倶楽部メモ(55)
平成12年 8月 3日〜 8月 9日


投稿者 瑞貴
投稿日 8月 3日(木)00時30分57秒
タイトル スハフ42のこと
本文  こんばんは。
 やまださんがお尋ねの、大宮操跡地にあったスハフ42の件、
多分北オクのスハフ422074だと思います。
 S58.3に廃車後、なぜか解体されずに東大宮操に留置されているのを、
S60.11.14の埼玉県民の日に行われた公開日に確認しています
(ちなみに、ドアは4枚とも一般的なHゴム支持の1枚窓(小型)で、
全体的にみてもこれといった特徴は有りません)。
その後、大宮操跡地で解体されたかまでは確認していませんが、同様に廃車後、
東大宮操に留置されていた北オクのマニ372017・2020が、
その後大宮操跡地で解体されたことを考えると、ほぼ間違いないのでは?と思います。
 それにしても、当時すでに北オク表記の旧型客車は見ることは出来なかったので
(事業用のマニ36を除いて)、非常に以外に思ったものです。
特に高校に通っていた頃、帰りの列車は北オクの旧型客車だったため
(平日は平(現いわき)行き425レ、土曜は仙台行き223レでした)
ひょっとするとこのスハフ422074にも乗ったことが有るのでは?などと思ったものです。
 ところで、スハフ422329のことですが、’94年発行の”全国保存鉄道U”によると、
隅田川貨物駅に保存(放置?)されていることになっていますが、状態が”B”となっているので、
現存しているにしても(その可能性は低いと思いますが)、状態はあまり期待出来ないでしょう。
現役時代の写真も探してみましたが、ちょっと見当たりませんでした。
 あと、オリエント急行の件ですが、自分が現在勤めている会社の社長が、当時日立笠戸工場の
工場長だったそうで、オリエント急行のことを社内報に書いていました。
社長も鉄道ファンなので、あのTR47の出所もしっているのではと思うのですが、
やっぱりちょっと聞きにくいので、いまだに確認していません。
 では、また。


投稿者 元総武・今スカ線沿線住人  
投稿日 8月 3日(木)11時51分21秒
タイトル スハ44の窓枠 
本文 いつも興味深くROMさせていただいております。
本日は、ちょっと疑問があり投稿しました。特急つばめ他、かつての名特急に
使用されたスハ44系最期の優等列車は東海道夜行急行『銀河』であったことは
皆様もご存じだと思います。銀河はその後20系に置き換えられスハ44系は
廃車になりました。この最期の活躍をしていた当時(1975年ころ)の大阪
宮原客車区に在籍していたスハ44・スハフ43の窓枠がアルミサッシだったか
木枠だったか、ご存じの方・写真をお持ちの方がいらっしゃったらご教示願えない
でしょうか?‘75年当時の大ミハ在籍車番は以下の通りです。
スハ44 25
スハ44 28
スハ44 33
スハフ431
スハフ43 13(この車両はアルミサッシであることは確認済み)
模型を作りつつ、疑問になり窓枠を銀色に塗装するか否かで止まってしまいました。


投稿者 hiro
投稿日 8月 3日(木)21時53分50秒
タイトル RE:スハ44の窓枠 
本文 こんばんは、久しぶりの投稿です。
’76.5の鉄ファンに44系のことが載っています。
P,25にスハ44 25の’76.2.19の写真がありますが、白黒写真ですが、窓は銀色ではないようです。
あとスハ44系の経歴が載っていますが参考までに、スハ44 1〜8までは近代化改造されています。
スハ44 9〜22はスハフ43 11〜24に改造された時に、近代化改造されています。
肝心のスハ44 23〜34 スハフ43 1〜3については、不明になっています。
あまり役に立たない情報ですが、少しでも参考になれば、幸いです。


投稿者 やまだ
投稿日 8月 4日(金)00時42分17秒
タイトル 瑞貴さん有り難うございます。
本文  瑞貴さんから頂いた情報で謎が一つ解けました。有り難うございました。
当時、構内での撮影が許されなかったので東北線を浦和まで何回も往復して
車番やドアなどの形態を確認したのですが、2074?、2174?のどちらか判らず、
その後の大宮工場の一般公開において2174(82.11まで尾久客その後、水戸客に転属)
を見ててっきり当時の留置車は、スハフ42−2174だと思いこんでいました・・・
 確かにドア形態が異なっているため違和感を感じていたのですが、
瑞貴さんのおかげで納得がいきました。
 スハフ42−2174はプレスドアを3枚使い、標準Hゴム窓のドアを一枚しか使っていない事など
私自身が目撃したスハフ42とは大きく異なり、逆に瑞貴さんがおっしゃられた2074の形態に
ピッタリ一致します。 
 大変、お手数をお掛けして申し訳ないのですが、貫通ドア、トイレ窓の形態なども判りましたら
引き続いて情報をお願い致します。


投稿者 多度津の住民  
投稿日 8月 4日(金)21時40分00秒
タイトル スハ44
本文

元総武・今スカ線沿線住人さん、初めまして

スハ44系のお話でしたので、お邪魔させて頂きます
車番      自重  目撃
スハ44 25 33.7t 1973.8  大阪
スハ44 28 34.0t 1974.10 大阪
スハ44 33 34.3t 1972.12 宮原ソ
スハフ43 1 34.2t 1972.12 宮原ソ 

他に
スハ44  6 33.8t 1974.10 大阪

窓枠は何れも木製枠です(これは以外でした)

それにしてもスハ44系・・・素晴らしいの一言です。

機関車はC62、C59、EF58でないといけない・・・
なんて言いません。
EF65PF、EF81でもいいです。
スハニ35、スハ44・・・スハフ43
狭窓の羅列をもう1度見たいものです。


投稿者 アポロ21号  
投稿日 8月 5日(土)00時50分41秒
タイトル Re:特別急行列車かもめ号車内風景  
本文 はじめまして、アポロ21号と申すものです。
石原裕次郎の「風速40メートル」のラストシーンにはEF58青大将の「はと」と
特ロの車内がどちらも一瞬ではありますが出てきます。
投稿者のホームページ


投稿者 小島
投稿日 8月 6日(日)20時45分48秒
タイトル 筑豊の50系
本文 はじめまして、筑豊在住の小島です。
さて現在筑豊線にて運用されている50系ですが基本的には6両編成が2編成運用についています。
予備車として3〜5両があるそうですが現在確認できているのは直方にある3両のみです。
21世紀を目前に、風前の灯火的存在であることは残念なことです。


投稿者 あい
投稿日 8月 6日(日)22時32分01秒
タイトル SLすずらん号
本文 来週四国から北海道へ旅行します。SLすずらん号を写したいと思っています。
あと旭川〜深川間の回送列車の時刻が知りたいのですが、どなたか教えてくれませんか?


投稿者 瑞貴
投稿日 8月 7日(月)23時53分59秒
タイトル スハフ422074の件
本文

 こんばんは。
 やまださん。
 お尋ねのスハフ422074の件、だいたい下記のような形態をしていました。

 ドア   4枚ともHゴム支持の1枚窓(小型)。
 化粧室窓 上部が内側に開くタイプ。
      ガラスは下部は白塗り・上部はスリガラス。
 トイレ窓 化粧室窓と同じだが、上部のガラスは白塗りかスリガラスか
      写真の写りが悪いため不明。
 貫通路のドア  鋼製の大窓(角窓)
 車掌室側面の当て板  大型
 車掌室部分の各札入れ  順位・急行札入れはドアより内側。修繕票入れ
             は車端部分。
 サボ受け  両側面から支えるタイプ。
 窓枠  木製
 最終全検  S56.8 大宮工

 こんなもので宜しいでしょうか。


投稿者 やまだ
投稿日 8月 9日(水)03時25分27秒
タイトル スハフ422074の件、有り難うございました。
本文  こんばんは。
 瑞貴さん。
 前回に引き続いき、スハフ422074の詳細な情報をお寄せいただきまして大変感激して
 おります。 早速、この情報を今後の資料や模型などに活かしていきたいと思っております。
 
 また、前回お話にありました常磐線の425、423列車は、私にとって憧れの列車でした。
 上野近隣の動物園や博物館へ行くときに京浜東北の103(まだ非冷房車ばかりでした・・・)
 から何回か見たことが有り、高崎線の旧客も当時は見かけましたが、赤い機関車EF80と
 旧客の組み合わせにすっかり虜になっていた事を覚えています。 いつも見かけるばかりで、
 私が現役の国鉄旧客に乗ったのは後にも先にも仙山線の各停で北仙台−山寺しか無くて、
 せめて、5年早く産まれてたら・・・と悔やまれてなりません。 
 夏の暑い車内と、木造の車内、そして開放されたデッキから見る熊ヶ根鉄橋の谷底の深さを
 覗いた怖さなど、この時の体験は今でも鮮明に記憶しています。
 そう言えば世間は夏休みですが、扉が開いたままで走る「でんしゃ」を今の子供達は知らない
 時代になってしまったんですね・・・



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