倶楽部メモ(840)

令和4年5月13日〜5月29日

マロネ29について(2)



投稿者

突放禁止

投稿日

2022年 5月13日(金)11時36分16秒

タイトル

続マロネ29

クモイ103さま
言いにくいのですがレイル誌が間違えていたのではなく
書き込みされた方の勘違いと思われますが、、いかがでしょうか?

それにしてもマロネ29の初期車は熊クマや広ヒロで
阿蘇や安芸に使われていましたが
阿蘇なんか蛍光灯のナハ11が新車で入ってるので
物凄い対比だった事と思われます

戦時改造で格下げされた優等客車のうち
調理室付き三等車は食堂車が絶対的に足りない事も
あってスシ37700以外は復元されましたが
寝台車は余りというかほとんど復元されなかったように
思います
まだスロハ38は二等車ですからましでしょうが
マハ29やマハネ29にされたクルマは、、、
マハ29はまだ大キトや札ムロで定期仕業があったけど
マハネ29に至っては後年のジョイフルトレインより
車両の性格上、稼働率が悪かったように思います
オシ17に一斉に改造されてしまいましたね




投稿者

クモイ103

投稿日

2022年 5月13日(金)23時31分46秒

タイトル

Re: 続マロネ29

突放禁止様

レイル誌の件は、書き込みされた方に確認して頂ければ良いと思います。

>物凄い対比
>寝台車は余りというかほとんど復元されなかった
戦後、昭和20年代の国鉄はとにかく輸送力増強に追われ、
ハザの増備が優先で、寝台車など二の次でした。
戦後すぐに登場したマイネ40と41は外国人観光客誘致のためであり、
限られた列車で日本人が乗れたのは、そのおこぼれに過ぎませんでした。
昭和27年にはロネ連結列車がいきなり増えますが、
これは接収されていた戦前製の寝台車が一気に返還されたおかげです。
戦後、国鉄が積極的に寝台車を増備し始めたのは、昭和30年のナハネ10からでした。
20系は別として、一般用のロネの大量増備は
昭和34年のオロネ10まで待たなければなりません。
一方ハザはその頃まで新製が続きましたので、
新しいハザ・ハネと古いロネが同居する編成が当たり前の光景になってしまいました。

>料理室付き三等車
全室食堂車から料理室付き三等車になったのはスシ37740と37800だけで、
スシ37700は全車マハ47になりました。
ですから戦後復元された中にスシ37700がいなかったのは自然なことです。

>スロハ38、マハネ29
これらはいずれも、戦時中にマハ47になったものの中から、戦後に再改造されたものです。
スロハ38は、老朽化した木製の二等車を三等代用に格下げしたための二等車の補充です。
元マロネの窓配置はロザに近いですから、それを有効活用したのでしょう。
マハネは連合軍の兵員輸送車ですから、稼働率を国鉄車と比べても意味はありませんよ。
強いて言うなら、朝鮮戦争の時は在日米軍が動員されて
兵員輸送が超大変だったそうですから、稼働率も高かったことでしょう。
国鉄に返還されたマハネが、和田岬線で一時期この形式のまま使用されましたが、
車内は簡易寝台が撤去されて、がらんどうだったと聞いたような気がします。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2022年 5月15日(日)09時48分34秒

タイトル

山陽本線支線

兵庫―和田岬間のマハネは中央部付近に木製ベンチみたいな座席が片側にあったと思います。
所属は多分大カコ殆どの客車が加古川所属でした。




投稿者

クモイ103

投稿日

2022年 5月15日(日)19時21分33秒

タイトル

Re: 山陽本線支線

マロネロ38様
補足ありがとうございます。
片側の中央部に木製ベンチみたいな座席、ということは、
のちの時代のオハ64に似たような感じだったのでしょうか。
オハ64はモケットが張られた普通の座席でしたが、
マハネの使用は短期間の暫定的なものだったようで、設備も簡易だったのですね。




投稿者

青列車

投稿日

2022年 5月29日(日)05時45分49秒

タイトル

【乗り鉄】DLやまぐち号

皆様ご無沙汰しております。
さて、この度珍しく5月28日・29日と土日連休が取れました。
(24時間365日体制土日祝日盆暮れ正月GW無関係な業界職種に就く立場では
中々世間様のようにCalendarの赤い曜日にはお休み…とは参りません。
今回も元々は出勤予定でしたが過日急な勤務変更により出勤した代休です)
数年来のコロナ禍で県外への移動も制限され遠出もままならない日々が続いていましたが
隣県とはいえ遠隔地の各位には殆ど同県(少なくとも同一観光エリア)
と認識されている津和野なら、人混みの中で歓談会食でもしない限りは黙認とのこと。
そしてこれも先日Twitter上で
[SLやまぐち号はキャンセルが多く空いてる]との発言があったので、
27日の出勤前=この日は13時〜22時の勤務=[ダメ元]で徳山駅みどりの窓口へ。
すると…すんなり取れました。
対応してくれた女性駅員さんに
[SLじゃないけどいいの?]
と念を押されましたが
[だから乗りたいんです。三度の飯より好きなのはこのトシになっても治らないので…]
と答えたら笑われてしまいました(拙いこと言った?)(^^;)

やまぐち号自体は12系700番台時代と、原形12系運用時に乗ったことはありますが、
DD51牽引時の乗車は初めてです。そしてオハ35系4000番台も。
指定された席は2号車8番A席。車内は…こりゃ凄い(^^;)
客車沼深淵に潜むガチの客車ヲタを自認する小生も思わず唸ってしまう再現度の高さ。
映画やTVドラマのロケに十分使えそう(多分[素人さん]には区別付かなさそう)です(^^;)
(添付写真3枚目は大井川鐡道に残るオハ3522の車内です)
ただ…2号車って…スハ354001…そう、床下にはサービス電源用の発電機が…
まるで在来一般型客車なのに
スハフ12・スハフ14・スハネフ14・スハネフ15の車内にいる様です(笑)
やがて発車。その昔山陰本線や福知山線で乗った客車鈍行そのもの。懐かしさを覚えます。
デッキの扉を開けて思いっきり風を浴びる…当時は出来たけど今は御法度。
第一、オハ35系4000番台は自動扉です。
職場が駅から遠くまた自宅も駅まで近いとは言えず
しかも!天下の山陽本線と雖も、末端区間となると60分ヘッド。
通勤に使うには不便な為止むを得ずクルマ通勤の日々。
[撮り]は出来ても[乗り]の機会が中々得られなかっただけに本当に久々の[乗り鉄]ですが、
感想はただ一言。[乗り鉄はいいぞ](ガルパンおじさんか!)(^^;)
途中の所謂お立ち台には夥しい数の[同業者]が(^^;)車内からは歓声があがりました(^^;)
そこでは皆さん節度を守っていたのですが時々…
[え?そこから撮るの?さすがにそこは拙くない?それ以前にどうやって其処入ったの?]
な人影が車窓を過った時には流石に退きました。
復路の予定は未定でしたが津和野駅は改装工事中。
帰りのやまぐち号の指定券は駅では買えないことが判明。改札口の駅員さんに聞くと
[多分空いてるから車内で車掌から切符を買えば良いよ]
とのことでしたが…不確定要素。そこで券売機でも買える自由席特急券を購入。
1003Dスーパーおき3号で帰路につきました。
津和野着12時59分で津和野発13:38分。
現地の滞在時間は40分にも満たず太鼓谷稲成も安野光雅美術館も全てスルー(^^;)
尤も今回はあくまで[乗り鉄]がメイン。観光は二の次です(^^;)
(実際この地は幾度となく訪れていますので…)
1003Dスーパーおき3号はキハ187系の3連。
流石はハイパワーを誇る現代っ子(死後?)世代の特急型気動車、
蒸機は元より国鉄世代の気動車も喘いだ上り勾配も涼しい顔してぐいぐい上り、
湯田温泉〜新山口間では並行する国道9号線=中央分離帯付き往復4車線の高規格道路=を
法定速度無視して飛ばすクルマをも追い越す快走ぶりで
津和野〜新山口間を65分で結びあっという間に到着しました。
乗り換えた3332Mは広セキN14編成。
227系の運用範囲が広がったこともあり
そろそろこの[40年選手]達の去就も気になる今日この頃です。

 

 




               
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