倶楽部メモ(587)
平成22年 3月19日〜 3月25日



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 3月19日(金)16時44分15秒
タイトル 武豊線の謎
2015年春を目処に、武豊線を電化するとの旨、昨日、JR東海より発表がありました。
早期より複線電化された、名鉄河和線の後塵を拝しがちな印象でしたが、それ以上に、
中京圏では孤立した非電化区間ゆえに、車両運用や運転士の配置が隘路になると云う、
山陽線の和田岬支線に通じる、管理上の事情も少なからず作用した様です。

電化後は、現行の気動車は高山線に転出するとの事ですが、私が武豊線を乗り潰した
1988年夏、その高山線で「のりくら」運用に就く急行編成(G車は開放扱い)同士が、
朝のラッシュ時に半田駅で交換したのは、今、思い出しても壮観でした。

現在は専ら、中京圏の都市近郊輸送の性格が強い様に見受けますが、東浦と東成岩で
衣浦臨海鉄道が接続する関係上、専用形式(と云っても、構造はDE10形と同じ)の
DLによる貨物便が一日数本、設定されており、これは電化後も残るかと思われます。

武豊線は元々、中山道沿いを辿る予定だった東京〜大阪の路線建設の為の資材運搬を
担う目的で建設され、当時の武豊駅は、現行駅より約 1km南下した里中地区に位置し、
後に「武豊港」と改称されている事から、船舶貨物を直接受け取る臨港駅仕様だった
可能性を感じます。

武豊〜武豊港は1965年に廃止されましたが、途中、日本油脂衣浦工場の脇で分岐した
同社の電化専用線は、1986年まで存続しました。凸型電機が活躍した様で、あるいは
従業員輸送用に、客車を牽く編成があったかも、と期待すれば、こちらは単行電車が
別途、設定されていた様です。下記リンク先を拝見すると、廃線跡は「健在」らしく、
また「グーグル」空撮映像でも、経路が容易に特定出来るほか、田圃が広がる大門田
地区では、架線柱すら視認できます。

http://soleil1969.dip.jp/ruinstop/ruinstop.html「日本油脂工場引込線」を参照

この専用線は、日本油脂 衣浦・武豊 両工場の連絡が第一義だった様に思われますが、
その一方、貨物便が武豊駅に直通していた様で、そうなると、電化区間も武豊駅まで
及んだのか、そして、武豊〜武豊港の内、衣浦工場脇以北は1986年まで存続したのか、
色々と謎が残ります。

上記、衣浦臨海鉄道の内、東浦から分岐する碧南線は、衣浦湾を渡った後、数百mの
間隔を置いて、名鉄三河線と暫く並行しますが、武豊線と併せてこちらも電化した上、
旅客化すれば、名古屋への直通性・速達性という意味から、案外、名鉄以上に人気を
博するのでは、と、あれこれ妄想するのでした。



投稿者 Uzu
投稿日 2010年 3月21日(日)18時16分2秒
タイトル 24系の洗面所窓、非常口について
いつもこの掲示板上のレベルの高い投稿に勉強させていただいております。

また久々に皆様のお力を借りさせてください。

今回はブルトレの洗面所窓と非常口の件なのですが、
鹿児島、熊本に所属し「はやぶさ」「富士」「なは」に使用された24系は
いつ頃より洗面所窓や通路側の非常口が埋められたのでしょうか?

洗面所窓に関しては最後まで埋められなかった車両も存在しますが…

また、非常口はなぜ埋められてしまったのでしょうか?

よろしくお願いいたします。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 3月21日(日)19時40分50秒
タイトル 縁がほとんどなかった一等車
「道民球団」の連敗で、元気がない「ED76109」でございます。

 マロネロ38様
 >スロ52の後ろの広窓はオロ40です

  小生、「鉄」親父」の話で「ロ」に乗ることすら「覚束なかった」と聞かされており、
 ほとんど縁のない「二等車」のお話は興味があります。
 数少ない経験としては、昭和47年の春に乗車した「桜島のロザ」であり、「オロ10」だった記憶が・・・。
 この「オロ10」は座席のテーブルが「窓側の座席用」のものしかなく、
 「鉄」親父の指摘に「東京車掌区」のカレチさんが
 「『はと』のお古なので、申し訳ありません。」と謝られていたことを覚えております。
 しかし、「若い時に乗れなかった敵を取れたから、気にしませんよ。」と、
 「鉄」親父は「集金旅行の旧客鈍行」の想い出を笑顔で話しておりました・・・。

 長々と失礼致しました。
以上、「テレ朝」の「Directors TV」を見ながら、「XD1 at Phuket」様が羨ましい限りの
「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 3月21日(日)20時00分13秒
タイトル 「北斗星」等多少の遅れ?
 連投失礼致します。「ED76109」であります。

 本日、当地の「強風」により、道央(函館・千歳・札沼線)のダイヤが混乱しましたが、
「トワイライトEXP」・「北斗星」等の「ブルトレ」は定時運転との情報がございます。
内地に入ってから、さらに遅延するか否かまでは確認できませんが、明日の撮影等のご参考までに。

