倶楽部メモ(207)
平成15年 8月29日〜 9月 9日


投稿者 オクタゴニアン
投稿日 8月29日(金)15時12分31秒
タイトル 青大将編成
ネコ・パブリッシングの「碓氷峠の一世紀」のなかにED42にプッシュプルされる客レの2輌目に
「つばめ」「はと」の電車化によって、編成をとかれた「青大将」のスハ44が組み込まれた写真をみました。
長野方面へも足をのばしていたんですね。なじみの東海道本線とちがうアプト線、
ラックのある線路。はじめは「マイ38」か!と思った・・・。


投稿者 オクタゴニアン
投稿日 8月29日(金)16時56分09秒
タイトル かもめ展望車
かつてマイ38を「かもめ」に連結させる計画があり、
そのとき、かつてのGHQ専用の「インスペクションカー」や
さらに前の釜山ー北京間の急行「大陸」「興亜」のテンィネ2のようなガラスばりの密閉式
(特急「あじあ」のテンィ8のような)一等展望・サロンカーの「マイテ30」を「かもめ」に連結する計画が存在。


投稿者 りんす
投稿日 9月 1日(月)16時22分16秒
タイトル (無題)
北海道で、「オクハテ」や「ハテ」等、キテレツな客車(?)達に遭遇しました。
DLによるプッシュプル、DCによる牽引等、まるで大昔の軽便鉄道の様です。
これが客車の生きる道?寂しくもあり、また、楽しみでもあり。


投稿者 りんす
投稿日 9月 2日(火)16時02分24秒
タイトル カーペットカー保存
海峡号用カーペットカーが北海道の流山温泉に、休憩所として保存されているそうです。
ttp://www.hopp.co.jp/nagareyama/kyakusya/index.htm


投稿者 103列車機関士
投稿日 9月 2日(火)21時07分56秒
タイトル 湘南列車
皆様こんにちは!
EF53を完成させました!
さて以前RMで湘南列車というのを見かけました、
EF53に牽かれてすでに電気暖房という進化?した列車だったそうですね、
詳しく知りたいのですがお分かりになりますでしょうか?
電暖ということですでに番号の違いがあったのでしょうか?
EF53にEG(と言ったのかな)が付いてたのでしょうか?
スロ33がこの列車のために作られたと言う事も聞きました。
ひとつこの編成を揃えたく思います!


投稿者 EF5841
投稿日 9月 6日(土)12時49分45秒
タイトル >湘南列車
湘南列車>熱海線直通列車のことですよね。
電暖とはいうものの、ほとんど役に立たなかったようです。
ジャンパ線は、1位及び2位の山側についておりました。
取り付けられたのは、EF53のほかにEF52、EF55、EF56、EF57ほか
客レを牽く機関車に取り付けられておりました。
スロ33の件ですが、そのためということではありません。
オロ30以降に作られた2等車は、背もたれ転換車でした。
スロ33は、オロ30以来久しぶりの固定座席車ですね。
オロ30もたった2両ですから、実質鋼製客車としてははじめての固定座席車となりますね。


投稿者 オクタゴニアン
投稿日 9月 6日(土)12時59分59秒
タイトル 青大将に
別冊歴史読本の「懐かしの特急列車」の表紙で何と青大将「はと」のマイテ39の1輌前
(つまりマイ38の位置)にどう見ても「はつかり」用のライト・ブルーに白線を2本巻いた
スハ44らしき車輌がうつっています。たしか「マイテ」の前はナハ10だから、増結用かと・・・。
マイ38の出張はあったようですが「はつかり」色が東海道本線を走るとは・・。
模型ならなんでもできるんでしょうが・・・。
満鉄特急「あじあ」、昭和18年以降は旧「あじあ」の車輌を連結したそうですが、
その編成をどなたか、ご存知のかた、教えて下さい。お願い致します。


投稿者 EF5841
投稿日 9月 7日(日)13時34分47秒
タイトル >青大将に
歴史読本の表紙、今まで、気がつきませんでした。
はつかりのナロ10を増号車として青大将につくことは珍しいことではありませんが、
本の表紙に載っているとは・・・。
ちゃんとナロ10の向きを東海道用に転換していますね。
東海道、山陽の場合、優等車の向きは2エンドを下り向きにつなぐことのお約束がありました。


投稿者 オクタゴニアン
投稿日 9月 7日(日)21時45分57秒
タイトル 青大将編成
そうですか・・。「はつかり」のナハ10は増車としてつくことがたびたびあったのですか!
たしか「あさかぜ」「さちかぜ」の車輌の「お下がり」ときいていたもので。
じつは歴史読本の表紙、私は何度も「変だな」とおもっていたんですが。
「はつかり」へ転任後、尾久区と青森区の間を往復しているんだ、と思っていました。
しかし「つばめ」「はと」「かもめ」「はつかり」にデビューしたオシ17、
「きたぐに」仕業での北陸トンネル事故で早々に本線を追っ払われたのは残念。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 9月 8日(月)10時51分38秒
タイトル Re:青大将に

