こんにちは。山陰ネタの部分で少しレス(私の思い出)を・・・。
●あおぞらさん
>山陰の旧客は、「60年改正」前後で、大幅に本数が減った時に乗りました。もう
>すでに旧型客車は特別な存在になっていて、車内も餘部駅も旧客ファンで賑わっ
>ていたのを覚えています。
60年改正後、旧客フィーバーが本格化しましたね。
福知山のオハニ36も「郷愁求めて」というよりは、お祭り騒ぎのような色彩が濃くなってたような・・・。
そう、当時多かったのは、オハニ36に狙いを定めて夜行「だいせん」(20系)に乗り込むファンたち。
深夜の浜坂でゾロゾロ降りていく光景が印象的でした。
私を「鉄」と察知していた前のオバさんが、「ここで降りないの?」とわざわざ起こしてくれたのが
懐かしく思います。
(「せっかく寝ていたのに!」状態でしたが、僕もオハニ軍団の一人だと思い込まれたようです。(^^;;)
●スハフ42-2150さん
>京都発5:24浜田行
833レですね。所要時間は16時間10分で、59年2月ダイヤでは鈍行日本最長でしたか。
(距離は726レがトップ)
浜田発大阪行(726レ)や京都発米子行(835レ)と同様、60年3月改正まで走り続けた
昼行ランナーですが、今いちマイナーな存在だったように思います。
私も60年改正で廃止される3日前に乗る計画を立てました。
(わざわざ前日京都に旅館をとるという段取りで・・・。)
ところが、その後「この日、833レは既に50系客車に置き換えて運転」という情報をキャッチし、
涙を飲んで835レ(京都9:08発)に変更した思い出があります。
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