 以上、「戯言情報」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 3月22日(月)10時45分53秒
タイトル RF誌 最新号より
▼ED76 109様:
>「北斗星」等の「ブルトレ」は定時運転との情報がございます。

田端のEF81運用情報を見ると、先日の改正で「北斗星」運用デビューかと思われた
EF510 登場はもう少し先の様ですね。赤色機牽引の内に是非、記録撮影を、などと
念じるも、今朝も惰眠を貪ってしまいました。嗚呼、こんなに良い天気なのに………

==================================================================

先日発売のRF誌最新号では、ここで話題となった「トレイン・オン・トレイン」や
稚内駅の「棒線化」工事の経緯が紹介されています。前者では「青函トンネルなどを
三線軌ではなく標準軌に統一する事が可能で」とあり、その一方「ウィキペディア/
北海道新幹線」の項では「新中小国信号場〜木古内駅間(海峡線)は三線軌条(大平
トンネル坑内で新幹線と在来線が合流し、木古内駅付近で分離する」との記述があり、
最終的に、どの様に決着するのか、要注目です。

ちなみに、掲載写真を見ても、広軌台車に積載された時点で、狭軌貨車編成の連結が
どうなっているのか良く判らず、作業の効率性を確保する観点から、連結を解かずに
台車に載せられる可能性も感じられ、こちらも興味深いですね。

後者では、まず、一番線を使用停止として、その間にホーム有効長の延長工事を行い、
二番線から一番線への切替当日の夜は、二番線側の線路撤去を含め、厳寒の下、僅か
五時間程で作業を完了した様子が紹介されていました。この結果、稚内駅の車止めは、
ホームと、駅舎への連絡通路に囲まれた「コ」の字型に落ち着いたものと思われます。

稚内駅舎の構造は失念しましたが、旧二番側での再開発が今改装の主たる動機ならば、
駅舎とホームを一体化した「常陸太田駅」型とした方が、車止め付近も、それなりの
風情が確保出来ると感じますが、一日僅か八往復のみの発着頻度で、そこまで費用を
投じる程ではないと云う事でしょうか。



投稿者 赤まんと
投稿日 2010年 3月22日(月)22時40分19秒
タイトル JR九州、洗面所窓埋め込み時期
Uzu様ご質問の件についてお答えします。
リニューアル工事が1988年より始まり、洗面所の自動水栓化と三面鏡取りつけ(このため、窓が埋められたのです)、
通路へのカーペット敷き。寝台モケット取替え。カーテンを、寝台をすっぽり包むものへの交換が行われました。
ご指摘の通り、全車には及びませんでした。未更新車は1998年までに大半が淘汰されました。
未更新のまま最後まで残ったのはオハネフ25 200番台です。208のみ更新施行。
非常口埋め込み時期まではわかりません。理由は使用見込みがなくなったためと聞いたことがあります。



投稿者 Uzu
投稿日 2010年 3月23日(火)08時14分41秒
タイトル 寝台洗面窓、非常口の件
>赤まんと様
丁寧なご回答ありがとうございます。
以前、カニ24 511の件でもお世話になりました。
重ねて感謝申し上げます。

JR九州の寝台車はリニューアルのバリエーションに富みしばしば悩まされます(笑)
銀帯か白帯か?乗車口上の寝台表示は白地か紺地か?モケットの色は?
カニ24飾り帯変形車(カニ24 6でしたっけ?)…等々、課題が山積みです(苦笑)

あさかぜ用のJR西日本車はリニューアルの程度も統一的であったように思います。洗面所は専ら未更新でしたね。

私が乗車した際は使いにくい未更新を敢えて選んで使用したものです。
少しだけ開くあの窓から入る心地よい風は忘れられません。

非常口の件、私は腐食防止かなとも思っておりました。
また、過去に品川から東京に回送中のみずほ号の非常窓が開いたまま走行し破損してしまった
という話も耳にしておりますので、事故防止の意味もあったかもしれませんね。



投稿者 12系
投稿日 2010年 3月23日(火)21時56分23秒
タイトル 北斗星の車両について
はじめまして12系と申します。

以前より拝見させて頂いております。


いきなり質問で恐縮なのですが、北斗星の2号車から5号車のいずれかの車両が検査に入るとき
開放Bが代わりに連結されるようですが、連結されるのはオハネフ24のみでしょうか。
また私は、一回オハネ24−501が入っているのを見たことがあるのですが、
Bコンパートではないオハネフ25−3、7、216が入る可能性はあるのでしょうか。

