倶楽部メモ(700)
平成24年 3月10日〜 3月26日 |
川西池田−尼崎港 ・ 「日本海」のファイナルラン
投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2012年 3月10日(土)20時36分35秒 |
タイトル |
臨特の客車 |
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戦後「さくら」が東京−大阪間の臨時で運行開始直後に、米原駅で下りを見ましたが、
スハ42やらオハ35やらゴチャゴチャでした。その後不定期に格上げ後は、初日の上り
など、マシ38を除いてオール新車のスハフ42、スハ43、スロ54で組成されていました。
大阪からは宮原区のC6236が牽引(初日だけで後はC59)。 |
投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2012年 3月11日(日)07時59分21秒 |
タイトル |
「鉄雑感」に係る戯言 |
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おはようございます。「ED76109」であります。
先達の皆様方の「客車編成」に係るお話は、小生の「鉄勉強」となっております。
以前記させていただいたように、「ニ」や「ユ」の連結位置は「トカホセ=大阪方」、「トホホセ=東京方」
と思い込んでおりましたので、新たな「鉄知識」に興味津々であります。
さて、今日は「混合レ」の話題も含めて「戯言」させていただきます。
1 「客車編成」で、小生が実見したかったのは通称「うばざくら」。
既述させていただいておりますが、昭和36年12月29日、
「西宇部・小野田」で大雪で遅延していた「DCあきよし」が「PCさくら」に追突。
重軽傷者50名弱を数える「大事故」を起こしております。
その際、帰省期間の多客期だったことから、損傷した「20系」の予備車が手配できずに、
翌年の1月中旬まで「博多回転車」を「10系」の旧客寝台に変更して急場をしのいだのでございます。
この混結編成のことをマスコミが「うばざくら」と揶揄したのでした。
しかし「10系」は暖房の関係等から、「EL」の次位に連結されることとなり、
「20系」との行き来が不可であったことから、
当該寝台の利用客は1000円の払い戻しがなされたとの逸話がございます。
2 小生の鈍行紀行では、最後尾からの「眺め」を楽しみたいことから、
「ニ」、「ユ」が後ろに来ない編成に拘っておりました。
結果として、「山陰本線」では「824レ」を除いて「下り」の長距離鈍行レを中心に、
「東北地方の交流線区」では「上り」を中心に「制覇ダイヤ」を組んでいた記憶がございます。
昭和57年の黄金週間、小生その部分を重視して「札幌」から「上野」まで、
全て「最後尾のデッキからの眺め」を眺め続ける「鈍行紀行」を楽しむことができたのでありました。
3 「旧狩勝線を楽しむ会」様や「ヒゲ無し雷鳥」様が「混合列車」について述懐されております。
小生も幼い頃にこだわった「編成」でありました。
「混合列車」は、機関車の車両数や乗務員配置の関係から、
別々の列車ではなく1本の列車として運転されたとの経緯があるようでございます。
その一方で、「貨車の入換作業」に時間を要することから、途中駅での停車時間を多く確保する必要があり、
ダイヤの足かせとなったケースもあるようです。
さらに、「PCの連結位置」によっては、列車暖房が使用できなくなることもあることから、
「肥薩線」などのように「D51」の次位に「PC」を連結し、その後に貨車を連結していた例もございます。
この不便さを解消するため、当地や東北では蒸気管が使えない場合、
ダルマストーブ等の暖房装置を用いていたのであります。
小生が以前勤務していた「遠軽高校」の保護者の方々に「遠軽駅勤務」の方々がいらっしゃり、
「遠軽・網走等の混合列車のPC(スハ62・スハフ62・オハ60二重窓タイプ)には
「ダルマストーブ」が設置されていたことを伺っております。
小生が初めて眺めた「混合列車」は、確か「RP」誌で眺めた「尼崎港線」だったように記憶しております。
「SL」が牽く貨物レの最後尾に「PC」がポツンと1両繋がれていた写真だったと思っております。
長々と失礼致しました。
以上、「根室本線の混合列車」では「コキ」が幅を利かせていた記憶がある「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |
投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2012年 3月11日(日)09時38分29秒 |
タイトル |
川西池田−尼崎港 |
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ED76109先生:
福知山線の盲腸区間は近くでもあり、度々乗車しましたがDD13牽引になってからは
冬場も暖房なしでした。
C11時代は片道暖房が入った事もありましたが、その頃はスハ32、オハ35、オハフ33
でした。
一番最盛期は雑型客車や「桜」初期の木造一方向きシートスハ28400の中古やら
の盛況でした。大鉄局に「いくら通勤用でお暖房無しは酷いから、キハ26みたいな
ウエバスト暖房をつけられないか」?と提案した事もありましたが、結局大ミハの
余剰車?利用で、東海道、山陽、福知山、北陸の編成に入る事もあるので難しいとの
事でした。
ヌ100(貨車改造、2軸単車)が苗穂と広島で製造され、主に北海道のローカル混合列車用
に使用されましたが、1966年度版国鉄発行の客車形式図集には、102,103,117,119の4両
だけが記載されています。
当時遠軽近辺のローカル混合列車には、使用されなかったのでしょうか?
釧網線に入っていたとは聞きましたが。 |
投稿者 |
ゴロー |
投稿日 |
2012年 3月13日(火)18時05分58秒 |
タイトル |
川西池田−尼崎港 |
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ぼくも福知山線の支線、通称、尼崎港線に真冬に乗ったことがあります。
DD13にスハフ42が一両だけの編成で貨車はナシでした。暖房はDD13なので当然ありません。
車掌さんも防寒着を着ても寒そうにされてましたが本当に凍えるようでした。
乗客はぼく一人で今から考えるとよくあんな列車が二往復もあったのが不思議です。
昭和50年代はまだ混合列車が結構残ってましたが
ED76109さんがふれておられる根室本線の混合列車は少し変わってましたね。
コキをつないでいるのは他では見たことないです。釧網線もタンク車がつながれてましたね。
ぼくが印象に残ってるのは倉吉線の混合列車です。
DE10とオハニ3626、オハフ61130と貨車が2両でした。オハニ36は青でした。 |
投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2012年 3月13日(火)20時44分7秒 |
タイトル |
「ぬくもり」の暖房車 |
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おばんでございます。「ED76109」でございます。
マロネロ38様、ゴロー様が仰いました「混合列車」及び「ヌ100」につきまして、
いつものように小生の「鉄勉強」の成果を「戯言」させていただきます(本当に「釈迦に説法」でありますが)。
「ヌ100」は、主に「SL牽引の混合列車」のために開発された「2軸の暖房車」であります。
また、「ヌ100」を改造した「ヌ200」は、当地で混合列車に使われていた「簡易暖房車」を改造したものであり、
一応客車の仲間でありますが、当地では当初「ヨ7000型」を名乗っていたために貨車式の付番がなされております。
前述しておりますように、当地は冬季極寒であり、混合列車が多数運転されていたことから、
対策として「PC」に「ダルマストーブ」を搭載していました(1両辺り2台が標準であるとか)。
しかし、客室内で火を燃やすという最大の弱点があり、「PC」が何両も連結されるとなれば、
燃料の石炭をくべるカレチ氏の労力も大変なものであります。
そこで発案されたのが、「緩急車(ヨ)」を改造して、小形のボイラーを積んだ「簡易暖房車(ヌ)」です。
当初は、「ワフ25000形」を改造して、通常の暖房車の半分の能力のボイラーを搭載し、
「ヨ7000形」として5両が作られたのでありました。
しかし、実態にそぐわず1年で「ヌ1000形」に変更され、
暖房車全体の改番作業で「ヌ100」となったのであります。その後、
トキ900形」の部品を活用した増備車を15両作成。
総数20両となり、一部は「花輪線」でも使用されたとのことであります。
さらには、昭和32年には、6両が「碓氷峠用のヌ200形」に改造されたのであります。
その後は、混合列車の削減、ダルマストーブに代わる「ウェバスト式温気暖房装置」の装備、
「DC」化によって、「ヌ100型」は昭和41年に廃止されております。
長々と失礼致しました。以上、来週放送予定の「トワイライトEXPの恋」で
「中山美穂」さんとの淡い鉄旅を夢見た「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |
投稿者 |
太田拓也 |
投稿日 |
2012年 3月16日(金)08時33分58秒 |
タイトル |
ふと思ったこと |
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カトーから発売されるNゲージ「日本海」ってどのくらいの予約注文入ってるんでしょうか?
