倶楽部メモ(234)
平成16年 4月25日〜 5月 6日


投稿者 仙コリ@管理人
投稿日 4月25日(日)19時32分27秒
タイトル あぶくま新緑号(磐越東線)
皆様ご無沙汰しております。
今週末、昨年同様に磐越東線にて旧客使用のレトロトレイン「あぶくま新緑号」が運転されましたので、
郡山駅にて列車を撮影してきました。(ちなみに先日話題となりました赤帯は消された状態でとても良かったです。)
なお、今回は583系使用の「お花見白虎号」と並ぶ場面もあり、さらに485系「あいづ」も同時に入線したので、
さながら昭和50年頃の国鉄時代にタイムスリップしたようでした。
本日の郡山駅での模様を当サイトの「旧客訪問記」に掲載いたしましたので、よろしければご覧ください。



投稿者 103列車機関士
投稿日 4月26日(月)06時51分41秒
タイトル いいですね!
管理人殿ご無沙汰してます.
毎回乗れないあぶくま号なんですが、毎回良くなっているのではないでしょうか?
郡山での3ショット最高ですね。あの頃の東北本線を思い出します。
賛否両論ありますが、走行可能で保存しているJR東日本には敬意を!
今度こそ乗りたいです!

投稿者 EF5841
投稿日 5月 1日(土)10時12分8秒
タイトル お詫び!!
103列車機関士 様
機関車配置状況、体調を崩したために配置状況を整理したメモが完成しておりません!!
完成次第送付します。


投稿者 急行比叡
投稿日 5月 1日(土)13時40分18秒
タイトル オロ35・オロ36について
 ご無沙汰しております。急行比叡です。

 つい先日、モデモのスハ32系列の2等車が入った分を買いました。そこにオロ35とオロ36が入っていました。
 そこでお伺いしたいのですが、オロ35とオロ36はどこがどのように異なっているのでしょうか?
ご教示よろしくお願いいたします。


投稿者 Yokoyama
投稿日 5月 1日(土)15時58分4秒
タイトル Re:オロ35・オロ36について
皆さま、こんにちは。

>急行比叡さん
>オロ35とオロ36はどこがどのように異なっているのでしょうか?

オロ35は1934年から1941年までに70両が製造されています。
側窓は700mmの狭窓、室内の座席は転換式座席です。

オロ36は1938年から1939年にかけて38両が製造されています。
側窓は1,300mmの広窓、室内の座席は固定座席です。

PS
宣伝で恐縮ですが、弊サイト本日更新いたしました。お時間のある時にでもご覧下さい。
投稿者のホームページ



投稿者 急行比叡
投稿日 5月 2日(日)06時39分53秒
タイトル ありがとうございました
 こんにちは急行比叡です。

 Yokoyamaさん。ご教示ありがとうございました。
製造された両数からかんがえると、オロ36のほうが特急用の2等車と考えるほうがよいでしょうか。


投稿者 EF5841
投稿日 5月 2日(日)12時42分38秒
タイトル 特急用2等車
特急用2等車は、時代及び使用列車により異なります。

「特急富士」
昭和4年から   スロ30750(スロ34 W )
昭和10年頃から スロ30770(スロ34 S )

「特急櫻」
昭和9年から   スロ30750(スロ34W)、スロ30800(スロ32)
昭和10年頃から スロ30770(スロ34S)、スロ30850(オロ35)

「燕」
昭和4年から   スロ30750(スロ34W)、スロ30800(スロ32) 
昭和10年頃から スロ30770(スロ34S)、スロ30850(オロ35)
昭和13年頃から スロ30770(スロ34S)、スロ30960(オロ36)  

「鴎」 
昭和12年から  スロ30770(スロ34S)、スロ30850(オロ35)
昭和13年頃から スロ30770(スロ34S)、スロ30960(オロ36)  

概ね以上のように変遷しております。
このうち、スロ30750、スロ30770は、専務車掌室付で、
戦後のスロ60の100番台と同じような使われ方がされたました。

戦後においては、

「特急へいわ」
昭和24年  オロ40、オロフ33

「特急つばめ」
昭和25年  オロ40、オロフ33 

「特急はと」
昭和25年  オロ40、オロフ33


投稿者 マロネロ38
投稿日 5月 2日(日)21時25分20秒
タイトル 1032レ「鴎」
昭和15年8月に両親と上京するのに、神戸駅1番線から特急「鴎」に乗りました。
オロ36X2かオロ36+オロフ33との記録がありますが、
私達が乗ったのは今から思えばマイネロフ37(マロネフ38=写真館参照)の「ロ」でした。
多客時の「増結8号車」だったのか?と想いますが、今となれば「珍車に乗れた」貴重な経験でしたが-----


投稿者 EF5841
投稿日 5月 2日(日)22時15分52秒
タイトル >特急2等車
鴎のロザのうち スロ34からオロフ33に後に変わったのですが、何時頃だったのでしょうかね?
確かにマロネロ38様の指摘どおりオロフ33は使われたのですが、・・・。
オロフ33は、確か5両くらいでしたよね!!


投稿者 103列車機関士
投稿日 5月 3日(月)19時36分32秒
タイトル どうもすみません
EF5841殿、
お体の具合いかがですか?
かえって催促したような言い方になりました事おわびいたします。
お願いできますなら、どうかご都合のよろしい時で結構ですので宜しくお願い致します。


投稿者 マロネロ38
投稿日 5月 6日(木)17時36分56秒
タイトル オロフ33
確か昭和14年5両(日車)建造でした。だから15年頃でしょう。
戦後「平和」に組み込まれていたとき、1300mmのガラスが無くて、真中で桟をいれて継いであったので、
まるで2+2+2+2+---窓配置みたいでした。


投稿者 31列車
投稿日 5月 6日(木)21時30分44秒
タイトル オハ31の座席
はじめて投稿します。
昔から客車列車が好きで、一番最初に意識して乗ったのが、S42.8(小5)鳥栖ー長崎間の31列車「雲仙です。
肥前山口までは、「西海」と併結で、DD51とC57の重連で走ったことを覚えています。
客車列車のほとんどが消滅した今、当時をしのぶのは模型しかありません。
 そんなわけで、当時の客車を鋭意製作中で、雲仙西海も一応フル編成が完成しています。
ただし、荷物車については、資料がなく、とりあえずマニ60をつないでいます。
 ところで、オハ31の座席の配置をどなたか教えていただけないでしょうか?
外観上3つ組になった窓配置と座席の関係が知りたいのですが。よろしくお願いします。


投稿者 クモイ103
投稿日 5月 6日(木)22時05分45秒
タイトル Re: オハ31の座席(と雲仙・西海の荷物車)
>31列車様、はじめまして。
 オハ31の3連窓は、座席2ボックスに対応しています。
つまり、3枚組の真ん中の窓は、その中央に座席の背もたれが来ます。
 それ以前の標準型であった木製客車ナハ22000の構造を踏襲したもので、
戦後の鋼体化改造車オハ60・オハフ60も同様になっています。

 昭和42年8月頃の急行「雲仙・西海」の荷物車(西海編成に連結)は、早岐の車が毎日連結、
それに加えて週3日(始発駅基準で下り月水金・上り火木土)のみ品川の米軍専用荷物車が連結されていました。
 早岐のマニ車の配置は、
昭和42年3月31日現在:マニ60 89,111,112,113,134
昭和43年3月31日現在:マニ35 69,72,マニ36 77,78,83
 となっています。
S.43年のマニ35,36は、いずれもS.42年の7月から9月にかけて改造で登場したもので、当初の配置は門司でしたので、
31列車様がご乗車になったS.42年8月は、マニ60で間違いないでしょう。


投稿者 EF5841
投稿日 5月 6日(木)22時24分12秒
タイトル >オロフ33
マロネロ38 様

オロフ33についての貴重なお話ありがとうございました。
小生、現在、かの「へいわ」用のオロフ33を製作中です。
早速、中桟の件、取り入れさせていただきます。

103列車機関士 様

体調は戻りました。ご心配をおかけしました。
書き込みが終了しましたらメールを差し上げます。


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