倶楽部メモ(95)
平成13年 7月 4日〜 7月16日


投稿者 クモイ103
投稿日 7月 4日(水)12時48分37秒
タイトル ため色、石炭レンジの煙突
本文

 Nで14号御料車を作ろうと思うのですが、塗色は「ため色」で良いのでしょうか?
また、プラカラーで良い近似色または調合レシビはありますでしょうか?ご教示お願いします。

 別件ですが、今年4月(倶楽部メモ(81))に話題にさせて頂いた「石炭レンジの煙突」については、
ペアーハンズで、同社製ヨ5000キットに入っている石炭ストーブ用煙突パーツを別売してもらうことができました。
 なお、調理室屋上3点セット(?)のうちあと2つは、
◎大型ガラベン・・・KATO製EF57から取る。キングスホビーでジャンク扱いで投げ売り状態だった
ゴナナの車体を友人から譲ってもらいました。
同社製旧型電機コンバージョンキットの特製完成品を作って余ったものの様です。
弁天町のスシ28 301の実測結果と比べるとまだ一回り小さいけど、まあ仕方ないでしょう。
◎給水タンクの口・・・各種素材を使って自作。ここはモデラーとしての腕の見せ所と、久々に気合い入ってます。

・・・ということで、これで消化不良状態の旧型食堂車キットを片づける見通しが立ちました。
EF5829さん、ありがとうございました。
(床下機器配置は、大キトさんの「客車空気調和装置資料室」に大変お世話になってますm(_ _)m)


投稿者 菊之介@急行八甲田
投稿日 7月 4日(水)20時57分32秒
タイトル 鉄道好きならずとも、
本文 八甲田のような列車を愛している人は多いようです。
菊之介の知人に八甲田のことを話してみると、乗ってみたいという答が案外帰ってきます。
あの夜汽車の良さを知っているのは私たちだけとは限らないのが嬉しかったですね。
我々の身の回りや他の鉄道のサイトに、団体列車の話をして人数を募れば、
八甲田のリバイバル運転も夢ではない・・・?
いい加減に諦めなさいって!? ・・・失礼しました。。

投稿者 103レ
投稿日 7月 5日(木)18時01分28秒
タイトル 八甲田の思い出
本文 私が最後に八甲田に乗ったのは4年前の年末でした。
ワイド・ミニ周遊券が健在だったにもかかわらず自由席はガラガラで寝台車しかロクに乗ってない有様でした。
かつてこの時期の八甲田の自由席といえば明るいうちから並んでいる人がいたことを思うと寂しかったです。
夜行バスに客を奪われたのでしょうか。
また、快速に格下げすれば18きっぷの時期に乗る客がいるのにと言っている人がいました。


投稿者 オロネ10
投稿日 7月 6日(金)18時37分54秒
タイトル 「白山」
本文 私も「八甲田」はよく見て楽しんだ部類です。
でも時間帯から行って、余り利用回数は多くありませんでした。
私の場合「EF57」に牽かれた「八甲田」のイメージが強いですね。無論客車は旧型の茶色でした。
もう一つ、旧客の急行ですが、アルバムをひっくり返していたら、急行「白山」の晩年の頃、
「EF58」に牽かれた、堂々たる「10系」編成の「白山」が写っているのですが、
すべて「10系」と思っていた処、機関車の次位に「スハフ42」らしき緩急車が入っています。
これは高崎転回の車輌でしょうね。
オール「10系」だとばかり思っていたので、記憶とは当てにならないなと思いました。
いつも付いていましたか?また、更に晩年「EF62」に牽かれていた時も、
私の記憶ではオール「10系」だったと思うのですが・・・


投稿者 金タオ・黄青しろ
投稿日 7月 7日(土)01時50分20秒
タイトル Re:「白山」
本文

こんばんは。北陸に関するネタが出て来ましたね。
しかも、やっとここの掲示板らしい旧客ネタです!

