倶楽部メモ(241)
平成16年 6月25日〜 6月29日 |
投稿者 |
青列車 |
投稿日 |
6月25日(金)01時56分42秒 |
タイトル |
12系の編成 |
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連続書き込み失礼しますm(_
_)m
12系客車はスハフの電源エンジンで当初は5両、後6両分のサービス電源が供給できるようになっていて、
オハ4両をスハフとオハフで挟んだ6両を1ユニットとし、場合によっては2ユニット併結して運用されていました。
後に消費電力が大きくなり(循環式汚物処理装置の搭載の影響が大きい)、
初期型では給電能力が不足するので4両給電となり、両端スハフの6連も多くなった由。
電源出力向上の図られたスハフは100番代になり、
こやつが入れば6両給電可能なため反対側がオハフでも支障がなくなったとのこと。
ただ、見た感じでは6両中両端ともスハフって編成も多々見かけました。
給電能力より故障時の予備の意味合いが強いのではないか?と思える編成でした。
東海道・山陽線系統では、下り方スハフ、上り方オハフが基本だったように思いますが、
運用の都合で編成ごと方転してしまう場合もしばしばあったのでは?
もっとも、電車とは違って編成の向きが逆になっても直接困ることはありませんよね(^^);
(指定席の席番が進行方向右だと思ったら左だったってな影響はあり得ますが)(爆) |
投稿者 |
こう |
投稿日 |
6月25日(金)19時28分46秒 |
タイトル |
失礼しました。 |
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青列車様。フォローありがたく存じます。そういえば、両方スハフの編成もありましたね。
スハフのほうが両数的にも多かったのもその為ですね。
汚物処理装置との絡みでしたか・・関西では宮原と向日町、どちらかが先に汚物タンク取り付けを完了していたかと思います。
どっちだったかは覚えていません。。
14系といえば、「みやび」は7連でしたね。ふと、思い出しました。
臨時雷鳥は、二組つないでいたような気がします。 |
投稿者のホームページ |
投稿者 |
クモイ103 |
投稿日 |
6月25日(金)23時44分50秒 |
タイトル |
重量区分の変更/12系の編成 |
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>青列車様
書き込みがうまくいかないのですか。私はそういう方面は解りませんが、早く直るといいですね。
昭和16年改番での重量区分変更については、私も詳しいことは存じませんが、オロ40も5桁時代はたしかスロだったり、
皇族用のマイロネフ37290の改番後は「マ」イロネフ38でなく「ス」イロネフ38が正しいとも言われたり、
いくつかあるようですね。
これらは、やはり「精査したら思ったより軽かった」というパターンなのでしょうね。
なお、スイロネフ38については、戦後の接収時に手ブレーキがなくなってスイロネ37となり、
返還後に1両が皇太子非公式御乗用として再整備された時点では、正しく「マ」イロネフ38となりました。
これは、当時は空気調和装置を夏のみ搭載していたため重量区分に加味されていなかったのを、
昭和28年改番で加味するようになったためです。スイテ49がマイテ49になったのと同じです。
>こう様、青列車様
青列車様の言われる通り、スハフ12 100番台は本来自車を含めて6両に給電できるが、
DG故障時の予備として余分に組み込むような話を、どこかで読んだ気がします。出典不明m(_ _)m。 |
投稿者 |
Ken |
投稿日 |
6月25日(金)23時47分7秒 |
タイトル |
客車の重量区分 |
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青列車様の疑問と重複しますが,ピク誌7月号p.50の表には35系客車の自重がかかれています。
これは重量区分は積車重量だそうですが,たとえば,自重がオハ35と同じレベルのスロハ32でなぜ「ス」になるのか?
寝台車が重めなのは,車内設備の差でなく水タンク容量の影響もあり得る(マイネ40)?
などなぜなんでしょう。 |
投稿者 |
旧保津峡駅 |
投稿日 |
6月26日(土)00時02分9秒 |
タイトル |
いろいろ |
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青列車様、こう様、クモイ103様情報ありがとうございます。
なるほど・・12系など電源付き客車は、いろいろな運用の仕方があった様子で、
かならずしも基本の形ではないのですね。客車の世界もやっぱり奥深いですね。 |
投稿者 |
鹿ケ谷鉄道 |
投稿日 |
6月26日(土)21時41分56秒 |
タイトル |
京都のオユ10 |
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いつもお世話になっております。
古い写真を整理していると、京都駅新幹線ホーム側の大阪寄りにオユ10らしきものが写っていました。
しかも非冷房のようです。
70年代の写真なのですが、この時代に大キトに配置されていた、車番などをご存知の方はいらっしゃいますでしょうか。 |
投稿者 |
鹿ケ谷鉄道 |
投稿日 |
6月27日(日)20時50分12秒 |
タイトル |
(無題) |
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自己レスです。
あれこれ調べますと、大キトには 2009、2013、ついでに大ミハには
2017、2048、2051の非冷房車が居たようです。
この他の情報をお持ちでしたら、よろしくお願いします。 |
投稿者 |
川崎 |
投稿日 |
6月28日(月)01時14分23秒 |
タイトル |
>京都のオユ10 |
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大変ご無沙汰しております。
手元に1970年度版国鉄車両配置表がありますので、それに拠りますと、
大ムコ オユ10 2021・2022・2023
大キト 10系郵便車配置無し
大ミハ オユ10 2007・2008・2009・2010・2011・2012・
2013・2014・2015・2048・2049・2050・2051・
2052・2053
です。
この他実家には70年代の配置表が3〜4冊あったと思いますので、1ヶ月位
お待ち頂いても良かったら投稿致します。
それでは。 |
投稿者 |
こう |
投稿日 |
6月28日(月)09時59分46秒 |
タイトル |
RE:京都のオユ10 |
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鹿が谷鉄道さまが書いておられるクルマのうち、
オユ10 2048と2051は1979年度に高砂工場で冷房改造されています。
当時は入社したての「若い衆」でよく使い走りの応援をさせてもらっていました。 |
投稿者のホームページ |
投稿者 |
青列車 |
投稿日 |
6月28日(月)12時40分59秒 |
タイトル |
【12系・14系】電源エンジンが故障したら? |
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12系・14系客車の電源エンジンは、本来6両給電可能ですから、6
両に1両スハフが入っていれば事足りるはずです。しかし、1箇所
だけの電源部が故障してしまうと、困ったことになりますよね。
その昔、山陽線西部で運転されていた海水浴臨時列車がありました。
1972年設定された当初は急行だったものの、1975年からは列車種別
は快速になったものの、使用車輌が14系座席車という大判振る舞い
列車でした。我が故郷の優等列車無縁の小駅にも、駅前100メートル
の海水浴場があったおかで、停車駅のお相伴に預かっていました。
何かと用を作っては利用したものです。(^^);
あれは今を去ること25年(も経ってるんだ!)前の1979年の夏のこと、
今はくたびれ果てた中年おやぢの私もまだ予備校生だった頃、例に
よって口実作ってこの列車に防府駅から乗りました。臨海学校関係
の利用があるのか?6両編成中一般客が乗れるのは後部1、2号車
のみ。気まぐれでスハフに乗ったのですが、防府駅発車後程なく、
エンジン音が消え、車内照明が非常灯のみになってしまいました。
先頭のEF58はそんな事情は知る由もなく?山陽線を東に向かって快
走します。富海駅停車。ドア扱いには支障がないのか?無事客扱い
が出来て発車します。やがてトンネルの連続する区間に差し掛かり
ますが、当然車内は真っ暗のまま。幸か不幸か、車内はガラガラで
したので、この時点ではまだ影響は少なかったのですが、この日は
どぴーかんのカンカン照り。真夏のの山口県の瀬戸内側です。外気
温は30度以上あったはず。12系だったら窓が開くのでまだしもです
が、固定窓の14系。私は徳山でこの列車を降りたので、冷房なしの
影響は殆ど感じなくて済んだのですが、さて、この列車はこのまま
広島方面へ走って行きます。
この列車の終点は運転年によって、広島・西条・白市のいずれかに
なっていました。12両で運転される時は瀬野八で走行解放が見られ
たはずですが、惜しむらくは、その区間で乗車するチャンスを得ま
せんでした。
(1980年からはカマがEF61になったので、瀬野八での後補機の出番
はなくなったと思われますが…)
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投稿者 |
尾羽根 |
投稿日 |
6月28日(月)15時01分18秒 |
タイトル |
京都のオユ10(参考) |
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72年の配置表ではオユ61
1,2,4の配置が大キトにありましたが、
76年頃にオユ10 2012〜2014に替わったようです。
京都-高松間の大郵11に充当(京都-荷2045-宇野-55便-高松-4便
-宇野-荷2046-京都の仕業)と思われます。特に荷2046は短編成な
がら白昼堂々と走っていましたのでご覧になった方も多いと思いま
す。以上参考となれば幸いです。 |
投稿者 |
鹿ケ谷鉄道 |
投稿日 |
6月28日(月)19時47分45秒 |
タイトル |
RE:京都のオユ10 |
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皆様、ありがとうございます。
京都のオユ10について大変参考になりました。なにしろコンパクトカメラで撮った写真です。
フィルムは大事に残していましたが、まともな写真は少なく資料にも程遠く、
今になって見てみると、疑問やら驚きやら・・・
あぁ、なんて勿体無いことを・・
少しはスッキリしました。ありがとうございました。 |
投稿者 |
竹中@ノーブルジョーカー |
投稿日 |
6月28日(月)22時29分10秒 |
タイトル |
RE:京都のオユ10 |
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鹿ケ谷鉄道さま。
配置表を開いてみました。
●70から72
オユ61のみでオユ10は配置なし
●73と74
オユ10 26・40
●75から77
オユ10 2008・2009
●78と79
オユ10 2012・2013・2014
10年間で案外と入れ替っていました。 |
投稿者のホームページ |
投稿者 |
鹿ケ谷鉄道 |
投稿日 |
6月29日(火)01時02分9秒 |
タイトル |
(無題) |
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竹中@ノーブルジョーカー様
詳細にお調べくださり、感謝いたします。
70年代は、冷房化改造真っ盛りの時代ですから、配置換えが激しかったのかもしれませんね。
ありがとうございました。 |
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