倶楽部メモ(154)
平成14年 8月 3日〜 8月 7日


投稿者 オハ472006
投稿日 8月 3日(土)12時29分30秒
タイトル スハフ32 2357
今、横須賀のイベントでスハフ32 2357の車内にいます。蒸し暑いですがやはり心が落ち着きますねえ−。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 8月 3日(土)14時23分15秒
タイトル スハフ32
私もたったいま横須賀のスハフ32の車内です。
本当にいい雰囲気ですよね。
周りの一般の方は皆、木製の鎧戸(日避け)に驚いている様子です。
車内は蒸し暑いものの、結構涼しい風が入ってきて気持いいです。


投稿者 岡升奈保古
投稿日 8月 3日(土)23時15分47秒
タイトル マイフ971
初めて投稿いたします。最近このホームページを拝見しました。客車列車こそ列車の本来と信じている一人です。
客車列車写真館の中の特別職用車特集の中に奥野様撮影のマイフ971の写真がありますが、
これについていくつか質問があります。
1.撮影された場所、 
2.この列車を撮影されたときの状況(何のための列車)、 
3.この客車の運用について
以上、大変古いことで恐縮ですがもしお分かりになるようでしたらご教授願います。
マイフ971には少々個人的な思い出もありこんな質問を致しました。
またこの写真で昭和33年には既にTR57を履いたことがわかり新たな発見でした。

投稿者 ナハネフ23
投稿日 8月 4日(日)15時00分14秒
タイトル プレ横の旧客を見て

皆様こんにちは。
横須賀の旧客見てまいりました。
最近は冷房車慣れしているせいか車内が蒸し暑く感じました。
昔は旧客に乗っても余り感じなかったんですけどねぇ・・・。

以前「仙コリ」様が旧客営業運転のネックとして
@手動ドアの件 A黄害の件と
書かれておられましたが、客車の出入り口は前後の出入り口を除いてガムテープで
開閉出来ない様に止められ、便所は停車中ですから当然ですが施錠されておりました。
展示車両ですらこの様な状況ですから、改めてこの2点が営業運転の最大のネックで
有ると感じた次第です。

旧客から12系に切り替るケースが多いですが、快適(冷房付)で安全(自動ドア)で
衛生的(タンク式トイレ)の客車でないと、これからの時代はだめなのかと考えて
しまいました。


投稿者 まろねふ
投稿日 8月 4日(日)17時52分54秒
タイトル 旧客は・・・

みなさま、お久しぶりです。

横須賀の旧客の展示、見に行きたかったです。
旧客の運行は現代の環境では難しいでしょうね。
特に都市部では仙コリ様の書かれた通り、扉と黄害は最大のネックでしょう。
その点、大井川鉄道の客車運行には、ただ感謝するのみです。
ここには私に最も馴染みのある米ハマの旧在籍車がいますから…数年振りに訪れてみたくなりました。

>岡升奈保古さま
はじめまして、“まろねふ”と申します。
マイフ97はTR-57(エアサス仕様だったような)の前はOK台車を履いていましたね。
鉄道資料・第76号に写真と形式図がありますよ。
手元の資料によりますとマイフの運転記録の内、昭和33年では次の2本があります。

○昭和33年9月29日(東京→京都)10月1〜2日(大阪→東京) インド大統領関西視察

牽引機:EF5861
編成:オロフ327+マロネ29114+スシ28151+マロネ4011+御料車14号+マイフ971

○昭和33年12月3〜4日(東京→京都)12月5日(大阪→東京) フィリピン大統領関西視察

牽引機:EF5861
編成:オロフ334+マロネ29114+マシ384+マロネ402+マロネ493+御料車14号+マイフ971

(資料:EF58ものがたり下 交友社)

当時は貴賓列車等の展望車に使われていたのではないでしょうか。
また写真は当時の所属区(尾久区?)からの回送ではないでしょうか。
余り参考にはならないと思いますが何かのお役に立てばと思います。


投稿者 岡升奈保古
投稿日 8月 4日(日)22時27分37秒
タイトル まろねふ様
 マイフ971の情報を早速いただきありがとうございました。
それにしても運転記録の編成は現在では望むべくもない心ときめく編成ですね。
実は私はマイフ971(当時、マロフ971)の最期を目にしました。
解体の直前に車内を見せてもらいその豪華さにびっくりしました。
もし解体されずにいたら、イベント用として復活したかもしれません。残念なことでした。


投稿者 まろねふ
投稿日 8月 5日(月)00時21分16秒
タイトル Re・・・

>岡升奈保古さま
何とマイフ97の現物をご存知ですか、これは驚きです。
どこかは失念しましたが昭和50年代前半まで存在していましたよね…
特別職用車の慣れの果てはJR九州のオヤ31のみですね。保存を願うのは私だけではないと思うのですが。

この程度の資料で宜しかったでしょうか。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 8月 6日(火)12時17分28秒
タイトル Re:マイフ971

岡升奈保古さん、はじめまして。
レスが大変遅れてしまい申し訳ありません。
3日間ほど旅行(横須賀の旧客・大井川鉄道と旧客巡礼?の旅に行っていました)していたため、
詳しい書き込みが出来ずに失礼しました。
客車列車写真館の中の特別職用車特集でのマイフ97の写真についてですが、
私も撮影した本人ではないので詳しい状況はわからないのですが、撮影は昭和33年5月、場所は大井となっていまして、
運用中の列車ではなく、ECAFE(国際連合アジア極東経済委員会)用の臨時列車?として整備中の状態のようです。
ちなみに台車の件ですが、この写真が撮影された直前の昭和33年4月に、
大船工場で更衣室・シャワー室等を追加する改造が行われ、その際にTR57に履き替えたようです。
履き替える前の台車は文献によってTR23説・TR40A説等いろいろあるのですが、OK台車というのが正しいのでしょうか?
解体の直前に見られたとのこと、とてもうらやましいです。
昭和38年2月に廃車となり、中央鉄道学園・隅田川客貨車区と移された後、昭和49年頃に解体されたようなのですが、
出来ればいつ頃どちらで見られたかご教示いただければ幸いです。

PS.ここからは管理者モードで失礼致しますが、インターネット上では使用環境によっては
半角カナは文字化けしてしまう可能性が高いため、半角カナ文字の使用はタブーとされております。
形式名等カタカナを使用される場合は全角カナを使用していただきますようお願い致します。


投稿者 まろねふ
投稿日 8月 6日(火)12時52分19秒
タイトル マイフの台車
>車掌@仙コリさま
マイフの台車ですが手元の鉄道史料76号P47にマイフ97の写真があります。
撮影が昭和31年1月3日の物で台車はOK台車を履いております。


投稿者 まろねふ
投稿日 8月 6日(火)13時09分32秒
タイトル ↓の続き・・・
私事ですが、岡升奈保古さまの書き込みをきっかけに私の所属する模型クラブの競作ネタを
マイフ97にしようと企んでしまいました。
他のHPでも書きこんでいますが、鉄道史料の写真を見るとOK台車を履いていた場合の
台車中心距離が明らかに前後で違っています。
VC図面でもその違いが読み取れません、どなたかご存知の方はご教示お願いします。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 8月 6日(火)19時39分20秒
タイトル OK台車とは?
まろねふ様、早速のレスありがとうございます。
ところで私の勉強不足なのですが、特殊な台車等についてはほとんど無知でして、
OK台車というのはどのような台車であったのでしょうか?
鉄道史料も持ち合わせていないのですが、確かにマイフ97のVC図面を見る限り、
台枠の台車取り付け位置は前後同一で間違いないようですので、
あとは台車側が特殊なものであったという可能性ですよね。
少なくとも量産された台車形式ではないようですので、
試作的(実験的)?意味で中心がオフセットされていた可能性はないでしょうか?


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 8月 6日(火)20時01分38秒
タイトル プレ横の旧客
今月の3日4日と横須賀で行われました「プレよこすか開国祭」での車両展示会に行ってきましたので、
その時の模様を客車列車写真館に掲載してみました。
ここに書き込みいただいている皆様も行かれた方が多いと思いますが、
私は3日の13:30頃より15:00頃まで旧客の雰囲気に浸っておりました。
旧客は3両とも車内を開放しており、オハニの荷物室はもちろんはじめての経験であり、
スハフ32の狭窓も大変懐かしかったです。
(ちなみにこのスハフ32 2357は現役時代末期に仙コリ配置であったため、
私も間違いなく乗車経験があるので、より感慨深いものがあります。)
皆様の中で掲載した写真に写っている方などいらっしゃらないでしょうか(笑)
次の日は大井川鉄道を訪れ、千頭までの往復ともSL列車に乗車したので、
2日間で計4時間以上旧客にふれあうことができ、とても充実した夏休みをすごす事が出来ました。


投稿者 まろねふ
投稿日 8月 6日(火)22時33分37秒
タイトル Re:OK台車とは

>車掌@仙コリさま

こんばんわ。
私も台車には余り詳しくないのですが、この台車は川崎車輛の開発した高性能台車です。
いか、川崎重工“蒸気機関車から超高速車両まで”の一文を引用します。

1948年、当社はOK台車と名付けた一連の高性能台車開発し世に送り出した。−中略−
このOK台車の特徴は、軸箱支持を台車枠にピン(回転軸)で結合した水平の腕(軸梁)で行い、
従来のすり板を用いた軸箱案内を廃止して、車軸の上下運動に対して有害な摩擦や磨耗を無くした構造である。
これは、軸箱支持方式の分類として「軸梁式」と呼ばれる。−以下略−

資料によりますと、OK−1、2、4型が国鉄に導入(但し1、2納入時は運輸省)し、
1はサハ78の試作台車として、2はオロ41−6、4はモハ80型の試作台車として国鉄に納入後、
DT-29の国鉄台車形式を与えられてクモヤ93000に装備されました。
さて、マイフ97のOK台車は外観で見る限りこれら国鉄に納入した台車とは形状が異なっております。
枕バネが板バネ式に対してマイフの台車はコイルバネとなっております。
前出の資料にも1、2、4型以外に国鉄に納入された記録がありません。
更に調査してみます。

マイフの台車は友人の話では、改造当初はTR-23を履いていましたが、
後にスハ42−50のTR-40と振替えましたが、枕バネをマロネ41のと交換しTR−40A台車とし
更にTR-53に交換したと記述(資料名は失念しました)があるとの事です。
ただOK台車に付いては記述が無いので更に調査してみます。
ところで、マイフ971の前形式はスヤ511ですよね。
その前か一時スヤ46と名乗ってませんでしたか? 私の記憶違いかもしれませんが。


投稿者 横山@車両名鑑  
投稿日 8月 7日(水)08時26分22秒
タイトル MDでしょう

皆さま、車掌@仙コリさま、ご無沙汰しております。

>まろねふさま
はじめまして、横山@車両名鑑と申します。
マイフの履いていた試作台車の件ですが、
鉄道資料にOK台車を履いているとの記述があることからその線をあたっておられるようですが、
これは外観から判断して三菱のMDに相違ないと思われます。MD-3のオイルダンパ無しタイプと思われます。

>車掌@仙コリさま
14日に郡山工の公開があると聞いています。
休みが取れれば行きたいと思っておりますが展示車両や留置車両の情報をご存知ありませんでしょうか?
昨年の状況でも結構ですのでご教授いただければ幸いです。では。

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