Uzu 様
>
やはり明確に定員数は決められていたのでしょうか。
一概に言えない要素としては、もしも初めから定員の異なる形式を共通使用する前提で運用を組んであれば、
それに対応した座席数が設定されていたと思われます。
例えば、未確認情報ですが急行「きたぐに」ではスロ54とスロ62が共通運用されたとの話もあります。
そういう場合はおそらくスロ54の両数が足りず、初めから定員の少ないスロ62も使用する前提だったことでしょう。
指定席の発売数は少ない方に合わせていた可能性があります。
しかし当時の品川区の配置を調べてみるとスロ54が6両あり、使用両数は「瀬戸」2往復に各1両の計4両ですから、
差し引き2両の予備車で十分な余裕があります。他形式の応援を頼む状況ではなかったでしょう。ですから、
>
定員の差違は調整席数の増減で対応
というのは、この場合考えにくいことです。
いつ起きるかわからない代走のために初めから定員を4名も減らしておくという勿体ないことを、
国鉄がやったとは思えません。
【参考】昭和46年3月31日現在 品川区一般型グリーン車配置
オロ11
30,31,32(3両)
スロ54 2021,26,2040,2043,2045,2046(6両)
スロ62
2002,2003,2004,2044,2110(5両)
スロフ62
2004,2005,2006,2007,2010,2011,2030,2031(8両)
(今日鉄博へ行って調べてきました(^^;)
「阿蘇」についても、「天草」と共通運用で4組使用に対し、名ナコには7両のスロ54がいましたから、
同様の状況だったのではないでしょうか(たしか名ナコのスロ54の定期運用は他に無かったと思いますが…)。 |