倶楽部メモ(828)

令和3年8月20日〜9月21日

スロ54の電暖化・冷房化の時期について



投稿者

南東風

投稿日

2021年 8月20日(金)22時50分2秒

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スロ54について

初めまして。いつも勉強させてもらってます。
添付のスロ54−2040について教えていただきたいことが。
写真は1967(昭和42)年8月に「さぬき」です。

先ず、なんで品川に電暖車なんだろ?と言うことです。
当時はまだ電気暖房は特殊な方式のはずで、
将来は東日本で運用される予定でもあったんでしょうか?

次は冷房化の時期についてです。
電暖化の時期については鉄道ピクトリアルbV18によると、
1955年新製後’66年11月に大船工で2000番台化と
出ていました。
ネットで検索すると’66〜’67年で冷房化と言う記載を
見かけました。上記の電暖化の時期と被りますが、
大船工で電暖化と冷房化をいっぺんに施工したんでしょうか?
どうも大船工は冷房化担当工場ではなさそうですが・・・

細かい質問で恐縮ですが、よろしくお願いします。




投稿者

仙コリ

投稿日

2021年 8月22日(日)20時21分50秒

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Re:スロ54について

南東風様

スロ54について調べてみましたが、電暖化についてはわかりませんでした。
東北地方への列車に転用を想定しての改造だとは思いますが、結果的に東シナ
配置であった車両は、電暖化と同時期に約半数が名ナコへ転属し、43年10月
白紙ダイヤ改正時点では名古屋発着の「阿蘇」「天草」での運用となり、
残りの半数は東シナのまま東京発着の「瀬戸」での運用となったようです。

冷房化の時期については、全47両のうち昭和39年度に2両(マロ55)
昭和41年度に19両、昭和42年度に26両となっており、基本的に西日本の
車両から改造を受けたようで、電暖化の時期と同じ昭和41年度の改造車両は、
門ハイ・中ヒロ・大ミハ・大ムコ配置の車両で、名ナコ・東シナなどの車両は
昭和42年度の改造であるようですので、電暖化と冷房化を同時に施工した事は
ないようです。
なお、冷房化改造は主に小倉・幡生・吹田・長野工場で施工されたようですが、
数両だけですが大船工場で施工された車両もあったようで、2040はたまたま
ですが大船工場での施工であったようです。

より詳しい事情をお知りの方がいらっしゃいましたら、フォローしていただければ
幸いです。




投稿者

クモイ103

投稿日

2021年 8月23日(月)18時37分26秒

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Re2:スロ54について

南東風様、仙コリ様

鉄道ピクトリアル2019年6月号別冊「スハ43系客車」P.41に掲載された
「スロ54形冷房化改造に伴う台車振替種車一覧表」によると、
スロ54 2040は1967.6.13に大船工場でオハ53 49のTR23Dを貰った事になっています。
ちなみに車歴表によれば、同時に近代化改造も受けている様です。
電暖化が1966.11.13大船工場ですから、その7か月後ですね。
なお、大船工場はこの車両を含めて7両のスロ54の冷房化改造を担当しています。




投稿者

南東風

投稿日

2021年 8月23日(月)21時09分0秒

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Re3:スロ54について

仙コリ様、クモイ103様

早々のご回答ありがとうございます。
大船工場でも冷房改造を行っていたんですね。
先に電暖化、その一年後に冷房改造されたと言うことで、
この写真を撮った8月はまさに改造直後だったわけですね。
確かに、同日続行で着いた「瀬戸」のスロは二両とも
非冷房の様でした。
貴重な情報ありがとうございました。




投稿者

仙コリ

投稿日

2021年 8月23日(月)21時17分17秒

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Re3:スロ54について

クモイ103様

フォローありがとうございました。

鉄道ピクトリアル2019年6月号別冊「スハ43系客車」はチェックしていませんでした。
宝の持ち腐れですね…

先の書き込みで「冷房化改造は主に小倉・幡生・吹田・長野工場で施工された」と
書いてしまいましたが間違いで、同資料によると改造両数が多い順に

小倉工場      15両
長野工場      12両
大船工場       7両
吹田・幡生・名古屋 各3両
後藤・高砂     各2両(高砂はマロ55)

となっており、大船工場での施工車両も多かったようです。

なお、大船工場でのスロ54の冷房化改造は7両すべてが昭和42年度でありまして
やはり電暖化と冷房化の同時施工はありませんでした。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2021年 8月24日(火)23時57分25秒

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マロ55

大阪−博多の急行「つくし」に連結されていたのを数回見ましたが(大阪駅)
冷房装置が床下で、吹き出し口が窓柱上部でした。
屋根上に担ぎ上げたのは工事の手数を省くためだったのか?
マロ55は元のTR40系だったかと----




投稿者

突放禁止

投稿日

2021年 9月20日(月)11時47分17秒

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マロ55

マロネロ38さま
床下クーラーだと座席を全部撤去してダクトの設置するので手間がかかるし
座席がプチハイデッカーwになってるので
乗客が躓く懸念もあったとピクトリアルに記述がありました
ナロ20と同じような感じだったのでしょうね
台車も元の重い鋳鋼台車じゃマロになるし、、、
TR23じゃ折角の特ロの乗り心地も台無しかも、、、
門ハイに1両いて屋久島や西海の編成にも入っているのを散見しますが
掲載されてる書籍ではたいがい触れられてないのがもどかしく感じます




投稿者

きむ

投稿日

2021年 9月21日(火)23時21分44秒

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タイ国鉄の客車の話とナハネ10について

ひさしぶりの書き込みです。
5月から2回めのタイへ駐在しております。
新型コロナの影響で大幅に間引かれているタイ国鉄列車ですが、
まだまだ客車が多数運行されています。
写真は、9/19に撮影してきたものです。
1.BTC.1025、三等客車。(バンコクにて)
 ネット情報によると日本製のようです。
 ケンコイ→バンコクの342列車に組み込まれていました。
2.BTC.1053、車内(バンコクにて)
 ピッサヌローク行201列車に組み込まれた三等車です。
 6人掛けと4人掛けのボックスシートが並びます。
3.ランシットを後にする201列車
 ホームが嵩上げされたランシット駅で眺める客車は日本のような雰囲気です。

さて、表題のナハネ10についてのちょっとした期待を込めた疑問です。
北海道にいたナハネ10 500は冷改(緩急車化も同時?)が1965年にかかっているようですが、
これはもしかしてナハネ10のままで青色になった個体もあるのではないでしょうか。
以前に話題となった青いマロネロ38と共に気になります。
ご存じの方がおられましたらご教示いただけますと幸いです。
よろしくお願いいたします。




               
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