「そのうちさよならセット(最終列車を再現)出るんじゃないか」という買い控えがありそうですが。 |
投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2012年 3月17日(土)07時57分7秒 |
タイトル |
ありがとう「日本海」そして「きたぐに」!! |
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おはようございます。「ED76109」でございます。
昨日から、TVニュースにくぎ付けになっておりました先達の皆様、お疲れ様でございます。
小生もチャンネルを変えながら、「日本海」と「300系」のファイナルランを見つめておりました。
NHKの「ニュース9」では、「4002レ」が残雪の「奥羽本線・鷹ノ巣」から中継されて、
「EF81」のフォイスルが一声聴こえて「ガクン」という件の「儀式」が画面を飾りました。
そして、ゆっくりと牽き出されていくブルトレ・・・。
もう思い出すまいと、心に誓っていた「富士・はやぶさ」の最期が走馬灯のように脳裏をよぎると、自然と熱いものが・・・。
「親父、また泣いてるの」と愚娘たちに呆れられてしまいました。
また「夢」の一つが終焉を迎えてしまったのだと、小生はしょんぼりするしかありません(滂沱)。
しかし、「日本海」も「きたぐに」(昨日はほとんど取り上げられていなかったように思うのですが)も、
臨時レとして早速黄金週間には運転されるとのこと。何とか一度は乗りたいものであります。
あと数時間で「大阪」と「青森」にたどり着く「日本海」。
旅のラストはどのようなものでしょうか。本当にお疲れ様でした。そして、「夢」をありがとう・・・。
長々と失礼致しました。以上、「惜別の涙」でTV画面が曇りっぱなしだった「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |
投稿者 |
赤まんと |
投稿日 |
2012年 3月17日(土)22時23分39秒 |
タイトル |
わざわざ、行ってまいりました。 |
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こんばんは。編成記録がライフワークの赤まんとです。
勤務シフトの都合がつき、わざわざ大阪まで編成記録を取りにいってきました。
Lot
No.5043 3/16 9001レ「日本海」(下り最終)
オハネフ24 19(22-8秋田総合車セ・銀テープ文字)
オハネ25 152(22-9秋田総合車セ・金帯)
オハネ25 148(21-11秋田総合車セ・金帯)
オハネフ24 15(21-12秋田総合車セ)
オハネ25 213(23-1秋田総合車セ・金帯・銀テープ文字)
オハネ25 218(21-5秋田総合車セ・金帯)
オハネフ24 21(22-5秋田総合車セ)
オハネ24 3(23-11秋田総合車セ・金帯・引戸)
オハネフ25 117(20-11秋田総合車セ・金帯)
オロネ24 2(22-5秋田総合車セ・銀テープ文字)
カニ24 25(22-8秋田総合車セ・白文字)
EF81 101(22-9金沢総)
17:39入線、17:48発で、予想したほど酷い状況ではありませんでした。
万一に備え、上り編成記録を押さえておき、下りは牽引機のナンバーのみ確認できれば良いように対策しておきました。
混乱を避けるため、17:00〜18:00に9,10番ホームに発着する下り通勤列車は全て8番ホームに変更の対応がとられていました。
わざわざ関東から大阪に乗り込んだ私も偉そうなことは言えませんが、現場の人間だけでなく、警備会社や大阪府警、
そのうえ一般利用客まで巻き込んでの最終日です。広範囲に影響が及んでおり、考えさせられました。
Lot
No.5044 3/17 9002レ「日本海」(上り最終)
EF81 106(24-2金沢総)
オハネフ25 129(21-5秋田総合車セ・金帯)
オハネ25 38(22-2秋田総合車セ・白帯)
オハネ25 147(20-8秋田総合車セ・金帯)
オハネフ24 2(21-9秋田総合車セ・白帯)
オハネ24 7(20-11秋田総合車セ)
オハネ25 220(23-2秋田総合車セ・金帯・銀テープ文字)
オハネ25 151(23-4秋田総合車セ・金帯)
オハネ24 20(21-3秋田総合車セ・白文字)
オハネフ24 7(22-12秋田総合車セ・白文字)
オロネ24 4(22-7秋田総合車セ・銀テープ文字)
カニ24 23(22-10秋田総合車セ・機関更新)
前日同様2分延の10:29着で、慌しく10:38に引き上げていきました。
プルマン式寝台の歴史に幕が降りました。
臨時列車で多客期に運行される予定で、ゴールデンウイークに早速設定があります。
モノクラス6両編成で、下りは16時間04分、上りは18時間06分の所要です。
おそらく車内販売は望めないでしょうから、ないない尽くしの車内で、
利用しやすいとお世辞にも言いがたいダイヤで長時間の移動を強いられます。
車両の老朽化と利用客の減少が理由の定期運転廃止。
個人的に臨時運転も長続きしないどころか、来年も設定があるのかさえ疑わしく思っています。
電源車の故障も多く聞かれます。老朽化がもはや限界まできている動かぬ証拠といえます。 |
投稿者 |
旧狩勝線を楽しむ会 |
投稿日 |
2012年 3月18日(日)20時42分38秒 |
タイトル |
ブルーとレイン減りますね... |
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相次ぐブルートレインの廃止に歯止めがかからないようですね。
先日、東京へ行くのに北斗星で行こうと思ってネットにて値段を調べたのですが、第一候補は新幹線でした。
最近あまり鉄道に乗っていないし、古い情報ばかり追い求めているせいで無知でしたが、
スーパーおおぞら2号に乗り、新幹線と併用すると夜6時くらいには東京にいれるという事実がわかってびっくりしました。
これはもう寝台列車の時代ではないような感じもしましたが、寝台列車の選択肢もほしいところですね。
国鉄の分割民営から25年。当初ブルートレインは無くさないといっていましたが、さすがに時代の流れでしょうか。
赤まんと
様
>
プルマン式寝台の歴史に幕が降りました。
ほんとですか?なんということでしょうか。これは大変なことです。
解体だけは避けてほしいところです。
いずれにしてもナロネ21の修復活動に気合がはいります。
ED76109
様
ここ何年かでかなりこのような光景を見ましたね。非常に残念です。
あの場面での汽笛ってかなり悲しくなるような気がします。
私は、横川・軽井沢間の最終日の最終列車を沿線から見送ったのですが、
汽笛でかなり涙ものでした。思い出されます。 |
投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
2012年 3月20日(火)17時23分9秒 |
タイトル |
気が付いたら改正前夜 |
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仕事に振り回されて、二箇月弱の御無沙汰でした。先週金曜、何気なく観ていたTV
ニュースで「鉄仮面」や「日本海」が登場して、そうだ、今日限りだったんだっけと
大ボケ三昧。客車倶楽部の会員、失格ですね。
なお「きたぐに」は、殆ど取り上げられなかった様ですね。また「日本海」廃止後の
定期の運転ブルトレは「北斗星」「あけぼの」のみと報じられ「はまなす」は度外視。
どうも、マスコミは、少数派の急行までは気が回らない様です。
ゴロー様が先週13日の書込みで、倉吉線について言及されましたが、終着駅の山守は
棒線構造の為、混合を含む客レは、関金(旧東伯郡関金町の中心駅)にて折り返して
いたのですね。同様の現象は、片上鉄道の吉ヶ原でも見られた様ですが、貨物取扱を
行っていた当時の柵原駅なら、機回しも可能だった筈ですから、1988年以前であれば、
ホハフ二両による「ブルートレイン」は柵原まで直通していた、という事でしょうか。
▼旧狩勝線を楽しむ会様:
>
当初、ブルートレインは無くさないといっていましたが、
正直の処、私は当時から懐疑的であり、昨今の傾向は、時代の必然と感じます。競合
交通機関と比べた場合、開放式寝台主体の編成や車販が部分的に乗務する供食事情は、
料金体系にも鑑みた時、大きく出遅れた印象が否めませんし、さりとて、老朽化をも
踏まえた寝台車の一新に要する経費を考えた時、既に分割民営化の時点で、採算線を
確保できる程に夜行列車の需要を喚起し得るものだろうか、とも感じていました。
ゆえに、一連の引退劇は、社会的な使命を全うした結果であり、それだけに「長い間、
御疲れ様でした」と襟を正すのです。 |
投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2012年 3月21日(水)23時28分51秒 |
タイトル |
感傷的な「鉄」風景 |
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おばんでございます。「ED76109」であります。
「旧狩勝線を楽しむ会」様
>ここ何年かでかなりこのような光景
「銀河」「出雲」「さくら」そして「はやぶさ・富士」・・・。
「きむたお」様の仰る通りであり、「限界」を超えた「PC」をこれ以上酷使してという感がある一方で、
ブルトレが全滅してしまったら、小生何に「鉄」を見出せばという絶望感も存在しています。
あと何年後かに邂逅するであろう「北斗星・トワイライトEXP・カシオペア」そして「はまなす」の最期まで、
小生出来る限りの「応援」をしてまいります。
>横川・軽井沢間の最終日の最終列車
小生は、「旧狩勝線を楽しむ会」様が訪れた半年前、
「平成9年3月」に「上り最終ECあさま」で「碓氷峠」を下りました。
闇の中では、何も見えませんでしたが、「スプリングが壊れたような」乗り心地を堪能した記憶がございます。
最終日の「ありがとう」のボードを手にしながら、「EF63」に手を振る「ファン」の周囲に自然と人だかりができ、
涙ながらに手を振る「鉄ちゃん」たちの姿は印象に残るところ。
そして、前述しておりますが、最終の「はやぶさ・富士」が「東京」を旅立つ際の「EF66」の
甲高い「フォイスル」が画面を飾った時、小生自然と熱いものが込み上げてきたことが忘れられません。
>汽笛でかなり涙もの
小生の印象に残る風景は、「昭和47年4月の西鹿児島駅のフォーム」での一コマであります。
「指宿温泉」から「西出水の伯母宅」へ戻る際、
「品川行」の「臨時PC急行屋久島51号」の最後尾は中学生らしき集団で溢れていました。
「鉄」親父が見送りの方々に事情を伺うと「岐阜の紡績工場に集団就職する一団」とのこと。
小学生だった小生にしてみれば、「客車レに乗れるのに、何で泣くの」といった能天気なことを言って、
叔父たちを苦笑させたのでした。
やがて、「ED76」の甲高い「ピー」という長い汽笛がフォームに響き渡ると、歓声とも悲鳴ともつかぬ声につつまれて
「PC屋久島」はフォームを離れました。
苦労人であった伯父や「鉄」親父は、「つらいねぇ」としか言わなかったことが今も記憶に残るところです・・・。
長々と失礼致しました。
以上、ドラマ「トワイライトの恋」には正直がっかりしてしまった「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |
投稿者 |
ひがさん |
投稿日 |
2012年 3月26日(月)00時06分40秒 |
タイトル |
拝啓 きたぐに号 |
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今年はさくらが遅れて咲きそうです。
臨時ではさくらと共にお見掛け出来たら幸いです。
厳しいか..
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