倶楽部メモ(206)
平成15年 8月 8日〜 8月28日


投稿者 大オト
投稿日 8月 8日(金)10時07分22秒
タイトル 「昭和33年特別急行列車編成表」について
初めてこちらに書きます。大オトといいます。
友人から教えてもらってこちらにきました。資料の充実ぶりに驚きました。
その資料の中の「昭和33年特別急行列車編成表」を見ていてふと疑問が湧いたのですが、
9レ、10レ「さちかぜ」に使われているナロ10 29とナロ10 33 
この車両の車体色は「はつかり」だったのでしょうか?
友人とこの話をしていましたが結論がでませんでした。
この事にお詳しい方からご教示くだされば幸いです。


投稿者 クモイ103
投稿日 8月 8日(金)19時27分50秒
タイトル ナロ10 29〜33
大オト様、はじめまして。
 早速ですが、ナロ10のうち29〜33の5両は、昭和33年2月に「あさかぜ」「さちかぜ」用として
東シナに新製投入されたもので、当初はぶどう色塗装でした。
同年10月改正の「はつかり」新設に伴い、塗色を変更して東オクに転じたものです。
「さちがぜ」ではぶどう色だったはずです。
 「はつかり」用として新製された客車は厳密には存在しませんが、昭和34年にマシ35の置き換えで
改造投入されたオシ17 11〜13のみが、当初から「はつかり」用で誕生した客車と言えます。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 8月 8日(金)19時51分54秒
タイトル Re:「昭和33年特別急行列車編成表」について
大オト様、はじめまして。
ナロ10の車体色について、
当サイトの「青大将色・はつかり色の車両」が誤解を与えてしまったようで申し訳ありません。
あの資料は基本的に青大将色・はつかり色になっていた時期だけを記載したものですのでご容赦ください。
ナロ10についてですが、
1〜28までは「つばめ」・「はと」用として昭和32年10月〜12月に製造され青大将色で登場していますが、
29〜33の5両は昭和33年2月に寝台特急用として一般色(ぶどう色)で登場しています。
その後28〜33の6両が昭和33年10月の「はつかり」登場にあわせて
品川から尾久に転属となり「はつかり色」となりましたので、
それ以前の約半年間は前述のとおり一般色で「あさかぜ」・「さちかぜ」に使用されていたようです。


投稿者 りんす
投稿日 8月11日(月)23時55分48秒
タイトル 函館駅に50系
現在北海道旅行中です。函館駅にて青いシートに包まれた50系らしき客車群を発見しました。
廃車にするなら、こんな事はしないのでは、と思いますが。イベント用に残すのでしょうか?
「海峡」号用50系達はどうなるのでしょうか?


投稿者 リブ
投稿日 8月16日(土)12時27分52秒
タイトル ご意見お願いします
初めて投稿します。
実現には程遠いですが、鉄道の廃車を住まいとして利用できないかと考えています。
SLホテルなど電車をホテルとして利用しているところはあるようです。
そこで電車を「住まい」として利用するならこんな生活がしたい、こんな暮らしがしたい
という要望があったら教えて頂けないでしょうか?
車輌はブルートレイン、寝台車を考えています。ご意見、お願い致します。


投稿者 オクタゴニアン
投稿日 8月18日(月)02時02分02秒
タイトル RTOの落し子たち
あのマイ38が東海道以外で走ったと言うことはなさそうですね。
青大将のマイ38が山陽本線の茶色の「かもめ」や
東北本線の白帯のはいったブルーの「はつかり」に混じっているのはみたかったなぁ。
「特別車」といった格好のマイフ97そしてRTOの命令で「ホテル」に改造された展望車たち。
もしアメリカのようにこれをプライベート・カーにして、旅客列車、貨物列車の最後尾に連結、
連絡船での航送ができたら!
でも日本はアメリカのように広くないし、ローカル線入線のときもしC12+「特別車」、
なんて許されないだろうし・・・。
もし満鉄なら「あじあ」増結用の「イ8」を買い取って「プライベート・カー」にして「あじあ」に併結したり
いろんな中国各地へいけるかなぁ。


投稿者 オクタゴニアン
投稿日 8月18日(月)02時28分47秒
タイトル 旧海峡用50系
りんす様、初めまして。
唐突ですが昨日鹿島鉄道の国鉄払い下げだったDD13がはるか中国の承徳の「中国初」の私鉄へ移籍しました。
そして旧「海峡」の50系も同鉄道に譲渡されるらしいです。
すでに4輌ほど旅だったとか。おそらくブルーシートの50系は第二陣、第三陣でしょう。
その私鉄は1067ミリらしいのでそのままで働くかもしれません。
どんな塗色にされてしまうか、気になりますが、DD13もいままで客車を入換でしか引いたことないから
(例外を除いて)本格的に旅客列車を引くことになります。貨物機からの脱皮ですな。
承徳はかつての熱河省でアヘンの産地でした。
そのためときの大日本帝国・関東軍は熱河省を満州帝國の領地に組み込みました。   
つい最近では旧釜山ー京城ー平壌ー安東ー奉天ー北京間を走っていた急行「大陸」のテンイネ2、
展望一等寝台車が復元されて、日本からの観光客のための
、いわば「ジョイフルトレイン」として運行されています。(ツアーもあります。)
そしてなんと、終戦から58年たってあの憧れの特急「あじあ」の一等展望車、「テンイ8」が発見されました!
「パシナ」がみつかっただけで奇蹟だったのに。(客車は絶望的と言われた)
どうか、どうか、復元して大連か瀋陽(旧奉天)に保存してある「パシナ」と連結させて、
往時の「あじあ」を復元してほしいです!


投稿者 りんす
投稿日 8月18日(月)11時52分10秒
タイトル Re:旧海峡用50系
オクタゴニアン様、初めまして。すごい情報をありがとうございます。
廃車にならず、海を渡ってでもまだ活躍できるとは、50系達は幸運ですね。
まさかどらえもんカーやカーペットカーまで輸出?したら面白いですが、それはないでしょうね。
旧満鉄の客車群も復活しているんですね。日本の客車史上、重要な車輌です。
見てみたい気もしますが、私は素直には喜べないです。不幸な歴史がありましたから。
満鉄はその象徴の様に扱われていますし。
ツアーで日本人がバカ騒ぎして、現地の方を不快にさせていなければいいのですが。
・・・暗くしちゃってすみません。とにかく、中古の日本の鉄道車輌達の将来に幸あれ。


投稿者 オクタゴニアン
投稿日 8月18日(月)23時50分31秒
タイトル 白帯車
戦後日本人の羨望と怨嗟の中、日本中を我が物顔で走りまくった、GHQ,RTOの「進駐軍専用列車」たち。
戦災をかろうじて逃れた高級客車たちが次々と徴発され、RTOが強引なダイヤを乱発、
いままえ日本人が考えもしなかった連絡船の客車航送を行った横浜ー札幌間の「ヤンキー・リミテッド」、
最後尾に「クラブ・カー」を連結した「ディキシー・リミテッド」、そして「アライド・リミテッド」、「オオサカ・エキスプレス」。
そしてGHQ幹部や8軍軍団長は展望車を改造した今で言う「プライベート・カー」
(欧米ではホテル設備のない場所でホテル代わりになる、ビジネス・カーのようなもの)がありました。
(8軍司令官、アイケルバーガー、ウォーカー中将専用の「オクタゴニアン」は第11・12号御料車を筆頭に
日本最高の豪華車輌で編成されていました。
(マッカーサー元帥は列車を好みませんでしたが、夫人が日光への観光で「オクタゴニアン」を使用しました。)
米軍用とは申せ、見てみたい・・・。
(いまのジョイフルトレインにはない気品と優雅さをかねそなえた列車だったのでしょう。)
単独で走る「専用車」(主に展望車改造)は「単車」と呼んだそうで。
「ヤンキー」や「ディキシー」の最後尾に併結された運用もあったそうですが
「バッファー・カー」として荷物車や冬場は暖房車(マヌ)を機関車の間にはさみました。
もし衝突事故起こした場合のクッションがわりだそうです。日本人機関士は死んでもいいのか!
なにが「民主主義」だ!と言いたくもなりますが。
「軍団長車・マニラ」は荷物車とともにED42に押されて「碓氷峠」を登ったそうで。
日光線ににゅうせんした「オクタゴニアン」は方向転換ができないから、
御料車11号(展望車)のまえに「バッファー・カー」を連結していたそうです。
そして「クラブ・カー」のなかでは赤十字の接待員がいて、ドーナツが山盛りにされており米兵は食い放題だったそうで。
(少し日本人従業員にもわけてやりゃいいのに・・。)
そして沿線に米軍施設が存在するため、東武・矢板線、定山渓鉄道などには定期列車の乗り入れがあったそうで。
特に東武・矢板線では英国製「ネルソン」が図体のでかい国鉄の「進駐軍専用車」の2等車をひいていたそうです。
(重かったろうなぁ)


投稿者 オクタゴニアン
投稿日 8月19日(火)23時57分12秒
タイトル りんす様へ
どらえもんカー、「どらえもん」自身が中国にも輸出されてますから、あちらさんの子供達に好評になるかもしれません。
カーペットカー、は中国の固い硬座車にくらべれば足をのばしてくつろげるから鉄道がまだ優位に立っている中国ではむしろ歓迎されるかも。
カラオケカーと言うのもありましたが中国などのアジアでも「カラオケ」がありますからイベント用に輸出、の可能性なきにしもあらず。
しかしDD13二両でたりるか?
いっそまえにベトナムに譲渡する計画が頓挫してしまった「DD51」を送るのも良い。
りんす様たしかに「満州帝國」時代のしこりはのこっています。
しかしある人が「日本は長春(新京)にすばらしい設備をのこしてくれた。」とおっしゃてくれる中国のかたもおられ、
そして「パシナ」や「テンイ8」は日本の迫害に直接の危害をくわえなかった。とおっしゃってくださるかたもいらっしゃいます。
でなければ、いまごろ瀋陽(奉天)や大連の「パシナ」、「パシハ」、「テンイネ2」、「テンイ8」はあの文化大革命時代に破壊された、とおもいます。
(大地の子、の再放送をみた直後ですので)
そして「テンイネ2」のツアーは「鉄道ジャーナル誌」の主催でしてほとんどの人がかつての満鉄の、
そしてかつて東洋最長を誇った急行「大陸」の旅をたのしみ、戦前の「満鉄」に思いをはせ、
一時期の日本観光客のようなバカさわぎはしないそうです。