オロネ10さん
白山にはスハフのほかに確かロザとしてオロ61が2両、ハザでオハ46・47も1両ずつ入っていたと思います(昭和39年ごろですが)。
昭和42年ごろからはスロ62が1両ではなかったでしょうか?
まぁ、いずれも若輩者の本で読んだだけの記憶ですが・・・。
それにしてもそういう時期の「白山」をリアルタイムで経験しているのがうらやましいです。
私なんか、一番古い記憶で食堂車付きの489系ですから。
早く、愛称だけでも復活して欲しいですね(車両はE2でしょうけど)。


投稿者 菊之介@急行八甲田
投稿日 7月 8日(日)22時34分56秒
タイトル 白山ですかぃ。
本文

 御乗車の皆さん。御機嫌いかがですか? 菊之介です。
 さて、白山とは懐かしい話題ですね。碓氷峠の華だった名門列車ではありませんか。
菊之介の本棚から面白い資料が出てきたので、皆さんに御紹介しますね。
 白山が登場したときは急行として運転されていました。
またアプト式の為に登場したての頃は長編成を組めなかったようで、
それで黄オロネ10さんのおっしゃる通り、後に軽量客車によって運転される事となったみたいです。

 さて、1954年当時の編成を見てみますと、1〜7号車が新ニイ所属で、8・9号車が長ナノでした。
この8・9号車は越路号(上野ー新潟)との共通運用ということだったそうです。
 ←1号車    9号車→  (うち、8〜9号車は上野〜長野間の連結)
 スハニ32+スロ51+オロ40+スハ43+スハ43+スハ43+スハフ42+
                               オロ35+スハフ42   
 
 この当時の列車番号は、急603レ 上野9:10→金沢19:07
            急604レ 金沢9:45→上野20:00  でした。
 
 そして1959年9月22日に金サワ区の車両(軽量客車)が1〜9号車に充当されました。
加えて東オクの車両を10号車に充当させたようです。編成表は以下の通りです。
 ←1号車  10号車→  (スハフ42は長野まで連結)
 オハニ36+スロ51+スロ51+ナハ10+ナハ10+ナハ10+ナハ10+
                           ナハ10+ナハフ10+スハフ42
 列車番号は、急601レ 上野9:45→20:00
       急602レ 金沢9:15→19:44 でした。
 これは当時の気動車特急「白鳥」に有効時間帯を譲ったためでした。
その後列車番号は急行時代はずっと変わっていませんでした。
 さて、その後1968年まではどの編成の中にも必ずスハフ36が連結されています。
また金タオさんのおっしゃるロザが一両になったのは、私の資料を見る限りでは1967年の
金フイ所属編成が充当されてからのようです。
それに、やはり私の資料の中には急行白山の編成の中にはスロ62は見当たりません。
 しかしまぁ、客車編成というのはいつも突飛な事があるものですから、金タオさんがおっしゃる
スロ62も急行白山の仕事をしているかもしれませんね。
 
 菊之介のもっている情報はここまでです。どなたか、彼らを牽引していたのが誰なのかを教えて下さいませ。


投稿者 クモイ103
投稿日 7月 9日(月)20時41分52秒
タイトル 「白山」の牽引機
本文  菊之介さん、彼らを牽引していたのが誰なのかは、例の「主要客車列車編成順序表」をたどれば
かなりわかる筈ですが、私は「白山」に関係したページは殆ど持っていませんので、
手持ちの資料でわかる事をご紹介します。
 RP166号(1965−1)に「白山」の事が載っています。昭和39年10月改正時の牽引機は、
・上野−高崎 EF58[高二]
・高崎−長野 EF62[高二]
・横川−軽井沢(後補機) EF63[横]×2
・長野−直江津 D51(下り柏原まで、上り直江津から重連)
・直江津−富山 DF50[富]
・富山−金沢 EF70
 なお、富山−金沢間はこの改正で電化された区間で、
それ以前はDF50が直江津から通していたとの事です
(ちなみに昭和35年6月の主要客車列車編成順序表ではC57でした)。
 また、S.39.11.1の下り列車を豊野−牟礼間で撮影した写真は、D51×2+D50の3重連で、
「この日は珍しく3重連で・・・」とのキャプションがある事から、機関車運用のイレギュラーと思われます。


投稿者 オロネ10
投稿日 7月12日(木)10時51分32秒
タイトル もう少し「白山」
本文 貴重な情報、有難うございます。牽引機などを見ると、ワクワクしますね。
上りがデコイチ重連だったとは知りませんでした。「DF50」も、この頃は茶色だったんでしょうね。
私が写した客車晩年の「白山」は、恐らく昭和45年〜47年頃だったと思います。
昭和34年にはもう軽量化されていたんですね。
記憶では「金タオ・黄青しろ」さんのおっしゃる様に、ロザは1輌で、軽量化も進み
「オロ12」あたりになっていた、なんて事はないのでしょうか??
「スロ62」が混ざっていたら、オール軽量と思ったかもしれませんね。
「EF62」が牽引していたのは、2年位のものでしょうか。
結局「白山」はいつ格上げ・電車化されたのでしたっけ???


投稿者 クモイ103
投稿日 7月12日(木)12時39分45秒
タイトル Re:もう少し「白山」
本文

 「白山」の特急格上げは、新幹線岡山開業の昭和47年3月ダイヤ改正です。
この時同時に格上げされた「同期生」としては、「瀬戸」「出雲」「みちのく」(昼行「十和田」の格上げ)があります。
 ロザは、時代により変更があったとしても、冷房化後であればスロ54かスロ62でしょう。
いわゆる10系軽量客車のオロ11は、最後まで全車両とも電気暖房は搭載せず、
昭和30年代後半に東北や北陸方面で電暖が使用される様になってからは、
もっぱら東海道・山陽・九州ルートだけで運用されました
(その頃はまだ冷房化前のナロ10だったので、結局オロ11としては東京から西側しか走ったことがない筈)。
従って「白山」に使用された事はありません。
ちなみに、オロ11が使用された有名な列車としては、C57牽引「日南3号」、
そして伝説の長距離急行「桜島・高千穂」などがあります。

# 「オロ12」はオハ12改造のお座敷客車ですよ。「くつろぎ」とか・・・(^^)


投稿者 オロネ10
投稿日 7月12日(木)14時43分48秒
タイトル お恥ずかしい
本文 クモイさん、有難うございました。
それにしても、「オロ12」では恥をかきました。
いや、書いた後に、なんか音の座りが悪いなとは思っていたんですよ。
確かに私は赤羽だったものですから、「オロ11」はまず見なかったですね。
1等やグリーンに縁がなかった事もバレました。(- -;)
では気分を変えて、前から少し気になっていたのですが、「EF56」って余り話題にならないですね。
私には場所柄、とても馴染みの多い機関車で、どなたかが「EF58」や「EF61]の荷物列車が
懐かしいとおっしゃられていましたが、私にとっては荷物列車と言えば「56」です。
その頃はあのヘンテコな貨車だか客車だか判らないような荷物車も混じらず、
純粋客車(?)の荷物列車でした。
勿論、その前は臨時急行「おが」「津軽」などを牽いていて、何度かお世話になりました。
数が少なく、地域も限られていたせいか、余りポピュラーじゃないですね。
誰か話題にしてやって下さい。


投稿者 急行 音戸
投稿日 7月13日(金)14時25分15秒
タイトル 初めまして
本文 こんにちは、みなさん初めまして「急行音戸」と申します。この掲示板いつも楽しく拝見しています
EF56の事ですが、オロネ10さんは現役時代をご存知なんですね、羨ましいです。
私は西日本地区それも最西端に住んでいるので、EF56はおろか、EF57ですら、見たこと有りません。
よく雑誌とかで「EF57牽引の急行・・」とか、「EF56牽引の・・」とか、模型の世界でしか見れません。
かろうじてEF56は別形式、EF59で初めてみました。
小学生の頃、コロタン文庫の「機関車全百科」というのでEF59の存在は知ってました。
はじめて実物を見たのは家族で東京へ行った時の事です。(晴海であった宇宙博とか言う物)
当時カレチをしていた父がAロネを奮発してくれて、今は無き「みずほ」の喫煙室?で飽きず外を見てました。
瀬野駅を通過する時、本で見たEF61、EF59の他に、パンタが中央に寄った角が丸い機関車が、
「ナニ有れ?」、かえりの「みずほ」で瀬野通過の際、もう一度確認すると、EF59のナンバーが!
EF56からの改造だというのが判ったのは、1年後鉄道ファン215号を購入してからでした。
その後実物を目の当たりにするのは約5年後でした。
広島に住んでる親戚の家から、電車で瀬野まで、念願の対面?を果たしました。
田舎の中学生に撮影地の情報も頭には無く、1日中瀬野駅で遊んでました。
すでに山陽本線は、昼行特急、急行は無く、貨物、荷物、ローカル電車のオンパレードでした。
 話は変り、東日本地区の方は、羨ましいですね、
私もオロネ10さんのように「津軽」、「八甲田」見てみたかったですね、
ちなみに10系寝台も実物は見たこと有りません。
 初投稿なのに長々と書き込んでしまい申し訳ありません。
これからも楽しく拝見させて頂きますのでみなさん、宜しくお願いします。


投稿者 クモイ103
投稿日 7月15日(日)14時08分58秒
タイトル セノハチ、EF56など
本文

 急行音戸さん、こんにちは。よろしくお願いします。
 お父さんがロネを奮発してくれたとは羨ましいですね。
セノハチは高校〜大学時代に何度か行き、EF59の4重連回送や、
八本松でのEF61 200の走行解放を撮影したのが思い起こされます。
 東日本が羨ましいと仰いますが、なんの、昭和40年代までさかのぼれば、
山陽本線にもたくさんの客車急行が走っていましたよ。
特に急行「音戸」は、定期2往復の他に臨時が1往復あって、小学生だった私は、
時刻表で「音戸」同士の同格待避ダイヤを発見して、興奮した思い出があります。
九州行きの列車も、九州内で各方面に分散するためたくさんの系統があって、
当時の私の頭では理解しきれないほどでした。
もっとも実際にそれらの列車を目にした訳ではありませんが。

 EF56に関しては、地元だった筈の私も、実は印象がありません
(北浦和に住んでいました。オロネ10さんとはどこかで出会っているかも知れませんね)。
きっと、いつも荷物列車を牽引して貨物線の方ばかり走るので、
EF10丸形あたりと一緒くたにしていたのでしょう。
ちなみに、貨物用旧型機はEF10、13、15の3形式が走っていました。


投稿者 急行 音戸
投稿日 7月15日(日)22時35分28秒
タイトル 山陽急行
本文 クモイさん、皆さんこんばんわ、急行音戸です。音戸同士の待避、想像だけでも興奮しますね!
実は、このPNは、父親の乗務していた列車なんです。
昭和47から52年まで、下関車掌区でカレチをしてまして、昨年JRを退職、
そして父の机の中から、昭和4810月改正の際、「専務、車掌補誌執務手引き」というのが出てきました。
その時の乗務列車は、「あさかぜ1.2号」「同2.3号」「みずほ」「あかつき5.6号」
「つくし2号」「音戸1.2号」なんとあの「長州」まで、電車では「なは」「はと」「しおじ」
その時の編成、給水駅、興味深かったのは、10系寝台を使用している列車の
「向日町到着後寝台車のエンジンを停止させる事」と「新聞積み込み駅」という項目、
当時、特急、急行問わずAロネのお客に朝刊を配っていたみたいですね。
ほんとに、古き良き時代だったんでしょうね。
話は変り、実は父が撮影した8ミリフィルムに、EF61牽引の音戸、485つばめ、なは、
そして、20あさかぜの車内、さよならSLなどの映像があります。
カラーで音声はないのですが、VTRに保存等は可能なのでしょうか?
もし、この掲示板で「8ミリからVTRに保存した事あるよ!」と言う方がいらっしゃれば
教えていただけないでしょうか?
そして、この「専務、車掌補執務の手引き」ご入用な方がいらっしゃればコピーでよければ
お分けしたいと思います。何分わら半紙のガリ版刷りなので、綺麗ではありませんが。
長々と書きましたがこの辺で失礼します。


投稿者 クモイ103
投稿日 7月16日(月)12時25分42秒
タイトル 「Aロネ」
本文

 急行音戸さん、重箱の隅つつきで恐縮ですが、ちょっと質問させて下さい。

 「Aロネ」という言葉をお使いになっていますが、
それは、お父さんはじめ国鉄部内の方が使われていた用語なのでしょうか?
 「Aロネ」という言葉で、私が知っているのは、昭和30年7月1日の1等寝台格下げの際、
ロネがABCの3ランクに分類された時のものですが、この時の「Aロネ」は個室寝台であり、
しかも昭和44年5月10日の等級制廃止の際に、新たにロネ=A寝台、ハネ=B寝台となったため、
この呼称は正式には無くなっている筈です。
ちなみに、お父さんが乗務なさっていた時代で、古い分類の「Aロネ」に該当するのは、
ナロネ20とナロネ22(半室)の2形式しかありませんでした。
 各種の文献でも、「ロネ」という言葉の上にアルファベットを冠するのは、
この昭和30〜44年の分類についての記述だけしか見あたりません。
もし昭和47〜52年当時、国鉄部内でその様な言葉が用いられていたのなら、詳しくご教示頂きたいのですが・・・

 何だか揚げ足取りの様な感じがしないでもないですが、「用語」というものにも多少興味があり、
純粋に事実が知りたいだけですので、よろしくお願いします。



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