★オハ41
広窓のオハ41についてカキコして下さった皆様、どうも有り難うございます。
大まかな全貌が掴めてきたように思います。
広窓車の写真は見たことがありませんので、強い関心があります。
外見は1等車の風貌をとどめているでしょうから、単に見落としてきただけかも知れませんね。
(大キトさんの仰っている画像も楽しみです。(^^))
●あおぞらさん
>高徳線の旧客の話ですが、ロングシートの客車の隣にいたのは、旧特急車の
>スハフ43でした。
四国に残ったオハ41最後の5両は、特ロ(スロ51・スロフ53)を種車とするものだそうで、
スハフ43とは「特車コンビ」になりますね。目にされた方が羨ましいです。
●茂木茂さん
>こんな楽しみ方もいかがなものでしょうか。
同感です。
旧客はその年季の入り方・バリエーションだけで十分魅力がありました。
しかしそれだけに、かえって、腰を落ち着け純粋な部分での「客車の魅力」を
味わえるようになったのは、旧客全廃以降(特に50系の客レ)だったかな。。。
(「生の旧客を見た歴」2年半だった私の場合は、ですが・・・。)
●(讃)高松さん
DF50の置き換えですが、やはり老朽化(昭和31年〜)が最大の理由ではないでしょうか?
(それに絡んで、出力的な問題もあるのでしょう・・・。)
>紀勢本線はたしかS61年頃まで(最後は50系)、関西本線亀山−名古屋間は、
>S57年の電化開業まで、客車はあったと思います。
昭和61年11月改正でしたね。西線は12系2往復、東線は50系2往復・・・。
旧客没後ですが、私も客レで亀山→天王寺を2回だけ走破した思い出があります。
多気を過ぎた辺りで地元のオバさんに「どこまで行くの?」と聞かれて、驚かれました。
「天王寺」・・・そりゃ驚きますよ。(^^;
関西本線と言えば、夕ラッシュ時の名古屋発津行923レ。
宮○俊三氏のお気に入り列車です。(笑)
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