投稿者 オクタゴニアン
投稿日 8月23日(土)00時34分28秒
タイトル 教えてください!
かつて「アメリカン・トレイン」という巡回移動列車がありました。
50系オニ50をハデにぬった車輌ですが。
各駅に停車してそして全国をまわったそうですが(沖縄にも!)
そして三沢の米軍基地には専用線を利用して入線したそうで。
じつはこの列車の回送中が知りたいんです!
直流区間はEF60 501が牽引したそうですが、
交流区間、非電化区間はどんな機関車がEF60ごと「アメリカン・トレイン」を牽引したんでしょう?
どなたかおしえていただけませんでしょうか?
そしてかなり古いことになりますが、「アメトレ」の先輩ともいえる「ポンパ号」の回送時、
どんな機関車が牽引したのか?
伯備線でD51かC58がC1191の前について回送しているのはみたことがあるんですが。
こちらもどなたか、ご存知の方、ぜひぜひ、ご教授ねがいます!


投稿者 青列車
投稿日 8月25日(月)00時15分17秒
タイトル アメトレのカマはEF6019

今晩は(^o^)/オクタゴニアンさん。千葉県佐倉市在住の青列車と申しますm(..)m
お尋ねのアメリカントレイン、タイトルだけで済んでしまいますが、牽引機はEF6019でした。
客車と同じく星条旗をモチーフにした塗装を纏い、全国営業!したとのこと。

もっとも、いにしえの「ポンパ」号よろしく、回送時においてもEF6019は無動力扱いで、
このカマを含む編成全体を別のカマがエスコートしていました。

実際に担当したカマのナンバーを特定する資料は持ち合わせていませんが、
東海道〜山陽筋や東北線南部などでは当然ながらEF65PF(おそらくPS22B装備の後期車)が担当し、
九州ではED76、非電化区間ならDD51やDE10、黒磯以北の東北線ではED75、
常磐線や日本海縦貫線ではEF81の登板となったことは想像に難くありません。

アメトレの運転も、およそ15年前の話となりましたが、当時の部下がこの写真を見て、
「あ、これ国鉄が輸入したヤツでしょ?」…
(この当時既にJR発足後。車内の展示品はともかく、車輌自体はニッポン「自前」のもの)

因みにその部下、「鉄」分は皆無に等しい男でした。

その後EF6019は再び相棒の12系改造のJT編成に併せた塗装に戻り、オニ50達は鬼籍に入りました。
肝心のJT(やすらぎ?)が引退して久しい今、EF6019の出番は果して…?

取り急ぎのレスで失礼致します


投稿者 オクタゴニアン
投稿日 8月25日(月)01時19分34秒
タイトル 青列車さま。
ありがとうございます。しまったー!501は保存機だった・・・。
かつての19号の相棒「やすらぎ」はわたらせ渓谷鉄道へ移籍するんですが
走らせるのは、両端の展望車のみ・・・。
青列車、というとかつて、ワゴン・リが南仏へのリゾート列車としてサロンカー&プルマンカー、
そして食堂車&寝台車で構成した「トラン・ブルー」が最初だったとか。

投稿者 ZRX
投稿日 8月28日(木)18時59分48秒
タイトル 客車の座席カバー
いつも楽しく拝見させていただいております。
今回皆様にご教授いただきたく始めて書き込みをします。
最近鉄道模型の優等座席のカバーを塗装するために色々資料を眺めていたのですが、
特別2等車〜国鉄末期のグリーン車まで様々なカバーの仕様があることは承知はしていたのですが、
ふと考えてみたところ明確にどの時期にどのような使用があったかが整理できませんでした。
ネット上でもいろいろ調べてはみたのですが混乱するばかりです。
たとえばナロ20ですが、枕部分に袋状のカバーをかぶせるものでも
背もたれ全体を覆うタイプと半分くらいまでカバーする短いタイプがあるようですが、
時期が前後して長かったり短かったりするようにも思えよくわかりません。
僕の拙い知識では、長いタイプが使用されそのあとに短いタイプが使用されるようになったんだ
と思っていたのですが。
初期の紐で結ぶ?タイプから末期のグリーン車のペラペラの一枚布タイプまで、
この方面に詳しい方がいらっしゃいましたならば、ぜひご指導願います。



「客車倶楽部」へ  
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから