倶楽部メモ(741)

平成27年 2月 5日〜 2月26日

「ニ」や「ユニ」の車内色について



投稿者

遠軽49600

投稿日

2015年 2月 5日(木)01時16分45秒

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「ニ」や「ユニ」の車内色について

客車が好きで模型をやっておるのですが塗装色で悩んでいます。
スユニ30やスニ30,マニ32などの車内色は
淡緑色1号だろうと思っていたのですが、「薄茶」もあるのでしょうか。
荷物車保護棒「薄茶」の製品があり、あれ?と思った次第です。

手持ちの資料では解決できそうもないので、お知恵を拝借できればと
投稿させてさせていただきました。
1等寝台車廃止前のローマ数字の等級が入っていた頃が好きで、
ジェイズのぶどう色1号のスプレーで塗装しています。
暗いイメージなので少しでも色使いをと思い、
車内の塗装を思い立ちましたが資料がなくハタと困りました。

よろしくお願い致します。




投稿者

クモイ103

投稿日

2015年 2月 5日(木)22時07分59秒

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Re: 「ニ」や「ユニ」の車内色について

遠軽49600様、はじめまして。

昭和33年3月1日現在の「国鉄車両関係色見本台帳」によると、
「淡緑2号」の用途に「荷物車室内(天井を除く)」
「クリーム色1号」の用途に「荷物車天井」
という記載があります。

この資料は、国鉄式の○○色△号という色彩呼称を明文化したもので、
それまで使われていた色に改めて名前を付けたという性格のものですから、
もっと昔から荷物車の室内は淡緑色だったろうと思われます。

ただ、聞きかじりのうろ覚えですが、
戦前の保護棒は薄茶だったという話をどこかで聞いた様な気がします。
(不確実な情報ですみません…)




投稿者

遠軽49600

投稿日

2015年 2月 5日(木)22時43分42秒

タイトル

「ニ」や「ユニ」の車内色について

クモイ103様

ご回答ありがとうございます。
昭和33年3月1日現在の規定なら、昭和29年頃の荷物車なら淡緑2号
(1号じゃないんですね)と考えてもよさそうです。
保護棒もたぶん同色で良いのでしょう。
ありがとうございました。

遠軽49600

*返信の仕方がわからず同じ表題にしています・・・




投稿者

マロネロ38

投稿日

2015年 2月 6日(金)09時19分4秒

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二、ユニの車内色

クモイ103様;

昭和33年に淡緑色の規定だったのですか--
キハ45000登場当時の所謂「進駐軍色」と呼ばれた色ですね。
戦後すぐに三ノ宮から加古川までオハニ30
(だったと記憶する)に乗せられた時には、
荷物室も客室と同じ茶系だったと----。
当時はデッキから荷物室まで超満員でした。




投稿者

クモイ103

投稿日

2015年 2月 8日(日)10時41分33秒

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Re4: 「ニ」や「ユニ」の車内色について

>遠軽49600様

淡緑1号も他の車両の室内に使われていた様です。
前記資料に記載された「おもな使用箇所」は次の通りです。

淡緑1号(10GY 7.5/1.5)
 メ:電車室内(天井を除く)の幕板、側引戸、内帯など
 ビニルクロス:軽量客車(ナハ・ナハフ)、気動車の室内張り
 デコラ:電車室内の腰板、吹寄板、便所、化粧室内部、
 軽量客車(昭32以降)の便洗内部

淡緑2号(淡緑色)
 フ:気動車の室内(天井を除く)(昭31まで)
 ペ:荷物車室内(天井を除く)、電車の屋根、通風器、パレット貨車の内部
 ラ:マロネ41形寝台車室内(天井を除く)

色の名称の( )内は旧名称、「メ」は焼付尿素メラミンフタル酸樹脂エナメル、
「フ」はフタル酸樹脂エナメル、「ペ」はペイント、「ラ」はラッカーエナメル、
との脚注がついています。

この調子で淡緑4号までが主に車両の内部に使用され、
次の5号が「フ:特急用(つばめ、はと)電気機関車および客車の車体外部」、
有名な青大将塗色ですね。
後に1等車(ロ)→グリーン車の帯色となる淡緑6号はまだ存在せず、
この時代の2等車(ロ)の帯色は青1号でした。
余談ですが、この時点で「青」がすでに13号まで存在し、
最もバリエーションが豊富だった様です。
昭和40年代に入って京浜東北線の103系電車に施されたスカイブルーが
「青22号」と大きな番号になったのも頷けます。

なおここに荷物車の記載はありますが郵便車は見当たりません。
「おもな」使用箇所ですから、省略されていたのでしょうか。
荷物車と共通だったかもしれませんね。

# 返信の仕方は私もわからず、表題をコピーして「Re:」を付けただけです。


>マロネロ38様

戦後すぐには茶系だったのですね。となると、
連合軍輸送が絡む何らかの事情があったのか、
もしくは星晃氏が述べられている様な、80系湘南型電車に象徴される、
車両の色彩を明るく豊かにしようという戦後の流れと
関連があるかもしれませんね。




投稿者

遠軽49600

投稿日

2015年 2月 9日(月)23時50分34秒

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re:「ニ」や「ユニ」の車内色について

クモイ103様

関連のコメントもとても参考になります。
ありがとうございました。




投稿者

だめおやじ

投稿日

2015年 2月11日(水)15時52分54秒

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どの色の機関車が似合う?

ブルートレインを牽引している電気機関車は、いろいろとありますが
電気機関車の色で、どの色が似合うと思いますか?
EF65(500、1000)、EF66、EF64とEF510(北斗星)は青で、
EF81、ED76、ED79は赤ですが、
どちらも似合うと私は思います。
中にはブルートレインだから、青の機関車が似合うと思う人もいますが。
ただ、カシオペアはEF81よりEF510のカシオペア色が似合いますが。
あと、カシオペア用のEF81が北斗星を牽引していたのを見た事があります。
でも北斗星は、やはりEF81の北斗星用が一番似合っていると私は思います。




投稿者

だめおやじ

投稿日

2015年 2月13日(金)22時05分49秒

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一瞬で完売

少し空いての連投ですが来月廃止の「トワイライト・エクスプレス」と
定期運用最後の日の「北斗星」のチケットが一瞬で完売しました。
ほとんどの人が買えなかったようで残念がっていました。
でも「北斗星」は、まだ臨時で運転されるので乗れるチャンスは、まだあります。
最後の臨時運転の日のチケットも一瞬で完売するでしょう。




投稿者

ED76109

投稿日

2015年 2月14日(土)17時36分53秒

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件の「トワイライトEXP」目撃レポート

 ご無沙汰であります。
また、単身赴任から帰還しました「ED76109」であります。

 マロネロ38様

 ご無沙汰しております。季節柄、どうぞお体にご自愛ください。
「トワイライト」及び「北斗星」の寝台券争奪戦は、
昭和40年代の「みどりの窓口」の行列を見る思いが致します。
高校生の時に、「目黒」やら「大崎」やらで徹夜して並んでも・・・。
という苦い思い出しかない小生としましては、懐かしいというより、
「なんでこんなにも人気があるのに」という疑問
(まぁ、悪あがきですが)を感じ得ません。
とにかく、チケットをお持ちになった先達の方々に、
「最後の旅を楽しんでいただきたい」という思いで一杯であります。

 さてさて、実はだめおやじ様が記載されています「2月1日発の8002レ」を、
偶然にも「札幌」で目撃いたしましたので、
小生もその際のことをいつもの調子で「戯言」させていただきます。

 1 当日は、「せたな」に戻るために「北斗12号」の自由席に並んだのでした
(昨年からの減便でハザを取るのは至難の業)。
4番フォームの「北斗の自由席」の列に加わろうとしたのですが、
いつもと違い「キャリーバック」を持った人が多いなあという印象。
ほどなく助役氏が、「北斗の列はこちらです」と案内されました。
「そちらは、トワイライトのお客様の列ですので」とのことでしたが、
入線10分前で「15人前後」が列を作る盛況ぶり。
粉雪をものともせずに、老若男女が期待に胸ふくらませて
「さぁ、早よ来いや。」というオーラ全開で整列していらっしゃいました。

 2 小生の列の隣は「8号車Bコンバート」の列でした。
さっそく隣に嬉々として並ばれている「鉄ご夫妻」に伺ったところ、
「元旦に『弁天町のみどりの窓口』でご購入」とのこと。
「ダメ元と思うて並んだんやけど、上手く買えましたわ。」
とにこやかに答えていただけました。
さすがにキップが出てきたときは、
ご夫妻を交えて『弁天町の駅員氏(女性職員だったとのこと)』も
「やったぁ!!」と狂喜乱舞され興奮していたようで、
「今年はいいことがある」と3人で拍手が湧き上がったとのエピソードをご披露。
ちなみにご夫妻の後ろの御仁氏は
「7回目の梅田のJTBの依頼」でゲットされたとのこと。
とにかく、「執念」の一言という感でありました。


 3 フォームの外れに10人の「撮り鉄」の先達の方々が待機され、
フォームにもカメラやアイフォン片手の「鉄面々」が待機する中、
助役氏の「内側に寄ってください」の叫び声とともに、
「ヒィー」というフォイッスルが一声。
「DD51」に牽引された「8002レ」が
「アー」「ワー」という歓声とともに入線して、グリーンの車体が姿を見せました。
所々雪がこびりついた姿は、
「1500km」にも及ぶ長躯の前途を表すが如くの感。
「よい旅を」の声をかけた小生に、
件のご夫妻や御仁氏は「ありがとうございますぅ。」
との関西弁も爽やかに車上の人となっていきました。
発車間際まで、「トワイライトEXPのロゴ」や「アンドン(古いなぁ)」をバックに、
記念写真を撮る人たちがひっきりなしという有様でした。
そして、定時の「14:05」に「幸運を勝ち得た乗客たち」を乗せて長笛一発。
静かに「8002レ」は旅立っていったのでした・・・。

 しかし、その日の夜に「陣馬」付近で「あの一件」が発生してしまい、
大阪に到着したのは「2月3日の早暁」だったのでした。
しかし、乗客の方々は「16時間の遅延」という
道祖神からの粋な『贈り物』に感激して、
ほとんどの乗客が完乗されたとのことでした
(小生であれば感涙にむせびながら、大阪駅3番フォームに降り立ったことでしょう)。
「そんな旅がしたかったなぁと」と呟いたところ、
同僚の先生方から「教頭先生、疲れているんですねぇ。」
と苦笑されてしまいました。

 長々と失礼いたしました。
以上、あの「長旅を楽しめた方々への嫉妬心」でいっぱいであり、
「EF81」や「ED76」が牽引するブルトレを贔屓する
「中年教頭客車鉄ちゃん」でありました。




投稿者

雪だるま

投稿日

2015年 2月15日(日)01時13分18秒

タイトル

またもトワイライト

2/13発のトワイライトは青森〜弘前あたりの大雪で
下りは弘前か、青森で運転打ち切り。
上りは2/15の午前1時で新潟地区を目指しています。
2/14大阪発も札幌を目指しています。打ち切りの編成は大阪回送のようです。
2/14札幌発は運休です。
せっかくチケットを手に入れたのに運休じゃかわいそうです。

オユ10の車内色について
学生の時バイトで道内の郵便車に乗ってました。
だいたいは薄い緑色でしたが、宮原のオユ10に郵袋室との仕切りが薄い藤色?
気動車のデッキに塗っていたいろが使われていました。
全部ではないと思いますが。
大ミハは大航22、北スミは北東航21の運用番号でした。




投稿者

だめおやじ

投稿日

2015年 2月15日(日)14時22分1秒

タイトル

自然災害で運休

雪だるまさんがコメントしていますが、
北日本、日本海側は大雪で列車の運休が相次いでいます。
去年の今頃も「あけぼの」が大雪で運休になった日もありました。
チケットを手に入れたのに乗れないのは残念と同時に悔しいでしょうね。

話それますが、金沢まで延びる北陸新幹線ですが
1番列車は25秒で完売しました。
1番列車は、すぐに売り切れるとは思いましたが。
あと4年前に運行開始した東北新幹線「はやぶさ」ですが、
これの1番列車もすぐに完売しました。
特にグランクラスがすごかったみたいです。
でも、この「はやぶさ」も運行開始して1週間後に
東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)で運休になってしまいました。
3月11日以降のチケット買った人は残念がっていたでしょう。
どちらも自然災害だから運休は仕方ないですが。




投稿者

クモイ103

投稿日

2015年 2月15日(日)21時22分55秒

タイトル

1番列車と「10時打ち」

思い起こせば27年前、青函トンネルが開通した昭和63(1988)年3月13日の
「北斗星6号」初列車に、友人と2人で乗車しました。
当時大阪勤務だった私は、
2月13日阪和線鳳駅のみどりの窓口で「10時打ち」を依頼、
幸い他に競合する客もなく、無事上下2枚のハネがゲットできました。
ただ、気を利かせてくれた駅員氏が
「向かい合わせの下段同士で取り直してみましょうか」
と言って端末を振り返った時には
もう完売していて、その間1分も経っていなかったと思います。
その北斗星が終焉とは、時の流れに感じ入るこの頃です。

画像は地平だった札幌駅の改札口表示と、発車を待つ6レの先頭部。
DD51やEF81の北斗星用塗色は後になって登場したもので、
運転開始時はどちらも一般塗色でした。
但し初日の1レを上野から牽いたEF81はレインボー塗色の95号機だった様です。





投稿者

だめおやじ

投稿日

2015年 2月26日(木)15時45分16秒

タイトル

廃止のもうひとつの理由

3月12日を最後に発車する寝台特急「トワイライトエクスプレス」が
車両の老朽化で廃止ですが廃止は、それだけでないと思います。
北陸新幹線の長野から金沢間開業が関係しています。
北陸新幹線の長野から金沢間が開業すると
平行している在来線の信越本線と北陸本線の一部が第3セクター化されます。
3月14日から北陸本線の金沢から倶利伽羅間は「IRいしかわ鉄道」、
倶利伽羅から市振間は「あいの風とやま鉄道」、
市振から直江津間は「えちごトキめき鉄道(日本海ひすいライン)」
に切り替わります。
そこに「トワイライトエクスプレス」を走らせると
JR西日本は第3セクター化された会社に金を払う事になります。
現に東北本線の一部が第3セクター化
(いわて銀河鉄道、青い森鉄道)になっており、
そこに「北斗星」「カシオペア」が走っており、JR東日本は金を払っています。
JR西日本は余計な出費をさせないために
「トワイライトエクスプレス」を廃止させたのではないかと思います。
これは私の判断ではありますが。

あと、伊勢鉄道ですが、ここは前は国鉄伊勢線でした。
国鉄が分割・民営化になる直前に第3セクター化して伊勢鉄道になりました。
四日市から津へ行くとき、近道の路線なのに
何で、ここを第3セクター化にしたのかわかりません。
特急南紀や快速みえは、ここを通ります。JR東海は金を払っています。
そんなに伊勢線って大赤字路線だったんでしょうか?




 
 
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