昨日の投稿、少ししんみりしてしまい失礼しました。
ということで、私も客車列車の思い出を少し書かせて頂こうと思います。
(連続投稿で申し訳ありません。)
●福知山線739レ:大阪発福知山行(旧型:昭和59年5月)
初めて乗った旧型客車列車。
大阪15:14発(荷物車付き)。
スハ43(大ミハ)の重厚な味わい。
ローカル線的風情の漂う生瀬で降り、446レで大阪まで引き返す。
446レではニス塗り車(スハ42・福フチ)に初乗車。
●山陰本線835レ:京都発米子行(旧型:昭和60年3月)
山陰の魅力、鈍行の旅の魅力を心底から知った列車。
(と言っても、竹野で大阪行の726レに乗り換え、日帰りで引き返したのですが・・・)
京都から竹野まで5時間半かかりました。
<米ハマ車(6)+福フチ付属車(2)>で組成された通勤客満載の「園部発京都行(326レ)」が、
そのまま山陰へ戻っていく運用で、オハフ33 426、オハフ33 377、オハ35 1109、オハフ33 286
といったニス塗り車の車号を思い出します。
●函館本線128レ:札幌発函館行(旧型:昭和60年8月)
札幌〜函館に9時間半を要する客レ。
スハフ44 2に乗車。
北海道の旧客(43系)はどことなく小綺麗で、車両的にはあまり印象に残っていない。
三菱石炭鉱業の客車にも乗ったが、3軸ボギーのスハニ1に乗れず、残念。
でも、この旅で最も感動したのは、仙コリで初めて見たオハフ61(廃車)だったりする。(^^;;
●福知山線・山陰本線721レ:大阪発出雲市行(12系:昭和61年1月)
「最長距離鈍行」の地位を客レが押さえた最後の列車。
初めて訪れる鳥取・出雲方面に対する胸踊る気持ち。
初めて見る山陰の海。
色んな期待が凝縮する大阪駅でのひとときが忘れられない。
ちなみに、中学の卒業文集はこの列車の完乗記(原稿用紙39枚)でした。(爆)
●急行「八甲田」:青森発上野行(14系:平成4年11月)
10代最後の日に奥羽・五能線・津軽鉄道の客車を堪能。
芦野公園に保存のオハ31や太宰の「斜陽館」も見学。
そして、20歳の誕生日を上野に戻る「八甲田」の車内で迎えました。
その時飲んだ黒石の地酒カップ(グラス)は、今でも大事に持っています。
以上、思い出話を長々とすみません・・・。
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