倶楽部メモ(221)
       
      
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        平成16年 1月28日〜 2月 2日 |  
       
     
    
      
      
     
    
      
      
      
        | 投稿者 |  
        こう@神戸舞子 |  
       
      
        | 投稿日 |  
        1月28日(水)15時04分25秒 |  
       
      
        | タイトル |  
        はじめまして・・ |  
       
      
        始めまして・・神戸・舞子からお邪魔しました。 
        このようなサイトがあった事に驚き、また今まで気がつかなかった事を悔やんでもいます。 
        またよろしくお願いいたします。 
        私は、25歳まで国鉄高砂で旅客車職場に在籍し、客車の上回りを担当していました。 
        主に、24,14,12,20系 
        また、木工技術も先輩方から受け継いで35,43系もしょっちゅう触っておりました。 
        先日、自分のホームページを開設したのですが、 
        ここに今月から高砂工場のページを追加して、一部写真を公開しています。 
        ただ、ホームページ自体は写真が主体ですが・・ 
        気がつけば客車というものはすっかり減ってしまっていたのですね。 
        本当は一番環境に優しい車両なのですが・・今後ともよろしくお願いいたします。 | 
         
       
      
        | 投稿者のホームページ | 
         
       
     
     
      
       
      
        | 投稿者 |  
        マロネロ38 |  
       
      
        | 投稿日 |  
        1月28日(水)17時47分53秒 |  
       
      
        | タイトル |  
        興味深いです。 |  
       
      
        始めまして。鉄道友の会会員の「客車党」です。 
        教えてくださったのは私の前の「こうさん」で私も昭和20年3月まで神戸・舞子の住人でした。 
        昭和15年幼稚園の時に両親と上京の折,神戸から1032レ「鴎」のマイネロフ37の[ロ]に乗った思いでは, 
        C53とTR73の走行音と共に未だに忘れられません。 
        其れに戦後国鉄になってからの, 
        PCの車内放送オルゴール「ハイケンスのセレナード」の旅情を掻きたてる音響------ 
        戦争中N.H.K.の「前線に送る夕べ」と戦後の「復員便り」に使われて居た曲の一部----- 
        が平和になってPCのオルゴールになったのも時代の流れ。 
        (所でこのハイケンス,実は当時の敵国オランダ人だったと戦後知って驚きました) 
        最も好きな客車はシートピッチが広いオハ341−12(元戦前の゛富士"用)と戦後のオロ41でした。 
        戦後では20系でしょうか。 | 
         
       
     
     
      
       
      
        | 投稿者 |  
        クモイ103 |  
       
      
        | 投稿日 |  
        1月29日(木)20時30分15秒 |  
       
      
        | タイトル |  
        よろしくお願いします |  
       
      
        >こう@神戸舞子様 
        >マロネロ38様 
         はじめまして。 
         客車検修の名門高砂工場のOBの方、また、戦前の「鴎」をリアルタイムで体験された方と、 
        こうした場でお目にかかれるとは光栄です。 
         小生、幼稚園の時には既に東海道新幹線が走っていた世代で、 
        何かととんちんかんな事をお伺いするかもしれませんが、よろしくお願いします。 
         こう様のHP、これからお邪魔させていただきます。 | 
         
       
     
      
        
      
       
      
        | 投稿者 |  
        マロネロ38 |  
       
      
        | 投稿日 |  
        1月29日(木)20時42分24秒 |  
       
      
        | タイトル |  
        教えてください |  
       
      
        「銀河」が神戸行きの頃?三ノ宮駅で宮原への回送を見たときに,マロネロ38が組み込まれて居ました。 
        この編成は何時頃だったのでしょうか? 
        また25-30年代?と記憶しますが,下りの夜行急行で二かユの後ろに(1号車)スロハフ30が 
        組み込まれていました。これは何処行きの急行だったのでしょうか? 
        御存知の方ご教示下さい。 | 
         
       
     
     
      
       
      
        | 投稿者 |  
        福原隆雪 |  
       
      
        | 投稿日 |  
        1月31日(土)13時26分53秒 |  
       
      
        | タイトル |  
        寝台特急[あさかぜ]号など |  
       
      
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         こんにちは。お久し振りです。 
        さて,かつての寝台特急[あさかぜ]は博多発着の列車にはA個室やB個室カルテット,デュエット, 
        それに,食堂車といった豪華編成がありました。 
        それで,その編成は現存しているかが知りたいので教えて下さい。 
        サンライズエクスプレス登場前の[瀬戸]号の編成もお願いします。 
        A個室は[日本海]1/4号に連結されていることは知っています。 
        次に,寝台特急[さくら・はやぶさ]号上りの東京駅到着時刻は11:33です。 
        到着後,先頭のEF66は切り離され,田町の基地へと回送する先着の[富士]を牽引してきたEF66が 
        品川よりの電源車へ連結されます。 
        それで切り離される時刻と連結される時刻が分からないので教えていただきませんでしょうか。 
        回送の発車時刻は11:46です。 
        
        
        次に,最近の電車はどんどん新型車へと取り替えられておりますね。 
        東海道線の113系(JR東日本)もE231系へ老朽取り替えをするようで113系湘南色が全廃される運命 
        になっているのです。すごく寂しいです。山手線の205系や宇都宮線の115系も置き換えられるようです。 
        
        
        以上です。突然なことで恐れ入りますが,よろしくお願い致します。
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        | 投稿者 |  
        EF5841 |  
       
      
        | 投稿日 |  
        1月31日(土)18時46分34秒 |  
       
      
        | タイトル |  
        マロネロ38 |  
       
      
        マロネロ38が銀河に・・・・ 
        気になって、可能性のある昭和24年から昭和32年編成表メモ片っ端から見てみたが、 
        小生のメモには見あたらなかった。 
        マロネ29の代車として臨時的に組み込まれたのではないでしょうか? 
        また、スロハフ30ですが、昭和33年の配置は青ハコ、札サツ、東ヲク、名ナコ、天リウ、米ヨネ等ですね。 
        このうち、最も多く配置されていたのは青ハコですね。 
        東海道夜行ということであるならば、配置区からして、大和の可能性があるが 
        荷物車の次位というと当てはまらないし、・・・・。 
        はやとも、西海あたりだと米軍の要請により変てこな車輌がくっつくことが多かったし、・・・。 | 
         
       
     
     
      
       
      
        | 投稿者 |  
        マロネロ38 |  
       
      
        | 投稿日 |  
        2月 1日(日)19時18分42秒 |  
       
      
        | タイトル |  
        銀河スロハフ |  
       
      
        EF5841様: 
        銀河は若しかしたら代車か増結だったのでしょうね。確か25−6年頃だったと思います. 
        スロハフ30ですが東海道-山陽本線夜行急行でした, 
        名ナゴなら「阿蘇」が名古屋-熊本になった時代だつたか?とも思います。 
        スロハフ30には,岩見沢ー登別,虻田-長万部間に乗車しました,長万部で函館本線鈍行に 
        円屋根(田中車両製)が,なんとTR11をはいていたのを見ました。 
        TR23Dならば予備が幾らでもあったのに,おかしな事でした。 
        また網走から岩見沢まで青ハコのオロ31で,背摺りにパンヤが入っていなくて, 
        ビロードみたいな布が2枚貼ってあり,背中が引っ込んでこまりました。 
        何故あんな事を青ハコがやったのか??40年以上経っても想像不可能です。 
        いずれにせよご教示有難う御座いました。 | 
         
       
     
     
      
       
      
        | 投稿者 |  
        EF5841 |  
       
      
        | 投稿日 |  
        2月 1日(日)22時12分20秒 |  
       
      
        | タイトル |  
        スロハフ30 |  
       
      
        マロネロ38様 
        阿蘇の編成表 昭和25年の11月以降のもののメモがあるのですが、 
        昭和25年11月24日までは、東京ー熊本 
        11月25日から昭和29年9月30日の間は、阿蘇と高千穂が併結で、 
        東京ー熊本及び東京ー都城ですから、阿蘇の可能性は低いのではないでしょうか。 
        ただし、併結していた同時代の高千穂は、門司ー大分間でオロハを機関車の次位に繋いでいましたね。 
        回答にならないようで済みません!! | 
         
       
     
     
      
       
      
        | 投稿者 |  
        青列車 |  
       
      
        | 投稿日 |  
        2月 2日(月)00時45分50秒 |  
       
      
        | タイトル |  
        「あさかぜ」現存しません |  
       
      
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         今晩は(^o^)/福原さん 
        時々お邪魔してます青列車と申します。 
        お尋ねの旧「あさかぜ」編成ですが、残念ながら現存していません。 
        オシ24レトロ車は「あさかぜ」廃止後運用離脱し保留車状態が続いた後廃車解体、 
        オロネも東北筋の「はくつる」に転用されたもののこれも列車廃止でお役御免となってしまいました。 
        金帯のBハネ車あたりは或いは生き残っている車両もあるかとは思いますが… 
        経年もさることながら、寝台客車、1回運用に就くや否や、一晩で500キロ〜1000キロ、 
        列車によっては1600キロ弱(東京〜西鹿児島間時代の富士)走りますから、 
        走行距離も案外稼いでいますので、見かけ以上に疲労がたまっているのでしょう。 
        当面使い道のない老朽車両とみなされ、さっさ 
        と処分されてしまったのでしょうか? 
        
        
        瀬戸の車両は共通運用だった下関あさかぜがほぼ当時のままで走っていますが、 
        サロンカーは廃車になりました(パンタ付きのスハ車は現役) 
        
        
        さて、東京駅での構内作業ですが、以前見かけた銀河や出雲の事例で申し上げますと、 
        一言で言えば、「あっという間」です。 
        列車が到着すると程なくカマの切り離しが行われ、編成最後尾に今度は回送用のカマが付き、 
        品川へ向かいます。 
        残ったカマは有楽町側に移動し、次の列車の回送を受け持つべく待機します。 
        一連の作業を僅か10分で全て終え回送列車として発車しますので、分刻み否秒刻みの作業になります。 
        ただ、客扱いとも並行して進めますので毎回ぴったりにはならないのでは? 
        
        
        追記… 
        博多あさかぜの豪華編成と聞いて、てっきり「殿様あさかぜ」の事か?と思ってしまいました(^^); 
        (20系時代の、編成中半分の7両がロネ・ロザだった博多あさかぜはそう呼ばれました。)
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        | 投稿者 |  
        マロネロ38 |  
       
      
        | 投稿日 |  
        2月 2日(月)10時14分3秒 |  
       
      
        | タイトル |  
        スロハフ30 |  
       
      
        EF5841様色々有難う御座います。 
        確か三ノ宮を20.00−22.00の間に下っていった急行でしたが, 
        若しかしたら「団体」?用だったかも知れません。 
        スロハフ30は関西では珍しいので覚えているのです。 
        「高千穂」にオロハ30ですか?「ハ」の乗客には迷惑ですね?スロハ31ならまだ良いですが。 
        そうそう昭和29年夏に,宮島口-三ノ宮間(博多,都城)準急の上りに乗って帰りましたが 
        博多編成の「ロ」がなんと「スロ341」W屋根のトップナンバーでした。 
        都城編成がオロ35でしたから、スロ34W屋根のほうが,車内が暗くて良く眠れました。ガラガラでしたし。 | 
         
       
     
     
      
       
      
        | 投稿者 |  
        マロネロ38 |  
       
      
        | 投稿日 |  
        2月 2日(月)18時05分42秒 |  
       
      
        | タイトル |  
        山陽鉄道の客車に戦後乗車? |  
       
      
        昭和21年早々でしたが,京都へ行くのに父と加古川朝6.06の大阪行きに乗り,大阪から 
        省線電車に乗り換え様としたら,向かいの9番線に復員列車が停車していて,駅員が「京都行き 
        で空いているから乗っても良い」と言ったので,乗車しましたが,其れが「オープンデッキ」で 
        シートピッチも狭く,でもスハ32見たいな2+2+2--窓でW屋根でした。 
        後年鉄道フアンになってから「あれは山陽鉄道の客車」ではなかったか?と-- 
        片上鉄道のホハフ301に乗車した時に,「矢張り山陽鉄道の客車だったのか」と 
        想いました。それにしてもよく残存していた物です。その後すぐ廃車されたものと 
        想います。客車不足で全ての残存客車を総動員していたのですね。 
        コノ頃はまだ「窓ガラス」も完全に入っていました。 | 
         
       
     
      
        
      
       
      
        | 投稿者 |  
        出羽 |  
       
      
        | 投稿日 |  
        2月 2日(月)18時39分22秒 |  
       
      
        | タイトル |  
        福原さん |  
       
      
        こんばんは。 
        「あさかぜ」編成客車、青列車さんがおっしゃるように、オロネは3両共土崎工場で解体されました。 
        またハネ、ハネフ、カニは、全車ではありませんが現在も「あけぼの」「日本海」で活躍中です。 
        しかし、かなり外板の痛みが激しい車両も見受けられます。 
        これまで、ハネ149、ハネフ118、カニ111の解体を確認していますが、他にも数両あるようです。 | 
         
       
     
     
      
       
      
        | 投稿者 |  
        仙コリ |  
       
      
        | 投稿日 |  
        2月 2日(月)21時00分10秒 |  
       
      
        | タイトル |  
        旧博多「あさかぜ」編成について |  
       
      
        | 
         福原隆雪様 
        旧博多「あさかぜ」号の車両についてですが、 
        すでに青列車様、出羽様より書き込みがありますが、少々補足を。 
        
        
        博多「あさかぜ」廃止時には、その編成は基本的にそのまま 
        その時に客車化された「はくつる」に転用されました。(食堂車・個室B寝台車を除く) 
        当時の「はくつる」の写真を見るとオール金帯の編成となっております。 
        (ただし「はくつる」の晩年は白帯車も混結されていました。) 
        
        
        食堂車のオシ24-700は、すでに当時「北斗星」等一部の列車を除いて 
        食堂車そのものが営業していなかったため長期保留車となったまま廃車。(平成9年10月) 
        B個室カルテットのオハネ24-700、B個室デュエットのスハネ25-700は東シナから東オクに転属し、 
        「夢空間」編成に使用されていましたが、それぞれ平成12年7月(オハネ24-700)、 
        平成12年11月(スハネ25-700)に廃車となりました。 
        
        
        残りの開放Bハネは、盛アオ及び東オクに転属となり、盛アオ車は前述のとおり「はくつる」を 
        中心として使用され、「はくつる」廃止後は(一部は廃止前から)同区で運用している 
        「日本海」「あけぼの」に使用されているようです。 
        東オク車は臨時列車である「夢空間」・「エルム」に使用されているものと思われ、 
        盛アオ車及び東オク車ともに一部の車両は廃車されていますが、かなりの車両は現存しています。
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