倶楽部メモ(864)

令和6年2月23日〜3月14日

交通科学館食堂車について



投 稿 者  でる

投 稿 日  2024/2/23 21:21

タイトル 交通科学館食堂車について

 

マロネ58に引き続き、少し質問させてください。

初めて交通科学館に行きましたのは昭和53年ごろ、
当時大阪に住んでいた祖父母を休みには訪ねる習慣になっていましたので、
祖父にねだって連れて行って貰ったのでした。
それが客車趣味に火をつける事になってしまいました。

2両ある茶色い古い食堂車でしたが、ちょうどマシ29解体→ナシ20搬入の前あたりだったようで、
マシスシ(スハシ)両方とも営業しておらず、長い間のご愛顧感謝 のような張り紙がしてありました。

その次に行ってみると、なんとマシは解体中で大いに驚いたのを覚えています。

さてこの2両、どのような使われ方をしていたのでしょうか。
まず最初にスハシがあり、その後マシが仲間入りしたのだったと思います。
2両とも営業していたのでしょうか?それともスシでの営業開始後はスハシでの営業は無くなったのでしょうか。

科学館のナシ20には随分昼食のお世話になりましたし、今となっては現存唯一の貴重な車両ですが、
当時はまだまだ真新しい製造後数年の車両が早くも博物館入りし、
茶色い客車を駆逐したのも腑に落ちない感じがしていました。

マシスハシでの食事の経験のある方、内部の状況など教えて頂けましたら嬉しいです。
営業当時の情報が写真を含め見つける事が出来ません。

スハシは、確か一夏だけ「かき氷」を食べさせるために営業されており、
その時に車内を楽しめたのが懐かしいです。




投 稿 者  クモイ103

投 稿 日  2024/2/24 20:16

タイトル Re: 交通科学館食堂車について

 

でる様

交通科学館で展示されていたマシ29 107をご覧になっているとのことで羨ましく感じます。
その当時は大阪方面に縁がなくお答えすることが出来ませんが、後にナシ20に代わってからの状況を考えると、
やはり少なくとも通常はマシだけで営業していたのではないでしょうか?(全く自信なし)

スシ28でかき氷が提供されていたのは一夏だけのこと?でしたか。幸運な所に出くわしたものです。
ただナシ20で食事をしただけでスシ28に入らなかったのが今となっては悔やまれます。


撮影日は1989年7月23日です。

スシ28 301(本当はスハシ38 102)は昭和37年の同館開設当初から展示されていた古株で、
マシ29 107は廃車が昭和41年度末なのでその後という事になります。
マシがナシに置き換わったのは昭和51年頃とのことで、
解体されたマシが履いていたTR73形台車の片方だけが東京神田の交通博物館に保存・展示され、
現在は大宮の鉄道博物館で見ることが出来ます。


撮影日は2009年8月14日です。


投 稿 者  竹中@ノーブルジョーカー

投 稿 日  2024/2/28 22:45

タイトル Re: 交通科学館食堂車について

 

でる様

交通科学館に行った時の画像がありましたのでご覧ください。
スシ28301で営業していたようでメニューが見えますが、記憶のほうは全くありません・・・
撮影日は昭和50年(1975)10月25日です。




投 稿 者  クモイ103

投 稿 日  2024/3/2 7:39

タイトル Re4: 交通科学館食堂車について

 

竹中@ノーブルジョーカー様

交通科学館にマシ29 107が居た時代の貴重な写真をありがとうございます。
ところで1989年7月23日に私が撮った写真を見返したところ、
営業中のナシ20には窓からナプキンなどの調度品が見えます。
竹中様の写真ではスシ28の窓にそのようなものが見当たりませんので、
果たしてこちらは営業していたのかと疑問が生じました。




投 稿 者  でる

投 稿 日  2024/3/3 1:49

タイトル Re5: 交通科学館食堂車について

 

クモイ103様、竹中@ノーブルジョーカー様

貴重な情報、そして写真ありがとうございます。
お二人の写真から様々見え隠れしてまいりますね。

クモイ103様の最初の投稿時点では、
あぁやはりマシ入館後はスシではなくマシ側での営業であろうな・・と思っておりました。
その後、竹中様の写真で、食堂メニューはスシ側に、
幕の内などの弁当メニューがマシ側にということを確認。
自分でも調べてみるうち、真偽不明ながら「マシは厨房設備を全て撤去されていた」との書き込みを発見。

その時点での想像は・・科学館には一階展示スペース側にカラス張りの弁当売り場
(兼中で食べれるスペース)がありましたね。そこで・・・

・マシ入館後も食堂はスシにて営業。マシは厨房が撤去された広いスペースを使った弁当の販売と飲食場。

これが正解かと思われたのですが、クモイ103様ご指摘のナプキンのこと。
確かにナシ20時代は芦の家さんが相当きちんと「食堂」営業をしていましたね。
子供でしたのでいつもカレーかスパゲッティでしたが、
きちんとその場で調理されたものも提供されていたはずです。
それ以前も同じとイメージすると、
スシの窓からそういったナプキンのようなものが見えないというのもおかしなことに思えます。

当時実際に飲食をされた方のお話、或いは内部写真が出てきて欲しいものです。

さて先日の書き込みとクモイ103様が下さったお返事に関してです。当時毎夏行っていた科学館。
記憶にある中でかき氷はただ一回でしたもので、鮮烈に覚えており、
調理室の中まで覗かせてもらってバイトのお姉さんに笑われました。
なので一夏だけ、と思っておりましたが1989年には既に祖父も亡くなってその頃は行っておりませんので、
私が科学館に祖父訪問の一連の流れの最後に行った時がかき氷初回だったのかもしれません。

ナシ20につきまして、当24号車は20系「あさかぜ」最終日近くまで営業に入っていた車両ですから、
置き換わったのは早くとも昭和53年以降ではないかと思われます。僭越ですみません。

長年の疑問がだんだんと解け、珍しい画像も見せていただきながらの楽しいやりとり、
とてもうれしく思います。ありがとうございます!




投 稿 者  太田拓也

投 稿 日  2024/3/6 7:15

タイトル Re6: 交通科学館食堂車について

 

横レス失礼します。

マシが解体されたのって、休憩所に改装されて食堂車として保存されてなかった
というのが理由だったのですね。
小樽のキシ80も同じように改造されていました。
なんで食堂車を原形のまま保存しないのか、今となっては貴重な資料なのに。

現存するスシ28は厨房こそ原形をとどめてますが、スハシを引退後に改造したため窓割りが不自然、
旧客ではありえない横2+2といった違和感があります。
ナシ20搬入後はかき氷でしか使われなかったようですが、1999年に食堂車100周年の企画展の関連で
戦前の「富士」を再現したメニューで営業されたことがあります。
京都鉄道博物館2階のどこかにあった食品サンプルと同じものが提供されました。




投 稿 者  でる

投 稿 日  2024/3/12 12:40

タイトル Re7: 交通科学館食堂車について

 

太田拓也さま

マシ29の調理室撤去については、Twitterでの書き込みを見ただけですので、真偽は不明です。

とはいえ、そう考えると貴重な本物の全室食堂車の方をアッサリ解体したのも頷けますし、
食堂前の看板もしっくりきます。

車内写真や、中で食事した人のお話が聞けるまで待たねばなりませんね。




投 稿 者  国鉄マニアのモデラー

投 稿 日  2024/3/14 23:13

タイトル 富士、燕(つばめ)以外の特急にEF55が使われた可能性について

 

こんばんは、国鉄マニアのモデラーです。
EF55は富士、燕、戦後はつばめに使用されていましたが、
他の特急の牽引機にEF55が使用されたことはありましたか?
どなたか教えてください




        
「客車倶楽部」へ
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから