倶楽部メモ(644)
平成23年 2月17日〜 2月25日

「国鉄鋼製客車I」の図面間違い ・ 象列車


投稿者 きむたお
投稿日 2011年 2月17日(木)21時02分54秒
タイトル 「国鉄鋼製客車I」の図面間違い?
こんばんは。

酷寒の上海の休日を有意義に過ごすため(要は寒いので外に出たくないだけ:笑)
春節休暇の際に表題の書籍など数冊(RMライブラリーのマニ35・36・37とか)と
プラ板、サンドペーパーなどを持ち込みました。

今、さっそく電卓片手に模型図面を起こしております。
ところで、スロ50、スロ51の作図をしていると、あれ、あれ、まったく同じ窓配置。
なんと、スロ50の形式図とあるところにスロ51の形式図が・・・orz

これって、II巻とかに指摘されてましたっけ??(IIは今回、持ってきていないので確認できません・・・)

*すぐに他の書籍に手を出せないもどかしい海外生活・・・。
富山に帰れば昭和41年版の客車・貨車ガイドブックで確認できるのに・・・。



投稿者 クモイ103
投稿日 2011年 2月17日(木)21時43分15秒
タイトル Re: 「国鉄鋼製客車I」の図面間違い?
きむたお様

確かによく見ればご指摘の通り、スロ50のページにある図面はスロ51のものですね。
II巻の正誤表にもこの件は載っていませんでした。

岡田さんに言っておきます…



投稿者 きむたお
投稿日 2011年 2月17日(木)22時36分33秒
タイトル Re: Re: 「国鉄鋼製客車I」の図面間違い?
▼ クモイ103様

早速のご確認、ありがとうございます。

当方、地元の「日本海」の昔の編成を再現しようと形式を物色していてスロ50の間違いにたまたま気づくことができました。

もう一点、些細なことといえるのですが、マニ74のページで本文に「マニ74 56のみがTR11で他はTR23を使用」とあるのに、
写真のマニ74 1がTR11系の台車を履いているのも気になるところです。
さらに気になるといえばそのマニ74の右の奥に見える淡い色の車両。
TR73を履いているようなので青大将色のマイテ49あたりかな、とも思ったのですが、
窓配置と台車の位置からそうでも無さそうで、何より窓の下に帯のようなものが認められるのが気になります。
(はじめはシルの影かとも思いましたが、光線状態からそうでも無さそうで・・・)



投稿者 ED76109
投稿日 2011年 2月17日(木)23時14分32秒
タイトル 「エンパイア・ビルダー」は健在のようです
 おばんでございます。豪雪が収まりホッとしている「ED76109」であります。

 マロネロ38様

 関係サイト等を精査致しました内容を記させて頂きます。

 「エンパイア・ビルダー」は、「グレート・ノーザン鉄道」が
「シカゴ・バーリントン・クインシー鉄道(Chicago, Burlington and Quincy Railroad、略称CBQ)」
及び「スポケーン・ポートランド・アンド・シアトル鉄道(Spokane, Portland, and Seattle Railway、略称SP&S)」と提携し、
「イリノイ州シカゴ・ワシントン州シアトル・オレゴン州ポートランド」に1929年から1970年まで運行した
「米大陸横断の代表的な長距離列車」であります。
1971年の「全米鉄道旅客輸送公社・アムトラック(National Railroad Passenger Corporation)」発足までは、
「バーリントン・ノーザン鉄道(Burlington Northern Railroad)」により、運行されておりました。
編成は、1947年に「重鋼製車両から流線型化」されており、
「エンパイア・ビルダー」に用いられた深緑とオレンジの塗色は「日本の湘南電車の塗り分けの原型」とも言われております。
「ノーザン・パシフィック鉄道(Northern Pacific Railway)のノースコーストリミテッド(North Coast Limited)」
及び「ミルウォーキー鉄道(Chicago, Milwaukee, St. Paul and Pacific Railroad、略称CMSP&P RR)」の
「オリンピアン・ハイアワサ(Olympian Hiawatha)」と競争関係にありましたが、
1971年の「アムトラック」の発足により、同社が運行を継承。現在は、毎日運行されております。

 同じ鉄道であっても、ヨーロッパは「ワゴン・リー」社に代表されるような「個室寝台」が
長距離列車のスタンダードでありましたが、一方アメリカでは「リクライニングシート」による
「オープン形」の座席車も数多く採用されていることが、特徴的であります。

 長々と失礼致しました。以上、久しぶりの横文字に苦労した「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2011年 2月18日(金)14時14分2秒
タイトル GN,P.N.etc.,
ED76109先生:
ご教示有難う御座います。
Seattleで見たEmpire Builderは混色でしたが、BNは呑気なもので合併前の各社
塗り分を使っていましたし、私が乗車したPortland→Seattleの196レもNorthern
Pacificと書いてあって、赤丸にバッファローのマーク、塗り訳も窓下薄い草色、細い
白線の上が緑でした。GNの車両はオレンジ色で窓下に茶色の太い帯。1970年ですから
Burlington Northern RR.時代です。(東京にも事務所がありました)
196レのセルフサービス食堂車も$/\360-時代に$2-も出せば十分夕食を済ませ
られました。



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2011年 2月21日(月)13時11分7秒
タイトル トホホ的ペナン島行き
 おひさです。タイ南部に住むコテコテ日本人です。

 ちょっと所用でマレーシアのペナン島へ行ってきました。
マレー鉄道には乗れませんでしたが、いくつか鉄道に関連した写真を撮りました。

 タイとマレーの国境からバスで2時間南下すると、
マレー半島西側にバターワースと言う小規模ながら臨海工業都市とでも言うべき街があります。
マレーシア首都のクアラルンプルは、さらに南です。
 ペナン島はバターワースの近く、数キロの長さのある大橋で結ばれていますが、
昔ながらのフェリーもまだ運航されています。こんな日本語サイトが参考になるかもしれません。

いやしのペナン生活
http://www.geocities.jp/penang_healing_life/index.html


 ペナン島にはマレー鉄道は入っていませんが、切符売り場ははあるんです。駅の出張所みたいなもんかな。

 1枚目、2枚目の画像がそうですが、マレー鉄道/KTMのロゴが目立ちます。マレー鉄道のサイトはこちら。
http://www.ktmb.com.my/

 3枚目の画像はおまけで、ペナン島の切符売り場を過ぎてからフェリー乗り場へと歩く途中で、
バスターミナルを振り返ったとこです。ピカピカの綺麗な車で、東南アジアにしては進んでいると思います。




投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2011年 2月22日(火)09時38分50秒
タイトル バターワース行きのフェリーから
 今回マレーシアのペナン島で用事を済ますと、旅費も余裕が少ないのでありました、トホホ。
おまけに、タイに戻るにも汽車は本数が少なく時間帯も悪く、残念ながらバスにせざるを得ませんでした。
つーこって汽車には乗れなかったのですが、駆け足でバターワース駅まで行くことは出来ました。

1枚目、フェリーから別のフェリーを。こんな感じで複数の同じようなフェリーがピストン運送です。
1階部分が車、バイク、2階部分が原則歩行者で、自分は2階です。



2枚目、バターワース側でフェリーを降りると、直ぐに高架歩道から線路が見えます。電化されていません。



3枚目、歩道はすぐに突き当り、T字路です。ここには案内板はありませんでした。
向かって左がバスターミナルである事は、見て分かります。
ちょっと分かり難いのですが、右側が駅。暫らく右に進むと、駅であることを示す3枚目の板があります。




投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2011年 2月23日(水)07時07分53秒
タイトル 駅到着
 いやーー、実に閑散としています。本当に人がいないんだもん。

1枚目、静かで不気味な切符売り場。



2枚目、その先の駅名表示。日本式の改札は無く、そのまま中には入れます。



3枚目、貨物列車




投稿者 ED76109
投稿日 2011年 2月24日(木)23時33分12秒
タイトル 「象列車」で名古屋へ行こう
 再び、失礼申し上げます。「ED76109」であります。

 世間では、「ニュージーランド大地震」や「北アフリカ革命」が連日新聞等を飾っておりますが、
小生は「中国からのパンダ」が「上野動物園」へレンタルされたニュースが気になりました。
そこでという訳ではないのですが、「動物と鉄」に係る「象列車の戯言」を少々述べさせていただきます。

 1 昭和24年5月、東京の台東区の小学生たちが「子ども議会」で、当時名古屋の「東山動物園」に生存していた
  2頭の象「エルド」・「マカニー」を東京に貸してもらえないかという請願を行いました。
  と申しますのは、戦中、国内で象を延命させていたのは、「東山動物園」のみだったからであります。
  しかし、2頭の象はいずれも高齢化しており、「東京」へ送る事が不可能であるという判断がなされ、
  逆に子どもたちを「東山動物園」へ送る代替案が出され、「象列車」運転の運びとなったのでありました。
  しかし、当時の「国鉄」は、「連合軍民間運輸局(CTS)」の管理におかれており、
  臨時列車の運転も自由な状況ではありませんでした。
  そのため何度も請願を繰り返し、ようやくそれが認められて「象列車」が設定される事になったのであります。

 2 同年6月25日、ついに「象列車」は運転の運びとなりました。列車名は「エレファント号」。
  当初は「10両」編成で計画されたのですが、希望者が多く「14両」編成に変更されました。
  ダイヤは、下りが「東京21:50→名古屋7:47」、上りが「名古屋15:00頃(?)→上野22:01」。
  前述されましたように、「復員列車」や「連合軍専用列車」がすでに運転されていたことから、
  「東京・上野」は苦もなくダイヤ設定がなされたようであります。
  また、当時の客車事情を勘案すれば、「PC」はおそらく全国の「客車区」からの寄せ集めであり、
  運転後の回送の利便性をあげるために「東ヲク」への引き上げを考慮して、
  「上野」まで運転されたという説もございます。

 3、「象列車」の編成や時刻に関する公式記録は残っていないとされておりますが、
  当該列車には「エレファント号」という「ヘッドマーク及びバックサイン」が取り付けられていたようであります。
  同25年に運転が開始された「PCつばめ」の「C62(浜松・大阪)」に設置されたものが初めてである
  という定説との関連が不明確ではありますが、
  「連合軍」の中心的役割を果たしていた「アメリカの鉄道」は「バックサイン」が、
  「イギリス、フランス」といった「ヨーロッパの鉄道」は「ヘッドマーク」を好んでいたようであり、
  信憑性は認められるようです。
  また、「太平洋戦争」を子どもたちにも語り継ごうとする動きから、
  「象列車」の運転された41年後の「平成2年8月26日」に、「品川7:25→名古屋13:40」のダイヤで
  「第2回象列車」が運転されております。ちなみに編成は「EF65」が牽引する「14系PC」でありました。

 ※「昭和を走った列車物語 鉄道史を彩る十五の名場面(JTB刊)」

 長々と失礼致しました。以上、「やさぐれぱんだ」がご贔屓の「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2011年 2月25日(金)10時22分29秒
タイトル 象列車は金沢からも?
ED76109先生:
象列車の事は当時の新聞等で知っていますが、当時金沢の中学生だった人から「金沢
から象列車で名古屋の東山動物園へ見に行った」と聞いています。
彼の学校だけだったのか複数学校の貸切だったのか?それとも522レか524レに
貸切車両を増結したのか?その辺が確かでありませんが。(彼は金沢大学の
付属中だった)



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2011年 2月25日(金)10時57分45秒
タイトル 蒸気機関車
 もう動かないのですが、展示がありました。プレートには[564.25]とあります。

 こちらのサイトによると、North British社製とのこと。
http://searail.mymalaya.com/Classes/O.htm




投稿者 雑魚
投稿日 2011年 2月25日(金)11時39分5秒
タイトル パンダ号
▼ED76 109様:
>「中国からのパンダ」が「上野動物園」へレンタルされたニュース

1972年の日中国交正常化を契機に上野動物園に御目見えした「康康」「蘭蘭」を巡る
一大ブームが懐かしいですね。その後、同動物園の象徴的存在となったパンダに肖り、
関東鉄道鉾田線改め鹿島鉄道で、確か1980年代まで運転された、12系による遠足用の
集約臨が「パンダ号」を名乗っていました。当時は、筑波鉄道でも12系の直通運転が
行われており(土浦では、頭端式の筑波線ホームへの転線に手間取った様子)隔世の
感も一入の「古き佳き時代」と云った処ですね。

勤務先の取引先が、今春から「レア・アース」払底の影響を多少被る事になりました。
経済の伸張と共に、政治的主張も顕在化した感が強い中国ですが、パンダ風に申せば、
今後の対日関係は「喧喧」「囂囂」でなく「侃侃」「諤諤」であって欲しいものです。

※先日、出張序でに尾久駅を覗きましたが、寝台客車の留置は益々減っておりました。



投稿者 きむたお
投稿日 2011年 2月25日(金)22時43分26秒
タイトル 来週は客車で出張
皆様こんばんは。

上海市内は昨日の18℃くらいの暖かさとうって変わって寒い風が吹いています。

日本に行った熊猫(←パンダのことです)が話題になっておりますが、
当社の事務所に今月の異動でやってきた方はその風貌から「パンダ」と呼ばれており、
日本から中国にパンダがやってきたと話題になっております(笑

さて、来週は出張で再び客車列車に乗れることになりました!
乗車する列車ですが、4本のうち3本は座席が取れずに寝台車(臥車)になってしまいました(^^;)
20時間以上走る列車に2時間および30分程度の区間乗車に関わらず寝台です。
それでも、乗車時間1時間未満の上海−南京の高速鉄道の1/3くらいの価格ですから安いもの。

写真はその切符。1枚は指定が取れず、「無座」の号車指定になっています。
*一応、狙われないように(誰に?)指定部分は加工させていただきました(^^;)

出張から帰りましたら、また報告いたします。




 
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