倶楽部メモ(223)
平成16年 2月 8日〜 2月10日


投稿者 マロネロ38
投稿日 2月 8日(日)11時09分30秒
タイトル オハ35371
昭和30年7月に金沢で写して居ますが,ドアーが全部開けっぱなしでした。
見たときは「戦前タイプの木製ドア‐」でしたが,戦後同じ物を作って更新したかも知れません。
高い窓ではなかったと記憶します。


投稿者 EF5841
投稿日 2月 9日(月)12時39分42秒
タイトル あさかぜの編成(照会)
諸貴兄の中で、営業初日の下り及び上りの「あさかぜ」及び「さくらの」の
編成の車番をご存知の方がおられましたらご教示頂きたいと思います。


投稿者 EF5841
投稿日 2月 9日(月)12時42分21秒
タイトル あさかぜ編成照会の補足
20系編成ということを付け加えるのを忘れました。


投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2月 9日(月)19時35分56秒
タイトル Re:あさかぜの編成
20系編成営業初日の「あさかぜ」及び「さくら」の編成についてですが、下り7レ「あさかぜ」の営業初日
(一般には昭和33年10月1日から運転と言われていますが、下り列車は前日の9月30日発の列車が初日:
上り列車の送り込みの為?:同日誕生の「はやぶさ」も同様)の編成だけわかりまして、
日立製造の編成でしたので、すでに掲載しておりました当サイト「客車列車の旅」の「客車資料館」→
「客車列車編成表」→「昭和33年8月1日特別急行列車編成表」の該当編成に注釈を追加しました。
このことから、10月1日の編成は下り7レは日車製編成、上り8レは日立製編成であったと推測できます。
「さくら」については手持ちの資料を探しましたがわかりませんでしたので、
どなたかお知りの方がいらっしゃいましたらフォローお願いいたします。


投稿者 クモイ103
投稿日 2月 9日(月)20時52分59秒
タイトル 「能登」のマロネフ38

>マロネロ38様、仙コリ(管理人)様
 遅くなりましたが、貴重な写真を公開して頂きありがとうございます。
 マロネロ38様ご幼少の思い出ゆかりの車両、「能登」のマロネフ38の画像は、
私も特別な想いで拝見させて頂いております。
元戦前製イネ車として最後の定期運用で、私の生まれた時点で唯一残っていたのが、この「能登」でした。
もちろん当時知る由もなく(笑)、私が1才になる前に、オロネ10に置き換えられました。
マイナーな急行列車だけに、こうして運用中の写真、それもマロネフのアップにお目にかかる機会は
そう多くありません。この写真、私のデスクトップの壁紙に使ってもいいですか?

# ところで、撮影時期が昭和34年4月となっていますが、
「能登」の列車設定は34年9月22日改正からではなかったでしょうか…


投稿者 スハ32
投稿日 2月10日(火)00時42分25秒
タイトル (無題)

 掲載された貴重な写真拝見したのですが、よく観察するとスハ32482が興味深いですね。
番号と板張りの椅子は、昭和7から製造された丸屋根初期型ですが、幾つか気になる点があります。
 内装がどう見ても、昭和13年以降製造のノッペリした壁(オハ35などと同じ)
でそれ以前の客車の標準的な壁内装と異なります。
椅子もオハ61の様な少々小型の物です。
スハ32のオリジナルの椅子は、同じ板張りでも大きめの傾斜付だったと思います。
 はっきりとは判りませんが、終戦直後に戦災等で荒廃した客車を内装と椅子を作り直して、
戦災復旧車では無く、スハ32として復元したものかな?などと色々創造しちゃいますね。
 以下のサイトで同時期に製造されたスヤ37(スハフ32100)の内装と椅子が写真で見れます。
椅子と内装がほぼ同時期製造なのに明らかに違いますね。
 http://www.linkclub.or.jp/~junyoko/Q-pc2/suya37.html

 スハ32は、オハ35同様バラエティ豊かですが、残ってる記録が少ないのが残念です。


投稿者 門タケ@中村
投稿日 2月10日(火)02時51分56秒
タイトル スハ32482
車掌殿御無沙汰しております。スハ32482を以前調べたことがありました。
落成時はスハ33145で1941年の称号改正でスハ32482となりますが、終戦後1946年9月3日
進駐軍特別専用客車に指定され軍番号2720軍名称BELFASTとなり同年11月19日小倉工場で
販売車として改造が終わり、座席はこの時に全て撤去され内装は陳列棚など変わり果てた様です。
所属は広鉄・東鉄で1949年3月11日に返還され、省記号番号はオミ422でした。 
1949解除後はスヤ5117として職用車となり、復元は1952年でスハ32482に戻っています。
更に晩年は1969年マニ362100に改造され、1980年オエ61305となって1986年廃車とあります。
復元車の車内は興味があるところです。
 仕事が一息ついたらと思っていたら中々着かずに今頃出て参りました。
投稿者のホームページ


投稿者 EF5841
投稿日 2月10日(火)09時08分4秒
タイトル 多謝!!

仙コリ 様

あさかぜ、運転初日の編成及び車番のご教示ありがとうございました。
小生、20系以降の客車にあまり興味がなかったため、手元に資料を持ち合わせておりませんでした。
こういうときに限って、友人からの照会があったりして・・・。


投稿者 こう@神戸舞子
投稿日 2月10日(火)10時00分17秒
タイトル 半鋼製車の内装は・・
半鋼製車の場合、簡単な改造工事で以前の痕跡のほとんどを消し去ることが容易ですね。
スハ43などでも良くあったと思うのですが、元々がどんな感じだったか・・
高々7日ほどの工場入場でまったく変ってしまうことも良くありました。
ドアの交換や差し替えなども比較的頻繁に行われていました。
投稿者のホームページ


投稿者 スハ32
投稿日 2月10日(火)15時00分57秒
タイトル 内装

 門タケ@中村様
 早速のご回答ありがとうございます。なるほどかなり複雑な経歴の持ち主ですね。
スハ32一族も波乱万丈の一生を送った車もいて興味深いです。

 晩年東北線で最後まで活躍したスハフ322131が、オリジナルの美しい内装を
最後まで残してた貴重な車で、初めて乗った時に非常に強く印象に残りました。
(トイレも白便器でなく、見たことも無い形をしてました。)
おそらく、あの内装を残すのは、小金井公園に保存されてるスハフ32だけと思います。


投稿者 彩稀
投稿日 2月10日(火)20時02分49秒
タイトル オハ35 その2
竹中@ノーブルジョカー様、マロネロ38様ありがとうございました。
アルミサッシ車の場合の乗客扉は、どのタイプだったのでしょうか?宜しくお願いします。


投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2月10日(火)22時02分35秒
タイトル スハ32482?
門タケ@中村様、ご無沙汰しております。
拠点を移されるとの事、いろいろと大変だと思いますが頑張ってください。
スハ32482について詳しい解説ありがとうございます。
スハ32形式はダブルルーフからシングルルーフへの過渡期の車両で、特急形や北海道形をはじめ
バリエーションも多数あり、また第二次大戦をくぐっており軍用車となった車両等も多数あるため、
詳細を把握するのはとても困難であると思います。
ところで、せっかく詳しく解説していただいた話題の腰を折るようで申し訳ないのですが、
マロネロ38様提供の3枚目の写真の車両の番号ですが、マロネロ38様のメモによると
482ではなく483となっております。
当時の配置を見ても482は高ミヤ、483は四コマとなっておりますので、483で間違いないと思います。
スハ32 483の方は、私の調べた限り他形式に改造された事はないと思いますが、
戦災を受けている可能性は十分あるため、戦後改造されている可能性は高いと思います。
また、スハ32 483の製造は昭和14年度のようですので、内装については最初から
という可能性はないでしょうか?


投稿者 門タケ@中村 只今大キト
投稿日 2月10日(火)22時09分45秒
タイトル 483でしたかぁ〜
いや〜廊下ですなぁ〜 483は特に記事はありませんね。
客車は新製から廃車まで同じではありませんので、
途中でこう@神戸舞子殿が書かれたケースかもしれませんね。


投稿者 スハ32
投稿日 2月10日(火)23時37分44秒
タイトル 申し訳ありません。
 皆様に無用な混乱を招きまして申し訳ありません。確かに483ですね、ご迷惑をおかけしました。
 昭和14年製ですと、内装がオハ35と同じでもおかしくないですね。
現在JR東日本で保存されてるスハフ32(昭和13年製)もこのタイプです。
ただ座席が板張りでオハ61タイプなのは、オリジナルと異なります。
おそらく戦後取り替えられたものではないかと思います。
昭和10年製造以降は、すべてモケット張りになっていたと思いますが、例外はあったのでしょうか?
 白熱灯の灯具は、スハ32タイプの形してますが、透明と言うのが気になりますね。
客車はSLに比べ記録が少なく、特に車内の写真は皆無に近いです。
当時の貴重な記録を残しておられる方には、本当に感謝します。


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