北の大地さん、ご乗車のみなさん、こんにちは。
鉄道ピクトリアル659号(<特集>寝台列車と寝台車)P.30に、C55 30が牽引する下り”利尻”の写真があります。
昭和45年8月撮影となっており、普通車6両のあとに冷房改造されたスロ54(62?)、オロハネ10、
さらに10系ハネ、荷物車?(あとは不明)と続いています。
”利尻”は、昭和33年10月1日改正で、札幌−稚内間の夜行準急列車に命名されて以来の伝統ある愛称名です。
列車自体として無名時代を含めれば、さらに古い歴史を持ちます。
私の手元にある昭和35年7月1日現在の資料(主要客車列車編成順序表)では、
下り307列車の編成は、札幌発車時点で先頭から、6号車スハフ、5〜3号車スハ、2号車ナハネ11、1号車マロネロ38、
その後にマニが1両つきます。
途中の旭川で、先頭にオハが1両(号車番号無し)、最後部にマユニ+オハユニが増結され、
最後のオハユニは音威子府で開放されます。牽引機は全区間C55です。
翌昭和36年10月1日改正では、ナハネ11がナハネ10に代わっている事、
号車番号の順序が逆になって旭川増結のオハが1号車、マロネロが7号車になっている事、
札幌−旭川間の牽引機がC57に代わっている事くらいの変化です。
編成中、「スハ」は45、「スハフ」は44に決まっていますが、「オハ」は35でしょうか?
「マニ」は上野からの航送運用で、32、60、74などの可能性があります。
「マユニ」という形式は、31と78しかありません。「オハユニ」は64の可能性が高いです。
ただ、郵便車・荷物車に関しては頻繁に使用車両が変わっていたと思われますので、あまりこだわらなくて良いでしょう。
ユニークな合造車マロネロ38は、昭和39年10月1日改正で、この”利尻”に残るのみとなります。
昭和41年2月、オロハネ10+スロ52に置き換えられて姿を消しました。
昭和42年10月1日改正時点での編成(RM MODELS 1995年11月号のP.79〜81に掲載されている
全盛時代の10系寝台 [昭和42年10月1日時点での10系寝台使用列車編成表](作成:三宅俊彦))は、
スハ(旭川増結)+スハフ+スハ×3+スロ+オロハネ10+ナハネ11+スユニ+マニ+スハニ(下りのみ・旭川−音威子府間)と、
基本的には大して変わっていなかった様です。
後ろ3両の荷物車以外は、この頃にはブルーに塗り変わっていたと思われます。
なお、マロネロ38も、その末期にブルーになっていたという情報があります(本BBS過去ログ参照)。
”宗谷”は、昭和35年7月1日に旭川−稚内間の準急列車として登場した当初から気動車列車で、蒸機時代はありません。
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