おばんでございます。
ようやく暖かさから汗ばむ陽気となって参りました「北の大地」在である「ED76109」でございます。
「クモイ103」様の後追いのようで恐縮でありますが、「青大将」が「こだま」に化けて(!)50周年であります。
小生は、「こだま」に「6ヶ月」で乗車したようでありますが、全く記憶の欠片すらありません。
(さすがに、「鉄」赤ん坊ではなかったようで・・・)
しかし、様々なエビソードがあったようでありますので、少々「戯言」させていただきます。
1 「つばめ」と「はと」が揃って「トカホセ」に登場したのは、昭和25年の5月であります。
「へいわ」が「つぱめ」に改称されたのが、同年元旦のこと。
そして、「つぱめ」の人気に応えて「はと」の運転が開始され、
「つばめ」が「東京(大阪)9:00→大阪(東京)18:00」、
「はと」が「東京(大阪)12:30→大阪(東京)21:30」という「9時間運転」。
「特急は9時と12時半発」というパターンが長年親しまれていたのは先達の皆様には「釈迦に説法」でありましょう。
この時「つばめ」と「はと」の列車番号は言うまでもなく、「1・2レ(つばめ)」と「3・4レ(はと)」であり、
「つぱめ」は「大ミハソ」所属・「大阪車掌区」担当、
そして「はと」は「東シナ」所属・「東京車掌区」担当でありました。
2 「つぱめ」と「はと」は、女性に縁がある特別急行列車でありました。
と申しますのは、同25年の6月1日から「つばめガール」及び「はとガール」が乗務を開始して、
「イ」及び「ロ」の接客に当たりました。
当時の流行作家であった「獅子文六」氏は、「東京12:30」発の「ちどり」なる架空特急に乗務する
「ちどりガール」と「シのウェイトレス」を主人公にした「7時間半」という小説を発表しているおり、
彼女たちの存在が世間の注目を集めたことは周知の事実であります。
当然彼女たちは「国鉄職員」であり、「接客乗務員」として女性が登場したのは、国鉄では最初のことでありました。
また、「名古屋電化」が完成するまでの間、「浜松」では「ハーモニカ娘」が
「EF58←→C62」のための「5分停車」を利用した「ハーモニカ」販売をフォームで実施。
また、その時間を利用して「ラジオ体操」の音楽を流して、
乗客が体操で長旅の疲れをほぐしたという「逸話」もございました。
3 同35年6月1日から登場したのは「ECこだま」であり、当時としては常識破りの車内設備が整備されました。
それは、当時「日本一の豪華車両」と称された「パーラーカー」。
「イテ」の展望デッキの代わりに取り付けられたのは、「一枚あたり天地1m、左右2mという大きな側窓」であります。
車内は「4人用コンパートメント」が前方に、後方は14人乗りのオープンスペース。
当然、紅茶とクッキーのサービス付き。
そして、各座席に「電話専用ジャック」が取り付けられており、自席や自室で通話ができたのでありました。
しかし、料金は当然高く、当時の料金等は「東京・大阪」で「一等乗車券2,360円、一等特急券1,920円、
そして特別座席料金1, 800円」の「合計6,080円」。
当時の「東京・大磯の二等通勤定期券(3ヶ月)が6,060円(現在は「3ヶ月のG定期」が「208,100円」!!)
ということで、まさしく、庶民には縁遠い「特別列車」だったのが理解できるものであります。
資料 「鉄道史を彩る15の名場面 昭和を走った列車物語(平成13年・JTB刊)」
「赤い腕章 国鉄車掌物語(昭和52年・鉄道図書刊行会刊)」
長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |