倶楽部メモ(729)
平成25年 6月27日〜 7月10日

播但線新野の水車 ・ 新性能電機の旧型客車牽引について


投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2013年 6月27日(木)21時50分54秒
タイトル 播但線上り636レと田園の水車
マロネロ38様より、とても懐かしい感じのする写真を送っていただきました。

播但線の新野付近で撮影された上り636レ(かっては3重連で有名だったそうです)
の写真で、昭和48年8月15日に撮影されたそうです。

播州地方の水車は毎年4月末から9月中旬まで動いているそうで、この地方の風物詩
として有名だそうです。

この田園での揚水用の水車は東北地方ではあまり見かけないのですが(私が気が付いて
いないだけかもしれませんが…)、皆様の地方ではいかがだったでしょうか?

とてものどかできれいな風景ですが、現在ではバックに工場などが建ってしまっている
との事で、これは全国的な事で写真撮影などの際には悩まされるものですよね。

車両的にみると、この地方(山陰本線・播但線・福知山線)だけに投入されましたが
故障の頻発などで短命に終わったDD54が牽引している貴重な写真で、機関車次位の
客車はオハニ36とのことです。

このようなのどかな風景を、いつまでも残して欲しいものですよね。




投稿者 マロネロ38
投稿日 2013年 6月28日(金)17時11分6秒
タイトル 播但線新野の水車
補足させて頂くと、写真の位置は新野駅北側の踏切を西へ行った辺りです。
今は電車とDCですが、水車は廻って居る筈ですけれど、休耕田の順番の関係で廻らない
年もあったので、新野の水車+播但線撮影の時は、兵庫県神河町の役場(広報課)へ問い合わせてから、お出かけください。

電話:0790-34-0001、役場の位置は播但線「寺前」駅からすぐです。
水質が良くて豊富な所ですので、夏でも水道が冷たくて美味しいですし、役場近くに
大きな水車が回っている蕎麦屋があります。

寺前から一駅和田山よりの長谷駅が、鄙びていて情緒たっぷりでしたが、藤棚も噴水が
自噴していた庭園も見る影も無い状態で、利用客減少から普通列車でも停まらない列車が
ある状態です。
JR西日本の感覚が私には全く理解不可能です。



投稿者 ED76109
投稿日 2013年 7月 6日(土)10時04分53秒
タイトル 昭和48年6月の時刻表から
 ご無沙汰しております。「ED76109」でございます。

 マロネロ38様のお写真の補足にしかなりませんが、
「636レ」は「和田山11:15発の姫路行旧客鈍行レ」であります。
「姫路着」は13:19着であり、ちなみに「新野」は「12:35」の発車。
「マロネロ38様」は「撮り鉄」の後にお蕎麦を食されたのかもしれませぬ・・・。
参考までに、当時の「播但線」は旧客レが活躍しており、
「寺前」を発着する臨時の「通学レ(6634レ)」も運転されているなど、かなりの充実ぶり。
「DCはまかぜ」や「DC但馬」の姿も・・・。
ちなみに小生、播但線の乗りつぶしの際には、「寺前」からは「103系」にお世話になりました。

 失礼致しました。以上、「デモシカ教頭」情報でありました。



投稿者 雪だるま
投稿日 2013年 7月 6日(土)19時17分23秒
タイトル 車両火災で運休
函館本線山崎ー鷲の巣間で函館行き北斗14号の車両のエンジンが火災のため、八雲ー長万部が不通になっています。
トワイライトが19時で洞爺停車中、カシオペアは東室蘭ー上野が運休。
はまなすは上下とも運休。
北斗星は不明。
北斗、スーパー北斗は運休になっています。
車体外側がすすけていますから、火災が大きいものだったと思われます。乗客は無事でした。



投稿者 雪だるま
投稿日 2013年 7月 6日(土)23時13分36秒
タイトル 運休
トワイライトは洞爺で打ち切りになりました。
北斗星は運休。
明日はキハ183系の北斗、サロベツが運休になります。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2013年 7月 7日(日)08時42分38秒
タイトル 播但線636レ
ED76109教頭先生:
御無沙汰です。
昭和48年頃は、寺前の役場近くの大きな蕎麦屋はありませんでしたので、寺前駅前の喫茶店
のカレーライスで済ませた記憶があります。

636レはC57時代に三重連の煙公害ショーで有名でしたが、
お立ち台の生野峠北側のS字カーブの勾配の近くでの狂態ぶりは、新聞にも報じられた程でした。
当日は播但線超満員で、636レの後のDC等はキハ35からキハ58まで動員の増結でも、積み残しが出たぐらいでした。

案外知られていないアナがあって、当時神戸まではお立ち台下の国道「円山 」(まるやま)
バス停から、撮影後に全丹バスの神戸行き特急に乗ると、時間は掛かるが座って帰れましたが、これも地元の強みでしょう。
(前日に神戸営業所で予約しておくと必ず乗れた)

北海道の183系火災が多いがどうした事でしょうね?



投稿者 twosan
投稿日 2013年 7月 8日(月)16時36分40秒
タイトル 新性能電機の旧型客車牽引について。
はじめまして。突然の割り込みですいません。
最近20になった新参者鉄ですが、客車列車について分からない事があり、
自分で資料を探り当てるだけでは限界だと思ったのでこちらの掲示板にお邪魔しました。
些細な情報でもかまいませんので何か分かる事がありましたらご教授お願いします。

さて、質問の内容ですが大きくわけて2つほどありますので箇条書きにしたいと思います。

1、EF64 1000番台牽引の旧型客車の列車について。

EF64 1000番台が高崎線で客車急行列車などを牽引している写真は多く見ますが、
鈍行の茶色い客車を牽引してる写真は見たことありません。(最近のイベント列車などの写真は見た事ありますが。。)
1980年代初頭でEF64 1000番台が代走等含めて高崎線・上越線で客車鈍行を、
もしくは臨時列車等で茶色い客車(荷物車等は除く)を牽引した実績はあるのでしょうか?


2、中央西線のEF60牽引列車について。

中央西線では昭和43年ごろまでEF60による定期の客車牽引列車があったようですが、
末期に、冬の季節、暖房車の代わりにDD51を連結して運行していたという記事を読んだ事があります。
ですが、写真を見た事が無く詳しい真相も定かではありません。
もしこの事について知っている方、もしくは参考になる資料をご存知の方がいらっしゃれば、教えていただけないでしょうか?



投稿者 クモイ103
投稿日 2013年 7月 8日(月)22時24分47秒
タイトル Re: 新性能電機の旧型客車牽引について。
twosan様、はじめまして。
EF64 1000番台がデビューした時期に、ほぼ今のtwosan様に近い年齢だったクモイ103と申します。

当時、上越線においては既に旧型客車の定期普通列車はなく、臨時急行も12系が主体でした。
高崎線には辛うじて客車による普通列車がありましたが、信越本線がらみの客車運用でしたから、
高二のEF58か、さもなくばEF62だったはずで、上越線の新鋭EF64 1000とは縁がなかったのでは?と思います。

ご質問に「茶色い客車」とありますのであえて触れますが、
1980年代初頭の急行「鳥海」には、編成中に時折ぶどう色のオハ46が混じっていました。
同列車の上越区間での牽引機は高崎二区のゴハチだったようですが、
水上−石打間の前補機は末期にEF16からEF64 1000に代わったとのことですから、
強いて言えばこれがロクヨン1000番台の茶色い旧型客車牽引実績だったと言えるかもしれません。

中央本線で暖房車代わりにDD51…とは初耳です。



投稿者 twosan
投稿日 2013年 7月 8日(月)23時34分46秒
タイトル Re: 新性能電機の旧型客車牽引について。
クモイ103様

はじめまして。迅速な回答本当にありがとうございます。

まず「鳥海」についてですが茶色のオハが混じっていたのですね。。
東北には茶色のスハ43などが結構末期まで残っていたイメージがありますが、急行の運用にも入っていたとは意外でした。

そして普通列車について、参考元が正しければ高崎線の旧型客車は昭和57年11月改正で消滅した事になりますが、
EF64 1000について調べたところ昭和57年か6月から10月にかけてほとんどの車が高崎第二に転属しているようです。
とするとEF64 1000+茶色い旧客のペアが急行以外でも存在した可能性が一応あるのではないかなとも思うのですが、
実際はどうだったんでしょうかね。



投稿者 仙コリ
投稿日 2013年 7月 9日(火)00時19分11秒
タイトル 高崎線の旧型客車列車の牽引機について
twosan様

はじめまして。

高崎線の旧型客車列車の牽引機についてですが、すでにクモイ103様が書かれておりますとおり、
1970年代には主にEF58とEF62が牽引していたようですが、旧客の最晩年にEF58の置き換え用として
EF64 1000番台が投入されているようなので、牽引していた可能性は微妙といったところでしょうか?

お話に出てきています1980年代に残った高崎線の客車普通列車は1往復のみ
(2321レ 上野 6:15 − 8:53 高崎 ・ 2326レ 高崎 19:16 − 21:55 上野)
となっており、この列車には高崎と尾久に配置された客車が使用されていました。

この当時、高崎と尾久に配置されていた客車を調べてみると、茶色(ぶどう色2号)の車両は1両も無く、
すべての車両が青色(青15号)となっていましたので、この高崎線最後の客車普通列車はすべての車両が
青色の客車で編成されていたことになり、牽引機としてEF64 1000番台が仮に使用されていたとしても、
高崎線にて茶色い客車を使用した普通列車を牽引した可能性はほとんどないのではと思われます。

参考資料:JTB時刻表1980年3月号・JRR国鉄客車編成表80年版



投稿者 クモイ103
投稿日 2013年 7月 9日(火)21時56分59秒
タイトル 高崎線の客車普通列車
仙コリ様、フォローありがとうございます。
過渡期の短期間の話になると、「あった」という話は一つの情報で済みますが、「無かった」というのは難しいですね。

確かに当時の高崎線の客レは高崎と尾久の受け持ちで、「いい車」ばかり揃っていた様ですね。
東北筋が軒並み福島や盛岡などの受け持ちでスハ32系やオハ61系まで入っていたのと対照的でした。
それと、2321レ・2326レは、最後の短期間12系客車に置きかえられたと記憶しています。
乗りに行っていないのが悔やまれます。

余談ですが、高崎線内の普通列車は800・900番台の列番をとるのが本来ですが、
この客レだけ300番台なのは、前にも書きました通り信越本線がらみの運用で、
もともと321レ・326レとして上野〜長野間を直通していた列車を、1973年10月のダイヤ改正時に高崎で分割したためです。



投稿者 twosan
投稿日 2013年 7月10日(水)00時32分47秒
タイトル Re:高崎線の客車普通列車
仙コリ様

はじめまして。ご回答ありがとうございます。返信が遅れてすいません。。

80年代には高崎や尾久の営業用の客車は青しかいなかったのですね。
となると茶色の旧客の牽引実績は無かった可能性が非常に高そうですね。
また列車番号を明示してくださったので検索がしやすくなり、
おかげさまで2321レを牽くEF64 1000の写真にめぐりあう事ができました。
光線の関係で車体色が見えずらい写真でしたが、おそらく全部青色だとは思います。

クモイ様

回答ありがとうございます。12系時代の2321レも見つける事ができました。
列車番号の件もそういう事情があったのですね。
73年ごろの時刻表が確か家にあったと思うので調べてみます。
また脱線してしまうのですが、東北本線にも末期に12系の普通鈍行があったと昔、微かに聞いた記憶があるのですが、
何か事情をお知りでないでしょうか?
そもそも東北本線の上野口は何年まで客車鈍行が来ていたんでしょうか。



投稿者 クモイ103
投稿日 2013年 7月10日(水)21時29分48秒
タイトル 東北本線の方では
twosan様

東北本線の上野口で客車による定期普通列車が消滅したのは、昭和53(1978)年10月2日ダイヤ改正でした。
最後まで残った2.5往復(上り1本が回送のため)が、最後まで福島と盛岡を中心とした青・茶入り交じりの旧型客車で運転され、
黒磯以南の直流区間では宇都宮のゴハチが牽引していました。

東北筋で12系の普通列車と言いますと、それよりずっと後の時代、盛岡−青森間あたりで50系と共に走っていました。
これは普通列車用に改造されたバージョンだったと思います。
牽引機は、地区本来の赤ベコED75に加えて、田端のEF81が「北斗星」運用の青森での間合いで牽引する列車もありました。



投稿者 しののめ
投稿日 2013年 7月10日(水)22時48分8秒
タイトル Re:高崎線の客車普通列車
皆様
久しぶりに書き込みます。
学生時代(1978年前後)、合宿に行くために高崎ー小諸の321レ、322レに何回か乗りました。
1度だけ322レで高崎で電車に乗り換えずにそのまま2322レとなった列車で上野まで乗りました。
高崎線内は駅をいくつか通過する快速的列車のくせに所要時間は電車より遅かったでした(まぁ、当たり前でしょうけれど)。



 
 
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