倶楽部メモ(111)
平成13年 9月21日〜 9月27日


投稿者 青列車
投稿日 9月21日(金)09時06分14秒
タイトル 広トマのオハニ36
本文

急行音戸さんからのご質問に出て参りました、くたびれ気味の不良鉄道中年です(爆)
お問い合わせのオハニ36ですが、台車はTR−52でした。
(一見すると10系客車のTR−50に酷似しています)
広トマ所属の他のオハ35やオハ46(但しタイプII。スハ43のダイエット!グループ)の
TR−23やTR−47に比べてホイールベースが短いのが走行音からも即座にわかりました。

ところで、ご指摘の所属配置ですが、私の記憶の限りでは、オハニ36の23、24は、
所属表記も広トマ(徳山客貨車区)でした。
もっとも、この2両がやってきたのは、昭和50年前後だったはずで、それ以前の岩徳線のハニ車は
オハニ61が配置されていました。
(私が中学生の頃まではいたはずです)
また、その頃にはオハ41などもいて、オールロングシートにつり革が並ぶ姿は異彩を放っていました。
昭和40年代の岩徳線の客車列車は茶塗り車両ばかりでした。
青塗りのスハフ42239や、オハ35889などが入線してきたのは、オハニ36の来る少し前です。
そして、晩年には殆ど総ての車両が青塗りになっていました。
(オハフ33の472と590の2両が例外的に茶色で残っていました。
590は比較的遅い時期に異動してきましたが、472は永くこの地で働いたハコです。)
また、オハ46タイプII否、スハ43のラストナンバーである、オハ46698も晩年のメンバーです。
この他にも、オハ46には601や605がいました。
そしておそらく、オハ35の79、251を置き換える目的で?山陰線系統の運用を離脱して?
オハ46の602、603が入線しました。
この両「車」は、所属表記が広セキのままでした。
検査周期やあるいは、車両置き換えの関係から?貸し出し名義だったのかも知れません。
(オハ35の79、251もなかなかユニークで、青塗りではありますが、
79などは車体裾にリベットもズラ〜リと残っていましたし、車内は木目ニス塗りのままですが、
窓の下に一丁前にテーブルを備えていました)

車体に書かれた所属表記は、転属後直ちに書き換えるとは限らないようです。
電車でもやはり中学時代に名カキ表記のままのクハ85106を山陽線富海駅で見かけました。
この当時は特に旧世代車両は銭金と人手のかかる全般検査の期限が来たら遠慮なく廃車。
検査期限の残っている車両は全国に転属させやりくりつける…
そのため、旧表記のまま、書き換えて無かったりする例があるようです。
因みに、旧型末期の広トマの陣営は、配置12両の使用10両で、10両編成を組み、
徳山〜岩国間を2往復していました。
徳山寄りにオハニ、次位にオハフ、反対側の編成端にスハフまたはオハフが入ります。
ほぼ毎日、編成替えが行われ、検査対象になったクルマが編成から抜かれ、
基地で「お留守番」モードに入っていました。
体質改善された急行仕様の43系グループのオハ46は、
ある意味では、山陽線の80系の初期型よりも、格式は上だったといえます。
(もっとも、DE10に牽かれてゴロゴロ走る姿は、やっぱり田舎のローカル線の鈍行でしたが…)(^^);
これらの味のある面々も、運命の!59年2月改正で50系にバトンを渡し、運用離脱していきました。
それから僅かのうちに、客レ自体岩徳線から消えていきました。

あれから幾星霜…
この時生まれた赤ん坊が、今や学校帰りに渋谷や池袋あたりではしゃぐ年頃に育っています(^^);
今は昔の思い出話でした(^o^)丿


投稿者 ストーブ列車
投稿日 9月21日(金)13時25分22秒
タイトル マイテ39 11とマシ35 1
本文

マイテ39 11とマシ35 1について書き込ませていただきます。

まずマイテ39 11についてです。鉄道ジャーナル別冊No27のP130に1959年4月23日の
特別急行第3列車「はと」の編成表があります。
そこには展望車のマイテ39 11のみが宮原客車区ではなく品川客車区所属ということが
書いてあり、理由は桃山式が不評のためとありました。
このころは青大将の時代だったのでマイテ39 11が茶色のままですと青大将編成に茶色が
混じっていたことになります。
実際3つ下の書き込みで青大将編成にはつかり色が混じって運転されたことがあると紹介して
いますのでマイテ39 11が茶色のまま青大将編成にまじっていた可能性は大いにあります。

次にマシ35 1についてです。マシ35 1は鉄道ジャーナル別冊No27のP131に
1956年12月31日の特別急行第8列車「あさかぜ」の編成表にマシ35 1が連結されていた
という記録が残っていました。
さらにRM MODELS1996年12月号にマシ35はオシ17の予備車として11と12の2両が
青大将になったという内容の記述がありました。
そのためマシ35 1は茶色のまま使用されていたと思います。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 9月21日(金)17時18分46秒
タイトル Re2:青大将色・はつかり色
本文 クモイ103様・ストーブ列車様、情報ありがとうございます。
RP誌69号(1957年4月号)に記載されていた70両が、最初に青大将色に塗られて
「つばめ」・「はと」に充当された車両ということですよね。
その後の増備・臨時「さくら」用等で追加で青大将色になった車両に不明確な部分が
あるようなので、さらに配置関係の資料等を詳しく調査してみますが、皆様からの
追加情報もお願いしたいと思います。(特にマイ38 1について)
また、マイテ39 11とマシ35 1についての情報ありがとうございます。
実は特にマイテ39 11については、私も疑問を持ちつつ掲載してしまったの
ですが、やはり青大将色ではなかったようですね。失礼いたしました。
このような間違い等のご指摘も、どしどしいただきたいと思いますので、
よろしくお願いいたします。


投稿者 横山@車両名鑑
投稿日 9月22日(土)00時49分53秒
タイトル ご参考まで
本文 久々に覗かせていただきましたが車体色について盛り上がっているようですね。
私はそちら方面はあまり詳しくありませんが、一応ご参考まで。
すでに皆様がお書きになっているようにマイテ39 11の淡緑色はないと思います。
ぶどう色のまま淡緑色編成の「さくら」や「はと」に増結されている写真が残っています。
マイ38は昭和31年7月に冷房装置取り付けのため大船工場に入場し、その他付帯工事施工後
出場しましたが、このときはぶどう色のまま出場しています。1・2とも淡緑色化は他の車両と
同時期と想像されます。少なくとも翌年2月には淡緑色化された写真が確認できます。
その他マシ35 1のはつかり色やマシ29 101の淡緑色を写真で確認しています。
では、失礼いたします。
投稿者のホームページ


投稿者 やまだ
投稿日 9月22日(土)12時39分41秒
タイトル オハフ45の車掌室窓・・
本文

皆様こんにちは。
オハフ45の各番台の違いについての話題が出ておりましたが、私が見たところ
(関東・東北に限られますが・・・)改造オハフの100、200番代は屋根が鋼製か否かの他に
車掌窓の小型・落とし込み窓化の改造を受けた車輌が200番代に多い気が致します・・・

◆もっとも近所の大宮工での施工車の場合だけで、他の工場での施工車はこれに当てはまらず、
米原などの100番代では小型・落とし込みの窓に改造された車輌も見たことがあります。 
この改造が緩急車化改造時に施工されたものか後年のものかは判りませんが、
大宮工場の地域では100番代は元の窓、つまり上昇式のモノ、
200番代は小型の落とし込み窓が多かった気がします・・・


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 9月22日(土)13時25分26秒
タイトル Re3:青大将色・はつかり色
本文

横山@車両名鑑様、情報ありがとうございました。
その後配置歴等を詳しく調べまして、クモイ103様の情報の裏付けはとれたのですが、
マイ38とマシ29についての詳細がわからないでいました。
マイ38については、マイ38 2の青大将色の写真はたくさん見るのですが、1の方の
写真を見たことがなっかたので確信が持てないでいたのですが、やはり青大将色になって
いたようですね。
マシ29についても、107が青大将色であったということはわかっていたので、101
の配置歴が107と同じようでしたので、101も青大将色だったのではと思っていたの
ですが、やはりそうだったようですね。
ということで、いままでにいただいた情報を整理してみました。
青大将色になっていたと思われる車両の番号と、塗色変更の時期・当時の配置ですが、

マイテ39 1・21    昭和31年  大ミハソ(→大ミハ)
マイテ49 1       昭和31年  大ミハソ(→大ミハ)
マイテ49 2       昭和31年  東シナ→大ミハ
マイテ58 1・2     昭和31年  東シナ→大ミハ
マイ38  1・2     昭和31年? 東シナ
スロ54  12・13   昭和31年  東シナ
スロ54  14〜21   昭和31年  大ミハソ(→大ミハ)
スロ54  31・32   昭和31年  東シナ
スロ54  33〜38   昭和31年  大ミハソ(→大ミハ)
スロ54  39〜47   昭和31年  東シナ
ナロ10  1〜28    昭和32年  大ミハ
オシ17  1・2     昭和31年  大ミハソ(→大ミハ)
オシ17  3・4     昭和31年  東シナ→大ミハ
マシ29  101・107 昭和32年? 東シナ→大ミハ
マシ35  11      昭和31年  大ミハソ(→大ミハ)
マシ35  12      昭和31年  東シナ→大ミハ
スハ44  1〜13    昭和31年  大ミハソ(→大ミハ)
スハ44  14・15   昭和31年  東シナ→大ミハ
スハ44  16〜18   昭和32年  門タケ→大ミハ
スハ44  19〜28   昭和31年  東シナ→大ミハ
スハ44  29〜34   昭和32年  門タケ→大ミハ
スハフ43 1・2・3   昭和32年  門タケ→大ミハ
スハニ35 1・2・3   昭和31年  大ミハソ(→大ミハ)
スハニ35 4・5・6   昭和31年  東シナ→大ミハ
スハニ35 7・8・9   昭和32年  門タケ→大ミハ

といったところでしょうか?
(クモイ103様の情報によれば、正確には 門タケ→東シナ→大ミハ という車両も
あるようですが・・・)
間違いがありましたら、指摘いただけると助かります。
長くなりましたので、はつかり色については、また後ほど。


投稿者 クモイ103
投稿日 9月23日(日)11時03分41秒
タイトル 44系門タケ組について修正
本文

> (クモイ103様の情報によれば、正確には 門タケ→東シナ→大ミハ という車両も
あるようですが・・・)
 その「かもめ」流れのスハ44系客車の配転履歴について、修正します。

 9月20日(木)23時15分27秒 の私の書き込み中、
> RF誌181号(1976年5月号)によると、1957(昭和32)年に「かもめ」の方転廃止に伴う10系化で、
シナ・ミハに分散して転属し、
 ・・・と述べましたが、RP誌75号(1957年10月号)および77号(1957年12月号)
いずれもP.55所載「昭和32年度時刻改正に伴う所属変更客車番号」によると、
くだんのグループは全車両「門」から「大」への変更となっています。
 一方、RF誌181号の記述を詳しく引用し直しますと、昭和32年の動きに関して、
> 6月5日の京都発をもってスハ44系の”かもめ”は終了し,その後2度ともどることはなかった.
竹下区のスハ44系はそれぞれ宮原と品川の両区に分散して転属し,
(中略)新生”さくら”は同32年7月20日〜9月9日まで第1回の運転が行なわれた.
当初”さくら”の受け持ちは品川・宮原両区1編成ずつで,交互に運行されていた.
 ・・・となっています。
そして、その直後の10月改正で、東海道昼行特急の受け持ちが宮原区に統合されるので、
「品川持ちの44系”さくら”」はこの夏期臨期間だけの存在だったことになります。
 ここからは推測ですが、正式な転属は門タケ→大ミハであり、
一時的に東シナ区が借り入れ使用したものだったのではないでしょうか?


投稿者 大キト
投稿日 9月23日(日)14時15分38秒
タイトル かもめのスハ44形式について
本文 仕事の都合で久し振りに来ましたが、かもめの話しが出てますね、
このかもめに使用していたスハ44形式は昭和32年度の門局の方針で列車方向転換を廃止する
と言う議題が出て、本庁が(将来)転換座席に改造するという話しで、
門局はナハ11形式を使用することになり、一時的に貸出しの形で大鉄と東鉄に渡りました、
本庁では話しが予め決まっていたのですが、門局の面子の問題などもあったと思います。
形はどうであれ実際には転属です、大鉄はしばらく門タタでしたが、
東鉄は早々に東シナに書き換えて使用しました、
資料が手元に無いので詳細は覚えていませんがOB向けに「門1特急かもめ」を
書いた時の記憶から、そのようなことがありました。
それで竹下では東京に取られたという昔話を幾度か聴いた事もあります、
塗色も大鉄では茶色のまま使用し一時的に混色の編成だったのに比べ、
東鉄は早い時期に塗り替えたようです、
全ては本庁(本社)の計画の元に決まるのですが、昔は事務的には行かず
人間関係が強く作用していた時代の話です。
よって細かく移動を調べると、竹下から宮原・品川に貸し出しましたが、事実上の転属で
宮原は竹下に義理を通してしばらく竹下車のまま使用し、
品川は自区の車として早い時期から東シナで使用していたと言うことです。
 当時の客車の所属は長期貸出車など所在と配置が違っていることも多いのです、
配置=所属の考え方では理解できない問題が出て来るのはそのためです。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 9月23日(日)17時06分22秒
タイトル RE:かもめのスハ44形式について
本文

大キトさん、お久しぶりです。お仕事忙しそうで大変ですね。
かもめのスハ44について詳しい話をしていただき、ありがとうございます。
私もいろいろ調べてみたのですが、書類上?は、クモイ103のお書きになっているとおり
「門」から「大」への変更となっているようですので、詳しいところはどうなんだろうと
思っていたのですが、そのような事情があったのですね。
書類上の配置と実際の所在場所が違っていたことは多分相当数あるでしょうから、
個々の車両の正確な所在場所を特定するのは難しい場合も多いでしょうね。

ところで、ひとつ質問をさせていただきたいのですが(初歩的な質問ですみません)、
客車の配置区の略号についてなのですが、ちょうど話題となっている昭和31〜32年頃に
標記?の変更があったようなのですが(宮原が大ミハソ→大ミハ・竹下が門タタ→門タケ)
この変更の時期はいつ頃だったのでしょうか?。
また、変更があったのはどのくらいの配置区だったのでしょうか?
ご存知でありましたら教えていただきたいので、よろしくお願いいたします。



投稿者 クモイ103
投稿日 9月23日(日)17時17分30秒
タイトル RE2:かもめのスハ44形式・半角カタカナ
本文

 大キトさんお久しぶりです。フォローありがとうございます。
・・・とレスを書いて投稿しようとしたら、車掌さんのレスが先に入っていました(^^;。
客車の配置区の略号について、私も同じ質問をしようとしていたところです。
 宮原が「大ミハソ」から「大ミハ」になったのは、昭和32年4月1日というメモが手元にあります
(レイル1981秋号P.53所載?メモが不完全)。竹下の方はわかりません。

 全く関係ない話題ですが、大キトさんが半角のカタカナをお使いですが、
これはインターネット上では使用しない方がよいとの事です。「機種依存文字」と同様だと思います。
私も、以前ハンドルネームを半角で書いて、掲示板上で文字化けした経験があります。
皆さんもお気をつけ下さい。

参考サイト↓
http://www12.big.or.jp/~meher/mail.htm#TOP

 さらに関係ありませんが、明日早朝から3泊4日の出張でしばらく乗車できません。でわ(^^)/~。


投稿者 メロン
投稿日 9月25日(火)14時48分46秒
タイトル ■五能線オハユニ61の、正体不明の床下機器
本文

こんにちは、久しぶりにお邪魔いたします。
目的からして、こちらの掲示板に書くのが適切と思われますので、
失礼いたします。

実は、こちらのサイトからもリンクが張られている、美しい鉄道
写真で有名な、Discover Japanさんの頁・・

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/7152/?

・・において、オハユニ61 106(?)と思われる写真が
期間限定で展示されております。

この、五能線のオハユニ61についてお尋ねしたいのですが、荷物室側
の台車の外側に、薄っぺらで長細い、電池箱のような機器があったよう
なのですが(Discover Japanさんの写真が完璧にこれを捉えています)、
これは一体なんでしょうか?

予備の電池箱か何かでしょうか?

もしご存じの方がおられたら、よろしく御教示お願いいたします。


投稿者 急行越前
投稿日 9月26日(水)23時08分23秒
タイトル Re:五能線のオハユニ61
本文

はじめまして 急行越前と申します よろしくお願いします

さて五能線の客車ですが
私の編成記録の中にこんなのがありました

1980.4.3
五能線1735レ

DE101201(弘)
ワラ15124        深浦〜
ワラ14241        同
オハフ 61344(秋ヒロ) 鰺ヶ沢〜川部
オハフ 61518(同)   東能代〜川部
オハフ 61511(同)   同
オハユニ61106(同)   同
ワム80208        東能代〜?  
ワム61284        五所川原〜川部

今見ると貨車がどこからどこまでついていたのかいささか疑問のあるメモですが
どうも機関車と客車の間に貨車がはさまっていたようです

ということは機関車からSGの蒸気が来ないので
五能線の客車に搭載されていた温気暖房用のダクトか何かの機器です
気動車の暖房装置と同じようなものだと何かに書いてありました

しかし、混合列車は昔支線区では日常茶飯事で走っていたはずですが
その客車にはみんなダルマストーブかなにかついていたのでしょうか


投稿者 静ヌマ
投稿日 9月27日(木)15時50分24秒
タイトル 昼行定期客車列車が消える
本文

はじめまして。
旧客の客車列車が大好きで、ずいぶん以前からROMさせていただいていました。
筑豊線の客車列車もあと3日間を残すのみとなってしまいましたが、ついに「海峡」の
廃止も発表になりましたね。

http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2001/0927/nto0927_9.html

これで、夜行列車以外に旅情を感じる列車がなくなってしまいました。
悲しい・・


投稿者 キサハ34
投稿日 9月27日(木)21時39分00秒
タイトル ウェヴァスト暖房機
本文 何かの雑誌で読んだのですが・・・、
カマとの間に貨車が入って暖房管が絶たれる場合、客車にダルマストーブを搭載の他、
標記の通り、「ウェヴァスト暖房機」と言うのを搭載したと言うのを読んだことがあります。
詳しく知らないのですが、この名称だけ記憶にあったもので。



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