倶楽部メモ(695)
平成24年 2月18日〜 2月20日

寝台特急「日本海」・夜行急行「きたぐに」写真館


投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2012年 2月18日(土)20時56分12秒
タイトル 寝台特急「日本海」・夜行急行「きたぐに」写真館新設
いよいよ寝台特急「日本海」と夜行急行「きたぐに」の定期運転終了まで、
一ヶ月をきってしまいました。
当面は、臨時列車としてほぼ現行の運行形態(と思われる)で運転される
ようですが、末永く活躍してもらいたいと思います。

先日皆様にお願いした両列車の画像がある程度の枚数となりましたので、
遅くなりましたが写真館を新設させていただきました。
なお、1往復削減の際に提供いただいた画像も、再掲載させていただいて
おりますのでご了承ください。

また、引き続き画像を募集しております。
最後の一ヶ月間の模様や、過去の写真(特に20系時代の「日本海」や、
客車時代の「きたぐに」)がありましたらご協力いただければ幸いです。



投稿者 スイロハ35
投稿日 2012年 2月19日(日)01時18分59秒
タイトル 寝台特急の思い出
 僕は95年生まれなので、すでに俗世間でいう「衰退期」しか直に関われず、
全盛期は書籍や画像、思い出話等だけで学んできた世代ですが、寝台特急にはいろいろと思い出がございます。
 その中でも最も間近で触れ合う機会のある列車が「日本海」号でした。
 自分は愛知県民で、祖父母も愛知県の東海道線沿いに住んでいたので、
「富士」や「はやぶさ」「さくら」「あさかぜ」などはちょくちょく見ていたのですが、
駅で写真を撮った枚数などや、音声記録を振り返ると、一度乗車経験のある「北斗星」を除けば
「日本海」が最も多く残っています。
「日本海」は大阪に行くと必ず撮影の機会があり、必ず何かしらのトラブルがありました。
 先日16日は4時間遅れで大阪到着でしたので、帰りはギリギリとなってしまったり、
祖父母との大阪旅行を「日本海」のために予定をガラッと変えたこともありました。
 極めつけは、0系新幹線の定期運行最終日に岡山まで行った帰りに大阪駅で撮影をしていると、
「トワイライトエクスプレス」の当時の大阪到着時刻ピッタリに「日本海」が到着するという
奇跡のような出来事がありました。
 今になってみると、「日本海」と自分との間には必ず何かしらのトラブルがあったせいか、
心に鮮明に残っていてとても忘れることが出来ないものとなっています。

 画像は出来れば提供したいのですが、画質や手振れがどれも酷く、
とても提供出来るようなものが一つもございませんでした……
 音声データと回送発車時の動画ですと、今年の2月16日のものがございますがそちらでも大丈夫でしょうか?

 長々と失礼いたしました。



投稿者 クモイ103
投稿日 2012年 2月19日(日)07時42分1秒
タイトル 祝・写真館開設
また新しい写真館が増えてHPが充実しましたね。

私も基本は関東人なので日本海縦貫線の列車はさほど馴染みがあるわけではないのですが、
国鉄〜JR移行期にまたがる短期間は大阪勤めで、何度かお世話になっています。
1988年3月青函トンネル開業の前々日、
翌日からは函館行きとなる青森止まり最後の「日本海1号」で青森を目指したのですが、
それがずっと後になってまた青森打ち切りになるとは思いもよりませんでした。

実は学生時代、14系客車時代の「きたぐに」に1度乗ったことがあるのですが、残念ながら写真はありません。
東京発の「東北ワイド周遊券」でひとしきり回遊した後、新潟で「南近畿ワイド周遊券」を買って「きたぐに」に乗り込み
南紀地区で待つ仲間に合流、その後再び大阪から急行「ちくま」で長野に立ち寄ってから急行「赤倉」で新潟に戻り、
最後は開業からまだ日の浅かった上越新幹線初乗りで帰京するという、今では考えられないような旅行でした。
この時の「きたぐに」は全くの移動手段で、それ自体を記録しようという発想がありませんでした。
それよりも未明の敦賀駅で当時ここだけ?に残るワムフ100がいたのでバルブ撮影した事の方が印象に残っています。
サボだけでも撮っておけばよかったですね。



投稿者 ヒゲ無し雷鳥
投稿日 2012年 2月19日(日)15時11分5秒
タイトル 今は昔の日本海
20系時代の日本海です。
登場時のEF65500番台から米原区のEF58に変更されましたが、特徴あるワイパーカバーは
この写真からは判別がつきません。ゴーマルサン前の大阪駅11番線での一枚です。
2枚目は元ナハフ21ですが狭窓が並ぶ中、1か所無窓化されていることからナハネフ21
と思われます。当時のネガには元ナハフ20と思われる、妻面展望窓が平面ガラス合わせ
の車両の写真もあったことから、当時の日本海には初期20系改造車が多様されていたよう
です。これもゴーマルサン前、朝の大阪駅3番線のヒトコマです。




投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2012年 2月19日(日)21時41分13秒
タイトル 「日本海」画像御礼
皆様、「日本海」「きたぐに」の画像提供・思い出話などを投稿していただきまして
本当にありがとうございます。

私自身、居住経験は福島県と東京都しかないので、どうしても日本海縦貫線の列車は
馴染みがなく、大阪駅と青森駅で「日本海」を1回ずつ見かけた事しかありません。
なので皆様から貴重な画像を提供いただきまして、なんとか写真館開設にこぎつける
事が出来ました。
本当にありがとうございます。



投稿者 スイロフ
投稿日 2012年 2月20日(月)00時30分19秒
タイトル きたぐに...
皆様、こんばんは。
きたぐには2回、日本海は1回しか乗ったことが無いのですが、それでも良く覚えています。
これに限りませんが無くなってしまうのは、しょうがないとは思いますが寂しいですね。
さて、そういえばと思い出して写真を探してみたところ、外見ではありませんが、
583系「きたぐに」の車内(寝台)の写真が出てきました。
こんな写真でもかまわないでしょうか?(撮影日は2002.9.14)




投稿者 スイロフ
投稿日 2012年 2月20日(月)00時35分57秒
タイトル きたぐに車内
すみません、もう一つ出てきました。下と同じく「きたぐに」の車内です。
終点の新潟到着前(あ、下りでした)なので何となく雑然としています(^^;;)。




投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2012年 2月20日(月)21時45分30秒
タイトル 「日本海」の画像
仙コリ様

「日本海」の画像がありましたので貼らせてもらいます。
鉄研の合宿地、下松に向かって友人と「銀河」に乗り米原で下車した時のことです。
友人が「日本海」が来る時間だよと言うので、とりあえず撮った写真です。

昭和48年8月2日 彦根駅 4002レ「日本海」

投稿者のホームページ



投稿者 ED76109
投稿日 2012年 2月20日(月)22時31分26秒
タイトル 明日も8002レはウヤです
 失礼致します。「ED76109」でございます。

 本日の「8001レ」がウヤのため、明日「札幌発トワイライトEXP」はウヤであります。
今年の冬季は、全うに運転されている様子がありません(驚愕)。


さて、「日本海」及び「きたぐに」の終焉が近づきつつあるようで、先達の皆様方の想いも様々なものがおありになると推察いたします。
小生も、東京在の時は疎遠でありましたが、「北の大地」に渡ってからは「日本海」にはよく乗りました。
以前にも記したことがある「戯言」ですが、「きたぐに」と「日本海」の想い出を少々述べさせてください。


 1 「きたぐに」はただ一度だけ、昭和54年の盛夏に「青森・秋田」をチョイ乗りしました。
「青森」にしては蒸し暑い日でしたが、昼下がりのフォームにはほとんど人影がなかったことは強く記憶に残っています。
「ED75」を先頭にブルーの「12系」と「オユ」からなる「大阪行」は、閑古鳥が鳴いていましたね。
まさしく「都市間連絡のローカル急行」でしたが、「秋田到着」の案内放送をした「カレチ氏」が一言、
「秋田でお降りのお客様は、列車到着前にデッキへお願いいたします。秋田から多くのお客様がご乗車になります。まもなく・・・。」
さて、小生の目に飛び込んできたのは、大きなバッグを抱えた人達で溢れるばかりのフォームでありました。
フォームから「きたぐに」を眺めると、小生が座っていたボックスは、全く知らない「秋田」からの乗客で埋まっており、
忙しそうに「カレチ氏」が車内を掻き分けていた姿が印象的でした。


 2 「日本海」は「修学旅行の引率」では、一度だけ利用したことがございます(乗り鉄では何度乗ったでしょうか)。
平成2年11月の引率は、「函館・京都」の長丁場。
生徒たちに「22時を過ぎたら絶対に騒がないこと」と、念を押していたのですが、
やはりやんちゃ君が寝飽きてしまい、起き出したようでした。
すると、「富山」で「大阪車掌区のカレチ氏」が小生らの教員に声をかけたのですが・・・。
「とにかく来てください。チーフと生徒さんがもめてまっせ。早よ、来てぇなぁ!」との声にあわてて隣の号車に急行。
すると、「あんたなぁ、安い運賃で乗せてるんやから、文句があるなら降ろしたるわ!何言うんや、このアホ!!」
とのチーフ氏の厳しい言葉。
さすがの生徒も「関西弁」でまくし立てられて、声も出ない様子。小生が仲に入り、ひたすら謝って何とか収めました・・・。
翌日、小生、生徒と2人で車掌室を訪ねて、謝罪を重ねました。
しかし、「まぁ、素直にあやまったんは感心やな。これ土産や、持ってき。」の一言と差し出されたのは、1枚の「オレンジカード」。
「これで、『大阪』に『自由見学』に行き。絶対に阪急に乗ったらあかんよ。」とにやり。
お礼を述べながら、カレチ氏と懇談した想い出は、何か「渥美清」さんの「喜劇急行列車」のワンシーンのようでした。


 3 今年の「日本海」は、天の悪戯か、ウヤとなる日が多いですね。
小生も「1時間57分の遅延」で到着し、「バッチリですわ」としたり顔だった「カレチ氏」に「大阪のフォーム」で地団太を踏んだり、
「2時間30分の遅延」で「青森」に着いた結果、「遠軽」に「2泊3日」で到着する羽目になったりと、様々な想い出がございます。
長距離を走る列車ですから、何かあれば遅れが拡大することは至極当然のこと。
確かに「奥羽本線の踏切事故」が「翌日のトカホセの新快速」に影響することが理不尽であることは、十分に理解しています。
しかし、・・・。
とにかく、最期の日まで、多くの先達の皆様方が夜汽車の旅を堪能され、残る夜汽車にぜひとも目を向けていただければと、
「はやぶさ・富士」の時と同じことを考えています。


 長々と失礼いたしました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



 
「客車倶楽部」へ  
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから