倶楽部メモ(73)
平成13年 1月 3日〜 1月11日


投稿者 さくら号
投稿日 1月 3日(水)11時41分34秒
タイトル 本の紹介
本文 あけましておめでとうございます。
昨年の暮れ図書館で「写真集 九州の鉄道 1963-2000」宇都宮照信著 葦書房有限社の本を
借りてきました。
九州に住んでいる鉄道ファンにはたまらない一冊でした。
筑肥線をC11が60系客車を牽引しているところや,鹿児島本線、日豊本線、長崎本線を
蒸気機関車や、DD51、DF50が旧型客車を牽引している様子が写真と説明で紹介しあります。
急行日南、しろやま、桜島、雲仙号や八代発大阪行き普通列車など現在走っていたら
絶対乗ってみたい列車だと思います。
私は出張の帰りに行きは20系急行かいもんのナハネフ22に乗って帰りは西鹿児島から熊本まで
普通列車に乗ったり、急行雲仙・西海号,桜島号と小学生のころ乗ったことがあるので
懐かしくてたまりませんでした。
この本の著者は鉄道雑誌等で有名なブルートレイン等の食堂車で働かれている宇都宮さんです。
旧型客車ファン蒸気ファンにもおすすめの写真集だと思います。


投稿者 あおき
投稿日 1月 3日(水)22時50分30秒
タイトル ホームページ更新しました
本文 あけましておめでとうございます。
客車についていつも楽しく拝見させていただいております。
今回、ホームページに「磐越西線」に続き「日中線」の旧型客車をアップいたしました。
オハ33からスチームの煙がモクモクと立ちのぼるシーンやオハ61の車内の様子もあります。
もしよろしかったら、覗いて見てください。
投稿者のホームページ

投稿者 井上雄大
投稿日 1月 4日(木)19時17分00秒
タイトル 特急かもめ瀬野八越えD52編成写真
本文

こちらのサイト内の客車列車写真館で公開されておられる“かもめ”写真と匹敵する貴重映像を
別サイトにありましたのでご紹介します。
D52瀬野八越えの様子が伝わってくる素晴らしいスチール写真です。
あと、101系、151系、153系、155系、157系、471系、各車両登場時の写真も掲載されています。
一見の価値ありです。

サイト名;北総レール倶楽部 
「レトロ日本の名機、名車100撰 名場面!瀬野八(その3)」{かもめ}
「1958‐65 大阪駅3」{20系〜471系 登場時写真集}

http://hokuso.com/


投稿者 石原 慎治
投稿日 1月 4日(木)22時46分15秒
タイトル 筑豊線
本文 の50系は、今年の秋までみたいですね。秋に電化すると聞きました。
817系というのが登場するそうですね。直方にも留置線作られています。


投稿者 221レ
投稿日 1月 5日(金)03時12分52秒
タイトル 上野発夜行列車の思い出
本文 普段はROMばかりしています。
20系十和田の話、懐かしいですね。
後の東北新幹線開業の頃、
12系+10系寝台2往復だった津軽が20系に置き換えられ
やはりナロネ21改めナハ21?では無理があったようで
季節臨の男鹿の14系ハ座と入れ替えになった
ことがあったように記憶しております。
ウエレク ニカホさんの言われた床下シートの引き出しは
後に津軽が583系になった最後の頃でも繰り返され
注意をされている人を何度も見ました。
ハ座使用の寝台車は車掌泣かせだったようです。
12系+20系ハネの急行が多かったのはこんな事があったからなんでしょうね?
私自身12系十和田を東北ワイド周遊券で車中泊用にただ乗り?して
1Box4席を占領し、くの字になって寝たうえ、
枕がわりに使った望遠レンズのケースを車内に忘れ
青森から小荷物で送ってもらい当時の国鉄関係者に迷惑をかけた事があります。
また、めずらしく青森から八甲田の指定をとった時は
途中から乗ってくる酔っ払いが満員の自由席から逃げてきて
酒盛りを始め、2〜3駅で降りるとまた同じようなグループが…
結局仙台まで繰り返され寝る事ができなかった事があります。
当然急行券などもっていない人達で車掌の手を煩わしていました。
夜行高速バスの台頭のせいでしょうか?
それとも儲からないからでしょうか
そんな夜行列車が無くなって久しいのですが
上野駅13番ホームへ行くと夜汽車のことを思い出します。
ところで1月8日にELSLみなかみ物語号に乗る事になりました。
牽引機はEF5861とC58363らしいのですが
13番ホームからゴハチ牽引の客車列車に乗るのは
一ノ関行き123列車以来25年ぶり?なので非常に楽しみにしています。
長くなりました、それでは。


投稿者 西海号
投稿日 1月 5日(金)17時11分12秒
タイトル 思い出の夜行列車
本文 はじめまして。ひょんなことからこのHPを知り、皆さんの投稿を楽しく読ませていただいています。
私の汽車旅歴は45年位になりますが、その大半は生まれ故郷の九州(佐世保)と
大阪、名古屋(青年期)の往復で、父の実家への旅行、盆正月の帰省でした。
最近でこそ、新幹線を利用することが増えましたが、思い出に残るのは決まって夜行列車です。
学生の頃、学校の図書館で時刻表とにらめっこしながら、「俺が結婚したときは「ことぶき」号
(注、京都?〜宮崎間の新婚専用列車)の一等寝台に乗ろうか」等と、まだ相手もいないのに、
一人で旅への思いを膨らませていたことを思い出します。
今は無き急行「西海」「平戸」「玄海」「雲仙」「霧島」、
どれも青春の1ページが甦ってくる列車たちです。
今日は、1月3日のさくら号さんの投稿を読み、昭和32年ころ天理教の老先生に連れられて
鳥栖から大阪(午後2時代の到着だったと思います)まで乗った普通夜行列車のことを思い出し、
この列車について知りたいと思い投稿しました。
運転区間、ダイヤ、列車番号等なんでも結構です。ご存知のかたの投稿をお願い致します。


投稿者 Miyo
投稿日 1月 7日(日)00時12分01秒
タイトル 吉松駅
本文 正月実家に帰りアルバム整理していたら
吉松駅に留置してあったオハフの写真が出てきました
コンテンツ古いアルバムから更新しております参考までに
その他大量に画像UPしました
投稿者のホームページ


投稿者 Satokawa
投稿日 1月 8日(月)11時24分00秒
タイトル Re:スハフ43(スハ44改)の妻面について
本文 ぶりる様
初めまして、Satokawaと申します。
お問い合わせの写真、誠文堂新光社の国鉄客車ガイドブックのスハフ43は
そのものズバリです。急行銀河使用時の写真です。(大ミハ車)
この形式・番台区分は、オリジナル(3両)よりも改造バージョンの方が
多数派だったという変わり種です。
ではでは。



投稿者 クモイ103
投稿日 1月 9日(火)12時14分05秒
タイトル Re:思い出の夜行列車
本文  初投稿のクモイ103と申します。
しばらくROMしていましたが、私が最近ハマっている昭和30年代の話が出てきたので、
ひとくち乗せて下さい。
 手元の時刻表復刻版・昭和31年11月ダイヤ改正号によると、熊本発大阪行き218列車
というのが、西海号さんのご乗車になった列車に該当すると思われます。
熊本発17:20、鳥栖着19:53、発20:00、大阪着は翌日の14:48です。
この列車には2等車が連結されていました。
 当時は東海道本線がやっと全線電化されたばかりで、山陽本線はC59などの大型蒸機の
天下だったはずですね。
深夜の通過となる門司−下関間のEF10を除いて、全て蒸機牽引の汽車旅は、
今から見れば大変なご苦労だったのではないでしょうか。
 私は、全国に気動車特急が走り始めた白紙改正の年の生まれで、居住地の関係もあって、
現役の蒸機にはほとんど接した記憶がありません。
瀬野発6:05、八本松発6:27という時刻を見ると、夏ならばD52の補機の連結・解放が
見られただろうなあ・・・などと考えてしまうのは、所詮他人事の気楽さなのでしょうか。

