ご乗車の皆さん、改めましてこんにちは。
以前(倶楽部メモ(140))で話題に上った、広島鉄道管理局の所属標記文字の変遷について、
「広」→「中」の変更時期がわかりましたのでご報告します。
鉄道公報号外(昭和36年1月14日(土))総裁達第17号「車両塗色及び標記方式規程の一部改正」の中に、
「広島鉄道管理局 広」を「中国支社 中」に改める旨、記載されています。
なお、同じ公報に掲載された、工作局、運転局連名の「通報」によれば、施行場所は工場又は区、
施工時期は昭和36年1月14日以降現車が入場又は入区の際、となっています。
この変更の背景には、国鉄の組織の変更がありました。
昭和34年4月8日、中国支社が設立され、それまで西部支社の所管だった広島鉄道管理局が移管されました。
ところが1支社内に1管理局しかない不合理を解消するため、昭和35年8月1日、広島鉄道管理局は廃止され、
その機能は中国支社に統合されたのでした。
同時に、同様の事情をかかえた新潟鉄道管理局も、新潟支社に統合されています。
しかし、新潟の場合は変更されても略号は「新」のままでよかったのに対し、
中国支社なのに車体標記が「広」ではおかしいので、上述のように半年後昭和36年1月14日、
「車両塗色及び標記方式規程」の改正の際に、ついでに(?)盛り込まれて変更となったのでした。
(参考文献:「中国支社30年史」昭和41年10月31日 日本国有鉄道中国支社)
なお、「廣」→「広」の変更は、5月29日(水)22時56分40秒の私の投稿をご参照下さい。
その後昭和40年代半ばに「中」から「広」に戻ったいきさつは、今後の研究課題とします(^^;。
ぢつは、大キトさんのサイト「客車空気調和装置資料室」のBBSに連載中の「イネ格下げロネ 配置と運用の変遷」
に必要なデータとして、あわてて調べたのでした(さりげなく宣伝モード)。
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