特急「富士」の展望車の切り離しについて もう一度調べたのでご報告します。
展望車切り離しの情報の出所と言うのは レイルbSの古山善之助氏の記述によります。
・・・九州に入った「富士」は九州線内の各駅構内の有効長および機関車の牽引定数の関係で、
門司駅でイテを初め、一部客車を解放し、編成を短くして長崎まで運転されました。
ハネは既に廃止されて、戦局の進展は次第に優等列車運転の上にも暗い影を落としてくることに
なります。・・・
これをもとに 展望車切り離しについて書いたわけですが 「富士」の九州乗り入れ関して
別の史料にこうも書いてありました。
・・・当時中学生だった私は、九州入りした特急「富士」と近くの踏切で対面したわけだが、
装飾のまったく見られないC57が客車をひいて眼前を通過し、最後尾に連結された1等展望車と
そのテールマークが、かろうじて特急列車だと認識させてくれるくらいで感激は薄かった。・・・
以上は 鉄道ファン306号の奈良崎博保氏の記述で
九州乗り入れ当日の「富士」について書かれたもので 少なくとも九州乗り入れ当初は
展望車が 九州内でも連結されていたことがわかります。
私も 実際にそれを見たと言う人居ると言うことで 九州内でも展望車は連結されていたのでは・・・
と思い始めています。
古山氏は後に レイルで「蒸気全盛時代の国鉄の特急と急行列車」を連載されていて
「富士」についても再度書かれていると思うのでそれに当たれば また何か解るかもしれません。
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