ホエ7030様> 早速のご教示ありがとうございます。ブドー色なら、スハニ35 10〜12のどれかですね。 「はつかり」のスハニが水郡線、それもオハユニ71の代走とは・・・ただあんぐりです。 やはり一般用には使いにくい車両だけに、予備の予備といった扱いを受けていたのでしょうか。 今まで誰にも顧みられず、ごく断片の情報しかなかった、「はつかり」DC化直後の客車の様子について、 とても貴重な証言、感謝に堪えません。
ちなみに、スハニ35 10〜12が用いられた「青葉」の受け持ちは仙センでした。 なお、RP誌43系特集(2)の記述によれば、のちにこれらのスハニ35は準急109-110列車に転用された との事です。 しかし、昭和35年2月20日の電気暖房使用開始に伴い、電暖化の対象とならなかったスハニ35は、 本線優等列車の運用を降りたものと思われます。 昭和37年10月1日の配置は、10が仙ワカ、11・12が仙フクで、ローカル用となっていたようです。 スハニ35が電暖化されなかったのは、ひょっとして「マハニ」になってしまうからかな?
ホエ7030様> 貴重なお話しありがとうございます。こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。 はつかりDC化の頃、実は私自身が製造途中でありましたので、特別興味のある時期です。
キハ81系の初期トラブルでPCはつかりが復活した事は存じておりましたが、 PCはつかり晩年に淡緑色のスハ44が1〜2両組み込まれていたというのは、不勉強にして初耳です。 臨時「みちのく」に入っていた淡緑のスハは、その流れなのですね。 臨時「みちのく」については、鉄道ピクトリアル1961年2月号の読者短信欄の投稿によると、 「2組使用し、1組は全部ブルーで、もう1組はスハ44形2両がグリーン、他の6両がブルー」 と述べられています。 後者がホエ7030様のご覧になった混色編成ですね。 ただ、鉄道ファン1976年5月号P.41に写真が出ている1961(S.36)年1月8日の編成では、 ナロが一般色になっているようです(その前2両のスハは淡緑と思われます)。 編成の向きについては、上野方スハフ43、盛岡方スハニ35とだけ書かれています。 この列車は盛岡止まりで、デルタ線が無いことから、上りはオール後ろ向きで スハニを最後尾に走ったのではないでしょうか。
# EF80+オハユニ71の組み合わせというのは・・・どひゃー(爆)
こんばんは。読売新聞の記事に以下のものがありました。
老いてはトレーラーで〜直方で客車、貨車3両が引越し http://kyushu.yomiuri.co.jp/nsurf/nsurf40t/nsu40t07/nsu40t0708i.htm
福岡県鞍手町の中央公民館に保存・展示されていたもので、 客車はスハフ42形だそうです。
汽車倶楽部のページ http://www.kisyaclub.gr.jp/ →更新されてないようで、上記客車に関する情報はまだ掲載 されていません。