よろしくお願いします。



投稿者 赤まんと
投稿日 2010年 3月23日(火)22時26分45秒
タイトル 「北斗星」B個室検査時対応について
12系様初めまして。
ご質問にお答えします。
ご指摘の通り、まれにオハネ24 501が入ったことがあります。
大抵はオハネ25またはオハネフ25が充てられました。
ただし、私が調査している限り、2008年3月改正以降は、専らオハネフ24 500が充てられています。
前回全検はオハネフ24 501が2003年2月、502が2003年5月と、7年が経過。そろそろ次の全検が近いと思われます。
オハネ25 550、560の検査と重なることがあれば、オハネ24 500、オハネ25、オハネフ25のいずれかが
代用されることでしょう。
そういった編成記録を押さえたら、その時またご紹介させて頂きます。
「北斗星」削減直前には、北海道編成1、2号車ともに開放Bのオハネフ25というイレギュラーもありました。



投稿者 12系
投稿日 2010年 3月24日(水)13時06分43秒
タイトル 北斗星の車両について
赤まんと様

お答えありがとうございました。


私も編成調査をしによく上野駅に行っているのですが、本格的に始めたのは1往復化された時からなので
1,2号時代はオハネフ24以外にも連結されていたんですね。



最近はほとんどオハネフ24のようですが、1年前にオハネ24が入っていた編成がありました。
紹介させていただきます。

2009年3月23日 2レ
オハネフ25−8
オハネ24−501
オハネ25−562
オハネ25−566
オハネ25−552
スハネ25−503
スシ24−504
オロネ24−501
オロハネ25−501
オロハネ24−552
オハネフ25−13
カニ24−506
EF81-86


このときはオハネ24が入ることなんてあるんだな〜と思っていたのですが、今思えば珍しいんですね。

また最近になり、オハネ25−550にデジタル無線が付いていますが、
オハネフ24−500あるいはオハネフ25−3,7,216には付いていないようで、
オハネ25−550が編成から抜ける際には車掌はデジタル無線のある1号車に乗務するんでしょうか?


お忙しいところですがよろしくお願いします。

長々と失礼しました。




投稿者 赤まんと
投稿日 2010年 3月24日(水)22時23分57秒
タイトル 当日はノーチェックでした。
貴重な情報提供ありがとうございます。
過去1年以内にオハネ24 500の使用実績があったとは知りませんでした。
なお、昨年末からようやくオハネフ25 2,4,8,15にも無線アンテナがつけられました。
東日本車両への取りつけ開始は2006年12月からと認識しています。
2008年5月には、2、3号車が開放B寝台という、かなりイレギュラーな編成が見られました。
以下に紹介させて頂きます。

Lot No.3685 08/5/14 1レ「北斗星」

カニ24 507(17-5大宮総合車セ)
オハネフ25 214(19-11大宮総合車セ)
オロハネ24 554(18-7大宮総合車セ)
オロハネ25 503(19-8大宮総合車セ)
オロネ24 501(17-10大宮総合車セ)
スシ24 505(17-7大宮総合車セ)
スハネ25 503(18-6苗穂工)
オハネ25 551(19-11苗穂工)
オハネ25 564(19-7五稜郭車所)
オハネ25 15(20-1苗穂工)
オハネフ24 502(15-5苗穂工)
オハネフ25 15(18-11苗穂工)
 EF81 93(16-8秋田総合車セ)

全検標記は当時のデータで記載しています。
5/16はオハネ25 562が復帰した状態で上ってきました。車両に何らかの不具合があったのでしょうか。謎です。



投稿者 赤まんと
投稿日 2010年 3月24日(水)22時36分34秒
タイトル オハネフ25 216使用編成です
過去調査分から、該当編成を見つけました。

Lot No.3346 07/11/4 1レ「北斗星1号」

マニ24 502
オハネフ25 8
オロハネ25 554
オロハネ25 557
オロネ25 551
スシ24 501
スハネ25 502
オハネ25 566
オハネ25 563
オハネ25 561
オハネフ25 216
オハネフ25 2
EF81 89(カシオペア)

オハネ25 550の全検に伴う措置です。
しかも電源車はマニ、牽引機はカシオペア色と、見どころ満載の編成です。



投稿者 12系
投稿日 2010年 3月25日(木)10時40分25秒
タイトル ありがとうございなす
赤まんと 様


情報ありがとうござます。

マニ24は今となっては懐かしいですね。
北海道の電源車は今どうなっているのか…マニ24とカニ24−501は廃車になったと聞いたことがあります。
北海道車は色々なバリエーションがあり面白かったのですが、ほとんど廃車になってしまったのがとても残念です。


1往復化されてからオハネ250番が入ったことあるんですね。
オハネフ25+オハネフ24+オハネフ25の編成なら見たことがありますが。
また1月3日はスハネのドア故障で、6号車にオハネ25−238が入ったこともありましたね。

北海道車の検査表記を見てみると、約2年ごとに検査を行っているようで
スハネ25やオハネフ25は今年は検査通すのかと思っているところです。
赤まんと様がおっしゃる通り、オハネフ24も7年が経っているので、
走行距離が短いとはいえもうじき検入れるでしょうね。

北斗星が変則編成になるのは次回は4月中旬のようなので、調査でも行ってこようかと思います。


長々と失礼しました。



 
 
「客車倶楽部」へ  
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから