倶楽部メモ(108)
平成13年 9月 9日〜 9月15日


投稿者 今泉
投稿日 9月 9日(日)01時41分09秒
タイトル 汽車会社タイプC62、他
本文

103列車機関士様、他の皆様、こんばんは。

汽車会社タイプのNゲージのC62は、現在はあまり売っているのを見ませんが、ワールド工芸から出ていました。
金属製でキットが¥21,000、完成品が¥49,800と、結構高いです。

私の方は現在Nのマイロネフ38のコンバージョンキットを組んでいます。
さっき塗りが終った(湿気が高くて往生しました)ので、明日(というか今日ですが)完成に持っていきたいところです。


投稿者 221レ
投稿日 9月 9日(日)11時27分51秒
タイトル C62の思い出(N)
本文 皆さんこんにちは!
私は10数年Nから離れているのですが
学生時代、カトーのC62に発煙装置なるモノを取り付けたことがあります。
円筒形の筒に灯油と水を入れて走らせると白い煙が出るものでした。
走行装置のダイキャストを削り取り付けるとC62は白い煙をたなびかせて優雅に走り回りました。
説明書には6V以下で使ってくださいとの注意書きがあったのですが
誘惑に負け、12v全開で走らせたところ案の定、プラスチックのボイラーが溶けてしまい
また、重りを削ったので前輪が脱線しやすくなってしまったという苦い経験があります。
金属キットがあると聞くとまた、誘惑にかられそうです。
それでは。

投稿者 吹田(操)
投稿日 9月 9日(日)17時06分02秒
タイトル 急行「だいせん」の旅
本文 >皆様
 先日は、急行銀河に関する情報を頂き、有難うございました。
 もう昔の話しで恐縮ですが、小生も1990年の8月に、大阪→倉吉間で、急行「だいせん」を利用したことがあります。
 当時は、DD51の牽引で、12系客車と寝台車が1両の編成で、さながら夜行列車っていう雰囲気を出しておりました。
 結局、倉吉まで一睡も出来なかったのですが、最初で最後のだいせんの旅を楽しむことが出来ました。
 かつて、急行だいせんは、昼間のDC急行もあったようですが、今となっては、編成も短く寂しいものになったみたいですね。 


投稿者 クモイ103
投稿日 9月 9日(日)19時07分56秒
タイトル マルチレスについて、ぶどう色1号
本文

車掌@仙コリさん>
> ちなみに連続投稿は全然問題ありませんので、より多くの書き込みをお願いしたいと思います。
> (むしろマルチレスですと、タイトルから内容がわかりづらいかも・・・・)

・・・了解しました。実は、他の掲示板でそこの管理人さんが、
「書き込み件数を増やすと他の人の発言が早く過去へ流れていってしまうので、
発言はできるだけ一度にまとめてほしい。1件の書き込みが長くなってもよい」
といった趣旨の事を言っておられたので、お尋ねした次第です。
 客車倶楽部では、過去ログに見出しを付けて整理されているので、
項目ごとに分けた方が良いのですね。

 言ったそばからマルチネタとなりますが、鉄分補給させて下さい。といっても模型ネタです。
 今までプラ用塗料に無かった「ぶどう色1号」が近く発売されるとの事です。
いよいよ私の模型鉄道も、客車界における時代の区切れ目である昭和34年を超えて、
いにしえの時代へと突入する?


投稿者 キサハ34
投稿日 9月 9日(日)20時35分12秒
タイトル 久々の旧客乗車
本文

私事で失礼します。

10月6日、7日の「SL&DL会津只見号」いずれも若松行きだけですが指定GETできました!
両日とも3号車でオハニでは無さそうですが、今年は奇しくもスハ43系生誕50周年!
久しぶりに旧客の、そしてTR47の重厚な乗り心地を味わってこようと思います。
あとは、仕事に邪魔されないよう祈るのみです。

おそらく、ここの方でも行かれる方はおられるのでは無いでしょうか?
少しでも多くの方とお会いできれば嬉しいです。


投稿者 今泉
投稿日 9月 9日(日)22時55分11秒
タイトル Re:ぶどう色1号
本文

こんばんはです。

クモイ103様:
> 今までプラ用塗料に無かった「ぶどう色1号」が近く発売されるとの事です。いよいよ私の模型鉄道も、
> 客車界における時代の区切れ目である昭和34年を超えて、いにしえの時代へと突入する?

なんと! それは朗報ではありますが...
私のN模型客車は昭和34年以前のものも含め「ぶどう色2号」になっているので、
これを塗り替えるのは大変だし、う〜む、悩ましい事態であります。



投稿者 103列車機関士
投稿日 9月10日(月)09時49分21秒
タイトル うれしい知らせ
本文 こんにちは、クモイ103様、食堂車のメニュウありがとうございます。
楽しいですね、父から「高校生の時、コッペパン5円」の話を聞きましたが、このころ
の話だと思います。やはりステーキは贅沢だったのですね。ポークチャップ
ってどんな料理だったのだろう?何かおいしそうですね、
今泉様、C62の件ありがとうございます。ワールドのキット、電機は結構作り
ましたけど、蒸機はやったこと無いので初心者向けのキット何がいいでしょうか?
ブドウ色1号ですか!ワールドのお召し、作らなくてよかった、、、
GMカンスプレーかしら、、、、私はピカピカのナハ10をやりたいです。

投稿者 クモイ103
投稿日 9月10日(月)12時38分08秒
タイトル ぶどう色と10系客車
本文

 ぶどう色1号は、みなさん関心をお持ちですね(^^)。

> GMカンスプレーかしら、、、、私はピカピカのナハ10をやりたいです。

 瓶入りですが、GMカラー用の溶剤に合わせて作られているそうです。
塗料初参入のガレージメーカーで、スプレー缶を製造する技術がない様です。
なお、情報源は模型店「タヴァサホビーハウス」です。
 ナハ10は昭和34年以前の登場ですが、「10系客車は当初からぶどう色2号に塗られていた」
との情報が雑誌に散見されます。どなたか詳細をご存知の方おられませんか?


投稿者 今泉
投稿日 9月12日(水)01時56分47秒
タイトル 蒸機キット、他
本文

103列車機関士様:
>今泉様、C62の件ありがとうございます。ワールドのキット、電機は結構作り
>ましたけど、蒸機はやったこと無いので初心者向けのキット何がいいでしょうか?
うーん、蒸機のキットはワールドやキングスのをいくつか組みましたが、どれも楽
ではなかったような(^^;;;)
まぁ、下回りの加工があまりない、という点ではワールドのD52でしょうか?
ただ、本当にお勧めできるかどうかはちょっと自信が有りません、すみません。

客車の話題に強引に振りますと(^^;)、Nのマイロネフ38ができました。
写真です↓ よろしければご覧くださいませ。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand/6268/railmodel/maironefu38.jpg

投稿者のホームページ


投稿者 青列車
投稿日 9月13日(木)02時31分27秒
タイトル ナハ10試作車の塗装
本文

皆様はじめまして(^o^)丿
千葉県佐倉市在住の青列車と申します(NiftyのFTRAINに時々発言しています)
さて、ナハ10の登場当時の塗装ですが、生憎1960年生まれの私は実際に見た経験はありませんが、
当時を紹介した鉄道雑誌等のバックナンバーに掲載されたカラー写真を見る限りでは、
他の車両とは明らかに茶色の色艶が違います。
おそらくは、軽量構造の新世代車両をアピールする意味もあってこの色になったのではないでしょうか?
(同じ10系一族でも、郵便車オユ10、オユ12などは比較的遅くまでぶどう色2号で
残っていたようですが…あんまり記憶にないです(^^);
北海道のC62重連末期の写真には、茶塗りのオユ12も見られるのですが…)

ところで、10系客車といえば、車内は当初、寒色系だったのではないでしょうか(淡緑色)?
晩年に実車に乗ったときには、暖色系(クリーム色)だったのですが…

と、いうわけで、私からも便乗質問させていただきます。


投稿者 JIN
投稿日 9月13日(木)21時10分19秒
タイトル 初めまして
本文

初めまして、JINと申します。
旧客が好きで戦前〜昭和30年代の東海道本線、40年代の北海道を中心に模型を作っています。

蒸機のキットはキングスの物が作りやすいと僕は感じました。
基本的にKATOの足周りを使うので動力の調整がいりません。
ワールドのは形は良いんですが走らせる事を考えると不安があります。

ちなみにワールドのC62汽車会社は肝心のドームの形が違ってますね。
何故か16番メーカーにも見られるのですが前後が非常に丸くなっています。
実車は日立、川崎の前側とほぼ同じ角張った物です。
これを正しく製品化しているのは16番では天賞堂、
Nではレボリューションファクトリーのパーツだけと思います。
(残念ながらレボリューションのパーツは品切れでした)

ぶどう色1号はどのメーカーから発売されるんでしょう?
僕は2号と黒を混ぜていたので。

投稿者のホームページ


投稿者 だいせん初体験
投稿日 9月14日(金)11時04分23秒
タイトル だいせんの説明、有難うございました!
本文

非常に分かりやすい説明で、わかりましたです。
クモイ103さん、車掌@仙コリさんどうも有難うございました^^;

実はこの親投稿をしたタイミングが出発直前だったので、
カキコを参考にして旅立つ事は出来なかったのですが、
旅自体は米子から急行だいせんを使用して某関東まで帰ってきました。
御察しの通り、18切符を持っていましたのですが
急行だいせんの空席状況を朝確認したら
「指定・自由共に大丈夫だよ」とのみどりの窓口さん。
(自由席も大丈夫と明言してくれるとは、、あまり利用者がいないのだろうか・・)
とも思い、自由席狙いでしかも普通券も購入せずに夜まで過ごしました。
帰りは理由もあり、ぎりぎりで米子に到着し5分程度での乗り継ぎでしたので
車内改札にて急行券・普通券購入です。
当初は終点大阪まで出て、鈍行の予定だったのですが
倉吉-福知山間を普通券で購入して、福知山-京都間の始発に乗ると
鈍行でさらにお金を浮かせて、大阪に出るより早く帰れることが
i-MODE検索によって判明しました。
今回の旅行でなんかいろいろと電車での旅行が楽しめました。

だいせん車内は車掌さんが改札が終わると、簡単なアナウンスをして
車内の明かりを少し暗くしてくれるなど、気配りがあってよかったです。

また、何かわからないことがあったら訪れるかもしれませんが
その節はよろしくお願い致します。それでは失礼致します。


投稿者 オロネ10
投稿日 9月14日(金)15時05分36秒
タイトル 上越線の昼行客車急行
本文 話が一段落したかな、と感じましたので、一つ話題(いや、結局質問なんですが)を宜しいですか?
過去の投稿を見ても、この話題、上越線の客車急行については、多分触れられていないのでは、
と思うのですが。
現在では結構年上の人間でないと、実際に上越線の昼行客車急行を見たと言う人は少ない
と思います。有名なのは「越路」で、内田百間の随筆にも名文で紹介されていますよね。
上越線の急行が一気に165系になったのは、昭和43年頃でしょうか?(43−10でした?)
その前、昭和40年前後だと思うのですが、実は私は赤羽でかなり多くの客車の上越急行を
見た覚えがあります。「越路」の他に、「越後」「弥彦」、それに165系の代名詞の様な「佐渡」
も客車だったのではないかと思います。牽引機は全てぶどう色の「EF58」だったと思います。
これらの編成は、やはり「越路」の様に7輌程度の短いものだったのでしょうか。
全てが定期急行ではなく、週末臨レが多かったかもしれませんが、適当な長さの編成だったら、
模型で走らせたい列車の様に思えて。
当時の時刻表がないものですから、どなたかお判りになれば幸いです。


投稿者 クモイ103
投稿日 9月15日(土)00時09分44秒
タイトル Re:上越線の昼行客車急行
本文

オロネ10さん、こんにちは。予告質問(?)にお答えします。

 上越急行(昼行)が全面電車化されたのは、昭和38(1963)年6月1日ダイヤ改正です。
 なお、このルートはその1年前の昭和37(1962)年6月10日に電化が完成していますが、
その時点では、特急「とき」の華々しい登場の蔭で、急行では下り701M「弥彦」と
上り702M「佐渡」の1往復が80系電車で運転されたのみで、下り701レ「佐渡」、703レ「越路」、
上り702レ「弥彦」、704レ「越路」はEF58牽引の客車列車でした。
ただ、この客車急行としての最後の1年間、701レと704レの1往復に、
半室食堂車オハシ30が組み込まれたのが特徴的です。
オハシ30はオハ35改造とスハ32改造の2タイプありますが、上越急行に使用されたのは、
いずれもオハ35改造車の2002と2003で、仙台と秋田へのオシ17配置で捻出されたものです。
 オハシ組み込み時の詳しい編成はわかりませんが、それより少し前の、
昭和35(1960)年6月1日現在の701レ「佐渡」の編成をお目にかけます。
↑上野
1 オハニ 
2 スロ60
3 スロ51
4 オハ
5 オハ
6 オハ
7 オハ
8 オハフ
↓新潟
 形式指定のないものについて、配置表や編成記録から推定すると、オハニは36、
オハは46のうちスハ43からの編入車、オハフは45のオリジナル車が主として用いられた様です。
703レ「越路」もほぼ同じで、オハが1両多いだけです。
昭和35年時点での牽引機は、上野−長岡間EF57、長岡−新潟間C57ですが、
後に東海道からEF58が戻ってきて、交代したものと思われます。



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