倶楽部メモ(621)
平成22年 8月29日〜 9月 3日

JR九州様の動向 ・ 伊豆急の「スコールカー」サシ191


投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2010年 8月29日(日)22時14分33秒
タイトル JR九州様の動向
 管理人様・皆様
 大変ご無沙汰しております。
 愚生の勤務上都合の、長期出張にて、長らく失礼致しました。

 さて本日、博多・竹下運転区祭りでJR九州・運転区職員様より
今後のJR九州様の情報をいただきました。
1.九州新幹線開通後、787系(リレーつばめ)は鹿児島運転区
  に転出。485系を全廃し787系を充当。
2.九州新幹線で利便性の悪い、鹿児島本線・大牟田・玉名・植木
  の利用者を考慮し、博多〜熊本(光の森)間に「特急有明」を
  現行リレーつばめダイヤに充当。
3.添付写真の大分運転区ED76は今年度中に全車廃車。
  (JR九州所属は大分に2両のみ)
4.添付写真のブルートレイン客車は6両のみ保管し、イベント用に
  長期に使用予定なるも、牽引機関車はJR九州所有のDE10X
  10両を、重連総括で客車を牽引させるとのことです。
5.機関車・気動車の燃費についてもご教示いただけました。
  DD51=0.80km・1リッター
  DE10=0.95km・ 同
  キハ40=1.20km・ 同
  キハ58=1.00km・ 同
 電化区間のディーゼル運転は、かなりの経費ロスであることが理解
 できました。
 添付DE10は「SL人吉」の8620型故障時の救援用です。
 失礼致します。




投稿者 R236
投稿日 2010年 8月29日(日)22時40分7秒
タイトル はじめまして
いきなり質問ですが SL人吉の客車の車両は元筑豊の50系なんですか?



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 8月30日(月)05時57分52秒
タイトル 古い「鉄道ジャーナル」の記述なのですが・・・
 おはようございます。「ED76109」でございます。

 マロネロ38様及びクモイ103様

 色々と混乱を来たしているようで恐縮であります。
ご指摘の記述は、「鉄道ジャーナル(昭和48年4月号) 食堂車ものがたり (かわぐちつとむ氏)」からの引用であります。
この記事には、食堂車開業当初の「献立表」やら、
大正時代から当時(昭和48年1月1日現在)食堂車が連結されていた列車一覧やら等が掲載されておりますが・・・。
お二人の発言をもとに「鉄勉強」させていただければ幸いであります。

 以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 8月30日(月)10時50分31秒
タイトル スシ3757
TR73系台車のW屋根最終番号ですが、確か昭和26-27年頃の春に米原で1レ「つばめ」に組
み込まれていて、展望車以外にW屋根を不思議に想いました。「つばめ」は大ミハソ(当時)
だったのに所属が「鹿カコ」。明らかに「霧島」用を召し上げたのだと想いましたが、後日
カシ36の発電機不調でマシ35に改造の時機だった事を,高砂工場に勤めていた人から
聴きました。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 8月30日(月)18時01分10秒
タイトル D51 498
先日言及した「碓氷峠鉄道文化村」探訪序でに「SLみなかみ」上り便を、御約束の
渋川前後(20分余の停車あり)で狙いました。かなり面構えが変わっており、最初は、
車両が交替したかと勘違いした程でした。今年になって、中央線での運用対策として、
除煙版を変えた結果だそうで「門鉄デフ」の亜種として「後藤工式変形デフ」と云う
系統呼称もあるそうです。

画像は上段が二年前、中・下段が今回の撮影です。ほんの少し形状が変わっただけで
全体の雰囲気が大きく異なります。私は従前のスタイルを好みますが、さて皆様は?




投稿者 ED76109
投稿日 2010年 8月31日(火)22時32分53秒
タイトル 伊豆急の「スコールカー」サシ191
 おばんでございます。「ED76109」であります。

 前述致しました「昭和48年4月号」の「鉄道ジャーナル」には、様々な「食堂車」が紹介されております
(前回は失礼申し上げました)。
そこで今回は、表題の件に係る記述がございましたので、ご紹介させていただきます。

 昭和37年、当時「サントリービール」は販売拡大のための市場開拓作戦の一環として、
「伊豆急行電鉄」に「海岸線を走るハワイアンブルーのビアホール」というコンセプトを提案したのであります。
そこで「伊豆急行」に登場する「ビアホール車」を、内装を「サントリー」が担当し、
「20系」及び「近鉄ビスタカー」等を参考にして実にユニークな車両が走り始めました。
同38年4月に登場した「スコールカー サシ191」が、正しくそれであります。
アイボリーとベージュを基調とした室内は、「伊東」寄りの3分の1が「カウンターと調理室」。
客席が47席設けられ、中間には「バンドズペース」が設置されたという豪華さ。
さらに、当時の国鉄の食堂車の構造とは一部異なり、調理室側には窓がないという独特な雰囲気であったのことであります。
しかし、「スコールカー」が最盛期を迎える夏季に座席数が不足すること
・「熱海・伊豆急下田」が1時間程度であり、中途半端な状況がいがめないこと
・国鉄線内には乗り入れての営業が法規上認められなかったことの3点が致命的となり、
同47年に廃止されたとのことであります。
小生、当時は小学4年生であり、さすがにこの話は知るよしもなし。
相模灘を眺めながらの「動くビアホール」。
35年以上も前のユニークな食堂車のお話でありました(今回も客レの話でなくて申し訳ございません)。

 長々と失礼致しました。以上、ほぼ「終戦」を迎えた「道民球団応援団」の「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 仙コリ
投稿日 2010年 8月31日(火)23時28分36秒
タイトル SL人吉の客車は
R236様
SL人吉の客車は、元「SLあそBOY」用の客車がリニューアルされたものです。
これらの客車は「SLあそBOY」用として1988年(昭和63年)に改造された車両で、
元々(改造前)は門司港客貨車区(門モコ)に配置された一般型の50系客車でしたので、
初期に筑豊本線を走っていたとは思いますが、晩年の「元筑豊の50系」ではありません。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 9月 1日(水)15時43分29秒
タイトル 九州事情
▼ユーラシア鉄道様:

九州情報、興味深く拝見しました。新幹線全通後、大牟田界隈は西鉄特急の独壇場と
勘ぐっていましたが、荒尾・玉名・植木での特急需要も、依然、少なくないのですね。
それ以前に、西鉄のターミナルは博多でなく天神ですから、その点で、JRとは元々
棲み分けが徹底しているのかも知れません。

787系の玉突き配転で、485系もいよいよ全廃との事。折しも、国鉄急行色を復元した
キハ58+65系が運転終了らしく、ED76の件も含め、国鉄型も風前の灯との印象です。

> 機関車・気動車の燃費についてもご教示いただけました。

集約性に乏しい自家用車と比べれば車重が格段にあるので、当然といえば当然ですが、
想像以上に燃費効率は小さいのですね。成程、確かに電化区間のディーゼル運転には、
確かにあれこれ考えてしまいますが、イベント用に六両残すという14系寝台車編成に
限っては、そうも言っていられませんね。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 9月 1日(水)18時05分18秒
タイトル スコール・カー
▼ED76 109様:

何とも懐かしい響きですね。昭和37年といえば、サントリーのCM「トリスを飲んで
ハワイに行こう」が一世を風靡した頃ですね。同社の「ハイボール」が、リバイバル・
ヒットを飛ばす中、先日、流通業界の知人に誘われて覗いた食品展示会では、幼少時
親しんだ、柳原良平さんが描いた「トリスおじさん」も、大々的に掲出され、感慨を
覚えましたが、貿易為替自由化に伴う渡航制限解除は、もう少し後の事でしたよね?

> 国鉄線内には乗り入れての営業が法規上認められなかったこと

国鉄と伊豆急の結節点が、伊東でなく熱海であれば、もう少し実効的な運用が可能と
思われます。そもそも、他の路線が全く接続せず、事実上一体化された一大盲腸線の
途中駅が結節点となっている事自体、少々無理があるとも感じます。伊豆急の親会社・
東急の事実上の創業者が、旧鉄道省の官僚出身で、鉄道経営では高く評価されており、
その辺、一考の余地が無かったか、とも思えますが、丁度、伊東〜下田の路線免許が
下りた直後に逝去されたのですね。

かかる詮索以前に、伊東前後における開通時期、延いては生活路線としての定着度の
差異を考えれば、それもまた止む無しでしょうか。

この「スコール」とは XD1様が、しばしば経験されているであろう土砂降りの如く
痛飲する事かと思えば(^^)北欧方面で「乾杯」を意味する語だそうですね。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 9月 2日(木)00時14分8秒
タイトル カラオケカーもありました
 記録的な猛暑で「故郷の初秋」を思い出した「ED76109」でございます。

 雑魚様
 >国鉄と伊豆急の結節点が、伊東でなく熱海であれば

 以前、「鉄道ファン」(?)で「国鉄の運転士」氏が、
「伊豆急行の100系は73系と同じようなブレーキの癖を持っている」
といった談話が掲載されたことが記憶に残っております。
以前、記させていただいたように、小生一家は「房総」への海水浴が定番でしたが、
昭和49年の夏に「親戚」も交えて「伊豆稲取」へ出かけたことがございます。
「伊東」で「EC伊豆」の乗務員が「国鉄→伊豆急行」に交代しましたが、
叔母が「自衛隊みたいな制服だねぇ。」と呟いたことが印象的でした。
小生のイメージでは、昭和40年代の「相鉄の制服」がそのようなイメージだったように思うのですが・・・。

 >北欧方面で「乾杯」を意味する

 当地の「青函隧道」を走っていた「PC快速海峡」に、一時期「カラオケカー」が連結されておりました。
実際に「利用したこと」はありませんでしたが、職場の「鉄」仲間たちと
「函館の人」やら「津軽海峡冬景色」やらを熱唱して、「津軽海峡」を一度は越えたかったものであります。

 本当に「戯言」を並べてしまって失礼致しました。
以上、今年度の「関西・首都圏への修学旅行引率メンバー」に命課されてしまった「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 9月 3日(金)10時57分53秒
タイトル 伊豆急行
開業して間もない頃乗りに行きました。100系でしたが、国鉄153系より座席など良い
と思いました。伊東を出てすぐに急勾配のトンネルを上って−−−−熱川で線路脇から
温泉が別府の地獄みたいにブクブク沸いているのを見て「一度温泉行きたいな」で果たさず
(女房が行って良かったとの事)、下田は変哲も無いので駅前食堂で割高?な昼食をして、
伊豆高原の車庫で撮影(サロハ?が居た)後上京でした。



 
「客車倶楽部」へ  
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから