル カニ22について
皆さんはじめまして。
今回は表記の件に関して質問させて戴きます。
カニ22のパンタ撤去後の姿をBトレで再現するべく資料を漁ったのですが、
どれも遠景や真横からの写真ばかりでパンタのあった部分がどうなっていたのか分かるものは見つかりませんでした。
そこで、この部分について、パンタ撤去後は配管等はどのような様子だったのでしょうか?
また、カニ22の使用された記録のある列車ですが(イレギュラー含む)

MG撤去前…
あさかぜ・さくら・はやぶさ・みずほ・富士・はくつる・ゆうづる
MG撤去後…
あかつき・彗星・あけぼの・ゆうづる

以外にもあったのでしょうか?
以上二点について御存じでしたらご教授下さい。お願いします。


投稿者 こう
投稿日 9月16日(木)11時08分19秒
タイトル カニ22
カニ25になったモノでよろしければ、僕のホームページに出しています。
真上、斜め上、の両方を出していますのでご参照ください。
↓のアドレスから「国鉄高砂工場」に進んでください。
ただ・・上野駅で見たカニ22は碍子も残っていたように思うのですが・・
投稿者のホームページ



投稿者 ストーブ列車
投稿日 9月17日(金)08時36分58秒
タイトル ありがとうございます
ア・ドン様、貴重な情報ありがとうございます。

九州観光号は6両+6両が基本だったんですね。
ちなみに九州観光号は東海道本線を最短、何両編成で走ったのでしょうか?

ご存知の方はいろいろ教えてください。
お願いします。


投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 9月17日(金)23時27分15秒
タイトル 観光列車の両数
ストーブ列車さま。

>ちなみに九州観光号は東海道本線を最短、何両編成で走ったのでしょうか?

これは「6両から減車された時は何両?」ということでしょうか?
昭和30年代は現在と異なり、輸送力が不足していましたから、増結はあっても減車はありません。
ちなみに、いま書店に並んでいる鉄道ピクトリアル増刊「国鉄ダイヤ改正」の「白紙改正落穂ノート」には、
19レ「金星」・21レ「出雲」にはそれぞれ観光列車が併結されるが、
上りは22レが「金星」と「出雲」の併結となり、20レが観光列車2本の併結となると書いてありますよ。
(昭和36年10月改正)
東海道線内はフル編成だったようですね。
投稿者のホームページ



投稿者 彩稀
投稿日 9月24日(金)21時10分51秒
タイトル 北陸の50系客車
ご無沙汰してます、彩稀です。
金沢にも短期間で少数の50系客車が配置されていた気がします。
多分、単独運用だったと推測しますが、旧客との混結あったのでしょうか?
あと、車番おわかりの方、教えて下さいませんか?

投稿者 まろねふ
投稿日 9月25日(土)00時14分53秒
タイトル Re:北陸の50系客車
皆さん、こんばんわ。

>彩稀さま
はじめまして。
早速ですが手元の資料によりますと金沢区には、昭和56年頃に新製配置されてから
昭和60年3月14日改正まで配置されており、
83年の資料では七尾線(金沢〜七尾・和倉温泉)で1日2往復が運用されていました。

配置車:オハ50 2247〜2254 オハフ50 2375〜2381 

編成  金31 オハフ+オハ+オハ+オハフ+オハ+オハ+オハフ (和倉温泉→)
    金32 オハフ+オハ+オハ+オハフ+オハ+オハフ 

運用 金31 金沢→121レ→七尾(ヨ)七尾→124レ→金沢
   金32 金沢→123レ→和倉温泉→回126レ→七尾(ヨ)七尾→122レ→金沢

ご覧の通り、いずれも単純運用で他車種との混結はありませんでした。
因みに七尾線の客車列車が12系に置換え後は、50系は高松・秋田・亀山(オハフのみ)に転属し、
更に亀山区のオハフは青函用の5000番台に、高松の車両は一部を除き“アイランドエクスプレス”に改造されました。

私は個人的には、七尾線といえば50系以前のオハ41系オンパレードの通勤列車というイメージがあります(笑)

参考資料:JRR国鉄気動車客車編成表83年度版・85年度版
     JRR国鉄客車ガイド
     鉄道ピクトリアル 92年4月号


投稿者 ストーブ列車
投稿日 9月25日(土)08時11分56秒
タイトル (無題)
竹中@ノーブルジョーカー様、ありがとうございます。
返事が遅くなってすいません。

東海道本線内では観光号は12両のフル編成だったみたいですね。

情報ありがとうございました。

客車は調べれば調べるほど疑問が出てきますね。



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