倶楽部メモ(18)

平成11年 8月 2日〜 8月25日

久大本線客レ ・ 常備駅と配置区


投稿者

眠った森の美女

投稿日

08月02日(月)00時45分45秒

タイトル

アドネット東北号

RSECでは当該列車にヘッドマークを取り付けます。
詳しくは下記URLへ。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~t-exp/


投稿者

たー坊

投稿日

08月04日(水)23時48分32秒

タイトル

JR PASS買いました

シンガポール在住のたー坊と申します。
こちらの車掌にはメールで相談したのですが、
1週間有効のJR PASS(28300円)を購入し、
9月7日より1週間寝台列車乗り放題を実行します。
このPASSは海外在住の日本人なら購入でき、
1週間JR在来線・新幹線乗り放題です。
(寝台車には寝台料金追加)
これで、以下の予定で乗り放題を実行します。
1日目 成田ー横浜(成田EX)
     横浜ー高松(サンライズ瀬戸)
2日目 高松ー岡山
     岡山ー長崎(あかつき)
3日目 長崎ー博多
     博多ー大阪(なは)
4日目 大阪ー出雲市(だいせん)
5日目 出雲市ー東京(サンライズ出雲)
6日目 東京ー青森(あけぼの)
7日目 青森ー秋田ー大館
     秋田ー東京(秋田こまち)

内容は追ってこちらの車掌まで報告します。


投稿者

ある機関助士

投稿日

08月07日(土)03時04分47秒

タイトル

はじめまして

はじめまして、ある機関助士と申します。
九州のまん中熊本市からですよろしくお願いします。
7月31日(土)に風前の灯といわれる九大線1823レ、4825レに
乗ってきました。
編成は前から  DE101207(大)
        スハフ12 44 分オイ
        オハ 12 86 分オイ
        オハ 12 85 分オイ
        オハフ13 70 分オイ
ご存じの方も多いと思いますが、1両目のスハフ12だけが定員が56名と少なく
シートピッチが長く中古のリクライニングシート転装車です。
しかし、床下のディーゼルエンジンは夏場特にうるさくて、
たまらず途中で後部車両に移りました。
豊後森駅では、待機中の12系3両編成とすれ違いましたが、
なぜかスハフ1250熊クマが1両だけ連結されてました。
(何かのトラブルか?)
さすが週末だけあって、
一目でそれと分かる人がたくさん乗っていたのはいいんですが、
どこのマニアか知らないけど、停車中の車内での喫煙はやめてほしい、
普通列車は全禁なんですから。

そんなこんなで無事に大分に着きましたが、やはり客車はかなりくたびれており、
10月(?)の改正で廃止というのは否めない感じでした。

あと、戻りの豊肥線あそまでの待ち時間で、
4822レ(DE10牽引最後の50系)を見てきました。
   DE101207(大)
   オハフ50 1278分オイ
   オハ 50 1089分オイ
   オハフ50 1276分オイ
   オハフ50 1277分オイ
こちらも前者と負けず劣らず、かなりくたびれた感じでしたが、
乗客の方は、夏休みにかかわらず結構乗っていて、
キハ31やキハ125の2両くらいで捌ききれるようなものじゃなさそうでした。

やはり、20数年前のSLと同様なくなる直前というのはこんなものなのかな?
できればあと1回ぐらいは乗りたいものです。


投稿者

シルフィード

投稿日

08月09日(月)09時21分37秒

タイトル

寝台急行「銀河」

初めまして 大阪の高校生、シルフィードです
寝台急行「銀河」のファンをやってます よろしくお願いします

さて、去年と今年の夏期休暇(夏休み)中に往復で「銀河」を使ったのですが
乗車率は最悪というかまだ季節はずれ
(盆前/夏休み始まってまだ1週間)だったというかで
総平均はA寝台は55%、B寝台は50%って感じでした

で、去年に片道だけ使用した「日本海」(2号)は
青森発の時点で30%にもなってないという感じで私が利用したB寝台は途中、
秋田までわたしだけという感じで秋田着いて老夫婦が1組と
大学生のグループ6人ほどが乗車して来ただけという感じでした


最後になりましたけど「銀河」や「日本海」にも自販機がなく
車掌氏も駅に着いたら走り出すほどですので最低、自販機は必要だと思います


投稿者

金サワ

投稿日

08月12日(木)14時29分17秒

タイトル

「だいせん」DC化す

急行「だいせん」DC化す!
「きたぐに」が583系化され、「能登」が489系化されて久しい。
そして「ちくま」がECに変わり、「だいせん」がDC化・・・
またひとつ客車急行が消えようとしている。
嗚呼・・・・・


投稿者

神田智也

投稿日

08月18日(水)01時16分08秒

タイトル

羽越線の50系の思いで

初めまして。
私は、1992年に、当時の客車普通列車で一番の走行距離の羽越線、
840列車に乗車しました。
EF81+50系3両でしたが、日本海が見えたり、鳥海山が見えたりして、
景色が見事だったりしたことや、
特急や貨物に抜かれたり、客車が静かだったりなど、そんなことを思い出しました。
客車は最高でした。
あと10年早く生まれていたら、いろいろな客車列車に乗車できたな、
なんて思いました。
なにぶん、20系に乗車したことが無いのですから。
こちらへはトミーさんのリンクから来ました。また拝見します。


投稿者

客車好き人間

投稿日

08月20日(金)18時04分19秒

タイトル

客車の回送

20年ほど前は、上野から高崎行き、一ノ関行き(東北線経由)、
仙台行き(常磐線経由)が出ていました。
あるとき、赤羽駅に着いた普通列車がいつもより長く、
後に回送の客車を3両くらい連結していたため、
ホームに列車が着いても踏切が開かず、発車まで待たされたことを覚えています。
客車は別の客操へ移動するときも、
定期列車の後につなげば済むので機動性に富んでいました。
(今では定期列車がほとんどなくなり、この利点も少なくなりましたが)。
車両の端に「xx駅に到着の上はxx客貨車区に回送 xx客貨車(支)区」
という紙を付けて走っていたものでした。


投稿者

客車好き人間

投稿日

08月20日(金)18時20分58秒

タイトル

駅区境界線について

電車がなかった時代は、客車の車庫は、研修庫の周辺だけが客貨車区で、
あとは駅の構内でした。
操車は客貨車区も含めて駅が担当sていました。
DCやECが現れ運転所が作られると、
初期のものは駅、後のものは運転所の構内になりました。
例えば、向日町(向日町操車場)、松本、旧長野分所(長野駅)が前者、
青森、仙台、長野(本所)が後者です。
前者はホームを含む駅全体が客繰のようなもので、
ホームから見ていても楽しいものです。
先日松本に行ったところ、客車はとっくに無いのに客繰は健在でした。


投稿者

客車好き人間

投稿日

08月20日(金)19時09分27秒

タイトル

常備駅と配置区

国鉄時代は、ECやDCが配置区の略号を車体に書くのに対して、
PCは常備駅の略号を書いていました(例、北オクは尾久駅)。
客繰が駅の構内であることを考えるとPCは駅で休むのだから
常備駅という考え方も納得がいきます。
しかし向日町操車場に常備しているのにムコソではなくムコ(向日町駅)など、
電車の出現で矛盾も生じていました。
FCの緩急車はPCと同じ扱いでしたが、
東京貨物ターミナル駅常備の車が大井貨車区の略号ではなく
駅の略号(南タミ)を付けていたのが印象的でした。


投稿者

じゃば

投稿日

08月22日(日)07時15分52秒

タイトル

平成11年秋のダイヤ改正

JR西日本のHPで見つけました。

http://www.westjr.co.jp/kou/press/3press/n990730a.html


投稿者

大和路環状線

投稿日

08月22日(日)13時06分49秒

タイトル

久大本線客レ紀行

こんにちは、大和路環状線です。

8月19日、やっと久大本線の客レに乗る機会を得ることができました。
九州滞在はわずか一日。
ある機関助士さんが↓で報告されているのと同じ、1823レ〜4825レ(鳥栖→大分)を
上下「ムーンライト九州」で挟むという非常な強行軍でした。

廃止まで秒読み段階であることは十分に承知していましたが、
それにしても12系客車の傷み具合のひどいこと。
ボコボコの外装、内装の汚れ、シートも疲れ気味で、まさに廃車予備軍といった感じ。
これは想像を絶するものがあり、すごく胸が傷みました。

しかし、青いボックスシートとエアサス台車の走り心地。
昔親しんだあの感覚が再び全身に蘇ってくるようで、
涙がチョチョ切れそうなくらい満足!(^^)
12系客車の鈍行が最も元気だった線区の一つ、
1985年頃の福知山線の普通列車を懐かしく思い出しながら、
最後の鈍行客車の旅を存分に堪能しました。
途中、日田と由布院でそれぞれ一時間ほど停車。
そういう列車も今は少なくなりましたね〜。

大分に着くと、久大線ホームに50系客車が停車していました。
そこで乗る気がムラムラ〜と沸いてしまい、予定を急遽変更。
もう一度50系で庄内まで戻り、
さらに庄内始発のキハ125・ワンマン列車で大分まで戻ってまいりました。
50系も全盛時の真紅の面影はなく、ほとんどピンクと言えるまでに色褪せていました。
しかし、買い物や通学客の貴重な足となっている姿には
十分に頼もしいものを感じた次第です。

17:21庄内着、ここで下車。閑かで素朴さ一杯のイナカの駅ですが、
どことなく「歴史」を感じさせる風格があります。
そして、緑色に繁る木々にあの赤い車体が映える夕暮れ時の出発シーン。
最後まで見届けることができて感無量でした。


投稿者

客車好き人間

投稿日

08月23日(月)13時21分00秒

タイトル

佐倉駅常備の12系(繰配用)

佐倉駅から成田を向いて右側に客貨車の検修庫と留置線があり、
昭和50年ころは廃車予定の従来客車が10両くらいと、12系客車が6両いました。
従来客車はそのうちいなくなり、12系ががんばっていました。
貨車が留置線から消えたので(昭和55年頃?)助役に聞くと、
成田に向かい左側の陸橋の手前で行っているとのことでした。
屋外なので仕訳線かと思っていたら、屋外にも貨車の検修場があったのでした。
そのうち12系は8両に増え(うち発電機付きが2両)
合計10年近く繰配用としてがんばっていましたが、
その後は竜華操車場に行ってしまい客車は千葉管からなくなってしまいました。
佐倉の貨物ヤードが廃止になり、貨物駅も廃止になり、
ついには竜華(繰)も廃止されました。


投稿者

パソコン修理職人

投稿日

08月25日(水)00時22分21秒

タイトル

北の客車の話題

友達から聞いた北海道の客車の話題です。

脱線した50系

先日脱線した海峡線のオハフ50ですが,先週中に線路に復帰したようです.
14日にとおったときにはまだ青いシートをかけられて
線路脇においてあったのですが金曜日に見に行ったところいませんでした.
多分五稜郭車両所に入場中でしょう.

それと関連して,函館駅常備の救援車マニ50-2215が函館駅には見当たらず,
かわりに札幌運転所の救援車ワキがいました.
恐らく,マニが木古内駅へ海峡線救援車として行ったので
変わりに連れてこられたのでしょう.

で,ノロッコ号の種車となったオハフ51のかわりに昨年末木古内駅へ
救援車として配置されたオハフ50 5009が営業運転に復活しました.
海峡80〜85号の運用に入っていました.

ちなみに,札幌運転所付近を通った際,いつも見えるワキがいなかったので
上に書いたことはほぼ間違いないかと,思います.

#なかなかややこやしい配置換えを行うようで…

青森運転所モトトレイン

今年は八甲田,日本海ともモトトレインの運行がなく,なんともさびしいのですが,
(ちなみに八甲田で帰ろうと思ってました)
青森運転所留置のマニ50が3両ほどになってました.
二戸などの駅構内にも留置されていませんでした.
もしかして土崎工場送り?

投稿者のホームページ


投稿者

ゆうのすけ

投稿日

08月25日(水)12時59分05秒

タイトル

やまぐち号乗りました。

先日書き込みをさせてもらったゆうのすけです。
8月19日にやまぐち号に乗車してきました。

編成は先頭から、
      C57−1
2号車  オハ12−701 欧風
3号車  オハ12−702 昭和風
4号車  オハ12−703 大正風
5号車 スハフ12−702 明治風
1号車 オハフ13−701 展望車

となっていました。
編成順序を見ておわかりの通り、
展望車はSLと共に方向転換して編成順序を組み直しているようです。
夏休みということもあり、車内は子連れの親子が多く、
乗りたいなぁと思っていた欧風客車は、団体さんが陣取っていました。
(号車指定して指定券を買ったのかな?)
私の乗車した車両は大正風でしたが、シートピッチは広く、
また大型のテーブルが備えられておりなかなか快適でした。
ただ、白熱灯&ダブルルーフの模擬明かり取りの照明が橙色なので
トンネルに入ると暗いこと、
シートの背もたれが異様に高く、かつ硬いこと、
窓が小さいのが難と言えば難ですね。
しかし、展望車からはオープンデッキで後部景色が堪能できますし、
車内販売のおみやげ品も充実していました。
元祖老舗のやまぐち号、いつまでも走り続けて欲しいものです。

追伸:津和野までのアプローチとして利用した石見ライナー(出雲市→益田)、
   キハ58+28はまさに国鉄そのもの!
   快速運転で頼もしい走りっぷりと共に、
   往年の名車の乗り心地を堪能できました。
   (すいません、客車ネタじゃなかったですね)



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