別冊歴史読本「懐かしの特急列車」の表紙の件、私も気が付きませんでした。
当時の車両運用のやりくりについて詳しくはわかりませんが、
EF5841様のおっしゃる通り当時このような運用は珍しくはなかったのかもしれません。
青大将色の登場当時は「つばめ」は宮原区、「はと」は品川区の受け持ちでしたが、
翌年に宮原区に集中配置になり、「はつかり」登場時には品川区にあった青大将色の車両は
マイ38が2両だけという状況でしたので、下り列車に増車が必要となった場合は、
尾久区から「はつかり」用の車両を回していたのだと思います。

ただ、ここで何点か疑問が・・・
1、下り列車で増車が必要な場合、あらかじめ上り列車に増車して送り込む事はなかったのか?
2、「はつかり」色の車両は、そのまま上り列車に連結されたのか?
それとも別の方法で返却回送されたのか?
3、青大将色が宮原に集中配置されてから「はつかり」登場までの約1年間は増車が必要となった場合
どうしていたのか?
といった点です。

私の想像としては、1については増車については基本的に該当列車の発車区で準備するルールがあった?
とすると2は別の方法で返却回送されたのか?
3については1等車はマイ38があったのでいいとして(上りで必要になった場合は?)
2等車は宮原に転属しなかったスロ54(12・13・31・32)(いつまで青大将色であったかは不明)
を使用したのか?しかしスハ44や食堂車は全車宮原に転属しているし・・・
どなたか詳しい事情をご存知の方はいらっしゃらないでしょうか?

PS.ちなみに増車されたのはナロ10ですよね。ナハ10は特急色になっていませんので?


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 9月 8日(月)12時55分04秒
タイトル Re:湘南列車

湘南列車という言葉もあまり知らなかったのですが・・・
言葉の通り今でいう?湘南電車の前身で、主に戦前の東京−熱海間の中距離普通列車の事のようですね。
使われていた車両は主にスロ33・スハ32・スハフ32・スハニ31といったところで、
国鉄初の電気暖房装置が装備され、その区間専用に使われていたようです。

この電気暖房装置について詳しくはわからないのですが、
一般的にいわれている電気暖房は交流電化の促進にともなって昭和30年代後半に登場し、
交流機関車やMG等から供給される交流の電気を利用した暖房装置ですが、
当時の電気暖房装置はたぶん別の方式ですよね。
詳しい事をお知りの方はいらっしゃらないでしょうか?

またスロ33についてですが、全車が東鉄に配置されたわけではなく、
湘南列車専用に誕生というわけではないようですが、
大半が東鉄に配置され湘南列車専用に使われたようです。


投稿者 としちゃん
投稿日 9月 8日(月)21時25分19秒
タイトル 最終客車ちくま号牽引カマ
いよいよ、現在の383系ちくま号も、季節運転化されることになり、寂しいばかりですが、
その前の客車最終日のノリホ(?)を提出します。ま、主に牽引カマについてですけどね。
97年9月29日、岐阜から14系15形寝台3両+12系座席車5両の8両編成の3号車
オハネ15−13に乗車しました。
当日は最終運転ということで、東海道区間は、今はなき田端区のEF65−1019、
つまりスーパーエクスプレスレインボー色、
中央・篠ノ井区間は、静岡区のEF64−35、つまりユーロライナー色による牽引となりました。
名古屋駅には、大勢の鉄ちゃん(一部マナーを知らない輩)がカメラを構えて待ち構えていました。
殺伐とした雰囲気の中、カマの付け替えが行われ、23時55分、長野へ向けて出発しました。
多治見、木曽福島(ここで、上りちくまと交換)、塩尻、松本、聖高原、篠ノ井、そして、終着長野に到着。
長野では、方向幕をいろんなところに回すサービスもやっていたようです。
当日は、同時に碓氷峠の最終運転と重なり、長野電鉄で時間つぶしし、
489系あさまで横川に向かうことになりました。
ここから先は、趣旨から外れるので(これまでも外れてる?失礼しました)割愛します。


投稿者 アーノルドカプラー
投稿日 9月 9日(火)05時38分26秒
タイトル RE:湘南列車

 みなさん、ご無沙汰しております。アーノルドカプラーです。

 さて、103列車機関士さんのご質問の湘南列車の電気暖房装置に関しまして、
10年以上前に図書館で読んだ記憶がありますので、書き込みさせていただきます。
あやふやなもので間違っていたら申し訳ございません。

 原本は交友社の「EF57ものがたり」か「EF58ものがたり」で、
蒸気暖房の蒸気暖房搭載の経緯のところで東京地区での電気暖房が記述されていました。

 電気方式は直流で架線からの電気をトランスか何かで電圧を下げ、
それをそのままジャンパ線で客車につないでいたようです。
この時代のものは電暖表示灯などは装備されなかったとのことです。

 手元に原本がないのでお持ちの方ご確認をお願いします。また、間違っていたら申し訳ございません。


投稿者 EF5841
投稿日 9月 9日(火)18時28分25秒
タイトル Re:青大将
車掌@仙コリ  様
古老の話によると青大将が「はつかり」にという逆パターンもあったとか・・・。
また、宮原仕立ての「なにわ」には、よく青大将が組み込まれました。
また、特ロの増号車が展望車の前とは限りませんね。
スハニ35の前に付けられていることもあり、この場合、オシ17がわざわざ1両つなげられていますね。



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