倶楽部メモ(110)
平成13年 9月18日〜 9月20日


投稿者 オロネ10
投稿日 9月18日(火)13時05分12秒
タイトル 上越急行、お礼
本文 クモイ103様、詳しい情報、有難うございました。遅くなってすみません。
そうですね、40年より後の筈はありませんよね。あの頃は形式名も良く判っていません
でした。後日「スハ43」みたいだったな、と思っていたのですが、ちゃんと勾配用に
「オハ46」等をつなげていたのですね。でも思い返すに、あの頃の客車はピカピカして
ましたよ。無論「旧客」の訳はなく、サボの白と客車の茶色の対比が綺麗でした。
当時、父はよく新潟に出張していたのですが、「とき」ができると喜んでそちらに乗って
いました。父も結構鉄の血が入っていたのですが、やはり新しい電車特急には乗りたかった
んでしょうね。今から思うと勿体無いのですが、でも考えてみると、父などは客車急行には
もう乗り飽きていたんでしょうね。
ついでに私の個人的な、客車の揺れ方の記憶に関してひと言。「オハ61」などのTR11
をはいた車輌は、速度が上がるとボンボンと上下に跳ねるような揺れがありました。「オハ
35」になると、今度は横揺れを感じました。「スハ43」系は、そのどちらもありません。
90キロ位では空気バネ車輌と同じ位の安定感があったと思います。その後電車の「115」
系の、特に「モハ」に乗った時は、こんな揺れる車輌には二度と乗りたくない、と思いましたね。
失礼しました。


投稿者 オロネ10
投稿日 9月18日(火)14時27分19秒
タイトル 郵便車のポスト
本文 過去の投稿を読んでいましたら、郵便車にわざわざ投函に行った人などいるのだろうか、と言
う事が話題になっていたと思います。そこで思い出すのが、内田百閨iどなたか百閧フ字を登録
されたのですか?すぐ転換できたので、驚きと感激です)の随筆を読んでいた時に、郵便車の事
が出て来ました。多分戦前の話だったと思います。百關謳カがふと思い付いて、誰かに手紙を書
き、新橋駅までそれを持って行くのです。九州行きか何かの夜行急行があったので、それに投函
しよう、と思った訳です。(急行にはまだ愛称がなかったと思います)わざわざ新橋まで投函し
に行ったと言う事は、きっと西か南の人に手紙を出す場合には、抜群に速かったのではないでし
ょうか。無論電話などは殆ど普及していなかった時ですので、夜投函し、翌日の午後にでも配達
されたら、当時としては最も速くて安い方法だったと想像できます。(多分新橋までの電車賃も
安かった)そういう戦前の名残りが、郵便車の投函口としてずっと残ったのではないでしょうか。
推測で申し訳ありませんが、新橋まで投函に行く事が、当たり前の事の様に書いてあったので、
こんな感想を持ちました。


投稿者 佐藤
投稿日 9月19日(水)13時40分45秒
タイトル スロ60の青大将塗装
本文  はじめまして、大阪在住の佐藤と申します。大変初歩的な質問で失礼します。
先日,鉄道ピクトリアルの鋼体化客車の特集を読んでいて、ふと疑問に思ったのですが
記事の車体の塗装についての記述に、「つばめ用スロ60が昭和31年に淡緑5号に塗り替え
られた」(すみません今手元に資料がないのでウロ覚えです)と書かれいました。
実際のところはどうなのでしょうか?
(NゲージだとKATOの旧製品のラインナップにありましたが、実在したのでしょうか。)
また、実在したとしたら運用はどうだったのでしょうか?
どなたかご存知の方、よろしくご教示ください。


投稿者 103列車機関士
投稿日 9月19日(水)20時55分31秒
タイトル わかりました
本文 車掌様、どうもありがとうございます。なるほど妻面にひみつがあったのですね。
クモイ103様、そうですね、そうだとおもいます。初代はつかりのカラー写真を
見た時、青15ではないのかと思ったことがあります。ナハ10はピカピカの
ブドー色2号でいこうとおもいます。


投稿者 クモイ103
投稿日 9月19日(水)22時22分59秒
タイトル Re:スロ60、はつかり青15号
本文

佐藤さん、こんにちは。
 ご指摘の通り、確かにRP誌702号(2001年6月号)P.26に、「「つばめ」「はと」用のスロ60は
1956(昭和31)年に淡緑5号に塗り替えている」と記述されていますね。初めて気付きました(爆)。
 過去に数多く発表された文献のどれを見ても、「つばめ」「はと」の青大将化の際に、特ロはスロ54に
交代したことになっており、ほかでもない当時のRP誌69号(1957年4月号)「質問に答える」に、
塗色変更された客車の車号まで詳しく記載されていて、スロ60は含まれていません。
ところが、今回のRP誌702号の記述は、この大先輩(?)を含む他の数多くの文献と、
ことごとく矛盾します。客観的に見て、ほぼ間違いなく誤りと思われます。
 以前どこかで、オロ61が冷房改造されたスロ62のことを、初代特ロのスロ60が冷房改造されたか
のように混同した記述を見かけたことがあります。
そうした大エラーまでいかなくとも、文献の記述には時として変な内容が含まれていることがあります
(重量記号コホナオスマカの間違いはざらにあります)。
一つの事柄に対して、できるだけ複数の情報を照らし合わせて、整合性をよく確かめることが
必要だと思います。
・・・というのは前から思っていたことですが、佐藤さんが問題提起して下さったおかげで、
言う機会ができました。ありがとうございます。

103列車機関士さん、初代「はつかり」は青15号で正解ですよ。
昭和34年改正の塗色規程で、「特別急行(あさかぜ、はつかり)用客車」として、
20系とひとくくりにされ、青15号にクリーム1号の飾り帯を入れることが規定されています。
なお、あさかぜは台枠以下が灰色2号という但し書きがあります。


投稿者 急行音戸
投稿日 9月19日(水)23時16分56秒
タイトル マニの青色
本文 みなさんこんばんわ、急行音戸です。青列車さんの言われたマニ35の青を見た・・・ですが、
私はマニ36の青は、見たことあります。番号は確か、59か、2059だったと思います。
張り上げ屋根車でした。下関−益田間の運用に就いていた記憶があります。
当時見れた郵便・荷物車は、マニ36、マニ60、スユニ61だけで、小学校3年生の運動会の帰り道、
初めてスユニ50をみて、「明日の824レで上るんだ!」と翌日駅まで見に行った記憶があります。
オユ、スユ、スニ、は雑誌の世界でした。無論、オハニ36は青色以外見た事が無く、
例外はいつか忘れましたが、山陰西部の集中豪雨で奈古−木与間が不通になり、
所定復帰できない福知山所属(だったと思います)の編成が下関口を走っていました。
その時に見たオハニ36は茶色で、TR-50台車でした。
逆に知識の乏しい鉄少年だったので、こっちのがボロなのか!と思ったくらいです。
たまに客室締め切り扱いで窓に手書きの〒マークを貼っていたのも見たことあります。
イレギュラー時ならでは・・・でした。
青列車さんにお尋ねですが、少年時代に見られたオハニ36の青、
台車はTR-50だったのでしょうか?記憶違いか、勘違いのまま成長しているのか、
私は当時見たオハニ36はTR-40だったような気がします。TR-47かも?
国鉄気動車・客車編成表(1981年版 JRR)では23、24号は広セキ所属です。
ごぞんじであれば教えてください!


投稿者 JIN
投稿日 9月20日(木)09時21分06秒
タイトル 色いろいろ
本文

こんにちは。
ここんとこ結婚式やらなにやらで忙しくて掲示板を見る暇がありませんでした。

「な」のつく掲示板には数ヶ月に1回ぐらいだけ登場しています。

>Nゲージの車体関係のパーツを発売している「モリタ」からですが、
あのRMMで有名な野々村宏氏が裏で糸を引いている(笑)ようです。
今月発売の雑誌に載るだろうと思います。

これはちょっと不安が・・・
彼は誌面で常に「色見本に合わせたから正しい」ということを書きます。
しかし、色見本自体の変色を考慮に入れていないようです。
また実車は色見本を見た人が調色して塗るので工場により色の差が出ることは多々あります。
雑誌で「これが正しい」と書かれるとそれがスタンダードになってしまうのは恐ろしいことで
現に彼が推奨する「青大将」は実車を見たことのある人に言わせると「暗すぎる、全く似ていない」
と言われてしまいます(大宮工場のEF58が暗すぎるといわれている)。
写真も光線や現像で色調は変化するし、経年変化もあります。
「これが正しい」と声高に主張するよりも「自分はこう感じたからこう再現した」
と言えるようになりたいもんです。

色ついでに御料車の色です。

>国鉄のころの皇室1号編成はいいんですよね?(御料車はどうしよう)

1号編成の色は実車を見ましたがかなり赤味のある色でした。
光線により日向では赤く、日陰ではかなり暗い茶色に見えるという微妙な色ですね。
これまた再現が難しいものです。
僕はレボリューションファクトリーのキットを組んだ時は
ぶどう色1号の上に近鉄マルーンを重ねました。
ちなみに御料車も供奉車も同じ塗料を使っています。
写真等では平滑な車体の御料車の反射が強くて一段明るく映ってしまうようです。
漆を塗っていた時代に御料車を大井工場、供奉車を大船工場で塗らねばならず、
色調の違いが出ないよう大井工場でまとめて調色したと「御料車物語」に書いてありました。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 9月20日(木)17時27分45秒
タイトル 青大将色・はつかり色
本文

ここのところ、客車の色の話題が出ていますので、皆様の力をお借りして少しまとめて
みたいと思うのですが、いかがでしょうか?

さしあたって、特急色として存在した「淡緑5号」(青大将色)と「青15号にクリーム1号
の飾り帯」(はつかり色)だった車両をまとめてみたいと考えております。
実際に各色に塗られていた写真や編成記録等から、該当する車両を調べていきたいと
思いますので、御賛同いただける方の情報の提供をお願いしたいと思います。
まずはクモイ103さんにお願いしたいのですが、先日の書き込みでご紹介いただきました
RP誌69号(1957年4月号)を残念ながら所有していないので、記載されている塗色変更
された客車の車号を教えていただければ幸いです。
とりあえず私の所有している写真や資料から調べることができた車両は、

「淡緑5号」(青大将色)

マイテ39  1・11・21
マイテ49  1・2
マイテ58  1・2
マイ38   2
ナロ10   1・4・7・10・12・13・15・16・20・21
スロ54   33・34・35・36・37
オシ17   1・2・3・4
マシ29   107
マシ35   1・11
スハ44   1・3・4・5・6・7・9・10・17・21・24・32
スハフ43  2
スハニ35  1・3・5・6・9

「青15号にクリーム1号の飾り帯」(はつかり色)

ナロ10   28・30・31・33
オシ17   11・12
スハ44   26・27・28・29・30・31
スハフ43  2・3
スハニ35  7・9

といったところなのですが、まだまだ該当する車両があるはずですし、上記車両でも
まちがいがある可能性がありますので、皆様からの情報を期待しております。


投稿者 103列車機関士
投稿日 9月20日(木)18時11分25秒
タイトル 所属表記の悩み
本文 JIN様、御陵車については参考になりました。ワールドの説明書には阪急マルーン
とありましたがドンピシャではないと思いますが代用としてはどう思いますか?
クモイ103様ありがとうございます。帯はクリーム1号だったのですね。
さて、皆様にお聞きしたいのですが、発売されていない所属表記はどうされていますか?
私は東イイ、東ムイ、東スミなど欲しいものがたくさんあるのですが
手書きで原稿作ってお願いするしかないのでしょうか、


投稿者 佐藤
投稿日 9月20日(木)18時56分57秒
タイトル ありがとうございますスロ60の青大将塗装
本文 クモイ103様、ありがとうございます。
私も以前、他の文献でスロ60の青大将色は存在しないと読んだことがありました。
ただ、RP誌の記事だったので疑問に思って皆さんに質問させていただきました。
やはり、スロ60の淡緑5号は幻だったのですね。

投稿者 キサハ34
投稿日 9月20日(木)21時02分54秒
タイトル 「はつかり」色マシ35
本文

旅と鉄道、65号「食堂車」礼讃に、

マシ35 11

が「はつかり」色で載っています。
#旧カシ36ですね。


投稿者 キサハ34
投稿日 9月20日(木)21時05分44秒
タイトル マシ35訂正
本文

早速ですが、すみません。
11番はオシ17でした。

マシ35 3

でした。本当に申し訳ありません。


投稿者 ストーブ列車
投稿日 9月20日(木)21時52分39秒
タイトル 客車の話題
本文

皆さんもご存知かもしれませんが鉄道ピクトリアル10月号にセノハチの控車オヤ35の記事の中に
オハ35を改造してサハ153にするという計画があったそうですがもし実現したらかなりおもしろいと
私は思いますが皆さんはどう思いますか?戦前型と戦後型で形式が違うかったかもしれませんね。

話が変わりますが車掌@仙コリさんの言っていた青大将色のスハフ43 2は
特急さくら用に使われていた車両でしょうか。
1994年4月号の鉄道ファンに青大将のスハフ43が特急さくらで使われている写真が
紹介されていました。
またキサハ34さんのマシ35のはつかり色ですが以前鉄道模型のカタログだと思いましたが
はつかりの編成表に当初はマシ35でのちにオシ17に変更されたと書いてあった記憶があります。

最後に青大将塗装のつばめ編成に1両だけはつかり色のナロ10がマイテ39の後ろに
連結されている写真が新人物往来社出版の鉄道シリーズ第6弾「懐かしの特急列車」
という本の表紙を飾っていました。
この編成はかなり例外的だと思いますが実際は青大将色とはつかり色の混合は
結構あったのでしょうか。ご存知の方は教えてください。


投稿者 クモイ103
投稿日 9月20日(木)23時15分27秒
タイトル Re:青大将色・はつかり色(長文) 
本文

> まずはクモイ103さんにお願いしたいのですが、先日の書き込みでご紹介いただきました
> RP誌69号(1957年4月号)を残念ながら所有していないので、記載されている塗色変更
> された客車の車号を教えていただければ幸いです。
 高いですよ・・・ってウソです。ご協力します(^^)。同誌P.48「質問に答える」欄の記述によると、
・東シナ
展望車 マイテ 581・582・492
食堂車 オシ 173・174,マシ 3512
特ロ  スロ 5412・5413・5431・5432・5439・5440・5441・5442・5443・5444・5445・5446・5447
特ハ  スハ 4414・4415・4419・4420・4421・4422・4423・4424・4425・4426・4427・4428
3等荷物車 スハニ 354・355・356
・大ミハソ
展望車 マイテ 391・3921・491
食堂車 オシ 171・172,マシ 3511
特ロ  スロ 5414・5415・5416・5417・5418・5419・5420・5421・5433・5434・5435・5436・5437・5438
特ハ  スハ 441・442・443・444・445・446・447・448・449・4410・4411・4412・4413
3等荷物車 スハニ 351・352・353   以上70両
 ・・・となっています。よく見ると、スハ44の16〜18、29〜34が抜けており、
スハフ43の3両(この当時10番台は登場していない)も入っていません。
これにスハニ35の7〜9を加えた15両は、当時「かもめ」用として門タケにありましたが、
RF誌181号(1976年5月号)によると、1957(昭和32)年に「かもめ」の方転廃止に伴う10系化で、
シナ・ミハに分散して転属し、臨時特急「さくら」の43系を置き換えるのに充当されました。
この時点で、仙台にいたスハニ3510〜12を除く44系の全車両が、青大将塗色になったものと
推定されます。
また、マイ38も上記の表に入っていませんが、青大将化は冷房化(昭和31年説と32年説あり)
と同時だったのかも知れません。
 32-10改正では「つばめ」「はと」の受け持ち一本化で、東シナ車が大ミハに転属し、
みな一緒になりました。(仙センのスハニはますます仲間はずれ(^^;)
 なお、33-10改正で「はつかり」用に東オクへ転属したのは、スハ44が26〜34、スハフ43が3両全車、
スハニ35が7〜9であり、ほとんど元「かもめ」用車ですが、一部入れ替わっていることがわかります。
3等車以外では、ナロ10が28〜33、マシ35が1〜3です。
ちなみに、キサハ34さん、ストーブ列車さんの言われる通り、このマシ35はのちに増備された
オシ1711〜13に交代しました。
 ナロ10については、RP誌670号(1999年6月号・10系特集座席車編)P.42〜43によると、
全33両のうち、1〜28は新製時から青大将、
29〜33は「あさかぜ」用としてぶどう色でデビューしました。
のち28〜33が「はつかり」色になりましたので、28のみは両方の塗色を経験していることになります。

 ところで、車掌さんの挙げられた中にある、マイテ3911とマシ351の2両については、
疑問があります。
 マイテ3911は、「桃山式」が災いして、展望車の両数が足りてくると予備車になり、
青大将化の対象から外され、専ら貴賓用として使用されたと伝えられています。
この話はRJ誌202号(1983年12月号)P.64に記述されていますが、
RP誌514号(1989年7月号・<特集>列車編成の記録)P.12にも、
S.33.5.16に「さくら」に臨時増結された同車が茶色、等級帯付きだったと記されており、
さらに、32-10改正で「はと」用車両がみな大ミハへ移動する中にあって、ただ1両東シナに残り、
他の仲間とは明らかに別の扱いだったことなどから、間違いない話と思われます。
 マシ351については、大キトさんのHPにある写真の説明がそうなっていますが、以前大キトさんと
個人的にお話しした際、やはりあの淡緑のマシ35は1でなく11または12だろうという話になりました。
当時の列車編成記録などにより、31-11改正後のマシ351〜3は、あさかぜに使われていたらしく、
青大将になっていたとは考えにくいです。
前述のように、その後この3両は「はつかり」組に入っています。
 私の理解では、マシ35の全5両中、1〜3は「はつかり」色、11・12は青大将と
はっきり経歴が分かれ、以後この2つのグループは全く違った人生(?)を歩むことになりますが、
それはまた別の機会に(笑)。



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