倶楽部メモ(242)
平成16年 6月29日〜 7月16日


投稿者 廣瀬
投稿日 6月29日(火)22時54分42秒
タイトル re:スユニ61 500番台について
 陸奥光政さん、みなさん、こんばんは

どうもResが付かないようで・・・亀レスですが。
「某HP」の管理人?です。

「郵便仕分室の小さな窓(400o窓)」は捺印台の窓のことだと思います。
これは、「すきま風が寒いので、窓無しになった」という記述を見たことが有ります。
しかし、「あるものとないもの」がなぜか有るようです。理由は存じ上げません。

しかし、「あるものとないもの」がなぜか有るようです。理由は存じ上げません。
数年前に手持ちの写真を調査した結果は次のとおりです。
これを見るると、途中から「窓ナシ」になったのかな? と思っています。

  車番    配置  撮影日  捺印台の窓の有無
スユニ61 502 函ハコ S54    有り
スユニ61 503 旭アサ S58.9.1  有り
スユニ61 504 旭アサ S58.9.1  有り
スユニ61 507 釧クシ S56.5.4  ナシ
スユニ61 508 釧クシ S60.5.6  ナシ
スユニ61 510 釧クシ S58.8.31 ナシ
スユニ61 514 函ハコ S54    ナシ
スユニ61 515 札サウ S49.10.6 ?

これ以外の情報、写真をお持ちの方はぜひご連絡を!

弊サイト、「北海道の客車アルバム」に一部の写真が有りますのでぜひおいで下さい。
但し「自宅サーバー」内のファイルも有りますので、見られないときはご容赦下さい。
投稿者のホームページ



投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 6月30日(水)00時41分38秒
タイトル Re1:スユニ61 500番台について
廣瀬さま、スユニ61 500番台の窓についての解説ありがとうございます。
私も手持ちの資料を調べてはみたのですが、北海道用(500番台)については窓が無い車両しか見つからず、
レスがつけられなかった管理人失格の車掌@仙コリです。
廣瀬さまの書き込みを見て、もう1度図面を詳細に見てみますと、
北海道用の場合は押印台の窓が無い事になっているのですが、この部分については図面上で追加になっているようで、
その日付が昭和41年4月となっていました。
つまり昭和41年4月以前に改造された505までが窓有、506以降が窓無である可能性が高いのではと思われます。
廣瀬さまの調査とも一致するようですが、あくまでも推測ですので、
より詳しい情報をお持ちの方のフォローをお願いできればと思いますので、よろしくお願いいたします。



投稿者 陸奥光政
投稿日 6月30日(水)20時23分29秒
タイトル Re2:スユニ61 500番台について
こんばんは、陸奥です。

レス、ありがとうございます。謎が解けました。本当にありがとうございます。
某HPなんて言わないできちんと名前を出した方が良かったのかな・・・・・・・(汗 失礼しました。

これで、思う存分スユニ61500番台を作る事ができます! ありがとうございました。
投稿者のホームページ


投稿者 急行音戸
投稿日 6月30日(水)23時25分44秒
タイトル re【12系・14系】電源エンジンが故障したら?
こん○○わ!青列車様、昔、山陽線西部にも、海水浴臨が走ってたんですね。
それも14系とは・・・特にEF61牽引ならば是非見たかったです。
私の住む山陰線西部(下関口とも言う)にも、北浦ビーチ号と言う臨客が走ってました。
長門粟野か阿川で客扱いをやめ、長門市まで回送で白昼上下していたのを見かけました。
まだまだ在籍中の車両14系座席車、ゼヒ機会を見つけて乗車してみたいものです。
PS年末年始は14系で、廃止になった「夜行さんべ」のスジで臨客が走ってました。
一度、近くに駅まで見に行きましたが、以外に長編成で驚きました。


投稿者 急行比叡
投稿日 7月 8日(木)01時45分31秒
タイトル 電源車のトラブルについて
 こんにちは。急行比叡です。ご無沙汰しております。

 不幸中の幸いと申しましょうか、私の乗り合わせた客車列車では、
今のところ、電源エンジンの故障というトラブルに見舞われたことはありません。
しかし、高校生のころ、東京の都電で珍しい(?)トラブルに見回れました。

 電車と自動車の接触事故のあおりを食って変電所のブレーカーが下がるというトラブルに見舞われた挙句に、
私の乗り合わせたものの先行の荒川車庫前行きの車のバッテリーが上がってしまいました。
どうするのかなと様子を見守りつづけていたら、私の乗っていた電車で故障車を後押しして車庫まで送り込むとのこと
(そら殺生やがな!)。
夏の暑い盛りのホームに下ろされてしまいました。
仕方なく、電車を数台やり過ごして、空いた三ノ輪橋行きに乗って、家に帰ったのを覚えています。

 しょうもない話で失礼しました。



投稿者 マロネロ 38
投稿日 7月11日(日)09時50分24秒
タイトル 電源車の故障
12,14系の12連なれば、少なくとも1両は電源車が生きているので、車内灯ぐらいは点き
ますが、6両のときはスハフが2両必要ですね?真冬に秋田へ出張した同僚が、「きたぐに」に
乗ったら、(12+スロ61の時代、ハネの14系新潟回転車付属編成時代)、スハフ12の
発電機ベルトが凍結して新潟でウヤになり、「事故列変」でDC急行に乗り換えさせられたと
ぼやいていました。その他「さくら」のカニ22?が故障して、乗客が怒ってホームへ降りて
しまい、氷柱を積み込み、客室扉を全部開放して運転、確か希望者には新大阪から「ひかり」で
東京へ向かってもらった事件もありました。
アメリカ西海岸出張で、ポートランドからシアトルまで乗車のとき、床下に大きな[発電機」が
ぶら下がりシャフトで車軸に直結してありました。バッテリーも大きなのが付いていましたが
[プルマン」車でした。



投稿者 クモイ103
投稿日 7月11日(日)11時00分12秒
タイトル 1等車のクリーム帯
 突然別の話で恐縮です。
マロネロ 38様をはじめ、客車列車の全盛時代を体験なさった方々がこの掲示板においでになりますので、
いつか伺おうと思っていたのですが・・・

 戦後、連合軍専用車に白帯を取られて、1等車の等級帯がクリーム色になったというのはよく知られていますが、

(1)そのクリーム色というのは、どんな感じの色だったのでしょうか?
(2)クリーム帯は、最後まで白帯に戻らなかったのでしょうか?

(1)に関して補足…
 模型では「クリーム色2号」を使うという人もいますが、そんなに黄色っぽい色だったのでしょうか?
 確かに当時「黄色」という表現をしている人がいますが(鉄道ピクトリアル昭和32年1月号の読者短信欄)、
かの神様仏様星晃様は「薄クリーム色」と仰せになっています。
「○○色*号」という色番号は昭和31年に制定されたそうですが、
2等車の帯色が「青1号」と命名されているところを見ると、1等車は「クリーム色1号」だったのではないか?
 などと考えてしまいます。

(2)に関して補足…
 昭和31年11月、青大将カラーが登場して、当時存在した1等車の殆どが緑色になりました。
その時まで、1等車の帯色はクリーム色だったと、星様は述べておられます。
 さて、青大将にならず、ぶどう色で残った1等車が、若干両ありました。
そのうち、マイテ39 11とマイフ97 1の2両は、昭和35年7月の2等級制移行まで残存しました。
その期間中の昭和34年6月23日、新しい「車両塗色及び標記方式規程」が制定され、1等車の等級帯は「白」とされています。

> 第14条 1等車及び2等車には、車体外部両側の窓の下に150ミリメートルの幅をもつて等級帯をつけ、
その塗色は、1等車は白とし、2等車は青1号とする。
但し、特別急行(つばめ、はと、あさかぜ、はつかり及びこだま)用及び気動車の2等車には、等級帯をつけない。

 この時、マイテ39 11とマイフ97 1の2両が本当の「白帯」にならなかったのか、誰に訊いてもわかりません。
ご存知の方がおられましたらご教示賜りたく、お願いします。


投稿者 客車
投稿日 7月12日(月)22時58分4秒
タイトル Re1等車のクリーム帯
私もあの伝説の黄帯については興味を持っていました。
そして青梅鉄道公園に保存中のかって黄帯であったというマイテ3911についても数
回訪れたことがありましたが、最初の頃の興味は1/80模型のマシ49に取り付けるべき
KM−3型冷房装置の取り付けの参考資料としてその痕跡を探ることでした。
 
この時はあまり参考になる様な成果は得られませんでしたが、昭和40年代後半に古書
店にて入手した資料の1/120程度のKM−2,3 マイネ40,41 マシ35 カシ
36の床下機器配置図や1/30程度のマシ35の励磁機やカシ36の主発電機の外観図,
1/80程度のKM型電磁継手側面上面外観図によりでっち上げて事なきを得ています。

さて表題の黄帯ですが何回めかに訪れた時管理が悪いのか外板の腐食が激しくあちこちに
錆が浮き出ている状態でしたが、非公開側のリクライニングシートが設置されてい部屋の
窓の下のウインドシルの下の、錆で捲れあがった青帯の所に目がいった時ふと思いました。
この捲れあがった塗料の下層に伝説の黄帯が隠れているかもしれないと。

そこで捲れあがった塗料を押してみると親指大の大きさの塗料が採集でき、その断面に目
を凝らすと果たせるかな予想通り下層にクリーム色が有りました。
そしてその色の重なりは下層よりブドウ色,クリーム色,ブドウ色,青色 でした。
全検時に塗装の塗り替えはどの程度行われるかは解りませんが、あの窓下は窓割りの変更
を受けているのでその時に塗料を全て剥がして後は塗り重ねと想像しています。

以上より、私なりには次のようなご報告となります。
(1)色は薄クリーム色でOK。
       自分の模型には現時点ではEF65の前面のクリーム色を使う予定
(2)マイテ3911には白帯はなかった。

現在大井工場にいるマイテ39を公開時に見ていますが外観からは整備時に塗装は全て剥
がして再塗装したように見えるので現在はもう残っていないと思われます。
現存する他の旧一等車元のマイネ40,41 マイテ49 はどうなのが興味わきますが
ご存じ方がおられましたらお知らせ下さい。


投稿者 まろねふ
投稿日 7月13日(火)10時24分1秒
タイトル Re:1等車のクリーム帯2
みなさま、こんにちわ。

1等車の帯ではありませんが、数年前に津和野駅で“やまぐち号”に連結されているマイテ49を眺めていますと、
標識灯掛の塗装が使用されたことによる色剥げが生じており、そこから青大将色がのぞいておりました。
写真を撮ったような気もしますが、何せ整理していないもので…
とりあえず、ご参考までに。


投稿者 クモイ103
投稿日 7月13日(火)22時58分24秒
タイトル Re3:1等車のクリーム帯
>客車様
 マイテ39 11の塗色の履歴について、貴重な情報、感謝に堪えません。
正にその情報が欲しかった・・・ど真ん中の直球でした。その塗膜の破片、今もお手元にあるのでしょうか?
 マイテ39 11が白帯にならなかったということは、残るマイフ97 1の方も同様の可能性が高いですね。
 EF65の前面のクリーム色ということは、「クリーム色1号」ですね。私もそうします。ありがとうございました。

>まろねふ様
 マイテ49に青大将の塗膜が残っているとは驚きです。
青梅で荒れ放題だったマイテ39と違い、弁天町での保存状態が良かったので、塗装剥離しなくて済んだのですね。
復元塗装でない本物の「淡緑5号」、一度拝んでみたいものです。

 ただ、白帯問題(?)に関しては、マイテ49は昭和31年に青大将化されており、
星様の著述によればその直前までクリーム帯で、白帯には戻っていないことになります。
また、横川と中部天竜にいるマイネ40はもっと古く、
昭和30年にマロネに格下げとなっていますから、もっと白帯確率は低い(どういう表現だ(^^;)です。


投稿者 客車
投稿日 7月15日(木)19時42分52秒
タイトル Re4:1等車のクリーム帯
>クモイ103様
ご挨拶が遅れましてすみません。 「客車」です。 よろしく。
>その塗膜の破片、今もお手元にあるのでしょうか?
塗膜の破片=証拠の品、採集の段階で超貴重な資料と認識していたので捨ててはいませんが、
その後の結婚、子供の誕生成長などがあって模型製作用品資料一切を物置に放り込んでしまいましたので、
物置を探して出てきましたらご報告します。

また、まろねふ様の報告ではマイテ49はブドウ色の下に青大将色が隠れているそうですが、
青大将色はあわてて塗ったそうですのでウインドシルの下の塗装の下層に伝説の黄帯が隠れている可能性は大ですね。
持ち主のJR西日本に、自主的に該当部の塗装を剥がしていただき、伝説の黄帯姿を拝んでみたいものです。


投稿者 JIN
投稿日 7月15日(木)20時14分40秒
タイトル Re5:1等車のクリーム帯
こんにちは.

1等車のクリーム帯ですが,知人が当時大井工場に勤めていた人に聞いたところ,クリーム1号よりも薄かったそうです.
昔の西武レッドアローや小田急通勤車のように,やや黄味がかったアイボリーとのこと.

ご参考までに.


投稿者 クモイ103
投稿日 7月15日(木)22時24分37秒
タイトル Re6:1等車のクリーム帯
>客車様
 こちらこそ、改めましてよろしくお願いします。
 おっしゃる通り、マイテ49の塗膜下層にクリーム帯が残っていれば、これも貴重なものですね。
 上層だけ剥がして下層を再露出させるなんて出来るのでしょうか?>こう様?(と振ってみたり(^^;)

>JIN様
 ご無沙汰してます。これまた貴重な情報、ありがとうございます。それで「黄色」という表現もされたわけですね。
 それでは、現在製作中のマイネ**の帯色は、もう少し検討してからという事に・・・
 というのは、いつまでも完成しない言い訳か?(爆)

(「白帯問題」と表現したのは「クリームでない本物の白帯」の事で、
 クリーム帯の色調問題とは別の話ですので念のため補足させて頂きます。)


投稿者 青列車
投稿日 7月16日(金)02時52分58秒
タイトル 【塗膜剥離】トラストトレインのスハフ43は…
横レス失礼致します。
トラストトレインのスハフ43のはつかりカラーは、
車体塗り替えの際、元の塗膜が残っていたことからあの色になったと聞いております
(その下にはしっかり青大将カラーと、いちばん最初のぶどう色も残っている由)。
ただ、本当に元の塗膜を利用しているのか?それを元に復元(再現)した塗料を改めて上から塗ったのか?となると…
あれ?どっちだった?

申し訳ありません。校庭10周走ったらチャイムが鳴るまでバケツ持って廊下に立ってますm(_ _)m
(体育館のトイレ掃除?仕方ない。それぐらい引き受けるべか…?)


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