投稿者 西海号
投稿日 1月10日(水)00時58分48秒
タイトル 大阪行き夜行普通列車
本文 クモイ103さん、早速のご教示ありがとうございました。
大阪着が翌日の14:48とすれば、おそらくこの列車に乗ったのだろうと思います。
そうすると、佐世保〜鳥栖間は3時間以上は要しているはずですから、
午後4時代に佐世保発の列車に乗ったのでしょう。
大阪までの所要時間は優に21時間を越える旅だったのですね。
現在のトワイライトエクスプレス(大阪12:00発〜札幌9:08着)に匹敵する時間を
向かい合わせの狭い2等座席車ですごしたことになります。
今だったらちょっと自信がありませんが、その当時はそんなにしんどかったという思いは
残っていません。
なにしろ、小学2年の小生は「汽車に乗って永い旅ができる」初体験で、天国にも登る
気持ちだったのですから。
そして、私を引率した老先生は、「急行券代」を浮かせて焼酎のポケット瓶を買い求め、
遅くまでチビチビ飲みながら、同行の方と世間話に花をさかせる一方、止まる駅の話、
通過するトンネルや鉄橋の話、どこの駅弁がうまい等など旅の話を聞かせてくれるのです。
また、「弁当、弁当。お茶に弁当」という駅弁売りの声は、旅の進捗度を確認するとともに、
空腹感を掻き立てるものでした。買ってもらった幕の内弁当のうまかったこと・・・。
蒸気機関車の話ですが、窓をあけて列車の前方を眺めるとすすが目に入って痛かったこと、
トンネルに入ると「外窓」を閉めるか、網の入った「中窓」を閉めるかしないと、車内が煙だらけに
なったこと、上り坂に差し掛かるとスピードが極端に落ち、あえぐように走っていたこと覚えています。
しかし、格段に乗り心地が良くなった新幹線の退屈感を思えば、旅をしているという実感を
十二分に満喫できる旅だったのではないかと思います。
鉄道の趣味を通して、自分の人生の中で忘却の彼方にあった追憶の一端が甦る感慨は
格別のものがあります。今後ともよろしくお願いいたします。


投稿者 ぷりる
投稿日 1月10日(水)02時59分16秒
タイトル 感謝:スハフ43
本文

みなさまありがとうございます。
いろいろ情報いただきました。
この場をお借りして御礼申し上げます。

ところで・・・疑問ついでに(笑)
客車の外観写真は結構あるのですが、室内写真てのはあまり見たことがありません。
室内専門で撮っている人はいないんですかねぇ(←居そうな気はするのですが。。。)
特にスハ44の固定座席時代なんか、父の話くらいなので、
(つばめにのった自慢話(笑)・・・でも、今思うと3等車よね〜♪)
写真なんか見てみたいもんです。。。

では。


投稿者 ゼットン
投稿日 1月10日(水)16時24分39秒
タイトル 山の手線の歴史
本文

初めて投稿します。
こちらで質問するのは筋違いなのかもしれマセンが、もし、ご存知の方がおりましたら教えてください。

日本鉄道時代から山の手線の「路線」の変遷を記載した書籍はありませんでしょうか?

環状線になる前の路線の変遷を知りたいのです。

どうぞ宜しくお願いします。


投稿者 バス仮面
投稿日 1月11日(木)14時49分23秒
タイトル 出雲号の使用車両
本文  はじめまして、
出雲号の情報をサーチエンジンで調べていたらこちらのページにたどり着きました。
 出雲号が尾久客車区の車両を使用していると言うのは初めて知りました。
そこで、もしご存知の方がいらしたら教えていただきたいのですが、
出雲用編成の車両は車籍は尾久で普段は田町に常駐と言う形を取っているのでしょうか?
また、組み込まれているシングルDXの廊下は、はやぶさなどと同じ富士山側でしょうか?
それとも太平洋側でしょうか?
もしご存知の方がいましたら、お教え頂けると助かります。



  「客車倶楽部」へ  
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから